第六話

「そうだ秋音、通訳は私が合図してからでいいかな? そこの君も」  シンスはそう言いながら立ち止まり、椅子を引いた。  秋音が座ったのは上座にある通訳専用のテーブルだ。  隣にいる女性は給仕係だ。シンスが直前で頼み、隣に座ってもらった。彼女は静かにうなずき、秋音も続く。  シンスはいたずらっぽい笑みを浮かべ、壇上を見た。表情が一変し鋭くなった。けれど秋音には見えない。ただ、場の雰囲気が一瞬で変わったのを肌で感じた。 「お集まりの皆様、自分の心を正しく表現するのに適しているのは、母国語だけだと考えたことがおありでしょうか」  突然の言葉にきょとんとしてしまう。  シンスは周囲の訝るような反応を見ながら微笑む。貴族然とした近寄りがたい笑みだ。 「もし、言葉が思いのままに相手に伝わるとなれば、使わない理由を思い浮かべる方が困難です。私は今日まで自分の異能について多くを考えてきました。しかし今日ほど幸運だと思ったことはありません。そしてそれは、世界にも影響を及ぼすと確信しています。  皆様、通訳の皆様、どうか私のスピーチの時にはお休みください。そしてどうぞ、彼女の言葉をお聞きください。それは私の言葉そのものだと断言いたします」  視線を秋音に向ける。慌てて隣の女性の手を握った秋音は、マイクに唇を寄せた。 「まず始めに、エルファ国が襲われた巨大な災害の被害者達に追悼の意をを表します。そして今日、エルファ国が懸命に立とうという所に、追い打ちをかけようなどと言う国があることに、強く怒りを感じました」  秋音が言葉を繰り返した刹那、会場から音が消えた。  困惑したように顔を見合わせている。向けられる視線に居心地が悪い。  心臓に針を突き立てられたような緊張と悪寒が走る。背中が泡だって頭が真っ白になりそうだった。シンスはプレッシャーをかけすぎではないだろうか。  異能だ、と誰かの囁き声が、嫌に大きく響く。  何度も何度も唇を湿らせていると、シンスはもう一度だけ視線を向けた。 「なぜ、多くの傷を負った国を攻めるのか。なぜ、痛みを分かち合う事無く振る舞えるのか。それはある意味国の“人間性”が失われた結果である、と私は考えます。非道な行為は誰のためであるのでしょうか。理解に苦しみます。  そして疑問があります。エイゲナー国については国際法に基づいて協議を重ねる必要があるはずですが、なぜ各国のどなたもその事について言及しないのでしょうか。  エルファ国は過酷な風土です。その大地でしか採れない貴重な植物は、全世界の我々に様々な貢献をしています。多大なる貢献、と言っても過言ではありません。  私はこの場を借り、霊国の代表として申し上げる。エイゲナー国のやっていることは紛れもない侵略行為であると!」  どよめきが広がった。  視界の端で誰かが動くのが気に障る。目の前に座っている者達の表情に気が削がれそうになる。たくさんの人外に見つめられる事が、これほど大変な事とは思いも寄らなかった。 「霊国はこれより協議へと入るでしょう。エルファ国に対し、霊国が尊敬の念を抱いてきたかを示すために。  エルファの安定は、言うまでもなく平和と繁栄の土台であります。それを脅かすことはすなわち、世界を脅かすと同義なのです。  ご列席の皆様、並びに中継をご覧の全世界の皆様。霊国は力と叡智の限りを尽くし、エルファ国並びに周辺諸国の共生、共栄のため、果たすべき役割がある限り、交渉の席を開くことを訴えます。  霊国は、民生の安定を目指すエルファ国の下支えに力を惜しみません。それこそがエルファ国と霊国、そして全世界の平和の道につながるのだと信じています。――ありがとうございました」  シンスはそれでも堂々と言葉を紡ぎ続けている。凄い人なのだと思い直したとき、スピーチは終わり、割れるような拍手が秋音を包み込んだ。何てことだと内心頭を抱えた人間に、睨まれたとは思いもよらず。 ★★★  エルファ緊急支援会合が終わり、もう帰るだけの時間になった頃。秋音は死んだ魚のような虚ろな目をしていた。甘ったるいジュースが飲みたくなるような気分でもある。 「ふむ、わかった」  秋音達が惜しむように集まる偉い人外達を切り抜けて入り口に立つと、ひときわ目立つ黄色い角を生やした男に止められた。二、三、彼の言葉を耳打ちされたシンス辺境伯は耳をへたらせた。なにやら良くない事らしい。 「すまないが秋音、私と一緒に来てくれないか。君に話があるという人が呼んでいる」 「えっ」 「偉い人だから私も行こう」 「え!?」  口から魂が出そうになった。 *  関係者以外立ち入り禁止の一番奥まった部屋に通された秋音は、緊張に息を止めそうになりながら入った。 「そう堅くならなくていい。シンス辺境伯もどうぞおかけになってください! 初めまして。僕はオトラル・ジス。この国際協議ホールの総責任者です」  柔和に笑ったのは同じ年頃の青年だ。髪は銀。灰色の制服を来たオトラルは口を開いた。 「さすが霊国の天恵を与えられし者。シンス辺境伯は天に愛されていますね。窮地に天から使わされたかのように使者が来た」 「天使の間違いでしょう。今回の事、もう知っておりましたか」 「ええ、一部の者の間で噂になっていましたからね」 「言の理を支配するあなたに褒められるとは、私も中々だとうぬぼれてしまいそうだ。彼女に会えたことは本当に幸運だった。さて、話があると?」 「言の理を支配するとおだてておきながら、実に意地悪な質問だ。まず、彼女に説明しなければ。ああそうだ、僕の言葉を翻訳しなくてもけっこうですよ。僕の言葉は万人に伝わるのです。今はヤマト語を話しているように聞こえるでしょう? しかし、僕が話しているのは別の言語なのです」 「じゃあ、わたしと一緒ですか……?」 「僕の異能は全ての相手に母国語として伝わる、と言う物でして。君の物とは違います。誰もが僕の言葉を理解しますが、僕には皆様が違う言語を話しているように聞こえる、という厄介な物でね。ああ、霊国の言葉とヤマト語は習得済みですよ」  僕の説明はその辺で、と切り上げた彼は続ける。 「まず呼び立てた理由ですが、是非この国際協議ホールにスカウトしたいと思いまして。君の異能は希有だ。いつから持っていたものなのですか?」 「それが、気づいたのは今日でして……」 「今日! それはまた、急な話ですね」 「いえ、あの、記憶が飛んでるんです。だから前から知っていたのかもしれませんが」  首をかしげた二人に、ボルゾウイルスに感染した事を告げた。 「なるほど、命があってよかった。そしてシンス辺境伯に見いだされたのは幸いだ。おかげでまだ誰も手に入れてないのだから」 「おっと、最初に見つけたのは私だ」 「またまたぁ、臨時のバイトさんだそうですね。それに通訳は今日にでも到着するではありませんか」  しばし微笑みあった彼らは、一瞬悪い顔をしてお互いを牽制した。 「あの、アルバイトをするのは今回だけです。どのような内容のお話でもお断りします」 「あなたの異能は価値ある物です。国際協議ホールで行われる全ての翻訳をあなたに任せたいとすら、我々は考えています」 「通訳の方がいらっしゃるでしょう?」 「確かにそうですが、希に言葉を間違えます」 「わたしも間違えるかもしれません」 「あなたが言葉を間違えることはあり得ない。あなたの耳は全ての言語を、ニュアンスですら正しく聞き取り、正確に相手に伝えられる。このような異能は聞いたことも見たこともない……そしてそれは、証明されました」  一つのテープを懐から取り出した彼は、簡易ラジカセのようなものにセットする。再生ボタンと共に流れ出したのはエルファ首脳の演説だ。これが何だと困惑すれば、途中でテープを止めた彼は言う。 「エイゲナー国はエルファ国に侵略戦争を仕掛けようとしている。これをエルファ首脳は強く批判し、経済制裁を呼びかけた。要約は間違っていませんね?」 「は、はい」 「しかしエルファ首脳の通訳はこう訳した。"エルファの国境ではエイゲナー国の威嚇射撃がありました。彼らの行為は国を脅かす行為。私はこれを強く非難する" ――経済制裁の事には触れていなかった。あの通訳はエイゲナーに金を握らされている可能性があります。この国際協議ホールで、許されない蛮行だ! 一歩でもこのホールを出たら、必ず取り押さえる」  燃えるような憎悪にすくみ上がる。 「え、えっと、でもジスさんはいろいろな言葉を知っていて、他の通訳の人も、わかったのでは……」 「確かに同じ大陸の者なら単語くらいならわかるだろう。しかし、地域が違えば訛りもでてくる。それが酷いと、もう別の言語なんだよ」 「あ、そうなんですね……」 「この国際協議ホールでは、通訳は必ず統一言語で話します。そして通訳達は各依頼者に翻訳していくのです。スピーチする者から通訳、通訳から他の者へ、どうしても直接伝わらない。特にエルファは独特の土地で、きちんと学ばなければ訛りがきつくてわかりにくい。彼らはあまり外にでたがりませんから」 「ようは、エルファ首脳の言葉があの通訳にしかわからないだろうと思われていた。事故があって何人か通訳が来れなくなっていた。調べれば彼らがエルファ訛りも聞き取れる者かどうかもわかるだろう。全て計画されていた可能性がある。私を填めようとしたのも、どうやらエイゲナーらしいじゃないか。同盟国の霊国と亀裂を生ませ、その隙を突こうという算段か? いや、時間を稼ぎたかったのかもしれないな。いずれわかる」 「でも、この国際協議ホールで放送された映像は、世界に発信されています。なのに、本当にそんな事が出来るのでしょうか。誰かが気付くのではないでしょうか」 「もしそうであっても長い目で見れば亀裂が深まります。無論エイゲナーの立場も相当悪くなるでしょうが、あの国は元々外圧をかけてもあまり効果が無いのです。統治者は鉄の心臓を持っていますからね」  謀略を駆使し、時には暗殺を企てエイゲナーのトップに立った男が今の指導者だ。誰もが恐れ、誰もが口をつぐみ、何も証拠が無いまま男は上にあり続けている。 「少し難しい話をしてしまいましたね。また今度にしましょうか。それまでに考えておいてください。いい返事を期待しています」 「それでは私達もこれで」  その場はお開きになり、秋音も帰宅することになった。  来た道を戻ってお屋敷に戻ると、 「秋音、今日はありがとう。家まで送っていこう」 「大丈夫です、すぐそこですし」 「送りたいんだ」  なんというか外国人は押しが強い気がする。ぐいぐい来られて秋音が「はぁ……」と首をかしげたのを了承と取ったシンスは、流れるように自動車に押し込んだ。  秋音は目を白黒させたまま告げてもいない自宅まで送られ、玄関先ではちあった母もまた、目を瞬いた。 「秋音さんのお姉様ですか? 初めまして、シンスと申します」 「え、あらまぁ! 母親です」 「これは失礼を。お若く見えたのでてっきり姉君かと思いました」 「あらあらまあまあ! あの、うちの娘とどう言う関係ですか?」  こんなあからさまなヨイショ始めて見た。そしてのってしまう母が恥ずかしい。  秋音がぱかっと口を開けながら目をまん丸にしている間にもシンスはにこやかに、愛想良く答えた。 「大変難儀していたところ、通りかかった彼女によくしていただいたのです。おかげでこちらは大助かりでした。お嬢さんのような博識で良いお子さんをもたれて、奥様は幸せですね」 「うふふふふふ!」  母が壊れた。 「おっと、もうこんな時間だ。そろそろ次の用がありますので失礼させていただきます。また後日、改めてお礼に伺います。これは連絡先です。何かありましたらここへ」 「そんなご丁寧にどうも。秋音、ぼーっとしてないでご挨拶なさい」 「あ、うん。今日は送ってくださってありがとうございました」 「こちらこそ助かった。それではまた」  シンスは秋音にも丁寧に挨拶をして帰ったのだが、母は興奮が押さえきれないようだった。  それはそうだ、滅多にいないようなイケメンにちやほやされたのだから。 「秋音、よかったじゃない。あんないい人ならお母さんも安心だわ」  車が消えた道の先を見ながら、機嫌良さそうに言う。 「それにしても、あんた何したの?」 「通訳だよ。そうだお母さん、私って異能があったんだね。どうして教えてくれなかったの?」 「何のこと?」 「言葉の異能のことだよ。知らなかったからびっくりしたんだけど……お母さん?」 「秋音、お前何を言ってるの? 人間に異能があるわけないじゃない」  二人は顔を見会わせて首をかしげた。 「ボルゾウィルスのせい?」 「……先生に聞いてみましょうか。あと、本当に異能かどうかもね。じゃ、お夕飯作るからあんたは手を洗ってテーブル拭いといてちょうだい」 「はぁい」