第七話

「セロメ、どうだった?」  車の中で外をぼんやり見ながらシンスは聞いた。 「旦那様の仰ったとおり、隣は空き家でございました。売りに出されているようでしたので買ってあります。しかし、あのような敷地では旦那様がお住みになられるには狭いのではありませんか。別荘にしても周りは住宅街でございますし」 「いや、住むのではなくて出入り口にしようかと思ってね。あそこに通路を引こうと思う」 「まさか霊国とあの家を繋ぐのですか!? ヤマトの承認が必要です」 「それなんだが、ボルゾウィルスの抗体研究に必要なサンプルを乗せた車が襲われた。工場から押収したものらしいよ。アレをばらまいた連中が元気に動いているようだ。中身は奪われてしまったらしいね」  明日の紙面には一面トップはそれで決まりだ。規制をかけて事故と見せかけたそれの犠牲者は十人近い。 「しばらくは目がそっちに行っているだろう」 「旦那様、なぜあの少女にこだわるのですか? 確かに珍しい異能ですが……」 「先ほど本国より私信があった。我らが偉大なる女王陛下が、下僕に従事せよと仰っている。私はこの命に従おうと思う」  手の平ほどのカードをくるりと回す。滑らかな筆跡で書かれた文字は一瞬にして燃え上がって消えた。残った白紙のカードに了承の返事を書くと、カードは消え失せる。霊国の最新式通信カードは、まだどこにも公開していない。  嗅ぎ回っている者もいるが、知られるのはまだ先だろう。大陸から大陸へ一瞬にして連絡を取る方法は、国際協議ホールを使ったとしても無理なのだから。 「そして彼女は唯一の生き残り。陛下は彼女を守れとおっしゃっている」 「では、折を見て霊国にご招待を? しかし、それならば国の目もこちらに向いているのでは? 唯一の目撃者であるはずです」 「それも、全て手を打ってあった。陛下はよほど気になるとみえる」 「しかし……。旦那様は辺境伯。ただでさえ領内から出ることは難しいお立場です」 「私がどうして蜂輪鏡境に来たかわかるか?」  唐突にシンスは言う。 「仕事? そうだとも。だがそんなもの別の誰かに押しつけても良かった。私自ら行くことを女王陛下は望まれたのだ。セロメ、私はこの世で最も高貴な御方に従うだけだ」  恭しく執事は頭を垂れた。 「承りました。が、旦那様。相手がうら若い女性である事を忘れないでくださいね」 「わかっているさ。それに、学校の先生を一度やってみたかったんだ」 「は!?」 *  夢を見た。  それが夢だとわかったのは、ここへ来る前に全く同じ光景を見たからだ。  大きな蜂が、人のように膝を抱えて座っている。今は泣いていない。  後ろ姿を見ていた 秋音は、自分が蜂と同じ地面に経っていることに気付く。最初に見たときは、逆さまだったのに。 「ねぇ、何を見ているの」  蜂は答えない。  秋音は近づいて視線の先を追った。  真っ白な空間に古い映画のようなノイズの入ったスクリーンが浮いている。そこには逆さまに映った人間達が歩いている。  その中に自分を見つけたとき、目が合った。  はっとした瞬間、秋音は目覚めた。 *  朝起きたら、隣の家がチャペルみたいになっていた。  本当によく分からないけど、夢かと思ったけれど、チャペルだった。  洋式の家が古き良き日本の町並みを完全に破壊している。すごい破壊している。いや、ここは日本ではなく蜂輪鏡境なのだけれど。 「え、え……一日で何が」  滑らかな白い壁に三角の屋根。  呆然と見上げていると、洋風のドアが開いて車が一台出てきた。それが秋音の目の前で止り、窓が開く。  手を伸ばした麗人は、秋音の頬に触れた。 「やぁ、早いね。これから学校? 良かったら乗せていくよ」 「シンス伯っ。あの、隣の家からどうして……」 「買い上げたんだ。それよりボーッとしてると遅れるよ。早く乗って」 「え、あ、え。えええええ」 「あ! おまえ誰だ! そいつに触るな!」  と、後ろから慌てた太一が走ってくる。 「いや、この人は大丈夫だよ。知り合いの人で――」 「ハーフか? すごいな、機械人なんて初めて見た。二メートルあるんじゃないか? ああそうそう。話は変わるけど、学校が終わった後にお茶はどうだろう。チョコレートは好きかな?」 「え!? いえそれはけっこうで――」 「秋音、ぼーっとしてないで離れろって! 危ないぞ!」 「いいや、だからこの人はっ」 「お前誰だ、秋根に何の用だ!」 「あのね」 「じゃあクリームは? 霊国においしい店があるんだけど、配達もやってるらしいんだ。あ、そうそう、今日から――あ、名前で呼ぶよ。秋根君の臨時教師になったからよろしくね」 「だから聞いてくださいって! ――え!?」 * 「……嘘でしょ、辺境伯が臨時講師なんて、嘘でしょ。しかも、私のっ」 「はは! いや、貴重な体験だよ。生徒が一人なのが寂しいけれどね」 「別に申し訳ないと思ってるわけじゃありません」  頬をつついてくる紳士は肩をすくめる。  ネットで調べただけでもサンクチュアリ伯と言ったら、霊国でも上から数えた方が速いほど、序列が高い。女王の覚めでたく名門中の名門が気さくなのもおかしいが、日本の高校に臨時講師。ばかげている。おかしい。何かあるに決まっている。  儚げなイケメン保険医はデスクに座って紅茶を入れていた。ぴよ、ぴよ、と機嫌良く話している。何を言ってるかわからないけれど、それでいいんだと思う。 「さぁレッスンの続きだ。こうやって人に教えるのも楽しいものだな」 「……レッスンって言うか、鬼スパルタ」 「何か言ったかな?」 「い、いえ。お勉強します」  秋音はペンを取ってスパルタ教師の下で黙々と勉強を始めた。ちなみにテキストは小学校三年生のもの。つまり秋音のレベルはそこなのだ。  シンスはスパルタで、今日中に本を三冊読むのが目標だと言ってきた。わからないところがあったら聞く、という家庭教師のような方針である。ちなみに読んでいるのは科学の本だ。霊波とかサロドメド塔とか訳のわからない固有名詞が多い。サドロメド塔はおそらく、電柱の事だろう。頭が、頭が痛い。 「……そう言えば、シンス伯は大きな蜂の種族を見たことはありますか」 「いいや、無いが。どうかしたのか?」 「ちょっと気になったもので」  夢の内容を思い出すが、ぼんやりとしてあまりはっきりしない。  夢とは大概そういうものだが、あれはただの夢じゃないはずだ。自分の頭の中の創造物がどこかにいれば話が早いが、そう簡単にはいかないようだ。 * 「確かに、異能ですね」  困惑顔のイグアナ先生はカルテに記入しながら呟く。 「ボルゾウィルスにそのような効果が……いや、生き残ったのは君が初めてと言うわけですから、そんなこともあるかもしれませんね」 「先生、体に異常は出ないんでしょうか?」  母が聞けば、イグアナ先生は困った顔をする。 「わかりません。後天的に異能を得ることはあります。しかし、それがボルゾウィルスと関係があるのか、これには疑問が残ります。こちらで文献を当たってみましょう。それから、秋音さんには精密検査をもう一度受けていただきたいのです」  費用は全て国持ちなので、秋音は頷いた。 「しかし、言語に関することですか……声帯も詳しく調べましょう。取り返しのつかない疾患がないといいのですが」  等々患者を不安にさせるような事を呟きながら、イグアナ先生は検査室へ向かうように言った。  さくっと検査を終えて、結果待ちをしていると、目の前にサッカーボールが転がってくる。  待合室の椅子から立ち上がった秋音は、ボールを拾って周囲を見回した。すると、車いすの男の子がこちらを見て両手を挙げている。 「こっち!」 「はい、落とさないようにね」  耳がもふもふしているので、きっと獣人だろう。  ずいぶん人外も見慣れてきたな、と遠い目になりながらボールを渡した瞬間、こめかみに何かが当たった。 「テメェ、ぼっちゃんに何の用だ」  横目で見ると明らかに堅気じゃない感じの男性がいた。サングラスで顔には大きな傷、スキンヘッドで加えタバコをしている。火はついていない。マナーと態度が、見るからに悪そうな男だ。それが、袖の長い服の影に隠れた物を、秋音のこめかみに当てている。黒光りするそれは、たぶんおそらくきっと拳銃的ななにかじゃないだろうか。  冷や汗がどっと吹き出した。 「止めろよタゴサク。落としたボール拾ってくれただけじゃん」 「しかしぼっちゃん。この女、不用意に近づいてきましたぜ」 「聞けよ」  どうしようこの人、と困ったような目を向けられたのだが、秋音の方が困っている。  気付けば周囲が避けるように距離を取っているので助けが呼べない。母はちなみに、トイレに行っているのでしばらく返ってこないだろう。  病院で銃乱射事件どころか命の危険ってどういうことだろうか。  と、 「あれ? タゴサクなにしてんの? て、秋音ちゃんじゃん! 超奇遇! どったの?」  わー! と嬉しそうに耳を立てながらやってきたのは桃子だった。 「救世主! た、たたた助けてぇ」 「え? ……おいタゴサク、アタシの友達になにチャカ向けてんだよ」 「お、お嬢のお知り合いでしたかっ」  違った、間違いなく仲間だった。むしろ手下だった。  一瞬で人殺しみたいな鋭い目つきをした桃子は顎をくいっと上げる。凄く柄が悪い。 「テメェ、犬のくせに鳥頭? 鳥ちゃんなの? アタシの友達の顔すら覚えてないってどういうことだよアア゛!?」  尖った靴で尻を蹴り上げると、男は「ひぃっすいません!」と飛び上がった。凄い痛そうである。 「姉ちゃんの友達だったんだ」  へーっとのんきにボールを膝に置いた車いすの少年が言った。 「俺、源太っていうんだ。ボール取ってくれたのに悪かったな」 「え、マジで? ご、ごめんね。お詫びにジュース奢ってあげる! タゴサク、ささと取って濃いよ! ココアと牛乳な!」 「あ、俺はコーヒー牛乳!」 「わかりやしたー!」 「……どうしたらいいのこの状況」  ダッシュで去って行くタゴサクを見送りながら、思わず心の声が漏れてしまう。  とりあえず三人は待合室の椅子に座った。  秋音を中心にして極道の子供達が左右を固める。 「そういえばどうして病院に? 検査? アタシは弟の付き添いだよー」 「私も病院で検査。源太君は骨折しちゃったの?」  脚に巻いてあるギプスは痛そうだ。  サッカーでもやってたのかな、と秋根は思ったのだが、 「おう。ちょっと抗争の時にしくじっちまってな」  なんか凄いこと言ってる。 「こいつ馬鹿なんだよー。骨折してるくせに、昨日サッカーの試合出て悪化させてたの」 「いいじゃん別に。両方勝ったんだからさー」  これ触っちゃったらいけない奴じゃないかな、と思った秋根は口元に微笑みを浮かべた。目は死んでいたが。 「ていうかタゴサク遅いねぇ。後でシメよ」 「だなー。釘打ちでいっか」 「ぬるくない? あいつ蹴らないと脳みそに情報入らないし」  というか自分、どうやってこの子らと仲良くなったんだろう、とっても不思議である。  まだ一分も経ってないのにこの仕打ち。冷や汗が止まらなくて背中が冷たい。とても冷たい。  お母さん早く帰ってきて、と願うが秋音の真の救世主は帰ってこない。というかタゴサクが帰ってきたら、極道に左右後ろ完全ガードされちゃうんじゃないだろうか。 「そういえば姉ちゃん、こないだテレビ映ってたな。あれ凄かった!」 「え、マジで!? アタシ聞いてないよ」 「そりゃ姉ちゃん政治番組どころかニュースも見ねぇもんな。ほら、国会のニュースあったろ? ラッキーウサギ」 「あのおっさんね」  本人が聞けば顔を引きつらせそうな事を言いながら、桃子は手を打った。 「ラッキーウサギ?」 「あれ、姉ちゃんは知らねぇの? 霊国のサンクチュアリ伯って言ったら、幸運の異能持ちだぜ」  得意そうに源太が言う。 「神に愛された一族っていうんだぞ。サンクチュアリ一族は、幸運の異能持ちしか当主になれない。持ってれば完全勝利、無敗無双のチートだよ! 霊国がこれまで世界大戦で生き残ってきたのも、全部サンクチュアリ伯の異能のおかげって話は、有名なんだぞ」 「そうなんだ。源太くんは物知りなんだね」 「フフン! もっと褒めて良いぞ!」  頭を差し出されたのでとりあえず撫でる。しっぽがちぎれんばかりに振られていた。 「でも姉ちゃんは気をつけろよ。幸運の異能は本人にしか降りかからない。周りを不幸にするって面もあるからな」 「え」 「それ聞いた事あるわー。確か――」 「お嬢ー! 買ってきやしたぜ!」 「テメェ、人が話してるときに遮るんじゃねぇよ!」 「ギャ!」  タゴサクは再び蹴り上げられた。  そして間の悪いことに源太君を呼ぶ声が。ナースを見ると顔はにこやかなのに不自然に震えていた。トイレットペーパーみたいな一反木綿なのに、後ろの切れ端部分が明らかに震えている。 「あ、それじゃ行ってくるな!」 「ごめんねー。はい、ココア。アタシ達、裏口から出てかなきゃ行けないから、このままバイバイ!」 「あ、うん。また学校でねー」  見送った秋音は、なんとなく置いてけぼり感をくらいながら、もらったココアの紙パックにストローを指した。 「遅いなぁお母さん。お手洗い混んでるのかなぁ」 「お母上なら先ほどお帰りになったよ」 「ヒィ!?」  するりと頬を撫でられて振り返れば、噂の人がいつものフロックコート姿で隣に座っていた。  その後ろには執事のセメロもいて、激しく浮いている。 「ど、どどうしてここに……。シンス伯も」  頬に伸びた手がするっと首から肩を撫でて、手のひらを握る。 「だめだめ。今は学校じゃないからシンス、と名前で呼んでくれないと」 「いやその前からそうお呼びしてる気が」 「それでだね」 「聞いてください」  しかしシンスは優雅に脚を組み替えると、秋音の言葉を華麗に黙殺した。  セメロがさっと懐から見覚えのある紙を取り出し、言う。 「お母上はシンス様がプレゼントさせたフルーツバイキングに出かけられました」 「まって」  ちょっと何を言っているかわからない。  三日前に母が行きたがっていた高級フルーツバイキングのパンフレットがセメロの手の中にあった。封は切られて中身はない。  秋音の困惑顔を再びスルーした主従二人はやっぱり気位が高い英国紳士だった。ぜんぜん話を聞かないどころか、なんでそうしたのか想像がつかない。 「どうしよう。別世界の人間すぎてどうしよう」 「そんな謙遜しなくて良いんだよ。さて、約束のお菓子の家が出来たんだ。見てこようか」 「もう何から突っ込んだらいいのかわかりません」  朝から突っ込みが多すぎて疲れた秋音は、そのまま抵抗することなくずるずると引っ張られていった。