第二話

	

 学校は三ヶ月ほど休んでいたことになる。  通学鞄と指定の制服を着込んでそろそろと家を出た。 「いってきまーす」  弟は朝練だからと先に行ってしまった。薄情すぎる、と思いながら歩いていると、後ろから声がかかった。 「秋音! ちょっと待てよ!」  思わず飛び上がって振り返った秋音は、ドスドス走ってくる推定男子を見て心臓を縮み上がらせた。  恐竜のような鱗のついた肌に尖った爪が付いた指。指定の制服を着ているものの尻尾はズボンから飛び出した、明らかに人間ではない生物が片手を振って近づいてくる。  顔面はつるつるとして人だったらあるべき目鼻が無く、マネキンのような窪みもない。口だけは人間と同じ位置にあるが、ぱかっと開いた口内はぎざぎざの歯でいっぱいだ。つるりとした頭部には光沢のある真っ直ぐな角が四本生えた彼は高藤太一たかとうたいちと言う。身長が二メートルを超えており、まだまだ成長中である。ちなみに肌はうっすら青い。金属のような色合いだ。  太一は人間ではなく竜族と機械人のハーフ。  人外の存在で、秋音の幼なじみの少年だ。  もちろん、こんなでっかくて堅そうでSF映画に出てきそうな幼なじみの記憶は無い。 「お、おはよう」 「おう! おはよう。ってか行く前に家に寄れって言ったのに何で来ないんだ」 「え、いやあの……あっちだと思って」  まさかばっくれようとしていたとも言えず、言葉を濁して前方を指せば横に並んだ彼は嘆息して頭を掻いた。 「そっか、オレのことも忘れてるんだったら家の場所もわかんねぇよな。悪かったな。よし! 明日からは迎えに行ってやるから」  太一は爪が当たらないように手を握る。恐る恐る握りかえせば、一瞬びくっとした。  秋音は受け止める勇気を振り絞った。  本当は恐い。見慣れているが見慣れない世界に秋音は放り出されたのだから、緊張しないわけがない。 「迷惑じゃないかなぁ」 「おばさんに頼まれてるし、オレも心配だから。気にすんなよ」  とても親切な行為に、これで見かけが人と同じだったらと思い、内心首を振る。この世界では人のほうが少なかったのを思い出した。  秋音は三ヶ月前まで銀河系第三惑星地球、アジアの東にある日本列島でそこそこの大学に通いながら、アルバイトをしていた学生だと思っていた。  自分の事なのに自信が無いのは、そこには人間しかいなかったからだ。更に詳しく言うなら、人間以外に意思疎通及び発達した思考能力を持ち、言語を有し、社会を築き上げた生き物はいなかった。  だが、今は有りと有らゆる考えつくだけの“想像上の生き物”だと思っていた者達が道を闊歩し社会生活を営み、会話を交わし暮らしているではないか。  自分自身も大学生から高校生になっていたし、けれど家族は変わらず一緒にいる。  あの不思議な夢に出てきた蜂が「かわって」と言った瞬間、全ては変貌した。  原因があるとすればそれだが、こんなことあり得るのだろうか。死地を彷徨ったせいで頭の中がどうにかなってしまった、という可能性も捨てきれない。そう言われたほうが納得できる。  イグアナ先生にもいろいろと質問してみたのだが、地球という地名はないし、世界の名前はトランと言って、球形ではなく平面でできている。大陸は全部で三つあり、秋音がいるのは東大陸の蜂輪鏡堺はちりきょうざかいと呼ばれる大陸だ。  科学的に証明できていない事柄の方が多く、その科学も記憶と違った歴史を刻んでいた。時代背景も古い。科学があまり発達しておらず建築は軒並み木造で、舗装された道路は希。着物と洋装が混じり合って混沌としているし、なんとなく明治っぽい。かと思えば地球ではオーバーテクノロジーなものが一般に普及していたりもした。  車も人外が引く人力から自動車まで様々にあるので、いまいちつかめない。歴史の教科書をめくってみると、85億年前にトランができたのではないか、と提唱されている。  知るものと違う常識の多さに戸惑うばかりだ。今日、学校に行くと言っても、しばらくは保健室通学になる。そこで小学校からの復習をして今のレベルに追いついたら教室に戻れるのだそうだ。青春死んだ。  地球よりも進んでいるのか、そうでないのか。  残念なのは数学の難易度は地球の高校と同じくらいだが、歴史が二倍以上の長さになっていた。そして複雑である。  とにかく、この人外だらけの世界でうまくやっていかなければならない。戻って来る高校生の秋音のために、大学生の秋音が何とか生活を送らなければ。  たぶん。おそらく――戻る日が来るのだろうか。 「よそ見するな」  太一に言われ、秋音ははっと気持ちを引き締めた。  赤ら顔の天狗のような何かとすれ違い、恐竜のぬいぐるみにしか見えないスーツを着たサラリーマンを追い越し、浮遊霊のような人外をすり抜けそうになって庇われつつ、やっとたどり付いた学舎は、 「いや、これ違うっしょ!」 「どうした秋音、中に入るぞ?」  まさか見知らぬ幼なじみの手を離すのが、心細くなる日が来ようとは。 「うそぉ……」  独白はしかし、賑わう声によってかき消される。  高い壁に囲まれ立派で広大な敷地面積を誇る学校は、大学生だった秋音の卒業した「玉本公立高校」とまったく同じ場所で同じ名前だったが、中身がまるで違っていた。違いすぎていた。むしろ別物だった。城だった。  そして教科書に載っていたままの人外達がぞろぞろとひしめいている。  ろくろ首に猫又らしき者に、浮いた火の玉が制服を着ていた。  なんだここは。化物屋敷か。 「秋音とオレの教室は1-9。下駄箱に靴入れて履き替えたら廊下で待ってろな」 「う、うん。ど、どこにも行かないでね。ちゃんと迎えに来てよ!」  びびりながらぎゅっと手を握って涙目で見上げて来る瞳に、純情な男子高校生である太一が内心悶えた事などつゆ知らず、敵兵に殺される雑兵の心境で玄関をくぐった。  近くで見ても頭が竜だったり亀だったりよくわからなかったり、でかかったり小さかったり、浮いていたり半透明な奴らがわいわいしている。  彼女は「引きこもりよくない」と魔法の呪文を唱えながら、見知らぬ自分の下駄箱を開け、靴を履き替えた。ここら辺は普通の学校と変わらなかった。