第十話

 送ろうというシンスに「いいかげん、過保護ですから!」と歩いて帰宅することにした。  本音は考え事をしたかっただけだ。  いつもと違う道を通ってたどり着いた公園のベンチに座る。炭酸ジュース片手にぼーっとしていると、目の前の子供達がきゃらきゃらと遊ぶのが目に入る。  人外だらけの賑やかな光景に遠い目をしながら口をつけるとメロンソーダの味がする。もちろん商品名はかすりもしない。 「……ねー! 秋音ー」 「わ、ビックリした! 奇遇だね。どうしたの、こんなところで」 「秋音が、見えたから」  ファミは息を乱している。走っていたのかもしれない。  彼女は秋音の手を引っ張って立たせると公園の外へ向かった。  どうしたというのだろうか。  尋ねても「一緒に来てほしいの」としか言われない。 「どこにいくの?」 「あそこ。……あの車に乗って」  指さした先には黒塗りの高級車。それだけでヤクザしか思い浮かばないのは自分の貧相な想像力のせいだろうか。  グイグイと腕を引かれた秋音は躊躇したが、引きずり込まれるように入った。 「出して」  急発進する車に鼻をソファーに打ち付けながら慌てて周りを見る。 「硝子張り!?」  運転席と後部座席を区切るように存在している透明な仕切りの存在感が凄い。  目を見張る秋音に、ファミはシートベルトをして、なぜかヘルメットも装着する。ドアの入れ物にあったもう一つを抜き出すと、秋音の頭に乗せた。 「危ないから、それをしてね……」 「え、うん。それはいいんだけど、どこに行くの?」 「大陸の、外……」 「へー。そうな……えっ!?」  止めかけた金具をファミが引き継ぐ。パチンという音がした。 「ま、待って! 大陸の外って、蜂輪鏡境から出るって事? パスポートも持ってないし、親にも連絡しないとだし、いきなりはちょっと……」 「でも、秋音。……もうすぐ死んじゃうんでしょう。だったら、早く逃げないと」 「逃げるって、何から?」 「シンス辺境伯。それから、秋音が死んじゃう理由……ねえ、教えてよ。私、生物学の博士号があるし、大抵の病気なら、治せるよ……」 「……つかぬ事をお伺いするんだけど、運転手の人はどこのどちら様?」 「それは秘密なの」  可愛らしく小首をかしげる。  うっかり「そっかー」と頷きそうになるが駄目だ。 「本当に待って!? これもしかして誘拐? 同級生に誘拐されてるの??」 「身代金も何も要らない。……秋音がいれば、それでいいの」 「ありがとう。でも待って!」  混乱の境地である。  秋音は頭を振って、ついでに両手も振ってファミを見るが、なんだかうっそりした目つきをしている気がする。 「秋音だって、私がいればいいでしょう? ……私達、お友達だもの。施設につけば汚らわしいやつも、媚びを売るやつもいない。二人だけの世界になる……」  やばい。  心の底から、そう思った。  人生でこんなにも暗く危ない目つきで見られたことも、絡め取られるように抱きしめられた事も無かった。  尋常じゃない様子に冷汗が止まらない。  もしかしたら、今日が日の光を浴びる最後の日になるかもしれない。 「博士、後ろつけられてますぜ」 「プライベートジェットまでに引き剥がして」 「了解」 「待って、ちょっと考えなお――わああ!」  端的に答えた運転手はプロっぽくアクセルを踏んだ。  盛大に舌を噛んで悶絶しているうちに、運転手は更に加速し赤信号を突っ切った。背後で車のぶつかる音に青ざめながら後ろを見る。 「ええっ!? シンス伯がなんでここに」 「ちっ。マジックミラーで中が見えないはずなのに」  運転してるのは執事のセメロ。  助手席に乗ったシンスはシルクハットを取ると中から黒光りする何かを取り出す。見間違いじゃ無ければ小銃だ。  なぜそんなものをと絶句しているうちにシンスが引き金を引いた。  車は右へ左へ、時に逆走しながら走って行く。信じられないことにカーチェイスである。  まさかのヒロインポジに白目を剥いていると、ジグザグに進んだ車はガードレールを乗り越えて裏道に突入した。 「警察が来たわ」 「まずいですね」 「あいつは、私が始末する……」  後部座席の背もたれを倒したファミが取り出したのは、細長い銃。見間違いじゃなければ連射タイプの機関銃ではなかろうか。装填された弾が帯のように垂れている。 「いつから日本で銃撃戦が起こるようになったの!? や、違った蜂輪鏡堺だけども!」 「秋音、危ないから伏せてて……てい」  というほわっとしたかけ声で、マジックミラーをぶち抜いた。破片は散らず、ただ穴が空く。  思いっきりハンドルを切ったシンス達が乗る車は、そのまま回転して道路の端に急停止すると、勢いよくバックして道を外れた。 「回り込む気よ」 「その前に高飛びでさぁ」  運転手はにやりと笑い、秋音は隠れるように存在している空港に連れて行かれた。 「ね、考え直して。こんなの犯罪だよ」 「秋音の同意があれば、犯罪じゃなくなる」 「いや未成年だからね」  もうどうすればいいのだろう。  このまま大人しく連れて行かれるのは嫌だ。死ぬのも嫌だが、ファミについて行っても変わらない。だったら、今まで通りの日常を過ごしたい。 (そっか、シンス伯もそう思ったからああ答えたんだ……)  どうやっても抗いきれない運命なら、そうするしかないのだろうか。  やっぱり嫌だ。  こんなわけのわからないことで死にたくない。蜂輪鏡堺から出て、他の大陸の知らない場所で隔離されるなんて嫌だ。  顔を上げた時だった。 「博士」  階段を上って一足先に中に入っていた運転手が、鋭い声音で言う。  見上げると、両手をあげて降りてくる。後頭部には拳銃が突きつけられていた。背後にいるのは制服を着た警察官だ。 「鬼ごっこは終わりにしよう」  シンスの声にぎょっと振り返ると、ファミが取り押さえられる所だった。 「秋音!」  伸ばされた手に首を振る。  どうしてと信じられないように見開いた目に、答える。 「私は自分の人生を思うとおり生きたい。誰かに囲われて勝手に将来を決められるのは嫌!」 「……。そんな。私の事、嫌いになった?」 「そうじゃない、そういう事じゃないの」  唇を噛んだファミは、奥歯を噛みしめる。  ――刹那、姿が消えた。  警官の手が空を切り、騒然となりかけた場に声が響く。 「秋音は死なせない。すぐに迎えに行く」  プライベートジェットの入り口に立っていた。 「大丈夫だよ、本当に死なないから……!」 「嘘。秋音は嘘をつくと、鼻が赤くなる」  ぱっと顔を覆うと「嘘だよ」とファミは言う。  警官の制止を振り切るように扉が閉まり、飛行機は動き出す。風圧に飛ばされないようシンスに引きずられながら逃げた先で、頬をつねられる。 「それで、過保護がなんだったかな?」 「すみませんでした……」  と謝った秋音だが、ジロリとシンスを見上げる。 「もしかして私が襲われるの、わかっていたんですか? タイミング良すぎます」 「君を害そうとしたわけじゃない」 「あなたは……」  ため息をつく。 「やっぱり身分ある高貴な方ですね。私の常識とは別の所に生きてる人です」  囮捜査するにも密かに護衛をするにも、本人に一言あっていいんじゃないだろうか。  そもそも、英国の辺境伯が学校で臨時講師をしている事自体、逸脱したあり得ないことなのだが。常識という言葉が吹き飛んでしまう。 「ようやく私に興味が出てきたのかな?」 「いえ、そう言うんじゃないですよ」  秋音は肩を落とし、シンスは喉の奥で笑う。  警察の事情聴取を受けた後、秋音は心配する母親に連れられて家に帰宅した。 「姉ちゃん、攫われたってホント?」 「本当。同級生に連れて行かれそうになった……」  話して聞かせると「ヤンデレが実在してる!?」と戦いた弟の後ろ頭を叩く。 「いってー! 理不尽! 心配して損した」 「私だって友達が減って悲しいよ! 茶化さないでよ! ……明日学校どうしようかな」 「何、ずる休み?」 「しないけど気分的にさぁ……」  攫われかけた次の日から元気に登校。  これもまた繊細さの欠片も無い行動である。乙女なのにこんなに図太くて良いのだろうかと秋音が考える人のポーズをしていると、不意に、強烈な眠気に襲われた。 *  また、あのときと同じ白い空間に立っていた。  目の前には逆さまになった自分がいる。 「今度は何の用」 『頃合いを見計らっていたの。あのときは、動揺していたから』 「余命宣告されて落ち着いてられると思う?」  悲しそうな顔をした彼女に罪悪感が目覚めたが、同時に制御できない苛立ちも混じって感情がぐちゃぐちゃになっている。相手は高校生だ。それは分かっている。 「……頃合い見計らってたって、こっちの様子を見てたの?」 『ううん、蜂さんに教えてもらって。今日は、改めてトランの事を話したいと思ってる』 「聞いても意味ないと思うけど」 『そんなことない! 私達がしたこと許せないのわかってる。でもお願い、話を聞いてほしいの』  必死に頼み込む勢いに押されて小さく頷く。 『ありがとう!』  涙まで浮かべて喜んだ彼女は話し始めた。 『秋音さん……秋音さんって呼んでもいい?』 「構わないけど、じゃあ私はアキネって呼べばいいのかな」 『うん、それで。……なんだか変な感じ』  それは同じ気分だ。  二人は小さく笑った。 『秋音さんの体がボロボロになったのは、入れ替えた時にボルゾが分離するために衝撃が来たから。弱ってたから耐えられなかったの。そのせいで一ヶ月生死の境を彷徨ってた。今は記憶障害が出た事になって、大学は休学中』  そんな事になっていたのか。  もしかしたら、彼女が起きたのは最近だったのかもしれない。 『それで、ボルゾはあと四ヶ月しか体が持たないって。だけど、生き残る方法が一つだけある。私と秋音さんは別の人間だけど、でも並行世界の自分だから殆ど一緒。私の体を繋げれば生命力を循環させることができるって』 「内臓でも入れ替えるの?」 『ううん。……完全にこちらの方法になるけど、秋音さんの体は生命力が減ってるから、私の本来の体と繋げる。そうすると秋音さんの体の治癒力が戻っていくから、寿命も延びる』 「どれくらい?」 『五十年くらいだと思う。それが限界だって』 「蜂がそう言ってるの?」 『うん』 「アキネの体はどうなるの」 『……それは』 「もしかして、自分の生命力を私に流そうとしてる」  びくりと肩が揺れ、頭を抱える。 「なんでそう極端かなぁ!」 『だ、だって……』  彼女は自分のやらかした尻拭いをしたいと思っているし、恐らく秋音より正義感が強い。若いから後先考えず突っ走ってしまうかもしれない。  いや、それほど年は離れてないが、無鉄砲さは否めない。  だからといって、並行世界の自分から生命力をもらって五十年生きたとして、今日のことを後悔しないだろうか。 「……絶対する」 『え?』  秋音は顔を上げると、不安そうにしている彼女に言う。 「もういいよ。私をそっちの世界に戻して。最後は自分の生まれた場所で死にたい」 『ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい』  力なく笑うと、大粒の涙が彼女の頬を流れた。