第八話

「抵抗すれば良かった!」  並ぶお菓子の家々は、精巧で綺麗でおいしそうだ。  チョコレートの品評会会場は、とても賑わっている。  高貴なる人々が、今日の催し物のためにめかし込んでいた。一目見ただけで位の高い人達の集まりだとわかる。参加者はシンスを見ては挨拶をし、秋音を見ては首をかしげる。  シンスは軽く「教え子なんだ」と言って、彼らを交わしていた。どういう教え子か興味を持たれたのだが、そつなく躱している。 「ははは。あ、これはリマントルー・シャトーが作ったお菓子の家だ。ちょっと食べてみよう」 「食事制限されてる人の前で、まさか食べたりしませんよね!?」 「シャトーのチョコは男性でも食べやすいね。おいしい」 「鬼ー!!」  目の前にあるお菓子の家は、チョコレートを主体で作られている。屋根はマカロン。窓は繊細な飴細工にドアは緊迫だった。コントラストも凄いが値段も凄い。どう見ても三百グラムで500円ですと売られているチョコよりも高そうだ。  そんな高級なお菓子の家の品評会が、白亜の城、それも正門前の巨大な広場にて開かれていた。  前回、放課後の女子会で余計な物を食べたとき、イグアナ先生はすぐに気付いて注意した。母もかんかんになって怒ったから、何も食べられない。  恨めしそうな表情の秋音を見てシンスは苦笑する。 「一つ食べてごらん」  シンスは一粒数万円と言われても納得してしまうような滑らかな舌触りのチョコレートを無造作に秋音の口に放った。目を白黒させた彼女を見て笑う。 「後で怒られるの私なんですが!」 「まぁまぁ。大丈夫、母君には私から言っておくから」 「……。それでも怒られますよ絶対。もぐもぐ」  口に入れられたからには仕方ない、と噛まなくてもとろけるチョコレートを舌の上で転がすと、入っていた蜂蜜がとろりと舌の上で溶けた。 *  怖々と帰宅した秋音は出てきた母を見てぎょっとする。 「ねぇ、お母さん。なんかいつもと違くない? 顔的な何かが凄く違くない?」 「やぁね、この子ったらホホ。いつもと同じでしょう」  そこには、激しい化粧をした母が待ち受けていた。いや、明らかにおかしいでしょうと濃すぎる口紅と頬紅を見ながら呆然としていると、それとなく挨拶をした辺境伯に顔を赤らめている。どうも辺境伯を気に入ったようだ。 「それでは私はこれで」 「まぁ。もう行ってしまうんですね。今後もよろしくお願いします」 「今後もよろしくされたら家庭崩壊の危機が……」 「それじゃ秋音君。また明日学校で」 「えー」  颯爽と帰っていくロップイヤーの紳士。  混沌とした状況の中取り残された秋音は、ルンルン気分な母の後を追って家の中に入った。  しかし、秋音は食事制限を破ったことをしこたま怒られたのだった。 「理不尽……!」 * 「感づかれておりませんか?」 「不思議な事に。しかし彼女も困ったものだ。今度は研究所が欲しがっているようだよ」  肩を竦めたシンスは今日のことを振り返る。  秋音を連れ出したのは病院が見張られているとリークがあったからだ。母親は果物で、娘は連れ去って回避したが、どうも国外へ連れて行きたい様子らしい。 「まったくヤマトの機関は何をしているのだろうね。私のような外国人が側にいても何も言ってこない」 「それはシンス様ですから」  採取できる物は既に手元にあり、他の懸念材料もあって手が回らないのだがシンスは切って捨てる。 「後天的に異能を得たとわかれば他の種族はこぞって興味を持つでしょう」 「どうもこの国の人間は危機感が薄いような気がするのだが……ふぅむ、前回のバイオテロといい、良くない流れだ」  シンスは溜め息をつくと耳を弄ぶ。  もう少し見張る必要がありそうだと思っていた矢先、秋音の態度が変化した。 *  なんということでしょう。  その後もちょいちょい遊びに誘ってきたり、送り迎えするようになってしまったシンスに秋音は悩まされていた。このままでは家庭崩壊してしまうという危機感が付き纏って夜しかぐっすり眠れない。  それに気になることがあった。 「シンス様、あの、私に付き合ったりしなくていいんですよ」 「授業がつまらなかったかな?」 「いえ、お忙しいでしょう? 親しくさせていただくのは嬉しいですが……」 「遠慮せずに」 「そうじゃなくて……。気を遣わないでください。そういうの気になってしまうんです。お暇ならいいんですが、わざわざ時間を作っていただくのは心苦しいんです。疲れた顔をしていらっしゃいます……。今日はやめて、どこかで休みましょう」  どうやってか知らないが、シンスは仕事と教師を両立している。それは目も回るほど忙しいのではなかろうか。今も自分の仕事の傍ら、秋音を見ているような状況だ。  目元を擦ったシンスは「これは失礼」と苦笑い。  毎日のスパルタのおかげで小学生からやり直しが中学生からやり直しレベルになっている。高校受験も夢じゃない――というのは冗談だが、シンスは教えるのが上手だからだろう。  やはり辺境伯と一緒に保健室で勉強するのは無理があったのだろう。字面ですら無理があるのだから。  秋音は気遣わしそうな表情で紅茶を飲むシンスを窺う。 「休んだ方が良いですよ。大人しくドリルしてますし。帰ってもお仕事があるんじゃないですか?」 「高校生なのによく気がつくね」 「いやぁ、それほどでも」 「お言葉に甘えて昼寝させて貰おう。女性の目の前で眠るのはマナー違反だが」 「気にしないのでどうぞ」  手が離れ、シンスはベッドにごろりと横になる。  英国紳士が高校の保健室で寝ている。  なにやら不思議な感じだし、高級そうな衣服と学校の備品がミスマッチしてておかしな感じだ。そっと音を立てないようにしていると、ごそごそしていたシンスは「寝具が堅いな」と言いながら目を閉じた。  疲れていたのだろう。  すぐに寝入った様子だった。  開いた窓から風が入ってきて心地良い。  秋音も眠くなりながらドリルを進めていくとチャイムが鳴った。それでもシンスが起きる様子はなく、そのまま放課後まで頬っておいた。 「何てことだ。……この私が惰眠をむさぼるなんて」 「いや昼寝するって言ってたじゃないですか」 「ほんの少しのつもりだったんだ……」  紳士が落ち込んでいる。耳も元気なくぺたっとしていた。  男は繊細な生き物というのは本当かもしれない。  感心したように耳を見ていると、恥ずかしそうに頬を染めた。 「まあ、でも顔色良くなりましたね。やっぱりお疲れだったんですよ。これを機にスパルタを軽減するのはどうでしょう?」 「私の生徒が低品質では困るので、それは駄目だ」 「低品質」  つまり自分は低品質、と胸中で繰り返す。低品質でごめんなさい、と真顔のシンスを見て思った。 「問題ない。この国の最高峰の大学レベルには仕上げるつもりだから」 「問題しか無いんですけど!? 高校生なんですけど!?」 「私が君くらいの年の時には、博士号を持っていた。大丈夫できるさ」 「できないできないできない無理無理無理無理」 「気負わずやってみたまえ。では、今日はそろそろ帰宅しようじゃないか」 「無理無理無理無理」  ゴールは高校一年生の授業ではなかったのか。  高校受験を遙かに超える高みに、秋音は白目を剥いた。 *  現在学力の足りない秋音は体育の時間のみ、クラスの皆と一緒に活動をしている。 「ていう事があって、保健室からまだ出られない~!」  体育の時間、ドッジボールをしながら嘆くと、ファミも桃子も引いた顔をしている。ちなみに桃子は敵チームで内側、二人は秒速でボールに弾かれ外野に飛ばされている。 「ガチですなファミさん」 「ガチですね桃子さん……」  二人は真顔で肯定した。 「シンス様と言えば、霊国きっての頭脳派と聞いてる……。そんな人に教えてもらえるなんてラッキーだよ。でも、勉強なら私にだって教えられるのに……」  生物博士号持ちが密かに嫉妬している。あまりのかわいらしさに頭を撫でてしまった。  うふふと笑ったファミだった。 *  次の日からシンスの様子が少しずつ変わってきた。  以前から変わった人だと思っていたが、保健室にお菓子を持ち込んでティータイムをしたり、寛ぐ姿をよく見るようになる。それに比例して、だんだん保健室が貴賓室のようになってきた。寝具は当然のように寄付されて、入ってきた生徒が「保健室?」と尻込みする様子が初々しい。  そのうち噂を聞きつけて野次馬に来る生徒も現れた。  部屋の隅で儚い感じに待機している保健室の先生も「別にいいよ」と言ってたので大丈夫なのだろう。  そう、手を繋いだ瞬間、ピーしか言わないイケメンが喋ったのだ。  あのときの感動を全人類にわけてあげたい。  異能が実生活で役に立った、輝かしい出来事であった。 「そうだ様。これ、いただき物のクッキーなんですが、美味しいので持ってきました。ニンジンお好きですか?」 「……君は、私に媚びないね」 「今まさに媚びてます。宿題減らしてください!」 「それは駄目だよ」 「そこを何とか! 先生!」 「はっはっは」 「笑ってないでー!」  保健室の端で勉強を見て貰っていた秋音は唸る。  サクサクとにんじんクッキーを囓ったススルはすぐに紅茶で流し込むと「なかなかジャンクな味わいだ」と自分のお茶請けをお裾分けしてくれた。 「マカロン美味しい……」 「今度連れて行ってあげようか」 「いや、いいです」  何かにつけて家族サービスしたがるお父さんよろしく、シンスは甲斐甲斐しい。しかしこうもいろいろされては、臨時講師の枠を超えている気がして気後れしてしまう。 「それにしても顔色良くなりましたね」 「いやぁ、よく寝かせてもらってるからね。秋音君は気にしない子で私も楽をさせて貰っている」  というわりには、書類の束が山になっている。  大人になるって大変だ。  ちょっと遠い未来を思って薄目になっていると、頭痛がしてくる。 「またかい?」 「はい。……最近多くて」 「何か気の休まるハーブティを出そう」 「いや! 学校に執事さん来るのはちょっと駄目かなーと!」  頭を揉んでいる場合ではない。  秋音はベルを鳴らそうと――なんでベルがあるのか考えたくないが――するシンスの手を押さえた。彼は肩を竦めたが少し横になるように言う。 「そんな過保護にしなくても……」 「君は自分が一度死にかけた自覚が無いのかな? ヤマト人は危機感が薄すぎると思うがね」  実は気がかりなことがある。  異能がボルゾウィルスによって後天的に発症したのではと仮説が立てられた辺りから、車にひかれそうになったり、変な郵便が来て太一が被害にあった。秋音が毎朝取りに言っている新聞に混じっていた手紙に催眠ガスが仕込まれていたのだ。朝食をたかりに来た太一が代わりに取ってなければどうなっていたことか。  秋音宛だろうと警察は調べているらしい。  お巡りさんが巡回強化をしてくれる事になったが、どうなる変わらない。  シンスも笑みで分からないようにしているが、時折ピリピリしている。  一眠りした秋音は頭がすっきりして爽快な気分だった。 「座学ばかりではつまらないだろうから、明日からは別の教科を増やすことにしたよ。もちろん語学もね。君の異能があればスマートに伝えられるけれど、覚えていてそんなことは無いだろう」 「え!?」 「ダンスにマナーに受け答えのレッスンだ。理事長に許可はもらったから特別授業だね」 「ええ!? 待ってください、お嬢様じゃないんですけどー!?」 「良かったじゃないか。これで宿題が減る」  違う、そうじゃないと言う声は黙殺された。