あなたはいったい

 というわけでケチの付いた晩餐だ。  ナイフで切った肉を、モリトの口に放りこむ。ひな鳥のようにぱくぱくと租借したモリトに「できる?」と聞く。頷くのを見て食器を手渡す。  見よう見まねでナイフを使っているが、大丈夫そうだ。ハルは自分の食事に取りかかることにした。 「仲がいい。姉弟ですかな?」  老王は白い大男だった。亜人だろう。大きな体は猫背気味で、眼差しは湖面のように静か。耳は丸いので熊の獣人の血を引いているのかもしれない。 「血のつながりはないわ。でも、弟みたいなものよ」  側で仕える使用人の手が一瞬止まる。作法は多めに見たとしても、その口ぶりが癇に触ったのだろう。 「よい。お前達は下がれ。給仕も護衛もだ」 「護衛もですの?」  傍らにいるアイリーンを一瞥し老王はワインを煽る。 「お前を助けた者達を疑うか。教養の科目をもう一度やりなおすか?」 「王に万一があってはと思ったまでのこと。ほほ、ですがそう仰るなら」  とたんに愛想よく老王にあれこれ勧め始めたアイリーンに半眼になってしまう。どうやらカリオンに一目惚れしたらしいが、醜い面を見せすぎじゃないだろうか。外見がよくても幻滅してしまうだろうに。  ちらりと横目で見ると、ちょうど切った肉を口に入れようとしているところで、目が合った彼は「食べたいのか?」とそのまま口の中にねじ込んでくる。  ハルが咽せながら弾力のある肉を噛みしめしたたる肉汁を味わうのと同時にアイリーンの目が一瞬にして鋭くなった。面倒くさい気配を感じる。更に「間接キス」と頬を染めたカリオンがソワソワしているのに半目になってしまう。もの凄く放っておいてほしい気分になった。 「ところで、そなたらは旅人だと聞いたが、ヘリガバーム教高位神官が居るとは……なにか事情がある旅かね」 「この国を調べに来たんだよ。あと――モゴモゴ」 「モリト、黙って」  どうして、と手の平の中でモゴモゴしているモリトの口を押さえながら首を振る。苦笑したダグラスが緊張気味に口を開く。 「申し訳ありません。此処だけの話にしていただきたいのですが、密命を受けているのです。しかしエイディ国に不利益な事をしようとしているわけではありません」 「では何を?」 「止めよ」  首をすくめたアイリーンに王は困ったように笑う。 「これほど可愛らしく口を滑らせる間諜は見たことはない。調べたい事があるならば協力しよう」 「ですが王、この者達は国民でもありませぬし……」 「お前を助けてもらった礼だ。――アイリーンはここ数年で一番の歌い手でな、救ってくれたことに改めて感謝する」 「あら陛下。今までで一番とは言ってくださらないの?」 「ははは。そうだな。是非とも今度の歌祭りでは歌姫の座を射止めてもらいたい。というわけで、何か褒美を取らせたいのだ。後で紋章を渡そう。行きたい場所や入れない場所でもそれを持っていればどこにでも入れる」  疑わしそうな顔をしたハルに老王は微笑んで頷く。 「ところでハル殿。あなたも歌祭りに出てはどうかね」 「……出るつもりよ」 「あら、でしたらライバルになりますのね」  微笑んでいながら敵意を向けられ、ハルはうんざりとした気分で口の中に肉を放り込んだ。不愉快な会話ほど食事をまずくする物はない。 「皆で出るんだよ!」 「ほほう。団体で出られるのか。楽器は何を使うのかね……いや、聞くのは野暮というものか。当日を楽しみにしよう」 「王がそう仰るなら。……お酒が無くなりましたわね。カリオン様はいかがです?」 「いや、まだ残ってるので……」  不穏な空気は払拭され、アイリーンは終始カリオンに秋波を送り、王を立てそつなく会話をこなす。その手腕は宮廷貴族のもので彼女の教養が高いのは聞かずともわかる。  ふと、ハルは外を見た。銀の窓枠にはめ込まれた曇りガラスの向こうに、町の光に照らされて神木が浮かび上がっている。 「紋章があればあそこへ行ける……?」 「それはならぬ」  食卓の雰囲気が変わった。  老王は重苦しい威圧を以て言葉を続ける。 「ヘリガバーム教団はエイディ国の神木を調べに来たのかね。そう言えば、教皇ダルドが洞に立ち入る事が出来たと言っておったな。そなたら、洞を調べに来たのならば諦めよ」  神木の根元へ行けるのは歌姫のみ、と王は言う。 「さて、政務が立て込んでるゆえ失礼する。そなたらはゆるりと休まれよ。歌祭が終わるまで客室を宛がおう」 「まぁ! でしたら明日、王城をご案内します。彫刻も調度品も他国には無い最先端ですのよ。是非お見せしたいわ」 「どうする? お願いするか」 「わたしはパス。そろそろ帰るわ。モリトとダグラスはどうするの?」 「あら、まだいいじゃない。それにこの後お話があるの。つきあってくださるわよね?」 「ならここで言ってちょうだい。もう寝る時間なの」 「すぐ済みます。カリオン様、今日はありがとうございました。明日お迎えに上がりますね。彼女、少しお借りできないかしら。女同士でお話がしたいんです」 「……さっさと済ませてよね」 「うふふ、では参りましょう」 「部屋でモリトと待ってるからな」  ぴたり、と足を止めたアイリーンは首をかしげながら振り返る。心なしか口の端が引きつっていた。 「あら、お部屋は各個人に与えられていたはずですが、何か不手際がありまして?」 「広すぎて落ち着かないから纏まって寝ることにしたんです」  ひくり、ひくり。と口の端が引きつっている。 「王宮のベッドは宿屋と比べものになりませんし、是非のびのびと、お一人で堪能されてはいかが?」 「でも俺は皆と一緒がいいので。モリト、帰ってくるまで何しようか? ダグラスは書き物をするのか?」 「そういえば部屋に遊戯版があると聞きました。ルールブックもあるそうなので皆で試してみましょうか」 「ボクやってみたい!」  わいわいと男どもが去り足跡が聞こえなくなった瞬間、アイリーンは表情を変えた。 「男三人相手にしてるの? 好き者ね」 「発想が下品でくだらないわね。用件がそれだけなら帰るわ」 「あの方とお前の関係は何?」  ハルは顔をしかめた。  アイリーンは完全にハルを邪魔に思っている。それ自体はどうでもいいが、改めて関係を聞かれると旅の仲間。としか答えられない。  彼女はふん、と鼻を鳴らす。 「あの方の剣の腕は一流よ。護衛か何かで雇ったなら変わりの者を付けるわ。彼を私にくださらないかしら」 「撤回するわ。発想が下品で下らなくて稚拙で馬鹿らしい。カリオンは物じゃないのよ。さようなら」 「待ちなさい!」  ふり返ったハルは煩そうに耳を折る。 「友達がいないからって、わたしに突っかかってこないでくれる?」 「いるわよ友人くらい! って、関係無いでしょう!」  そう、と興味なさそうに返事をして歩き出す。 「話は終わってないわよ! ちょっとかわいい顔をしてちやほやされてるからって調子に乗らないで。あの方にお前みたいなちんちくりん似合わないんだから!」 「ちんちくりん、なんて久しぶりに聞いたわ。ちょっと古いんじゃないの? あら、年上だったわね」 「な!」 「カリオンに用があるなら直接言って。相手にされない八つ当たりなら壁にでもやってなさいよ」 「なんですって!」  わめくアイリーンは部屋から出るとそれ以上追っ手は来ず、悪態を吐いて帰って行く。うんざりとしたハルは嘆息して部屋へ戻った。 「何の話だったんだ? ずいぶん疲れてるな」 「宇宙人と話をするってあんな気分なのね」 「ウチュウジン?」 「高貴な方との話は疲れるってこと」  カリオンが差し出してきた飲み物を一気にあおって息を吐く。苺の味がして甘かった。 「ここにいる間は別の部屋で寝るわ」 「えっ!」 「ハル、どうしたの? ボク一緒に寝る! いいでしょう?」 「俺は?」 「いやよ。野宿でも洞でもないのに何でカリオンと一緒の場所で寝なくちゃいけないの」 「でも、昼間はいいって……」 「気が変わったの! カリオンとなんて絶対いや!」  ショックで真っ白になったカリオンの肩を撫でてやりながら、ダグラスは視線を向ける。 「そもそも、何で一緒に寝てたのかしら……。もう洞じゃないもの。別の場所で寝ない方がおかしいんじゃないの?」 「う。で、でも何かあったら困るだろう」 「何かって何よ。もう大きくなったし、前から大抵の事は大丈夫だったじゃない」 「ダグラスの事はどうするの?」 「……二人が居れば大丈夫よ」 「本当にどうしたんだ?」  カリオンが手を伸ばしたのを叩き落とし、首を振る。傷ついた顔を見てハルは始めて罪悪感を感じたが、つんと顔をそらす。 「気安く触らないで」  心配になったモリトが顔を覗き込むのを避けながら荷物をまとめたハルはさっさと隣室に移った。 「どうしたんでしょう……どうしたんですっ!?」  ぶわっと泣き出して手の平を愕然と見つめたカリオンは呟く。 「嫌われた?」  たたき落とされた手を見てさめざめと泣くリビングデッドが降臨した。  アイリーンは似合わないと言った。  顔をしかめる。  ランプの明かりが落ちた部屋は窓から入る月明かりで殆ど何も見えない。備え付けの等身鏡の前に立つハルは、すべての衣服を脱ぎ捨てている。  丸みを帯びた肩をなぞるように指先で触れると、鏡の表面に薄い指紋がつく。 「……そうね。似合わないわ」  一瞬にして本性に戻ったハルは尻尾を振りながら自嘲した。  カリオンにはもっと明るい女性が似合う。彼は穏やかな家庭を夢見ているようだから。きっと笑いが溢れ、沢山の子供達に囲まれるのを夢見ている。  前足で自身の口端を摘まんでみた。似合わなさすぎて逆に笑いがこみ上げ、すぐに消える。  はっきり言うべきだ。  だがそう思うと、なぜだか心が重くなった。  瞼の裏に手を叩き落としたときのカリオンの表情、頭の中でダグラスの言葉がぐるぐる回る。 「幸せってなんなのよ……笑えるわ」  最高に似合わない。 「あまり良い趣味とは言えませんね」  怒髪天をつく勢いで自室に帰ってきたアイリーンは目尻を釣り上げる。自らの護衛騎士が背後に立っているのが鏡越しに見えた。彼女が歌姫候補の学生の時よりずっと側に居るジハールは、何を考えているのかわかりにくい。不機嫌なときは尻尾がぎざぎざになる癖があるとわかったのは、それなりに付き合いが長くなってからだ。 「何のことかしら」 「誰も居ませんから普通に話していただきたい。似合わなさすぎて噴き出しそうだ」 「っ! あんたって奴はいつだって馬鹿にして! 私は歌姫に最も近いのよ!」 「だが、歌姫じゃない」  ぐっと黙った彼女に彼は続ける。 「あまり思い上がらないことです。この王宮で勘違いした姫君達が権力を振るってどうなったか」 「煩いわね、わかってるわ!」 「よりにもよって、なぜあの男なのです」  半眼になったアイリーンは化粧を落とす手を止めた。 「イケメンで優しいし強いしイケメンじゃない。……それにイケメン」  ぽーっとした表情のアイリーンに珍しく苦り切った顔をしたジハールは緩く首を振る。お手上げだ、と言うように。 「あんなに綺麗で格好良くて素敵で背が高くて優しくて素敵な男性、誰かに取られる前に尻尾を握っとかないといけないわ。ちょっと年下の餓鬼が好みみたいだけど、あんなつるぺたより私の方が女の魅力は勝ってるの。性格だってきついし最悪ね! 男は皆、優しくて女子力が高くて男を立てる女が好きなのよ」  早々に見切りを付けて結婚していった先輩の幸せそうな顔がちらつく。  プライドが高いアイリーンは歌姫の座を当然狙っているが、女としての勝ち組人生を捨てる気は毛頭無い。最高の男に嫁いで裕福な暮らしをしつつ歌姫の称号を手に入れる。彼女の人生設計はとてつもなく理想が高い。  あれほどの腕なら例え根無し草でも十分騎士でやっていける。給料だって高い。使用人だって雇えるし屋敷だって持てる――と言うよりも王宮に部屋が与えられるだろう。強いと言う事はイコールで権力に結びつくのだこの時代。 「なぜこの世に性格を写す鏡が無いのか……」  燃えさかる闘志に耳を塞がれたアイリーンに嘆息し、ジハールは退出する。  馬鹿は死んでも治らないというのは彼の真理である。