どうするの

「見ないで」 「来ないで」 「気安く触らないで」 「鬱陶しいからあっちへ行って」 「いらない」 「あなたからは何も欲しくない」  今朝から等々言われ避けられて……カリオンは心が折れかかっていた。  二手に分かれヘリガバーム教団の教会へ行く道すがら気落ちした様子の彼を、ダグラスは可哀想に思う。  恋だけはままならないものだ。  アイリーンは悪魔から危ないところを助けられ、惚れてしまったのは誰の目にも明らか。何かにつけて落ち込んだ彼を誘い出そうとしていた。庭や王宮の案内、観光地などなど。  護衛騎士など殺気立っている。噂によれば、彼らは歌姫候補達の夫候補らしく、将来を約束されたアイリーンの周りにはそれなりの者が侍っていると聞く。  ぽっと出の素性の知れない男に意中の娘が夢中になっているのは、面白くないだろう。  降臨してしまった生ける屍の肩を叩いてやる。無反応に見えるが、そっと耳がこちらを向くのを見てダグラスは勇気づけるため、口を開く。 「そんなに落ち込まないでください。彼女も何か思うことがあったのでしょう。本当に拒絶されてるわけではないのですから、少しずつ原因を話してくれるよう探ってみましょう」 「俺のことが嫌いになったんだ……酷い事を言ったから」 「冬の出来事は何とも思ってませんよ」 「本当に?」  子供のようにションボリした大きな男に苦笑した。カリオンはきちんとダグラスと目を合わせている。 「本当ですよ。だったら今更言いますか? 彼女は率直で言葉がきついですが、それが何の裏返しか一番知ってるのはあなたでしょう」  はっとしたカリオンは目が覚めたように瞬く。 「また不安になってるんだ。どうして気付かなかったんだろう」  だが、聞き出すにはカリオンは拒絶されている。口が堅く意固地なのはわかりきってるので絶対に自分から言い出さない。察するしかないがヒントさえ思いつかない。おそらくアイリーンに何か言われたのだろうが、正直に話してくれるだろうか。  悩むカリオンにダグラスは乾いた笑いが漏れる。 「あなたも案外、鈍いですねぇ」 「そうだな。ハルが苦しんでるのに気付かないで落ち込んでばかりで……」 「いえ、そうじゃなくて」  どう考えても三角関係だが気付いている様子はない。アイリーンがハルに何を言ったかおおよそ見当が付いてるダグラスは後ろ頭を掻いた。 「言っていいのかわからないですが、たぶんあなたの思いに答えられないと考えて遠回しに断っているのでしょう。新しい恋を探せと言いたいんですね。あ、落ち込まないでください話が進みません」 「……言うように、なったな。いや前からだ。どこが遠回しなんだ、あからさまじゃないかっ」 「泣かないでくださいよ……一番彼女のことをわかってるのでしょう?」 「グスッ! ……なら、不安になってるのはどうしてだ?」 「想像してください。本当にお断りの時、彼女はどういった行動をするでしょう」 「本当に断る?」  カリオンは悲しいが想像してみた。 ――結婚なんて冗談きついわ。虫酸が走るから消えて。  絶対言う。 「……ちゃんと想像できたみたいですね」  滝のような涙を流している男にハンカチを指し出す自分は、もしかしたら聖人君主じゃないだろうか、などとダグラスが一瞬だけ思っていると鼻までかみ終わったカリオンはそれで? と続きを促す。 「つまり、はっきり言わないのはどうしてでしょう?」 「……迷ってるのか?」 「なぜです?」 「え、あ。あ……ぅ」  カリオンの目元がバラ色に染まる。どうやらわかったようだ。ダグラスは周囲の人間の気味悪そうな視線が驚愕に変わり、更に見惚れるのを見て注目が自分から外れたのがわかった。これは最強の風よけかもしれない。 「……帰ったら話してみる」 「それがいいでしょう」  世話が焼けるな、と思いながら青少年の甘酸っぱさに微笑んでしまう。  ヘリガバーム教団の神殿は農村に近い位置にあった。身分を証明する手紙を指し出せば怪訝そうにしていた神官の背筋がピン、と伸びる。  そのまま客室で待っていると、担当の中位神官が現れ、恭しく小包を差し出した。中にはダグラスに宛てた物だという水晶が入っている。 「これは! ……なぜ移転門の鍵がここに」  中位神官は恭しく頭を垂れる。 「猊下は何かあったときのため、と仰っておりました。それからこれを。通信用の魔石でございます。受け取ったとき、必ず連絡をするようにと仰せでした」 「ありがとう。下がってください」  退出したのを見届けると、ダグラスは青色の魔石と見比べるように水晶を見やる。水晶の中心には綿密な魔術が組み込まれていた。これを割れば中に閉じ込められている陣が発動する。しかし、この移転門はどこに通じているのか……ダグラスは通信用の魔石を手の平で砕いた。  しばらくノイズのような音が浮き上がった陣から聞こえぷつり、と繋がる。手の平サイズのダルドが浮かび上がった。おそらくダルドの魔方陣では小さなダグラスとカリオンが映っているのだろう。 「――ダグラスか?」 「猊下。お元気そうで何よりです」 「お前も息災のようだな。……ハル殿と巫殿はどうした。その隣にいるのは誰だ?」 「カリオン・ゼーローゼです。パイロン王国からダグラス達と一緒に旅をしています。初めまして」  ダルドは思ってもみない戦力がいることに王城の思惑を感じたが、隣にいたダグラスが内心に押しとどめた。 「ダルド・パトリオティズムだ。知っているだろうがヘリガバーム教団の教皇をしている。ふむ、君は鋼鉄騎士かね? それは心強い」 「それよりも猊下、世界会議の発足とは何をお考えなのです。約束はおろか洞を回る事さえできていませんのに」 「悪魔の動きも活発になっている今が世界をまとめ上げる絶好の機会になるだろう。国の上層部を抱き込めれば、そなたらも安全に国教を行き来できるようになる」  ダグラスは納得できなかった。それだけで何の相談もせずやるとは思えない。ダルドは神木を崇めている。モリトやハルの意見を一度も聞かず、創世紀に何が起こったかまとめてさえいないのに。 「そなたらは納得しないだろう。実はロストロの場所が判明しそうなのだ。教皇にだけ伝わる書室を調べてみたが、昔の地図を解読させたところ、どうも中央にあったらしい。中央は最も人が多く住んでいる。そこに風穴を開けられでもしたら、どうすることもできなくなる。そうなる前に準備をしなければならない。下らない領土争いで内輪もめをしている場合ではないのだ」 「……僕達は今、エイディ国にいます」  ダグラスはここまでのいきさつを話す。そして悪魔が多くなっていることも。  苦虫をかみつぶしたような表情をして、ダルドは「そなた宛に荷物を送っておいてよかった」と言った。冬の間、行方がわからなくなり周辺の神殿全てに移転門の鍵である水晶を送ったのだと。 「それはもしものとき、教団の中庭に道を作る。何かあったときは砕き、門を開けよ」  ダグラスはしっかり頷き水晶をしまった。 「しかし、そうか……エイディの神木は心を病んでいるか」 「何かお心当たりが?」 「無いが……王族には気を付けよ。獣と神木の繋がりを知った今だからわかるが、彼の国は獣の行動をなぞっているように感じる」 「猊下もそうお考えになるのですね」 「……ダグラス。今から言う事は全て推測だ。そのことを心えて聞け」  何かを考えるように顎に手をかけながら続ける。 「神木に寄り添う獣の記述が古い文献にちらとも載っていないのが気になっていた。神木に関する事ならば多くの記述が残っているが、それも正確ではない。第一に、教団に神木に関する真実が載っていないことがおかしいのだ。教団がファズザラーラ様の根元に総本山を作ったのは当時の思惑があってのことだが、彼のお方が黙って見過ごすとは思えぬ。ご本人に聞くことができない以上、文献を当たるしか無かった」  まるで削り取られたかのように消えた真実。  獣の存在と、神木が意思を持つと言うこと。  そこに確かな意思を感じた。 「調べ上げたのは五百年前の物までだ。更に古い記述は崖崩れによって失われている。探させているが、残っていたとして、読めたものではないだろう……だが何者かが綺麗に消し去ったのかもしれぬ。そんな事ができるとは思えぬが、そうとしか考えられぬ」  そもそも書籍は貴重で戦火に包まれれば燃えてしまう。紙も貴重で長くはもたないし、書く者がまず少ない。悪魔に荒らされる世界では、机よりも剣が好まれるからだ。 「教団の記録が失われた事が無かったか調べたのだが、約六百年ほど前に一度、教皇が後継者を指名せず命を落としたことがあった。そのとき口伝か何かが失われたのやもしれぬ」  ダグラスはそこまで聞いてもう一つ思い当たることがあった。神木の子らを食した者達が強力な力をつけ、原種と呼ばれるようになったことを。 「それは本当なのか……」 「……彼らは嘘をつきません。何よりそれで説明がつくのではありませんか。過去、突然現れた強力な先祖達の血が薄まり、僕らは無力になりました。その始まりがただのドーピングなら効果が薄れるのは道理です。そして確かに魔術を使う者達の共通点は瞳」 「では、我が祖先は……あぁ、ファズザラーラ様が姿を現さないわけがわかった。全てはここにあったのかっ」  瞼に食い込む指を見てダグラスは慌てて叫ぶ。 「猊下が悪いのではありません!」 「ならば誰に罪がある!!」 「それは……少なくとも猊下が望んでそうなったのではありません! 生まれは誰にもどうにもできないではありませんか。それを攻めて何になりましょう。神木らは攻める言葉を言いましたか? 彼らは僕らをいつだって見つめていました……理解するために」 「摂理だってメロゥーラは言っていたそうだ」  カリオンは興奮する二人をなだめるように、 「大地は植物から、植物は草食動物に、草食動物は肉食動物に。そして最後には皆大地に還る。これは魂の循環の為に作られた摂理であり、神が定めたもの。この地上に生まれた全てのものに等しく振り分けられた終焉だ。もちろん、その過程を怨んだり悲しんだりする。でも、こうも思うんだそうだ。――いずれ還ってくるって」  ゆっくりと言葉を租借するように脳内で噛みしめたダグラスはやはり気持ちが沿うことは無かった。頭で理解できても、心で理解ができない。遠く離れた異世界を覗いているかのように思う。  それは彼らと自分が隔絶されているからなのだろう。 「話を戻そう。神木の事を隠したがった誰かが記録を消し去ったなら、俺達ゼーローゼはどうなる? 獣と血を分け合った俺達に何の被害も無いのはなぜだ」 「それこそ愚問だ。そなたらに獣の血が流れているからでは。お前達は約束を破らない」 「残念なことに違う。ハルはオレのことを嘘つきだって言うぞ」 「いえ、もし何者かが記録を消したがったとして、まずは目的はなんでしょうか。そこに鍵があると思います」  もし誰かが記録を消し去ったのなら、相当な執念と力が必要だ。それは純粋な武力かも知れないし、政治的な力かもしれない。他国の書物は秘匿されるか口伝だ。  そこまでして消したかった理由は、知られては不味いから。なぜ不味い。むしろこの行為は誰のためだと考えて、一つしかない事に気づく――全ては神木の為だ。 「彼らが言葉を解すとわかったなら、僕らは叫ばずにはいられない。責めずに我慢なんてできない……。そして力が手に入るとわかったなら奪わずにはいられない」  六百年前の情勢をうっすら脳に書く。今よりも国が多く乱立した、神木を奪い合う汚い戦乱の世。権力者に知られたなら事はタダではすまなかっただろう……いや、実際にあったのかもしれない。  危機感を覚えた誰かが消し去り、神木は言葉を解さない植物として現在は知られている。それを布教したのは―― 「祈れば神木の芽が出ると言ったのは……僕らヘリガバーム教団です」  ダグラスは愕然とした。 「これは一つの布教政策だと思っていました……。猊下、創始者が神木の精神体の事を知らなかったとは思えません。どこかに秘密文書の隠し場所はありませんか。おそらく探し出せるのは、あなた様ただ一人でしょう」 「……探してみるが、あまり期待はするな。だが、教団が真実を隠そうとしていたなら辻褄は合うのだろう。そなた達は十分注意せよ。特に王族は得体の知れないところがある。あの国王、日増しに化け物じみてくるのだ」 「はい、猊下。お言葉ありがたく」 「それからハル殿だがどうしている?」  ぴくっとカリオンの耳が撥ねた。 「お元気でいらっしゃいます。冬ごもりの間に第二成長期を迎えて、ずいぶんと大きくなられました」 「そうか。しかし子供のような所があった。よくよく注意して気にかけるのだ」 「旅に出たときもそう仰っていましたね」  それほど昔の事でもないのに懐かしさに自然と頬が緩む。 「あの方に関しては気をつけ過ぎることはないと思っている。カリオン殿も注意してやってほしい。暴れたら抱え上げて首の後ろを撫でれば大人しくなる」 「いえ猊下、彼に関しては大丈夫ですよ」  むすっとしたカリオンを見て首をかしげたダルドは「そうか」と視線をはずす。カリオンに至っては心配には及ばない。 「では、該当の物が無いか心当たりを探ってみる。そのときは使いをやろう」 「ありがとうございます。猊下」  ダグラスは映像が消えるまで深々と頭を下げた。 「ヘリガバーム教団が神木の真実と獣を隠していたのか?」 「おそらくは」  申し訳なさそうに振り返ったダグラスはカリオンから視線をそらす。 「教団が消し去っていたのなら、真実を明るみに出してしまった今、どうなってしまうのでしょう。すぐにでも突き止めなければ……」 「創始者がいい人だといいな」  慰めるように言ったカリオンにダグラスは不器用な笑みを返した。 「帰りましょう。皆さんにこのことをお知らせしなければ」