第九話

 なぜこんな事になったのか。  儚いイケメン保険医がピヨピヨ言うタイミングでステップを踏むと、顎に手を当てて観察していたシンスがふむふむと言う。 「全体的に姿勢が悪い。立ち振る舞いも優雅じゃ無いし踏み込みもドシドシ音を立てるのは美しくないね。髪型も野暮ったいから美しいラインが見当たらないな」 「全否定!」 「足運びの順番はあっているよ。よくやっているね」 「まるでとってつけたかのように――!」  屈辱の極み! という表情でいると、イケメン保険医が「先生、この年頃の女性は傷つきやすいですよ」と優しく肯定してくれた。秋音は心から傷ついた。  というよりも、なぜイケメン保険医がダンスを踊れるのか謎である。鳥系なので求愛の必須事項なのだろうか。謎がますます深まった。  息抜きできるのは体育の時間のみになってしまった。  本日の授業内容はバレーなので、順番待ちの秋音達は隅で見学中だ。右に桃子、左にファミが体育座りをしている。 「……完全にヤバいじゃん。目ぇつけられてるよ」 「悪いことしてないよ!?」 「それを言うならツバつけられてる……だと、思うの」 「くっ。太一を妨害していたツケがこんな所で来るなんて」 「今からけしかけて……だ、だめ。やっぱりそんなのできない」 「ちょっと待って。二人とも何の話をしてるの?」  真顔になった秋音は交互に顔を見ると、さっと反らされた。 「ねえ! 怖いよ!?」  深々とため息をつく二人は、お手上げとばかりに首を振る。何がどういうわけか分からず冷や汗が流れる。 「そんなにヤバいの?」 「大学レベルに押し上げるならまだガチで済むけど、お作法入ったらヤバいでしょ。誰がどう見たってヤバいよコレ。どうするの?」 「高校卒業と共に留学……大丈夫、私はついていける」 「ちょっと待てや博士号。協調性身につけに来たんと違うんかい!」  華麗な突っ込みを入れた桃子は「まぁ、そのほうが将来安泰か-」とぼやいている。 「どんなに遠く離れても、アタシ達は友達だから!」 「だから何で別れる前提で話が進んでるの!? どこにも行かないよ!? ヤマトから一歩も出ないからー!」  しかし二人揃って無理だから、と首を振られる。 「あのね、秋音……。霊国貴族はプライドが高いし、無駄なことを嫌うの。秋音に優しくするってことは理由があるのはわかってる……?」 「私の異能?」 「……。それだけじゃない、利用価値」  ファミは手を振って否定している。  頭が悲しい者を見る目が心に刺さった。 「シンス辺境伯を陥れようとする人が、秋音を邪魔に思うんだよ。秋音は国際協議ホールで目立ちすぎたから。うちの連中も秋音のこと気にしてた。アタシの友達だって知ってたから……。いや、それじゃないか。とにかく秋音は金になるんだよ」 「ボルゾウィルスから生き残った貴重な被検体……」 「後天的に異能が出たこと」 「言語能力は、声帯が根本的に違う種族にも通用するから、外交に連れて行きたいと思う政治家は多い……。馬車馬のように働かされて、ボロボロ。……秋音、かわいそう」 「怖い」  情報は宝だ。  それは分かっているが並行世界のこともよくわからない秋音は事実をうまく認識できない。電柱がサロドメド塔という名称に変わるくらい違う文化圏なのだ。今からでも電柱に直してほしいくらいなのに、これ以上わけがわからないのは勘弁願いたい。 「秋音のママ、シンス伯に懐柔されてる。絶望的……」 「確かにヤバい」 「やっと気付いたね」  悲しそうに呟くファミの言葉に冷汗が止まらない。これ以上化粧がおかしな方向に濃くなるだけならまだしも、娘を見知らぬ霊国人に渡すなんてことするわけが――留学の斡旋されたら明日から行くように言われそうだ。  それにダンスにマナーに受け答えのレッスンなんて上流階級にしか必要ないのでは? という事に今更ながら危機感を抱く。  全ては手配済み。  もしかしなくても、もう手遅れであった。 *  また真っ白な空間に来ていた。  あの夢の空間だ。  目の前にはスクリーン。逆さまの人達が歩いている。 『ごめんね』 「やっと会話する気になったの?」  一メートルはある巨大な蜂がしょぼんとしながら秋音と向かいあっている。  よく自分の姿を見れば、高校生の秋音は大学生の姿へ戻っていた。髪の長さが肩を超えている。 「こっちの秋音が危なかったから並行世界の私と交換したんだよね。ボルゾウィルスにはもう感染してないと思うんだけど」 『ボルゾはウイルスじゃないよ。生き物だよ』 「ウイルスも生き物じゃ?」  蜂は首をかしげ、秋音も反対側にこてんと頭を動かす。 『ボルゾは小さな生き物だよ。人の体に入ったら魂に飲み込まれて死んじゃうから、必死で出ようとする。だから、アキネは苦しんで死にそうになってた』 「なるほどわからない……」  だが、意味合いは分かった。 「つまり、それをどうにかするために私とこっちの秋音を入れ替えたってことであってる? 私、元の場所に戻れるのかな」 『うん、戻れる。アキネとボルゾが上手に分離したから。……でも、体がボロボロになっちゃったの』  申し訳なさそうに言う蜂に血の気がひいていく。 「どういうこと。戻った瞬間死ぬとかないよね」 『肉体の寿命が磨り減ってる……。このままだとまずいってボルゾが言ってた』 「待ってよ! そっちの都合で勝手に中身を入れ替えておいて、私の本体ボロッボロにしてありがとうって返すの?」  喉の奥が熱くなって、唇を噛みしめる。震えを押さえるように握った手に爪が食い込んだ。怒鳴り散らしたいの我慢する必要があるのか頭によぎるけれど、理性的な意識が客観的に駄目だと諦めたように呟いている。  相手は人外で、アキネを助けるために交換された秋音は用済みとばかりにポイ捨てされてしまうのだろうか。使い古した靴下のように。 「酷いよ」 『本当にごめんなさい』  聞き慣れたような、けれど覚えの無い声に顔を上げると、逆さまになった秋音が見下ろしている。高校生の姿だった。 「並行世界の私?」 『そうだよ、私。迷惑をかけてごめんなさい』 「……巻き込まれたのは知ってる」  始まりは誰のせいでも無かったのでそう言えば、彼女は首を振った。 『違うの。私は自分から巻き込まれに行ったんだよ』 「何で!?」 『ボルゾが助けてって泣いてたから。異能は分かる? こっちの世界に無いから驚いたんだけど』 「質問は一先ず置いとくけど、異能は知ってる。私にも変な異能があったけど、それは貴方のものじゃないの?」 『私は蜂さんに言われて、自分の異能を黙ってたの。誰かに話したことないよ。知ってるのは太一くらいだし。太一は子供の頃、ヤマト語が話せなかったから』  幼い彼女はまだ異能のことをよくわかっていなくて普通に会話していたという。太一も子供の頃の話であまり覚えてないと言っていたが。  なんとなく、彼女は太一が好きなのだと感じる。しかしながら、今はそれどころじゃ無い。 『話が逸れたね、ごめん。巻き込まれに行ったのはボルゾ達の声が聞こえたから。助けてって悲痛な声でずっと言ってるし、だから警察に通報して後を追いかけたの』 「わかった、もういい。私の体のことを話して」  怒りを濃縮した言葉に彼女は肩を揺らす。  蜂が彼女の異能を黙っているように言った理由は知らないが、どうでも良いと思った。 『ボルゾは特殊な生命体で、普段は植物や石の中に住んでる。彼らは意識がはっきりとした他の生命体に入ると、同調できなくて死んでしまうみたい。でも長く空気中に彷徨っても死んでしまう。たぶん、ある程度魂がある者の近くに居ないと凍えてしまうみたいになるんだと思う』  意識がはっきりした人間のような生き物に入ると死んでしまうようだから、繊細な生き物なのだろうか。人間に見つかってテロのために連れて来られたなら、確かに彼らは被害者だ。  彼女にしか存在がわからず、助けられないと思ったなら無謀にも追いかけてしまった気持ちはわかる。 『体に入ったボルゾを出すには、口から出れば良かった。でも、ボルゾは怖がって混乱していたし、私も苦しくてそれどころじゃなくなった。……だから蜂さんが、ボルゾを出すために私達をトレードしたの』 『魂渡り。……するには、波長が合う体の持ち主が必要だった。並行世界のアキネ達を入れ替えれば、アキネは助かると思った。ボルゾも魂渡りをさせれば、アキネから離れられる。魂渡りは上手くいった。あとは体が治るのを待つだけだった』 『でも、あなたの体は凄く弱ってて、上手く行かなかったの』 「……。インフルエンザにかかって寝込んでいたせい?」 『ボルゾとアキネを直すのに、体の寿命が減っちゃったの。ごめんなさい』 「ごめんじゃ済まないよ!」  自分が死ぬかもしれないと思うと堰を切ったように涙が溢れた。 『本当にごめんなさい。謝ることしか私にはできない……』  泣きじゃくりながら「どれくらい生きられるの」と秋音は問いかけた。  余命宣告を聞く病人はこんな暗い気持ちになるのだろうか。 『ボルゾが言うには……あと四ヶ月』 「……」  声も無く秋音は崩れ落ちる。  その後は二人が何を言っても頭に入らなかった。 *  気がつけば朝になっていた。  目を開けるのが大変で、瞼がくっついたようになっている。顔を洗いに行くと腫れていて、その日は何をしても上の空で、珍しくシンスに怒られた。 「何かあったかな?」 「ありました。でも……何て言って良いやら」 「では今日の授業はこれで終わりにしよう。気分転換に雑談でもしようか」  気を遣ってもらったが秋音は首を振る。いつも通りに生活していた方が気持ちが誤魔化せるような気がしていた。 「ふむ、では私に何かねだってみないかい?」 「特に欲しい物ないので」  秋音にとってシンスのポジションは「なんか良くわかんないけど、いいお兄さんそうな身分の高い人」という微妙な位置づけだ。そもそも臨時講師に来てしまった所がもう、よくわからないところの発露である。  シンスとしては、秋音が通訳にいればとても便利。将来はスカウトするつもりなのだろうが。 「残念だ。今なら宿題が減るかもしれなかったのに」 「それはとても残念……」  心動かされかける秋音は、まあしかたないと肩を竦めドリルを進める。  このイマイチ名称が違う電柱や交通規則が面倒だ。というよりも、なぜ交通規則を覚えさせられているのだろう。不思議に思ってドリルの表紙を見ると運転免許を取るための物だった。 「ドリルじゃない?」 「君は不注意だね。やっと気付いたようだ」 「今までの宿題はいったい何だったの!?」  狼狽えながらシンスを見ると、紳士的な微笑みだけを返された。 「大人は汚い嘘つきかもしれないってことを学んでしまいそうなんですが」 「それは良いことだよ。悪い大人に騙されないためにね」 「悪い大人が何かを言ってる……人間には理解できないやつだこれモウダメだー!」  うわあと机に突っ伏すと、お茶菓子とお茶を出される。ここらへんは好待遇なのだが、科目に無い教科が混じっているだなんて、と項垂れる。 「それで、何を悩んでるのかな」 「そこは聞かないお約束では」 「子供は目を離すと悪い遊びを覚えて将来を台無しにしてしまう。――とうちの執事がいっていたんだ。様子がおかしい時は理由を尋ねないとね」 「悪い大人が何か言ってる」 「ちゃかさない」  ため息をつくと頬を引っ張られ、慌てて払うと「どうしたんだい」とシンスはしつこかった。 「……じゃあ聞きますけど、余命三ヶ月って言われたらどうしますか?」 「何か身体に異常でも?」  深刻な顔をしたシンスに首を振る。 「元気ですよ? 来年も再来年も元気です」 「では、そんな風に考える何かがあったのかな」 「質問に質問で返さないでください。悪い大人ですよ」 「これは失礼。ではへそを曲げたレディにお答えしよう。もしも三ヶ月で死ぬとわかっているなら、私なら後継者を指名する。引き継ぎを終わらせ陛下に別れのご挨拶させていただき、手の甲に口付けする栄誉をもらおう。陛下はきっと私の知性を褒めて、格別な言葉をかけてくださるに違いない」 「そういえば英国は女王陛下がいるんでしたよね」  うっとりと目を瞑っているシンスは「当然だ」と呟いた。  この何も彼も完璧で優しくて時折意地悪で、何を考えているかわからない破天荒な紳士でもうっとりする女王陛下。想像するだけで楽しい。  きっと凄い人なんだろうな、でも威厳のある姿に違いない。と思っているうちに休憩は終わり、シンスは無情にもドリルの続きを促した。 *  体育の時間、再びバレーの順番待ちで端に座っていた秋音はファミに話して聞かせる。ふんふんと長い耳を揺らしながら聞いていたファミは「霊国人は王族大好きだから」と言う。世界的にも有名なようだ。 「どこに目ェつけてんだボケェ!」 「元気良いなぁ」  ボールを投げまくって、残り一対一の勝負になっているのだが、既にボールが見えない速さになっている。相手の女子もなかなかの技で、一歩も引かず戦っている。そこだけ切り取ったかのような別世界になっているので、秋音は薄目を開けながら微笑んでいた。現実逃避とも言う。 「……ねぇ、秋音死んじゃうの?」 「えっ? 死なないよ」 「嘘。突然そんなこと言い出すなんておかしい。心理学的――」 「はいストップ! そこから先の専門用語はわかりません!」 「ぶー」  可愛い顔をしているので頬を突くと空気を吐き出す。ファミはむっつりしながらしつこく体操服の裾を引っ張った。 「でも、最近何かあったんじゃ、ないの……? ね、私達、お友達でしょう」 「お友達」  ぐ、と秋音の心を揺さぶる。 「いや、本当に大したことじゃ無いんだけどね」  秋音は四ヶ月後以内にもう一度トレードされて、そして地球で死ぬのだ。こんな訳の分からない世界では無く、きっとベッドの上で。  隙間風が吹くように冷たくなっていく心を慰めながら無理矢理笑う。  気遣わしそうに見上げるファミの頭をよしよし撫でていた秋音は、彼女が思い詰めたような表情をしたことに、気付かなかった。