第三話

	

 保健室は三階の端にあった。地味に具合の悪い人に不親切である。  学校は一学年平均九組あって、それが三学年で二十七組。少子化とは無縁の学校は、どおりで城みたいに広いわけだと納得した。  体育館は三つ、校庭はグランドが二つあり、どちらも広い。遊具こそないが、倉庫は一軒家レベルのものがどーんと建っていた。  なんと食堂もあって二階建て。お弁当でもいいらしいが、食堂のほうが安いしおいしいしで人気がある。学年によって食事の時間が違うらしく、生徒全員を収容できないが、それでも広かった。一度に八十人は入れそうだ。  教員の数も普通の高校の三倍はいて、種族や能力ごとに決められた科目を取らなければいけない場合もある。  ちなみに、人間にはそういった特別な修行を取る必要はなく、必須科目だけ受けるようだ。 「……ピヨ」 「……………」 「ピー」  だが、これは酷いんじゃないかと思う。  黄色い髪の、もの凄い儚げなイケメンの口から「ピヨ」と「ピー」しか出てこない。わからないことを聞きたいけど聞けなくて、秋音は半泣きになった。  ちなみに、彼が保健室の先生で白衣を着ているから間違いないだろう。  頭と背中から羽が生えているから、天使か鳥の仲間で間違いない。 「ピ」  とうとう携帯か参考書を舐めるように見るしかないと追い詰められたとき、保健室の先生がさっとボードを取り出した。真っ白で光沢のある面に黒いペンでサラサラと課題の説明を書いていく。 「最初からやってくださいよー!」  爆発した秋音に保健室の先生は儚げな感じに驚いた。 *  数学、国語、大陸史、民俗学の授業を終えて昼休み、やはり人外だらけの教室で、三ヶ月ぶりに姿を現した秋音は、親しかったと思われる友達にぐるっと囲まれた。どれもこれも目が三つあったり尻尾や耳が頭に生えている人外ばかりである。  人間は初音だけのようだ。囲まれて硬直している初音を助けるように太一が慌てて近寄ってくる。 「そんなに詰め寄るなって! 秋音は家族のこと以外、ほとんど忘れたんだって言ったろ」 「聞いてるよ! でもでもっ、アタシの事も忘れちゃったの? 本当に?」  ショック!! と顔面に大きく書いた少女はべそべそと泣きながら耳をへたらせた。顔は人間なのに尻尾と耳が生えている、物語に出てくるような犬の獣人少女だ。名前は|鬨羽桃子(ときばももこ)と言っていた。  その横で無表情ながら悲壮感溢れる様子の少女は、秋音の半分くらいしか身長がなく、耳が異様に長かった。緑色の目に同じ色の長い髪をしている。天使の輪が浮かんでいる可愛らしい少女の種族はエルフらしい。これまた物語によくあるように寿命が長くて成長が人間の三倍以上遅いらしい。  彼女の名前はファミルトン・サルートリーガ。ファミと呼んでいたそうだ。桃子はモコちゃんである。  主に仲が良かったのはこの二人で、いつも一緒に過ごしていたのだとか。  全く記憶にない。 「ごめんね、覚えていなくて……」 「い、いいの。だってボルゾウィスルにかかったら普通は死んじゃう。……生きてるだけで、いいの」 「そ、そうだね。そうだよね! ごめんね秋音ちゃん! アタシわがままだった」  哀しみにぶるぶる震えている二人は、本当に秋音の身を案じていたようだ。 「そんなこと言わないで。すっかり忘れちゃってごめんね。これからよろしく」 「うん!」 「もちろん」  ぎゅむぎゅむと抱きしめられて思ったのは、獣人、ふさふさしている。尻尾とモフモフの耳を巻き込むように頭を撫で、抱き返す。憂鬱な学生生活だが、少しだけ前向きになれそうだ。 「よし、後は任せて太一はあっち行けよ!」 「なんでだよっ!?」 「記憶がない秋音に媚を売るなんて……汚らわしい」 「オレは秋音のおばさんに、ちゃんと学校生活が送れるように頼まれて――って聞けよ、おい! 秋音も何とか言えって!」 「ごめん太一君。皆と親睦を深めるね!」  人外だが人に近い女子と、ゴツくてでかい人外だったらどっちをとるか。たとえ今朝の恩があろうとも、秋音の心は間違いなく前者である。  恩知らずと罵ればいい。 ★★★  放課後である。  無事にとはいえないが授業を終え、反対する太一をなだめすかして二人と下校したのは三十分ほど前だ。  授業の内容はさんざんだった。知ってた法則も知らないものに変わっていたし、全滅に近い。帰ったら勉強しないと進級できないかもしれない。  とはいうものの、明日からがんばろう。  秋音達は近くのカフェに向かった。  古い洋館を改装したような作りのカフェに入って始まるのは女子会だ。  三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、入学してからあった一連の情報を収穫することができた。  玉本高校と言えば大陸中から志望者が集まる有名校で、お金持ちや有力者ばかり。もちろん近所の生徒も志願するが、全国的に受験者の規模が違う。  問題だったのは玉本公立高校は偏差値が高く、1-9組は特別教室なことだ。異能の中の異能が集められ、エリートの中のエリートを育てるのが目的なのだという。  頭もよくないし、異能だってもっていない。いや、あるかもしれないが今はわからない。口から出てはいけない何かが出そうになったが、クリームソーダと一緒に何とか飲み込む。  今週の定期検診で怒られるだろうが、カフェにいってクリームソーダを飲まないなんてありえない。世界が変わってもあり得ないのだからしかたない。  ところで、一見気取らない普通の女子高生に見える桃子は、獣人の中でも過激派極道の組長溺愛なお孫さんで、身体能力はかなりのもの。校内でも一、二を争う実力らしい。実に関わりたくない人外である。どうして親しくなったのだろう。本人はとても好い子なのだが。  もちろん表情筋には出さないようにした。  ファミは既に義務教育どころか生物学博士号を持っている。頭が良すぎて宇宙人規模の少女だった。社会性を身につけるために玉本公立高校に入学したらしい。  羨ましすぎて鼻血が出そうである。  一人一人、1-9組はそんな特別な子供たちが集まってるのだろう。  では、自分はなぜ特待生クラスにいるのだろう。  ここでわかったのは秋音は本来なら別の公立へ行くはずだったのだが、なぜか願書がすり替わって玉本高校に入学することになってしまったらしい……と言っていたようだ。そんな馬鹿な。願書間違えたからと言っておかしい。  自慢じゃないが自他共に認める人畜無害な人間だ。この世界では人間は下から数えた方が速いくらい能力値が低い。  例えば力の強い人外と握手しただけで手の骨は折れるし、頬ずりされただけで裂けるほど皮膚が弱い。口から破壊光線も目からビームも出ないし、気化した汗が毒物に変化しないので、バイオテロも起こせない。空を飛んだり未来を予知したりなどSFな不思議能力も、もちろんない。  後で教師人に聞くべきだろうか。 「あ、アタシそろそろ門限だ! 速く帰らないと銃で撃たれちゃう」  あちゃー、しまったしくじった! と軽い口調で頭をかき回した桃子に遠い目になりつつ、ここ一ヶ月で身につけたスルースキルを発揮した秋音はよいしょと立ち上がる。 「秋音ちゃん、アタシいなくなるけど二人で大丈夫?」 「大丈夫だよ。速く帰らないとその、う、撃たれるんでしょ?」 「ごめんよー! この埋め合わせは必ず! また明日ね!」  へにょんと耳をへたらせた彼女は、財布からきっかり代金をテーブルに置くと疾風のように去って行った。べろんとめくれたスカートをつい見てしまう男達は下に履いてる短パンにぐぬぬとうなった。冷たい視線を送りつつ、秋音は嘆息する。 「秋音ちゃん、疲れちゃった?」 「久しぶりに外に出たせいか、ちょっと。真っ直ぐ家に帰るね。ファミちゃんはどうするの? 住所どこだっけ?」 「入り江町四丁目。私達、反対方向。でも送る」 「いいよー、悪いし。わたしの家から四丁目でしょ? 凄く遠くなっちゃうから、ここでばいばいね!」  入り江町四丁目なら、ここから五十分もかかってしまう。小さなファミの足ではもっとかかるだろう。  家まで送るという条件で太一はしぶしぶ引き下がったのだが、ここから自宅まで十五分もないのだ。今朝見た限りじゃ飛んでくる火の玉も多くなかった。気をつけていれば十分避けられるだろう。「でもでも」と言うファミを押し切った。  それがわかっているのか、ファミも渋々頷いて帰路についた。