第五話

 異能とは、トランが出来た85億年前から、全ての生き物に深く関わってきた。  神が与えし奇跡の力という者もいれば、連綿と受け継がれた血筋によって培われた技術の結晶と言う者もいる。  何を言いたいかというと、ほとんどの人外は異能を持っている。持っていないのは弱小と言われる人間くらいなものだが、たまに秋音のような者もいるらしい。気づかない場合の方が多いのだという。 「はぁ。わたし、その……い、異能持ちなんですか?」  急にそんな事言われても困る。  秋音の異能は、相手の言葉が全て母国語に聞こえること。そして異能が発動しているときはどんな相手でも無条件に会話が成立するというものだ。  発動条件は他者――母国語以外の言語を話す者、ないしは使っている者――と体のどこかが触れる事らしい。  ちなみに、自分だけで相手はその範疇に入らない。  微妙だ、と一人ごちる。  もう少しテストに役立つような異能だったらよかったのに、と嘆息したくなる。  蜂輪鏡境にいればヤマト語以外を使う機会など無いのだから、気付かなかったのも当然だ。いや、そもそもヤマト語以外を使う場面が少ないので、家族も気付いていなかったかもしれない。帰ったら聞いてみよう。 「そんなことはない、君の異能は立派なものだ。その力に助けられているのだからね」 「……あの、本当にわたしが会合に参加してもいいんですか? というかしていいんですか? 身元も確かじゃないし」 「玉本公立高校特待生の生徒さんなら、これ以上ない確かな身元だ。さぁしゃんとして。君がするのは相手の言葉を私に伝え、私の言葉を相手に伝える事だ。言葉をそのまま口に出せばいいだけ。簡単だろう?」  辺境伯というのは、こうも適当で勤まるのだろうか。  げんなりしながら右腕につけた通訳証明の腕章を見つめる。交通指導のおじさんが就けている黄色い物にそっくりだ。しかも散歩用の洋装のままなのに、周りは畏まった服装で浮いている。  会合内容はロスメルタ大陸で起こった大地震で被害を受けた、エルファという農業国の支援について。  エルファ国とは厳しい気候の中でしか育たない野菜や特殊な果物を育てている国で、多くの薬品の原産地になっていた。今回、どれだけ支援できるかで信頼と優先度が変わってくるだろうとサンクチュアリ辺境伯は言う。  かなり重要な会合ではないだろうか。  先ほどから胃が痛くて、頭痛までしてきそうだ。  重厚な扉を警備兵がゆっくりと押し開く。  もっと警備が厳重そうなイメージだった秋音は拍子抜けしたとき、 「さあ、ここが会場だ。入り口で審査があるが、私の通訳だと告げれば問題ない」 「では旦那様、私共はこちらでお待ちしています」  シレムがかしこまって頭を下げる。  それもそうだろう。  ここは限られた者しか入れない「国際協議ホール」なのだから。  やられた、と思ってももう遅い。亜空間に建設された完全なる密室空間にある巨大な議事堂は、歴史の教科書に載るほど有名だった。そして、この中で話し合われたことは全世界にリアルタイムで配信されるのだ。 「お手をどうぞ、お嬢さん」  そんな台詞を言いながら、既に掴んでいる手を持ち上げた彼は、気取った仕草でハット帽を少しあげ、会釈する。その拍子にぴょこりと現れた黒い兎耳ロップイヤー。  秋音は口をぱかっと開けながら入場した。  そういえば、霊国にいるのはほとんど兎人だったのを思い出した。  執事もお付きの人も全員兎の頭をしていたし、体もモコモコだったのでシンスは違うのだろうと勝手に思っていたが、そんなまさか。 ★★★  場違いである。  もう一度言うが、場違いである。  お尻をもぞもぞさせながらフカフカの椅子に腰掛ける。手すりは押し上げても大丈夫なようになっていたので、手を繋げたままである。不審そうに見てくる視線の、なんと多いことか。  椅子は巨大な人外でも座れるように大きめに作られているため、足が浮く。踏み台は椅子の下に常備してあったので引っ張り出した。  国際競技ホールの天井は高く、円形に作られていた。椅子は三分の二をしめ、正面になるよう事務席や議長席が設けられていた。記憶にある地球の日本。その国会議事堂と似た作りになっている。 「やれやれ、私を騙すためにずいぶんと細々とした細工をしたのだな」  懸命にも無言を貫いた。  もしエルファ国の緊急支援会合だと聞いていたら、シンス辺境伯はしっかり準備したことだろう。  ぶつぶつ言っているのを聞き流しながらおとなしく座っていると、親しそうに近づいてくる者がいた。 「シンス辺境伯! お久しぶりです」 「これは、ファムル殿。今回は災難でしたね」 「いいえとんでもない! 私など運良く手配が済んだからいいものの……しかし主催者の方から聞いたのですが、あなたも通訳が到着しなかったと」  そこ、そこダイレクトに突っ込んじゃうの!? 止めてっと顔を覆いたくなった秋音の腕を引っ張って彼が立ち上がると、 「それが、運良く通訳をしてくれる子を見つけましてね、何とかなりました。この子は秋音と言いまして、万能に通訳ができる有能な子です」 「ほう!」 「ひぃいいいいっ」  にこにこと微笑むシンス辺境伯に冷や汗まみれだったファムルと呼ばれた人外はほっとしたように耳を立てた。おそらく、犬の獣人か何かだろう。確か、霊国の同盟国に犬とか狼の獣人が多く住んでいる国があったような気がする。 「そうでしたか、それは良かった。いや、変な噂が流れていたので驚いてついついここまで来てしまったのです。シンス辺境伯が会合をすっぽかす、などと。本当に良かった」  ほほう、後でどなたから聞いたのか教えていただいても? もちろんですとも、と薄ら寒い会話をしていた二人はもうすぐ始まる様子に別れを惜しんだ。 「秋音、始まったらあの真ん中の席に人が座る。最初は現状の報告で、次は各国の支援について代表が話し合うだろう。彼らの言葉を教えてほしい」 「わかりました。……あの、霊国の代表はシンス辺境伯なんですよね? 辺境伯も演説をするんですか?」 「ああ、もちろんだ。心配しなくていい。こういうとき、どうするかはだいたい決まっていてね、霊国でもこの事は話し合っていた。君は通訳用の席に座って、私が言ったそのままに――と、そうか手を繋いでいないといけなかったな。ふむ、ちょっと実験してみようか」  もう始まる、と言うときに何をするのだろうかと思えば、髪の毛を1本抜いて秋音に渡す。 『何を言ってるかわかるかな?』 「あの……」 「ふむ、これはだめみたいだ。仕方ない、スピーチの時は君の席は私の隣だ」  絶対嫌である。スピーチ席などテレビのど真ん中に映るじゃないか。 「冗談だよ。だからそんな嫌そうな顔をしないで微笑んで。別の通訳さんと手をつないでいればいいから。さぁ。始まったぞ。あ、後で美味しいお菓子をたくさんごちそうするから。約束だ」  菓子に釣られる年齢は等に過ぎているのだが、秋音は訂正する機会を失った。 ★★★  人外が集まったホールは壮観だった。ありとあらゆる物語が一つの場所に集まったかのような独特の圧迫感と緊張が肌をちりちりと焼く。 「――と、現在エルファの被害は過去最大です。災害による被災者は千人を超え、住居や土地を元に戻すためには莫大な支援が必要ですが、我々はこの度の災害を乗り切り再び大地を取り戻したく考えています。  我々は己で立ち上がる意志があります。それはあの過酷な大地に立ち、懸命に生きているという誇りから来る物でもあります。  しかしエルファの国境ではエイゲナー国の威嚇射撃が頻発しています。彼らは我が国の領土をかすめ取らんと軍事侵略の準備を進めているのです。私はこれを強く非難します!  今回お集まりいただいた皆様にはエルファ国が酷く憤っていることを知っていただきたい。そして経済制裁を強く主張します!」  彼の言葉をそのまま言い切った後は、喉がからからに渇いていた。耳につけたイヤホンが終わりの言葉を伝える。通訳の言葉と混じっていたので酷く聞きずらかった。まず、  会場は報告を聞いて重々しい空気に包まれた。  配給されたカップから一口、紅茶を飲む。薫り高い茶葉を使っているのだろう。 「ふむ、君の言葉はずいぶんと聞きやすい。やはり自国の言葉に聞こえるのはいいな」 「……恐れ入ります」  シンス辺境伯は小首をかしげた後、ほんの少し思案するような表情をして視線を戻した。  次のスピーチが始まった。  秋音はまだ、自分の異能がどう言うものかわかっていなかった。