祈りながら

 モリトとダグラスは、二人が冷えないように左右にくっつきながら目覚めの時を待っている。  カリオンもハルも死んだように眠り続け、レイディミラーの精神もここには無い。全ての魂が通る道筋に行ってしまったから。そこには色々な物が複雑に存在しているという。 「……帰ってくるでしょうか」 「帰ってくるよ。大丈夫」  そう言ってはいるものの、モリトの顔色は優れない。しかし、ダグラスは信じることにした。  来る前に買っておいた大きな紙を広げ、書き付けを始める。 「何をするの?」 「記憶がはっきりしているうちに、全てのことを書き付けておくんです。僕はあなた方と旅に出ました。贖罪をするための旅です。神木を回り経典を見直し、正しい神話を布教しなければ。獣の存在が明らかになれば、その関係が周知されたなら、短命種は神木が滅び逝く種だとわかります。彼らはきっと危機感を抱くはずです」  つけ込む要素は多ければ、多いほど要求を大きくできる。 「何も出来ないなら、出来ることをやりたいと思います。過去、先人の行いが今の僕らを罪人にした。僕らが贖わなければ、未来の子供達も汚れたまま生まれることになる……彼らに責任は無いのです」 「ダグラスも、自分には責任が無いと思ってる?」 「狡い僕はそうでありたいと思います。けれど、そうと知りながら何もしないのも罪。誰かがやらなければならないなら、やらない僕もまた罪人のままです」  モリトは静かにダグラスを見つめる。  そうして、言った。 「ファズがダルドをモリトだと勘違いしたのは、理由があるよ。ダルドの目はボクのような緑色だった。ダルドの小さい頃はきっと、ボクにそっくりだったと思う。モリトは皆、目が緑色なんだ。髪の色は違うけれどね」 「え?」 「うん。モリトは神語で神木の子と言って、神木から生る木の実が自我を持った存在。いつか根付く大地を見つけたときに、神様が名前をくれるまで、ボクらは皆にモリトと呼ばれる。ボクの本性は、赤い実」  ダグラスは言葉を失った。 「短命種は最初、魔力を持たなかった。そして原種と呼ばれる彼らは強く、今では先祖返りしか強くない。悪魔に勝てない。理由があるよ。それは君達の中の神力が薄まったからなんだ。――君達にとってモリトは、フリュイはどう見える? ただの木の実。原種の彼らはボクらを食べて力をつけた。だから魔術が使える者達は皆、目が緑色なんだって」 「そんな、まさか!」 「神力は神様が授けた力。神様が持っているのは創造の力。短命種は取り入れた神力を使い、体を良いように変革させた。おかあさまは進化と呼んでいたよ。そうして魔力を創りだし、魔術を使うようになったって」  創造の力を使い、己を変革させ、原種は強くなった。 「嘘じゃないよ。ダグラスはボクを食べればきっと、原種のように強くなれる。そして誰かがこの事を消し去った。経典にも載っていない。一体誰が消したんだろう。でも詳細はわからない」 「ならばなぜ、余計にっ! レイディミラー様は、この洞は短命種の言語が書かれていると……敵の言葉を好んで書き付けるなどっ」 「ただ一つの事柄で、他の物も全部悪い物になるのかな。神木も獣もそう思わなかった。ただそれだけだよ」 「わかりません、僕にはとても理解できない。あなた方は一体何なのですか。どうして僕らとこうまで違うのです」 「そんなに違うの?」 「僕らには到底、そんな考えは浮かびません。なぜです、なぜそんなにも崇高なのです」 「崇高だとは思わないけど……。ダグラスは神木になりたいの?」 「僕は……あなた方を理解したい」 「理解してどうするの?」 「それは……」  わからない。  ただ空しくなった。自分が矮小な存在だと。 「種族で全部が決まるとはボクは思わない。短命種達は皆、それぞれ違う規律を持って生きてる。それに神木だって皆同じ事を考えてるわけじゃないんだ」  不意に視線をそらしたモリトは続ける。 「ダグラスはこの事をどう纏めるのかな。ボクはそっちの方が興味があるよ」  ぶわり、とダグラスは冷や汗が毛皮をじっとりと濡らす感触に身震いする。  洞の中には二人きり。モリトを襲っても、誰に邪魔をされる事もない。  時々感じていた事がはっきりと形になって脳裏によぎる。  この神木の子は短命種を見つめている。行動の一つ一つを冷静に、ぞっとするほど真っ直ぐに。それは自分も同じなのだ。  喉がからからに渇く。  まるで。 「僕は、全ての記録を残すと思います」  ダグラスはその考えに取り憑かれまいと言葉を紡ぐ。だが、正直な心は告げている。 「全てを伝えます。最後の判断は、猊下とあなた様の意のままに」 「そう」  モリトは視線を戻してダグラスを見つめると、眠る二人の間に潜り込んだ。  冷や汗が止まらない。目の前にいるのが神聖なる神木の子供ではなく、まるで――人を惑わす悪魔の化身ように思えてならなかった。  いいや、自分が卑しいからそう思うのだと首を振る。  ただ一つ確信できるのは、間違えれば全てを巻き込み奈落の底へ――。 ★★★  群れがざわめいている。  目を覚ましたハルはすぐ側に居たロゼの気を引く。彼女は起きたハルの毛繕いをしながらどことなく不安そうだった。 「ねぇ、どうしたの?」 「今日はここで大人しくしていて」  できるわね、と念を押されて頷けばロゼは遠くを見つめ歩き出した。置いていかれたハルの側にテレフが寄ってきて遊ぼうと誘った。 「ダメよ。大人しくしてろって言われたもの」 「じゃあ大人しく遊ぼう」 「何するの?」 「噛みつきごっこ! ハルが得物な!」  ぐわっと口を開けて噛みついてきたテレフを、くるりと身をひねり後ろ足で蹴り飛ばしたハルは「あ」身をすくませた。思わず反撃してしまったが、テレフがゴムボールのように飛んでいき、大人達が集まる場所に突っ込んでしまう。遠くで鳴き声が聞こえる。驚いて泣き出してしまったらしい。  毛ほども悪いと思わなかったが、気まずさを持ってそろそろ近づくと、振り返った一頭が威嚇する。  驚いて立ち止まれば、首を振って隠れろと示してきた。  嫌な予感がして、けれど隠れていいのか迷った一瞬で全部は知られてしまったらしい。 「ハル!」  懐かしい声がした。 「カリオン、レイディミラー? どうしてここにいるの」 「それは私達の台詞だ」  近づこうとした二人は群れに阻まれた。 「なにをする」 「それはこっちの台詞だよ、この子をどうするつもりかな?」 「アシミ!! お前が死者の魂をかき集めていたのか」 「死霊術師のように言わないで欲しいな。でも、そうだな。ぼくが彼らを引き留めたのに違いない。そっちの方が都合がよかったからね」  やはり、と確信したレイディミラーは睨み付ける。反対にアシミは仕方ないな、とでも言いたそうな顔をした。 「二人は顔見知りなの?」 「……ああ。生前、よく私の洞へ来ていた獣だ。ハルが使っている鉄剣は彼の尾を使って作られた。……アシミ、お前は何を考えているんだ」 「何だと思う?」 「アシミ」  聞いた事も無いような低い声音にびくりと身をすくませれば、レイディミラーはハルを撫でたそうに手を彷徨わせた。立ちふさがる獣達の前に諦めたようだった。 「茶化して悪かったよ。目的はもう分かってるかもしれないけれど、ハルをぼくらの旅の終わりまで連れて行くことだ」 「この子は生きている!」 「知っているよ。だからだ」  それまで黙っていたカリオンが口を開いた。 「本人もそう言っているのか?」  あの仄暗い瞳に見つめられ、体が強ばる。 「どうなんだ、ハル」 「……わたしは」  やれやれと首を振ってアシミは言う。 「脅すのは止めてもらえないか、短命種。ハルはここへ来て、やっと安心したんだ」 「安心? 死者の旅路に混じって何を安心するって言うんだ!」  轟くような声音に毛が逆立つような恐怖を感じた。今にも噛みつきそうなカリオンを見ながらやれやれとアシミは肩をすくめる。 「確かにぼくらは死んでいる。だが、ここでは生きているかどうかはあまり重要じゃない。生前と同じように視線を交わし、触れ合うことができる。君だって、死んだぼくらと変わらない魂だけの存在だ」 「だが帰るべき場所がある。俺にもハルにも体はあるし、何より待っている者がいる」 「ほぅ、しかしそれはお前の思い違いかもしれないぞ?」  なに? と顔をしかめたカリオンはハルを見る。 「洞へ帰ろう。手を出すんだ」  どこか不安そうに伸ばされた手を見ながら、追い詰められたように後ずさる。 「ハル?」 「……。帰りたくない」 「この先へ行ったらどうなるか獣達は何も言わないで連れてきたのか」 「知ってるわ、一度通った道だから」  とっさに踏み出したレイディミラーは問いかける。 「そうと知りながら彼らと歩むのはなぜ? なぜ、死へ向かう。生きる事を望んでいただろうに」 「望んでるわ。今も、そう。でも!」  辛いの、と言葉が溢れる。 「いろいろ考えてしまうの、わたしが生きてる事に何の意味があるんだろうって。でもここなら皆いるの! わたし、ここなら安心するの!」  ハル、と悲しそうな顔をする彼女を見てられなくて、俯いた。 「生きてる事に何の意味があるのか? なんだそれは」 「ふざけてないわよ! カリオンは馬鹿にするけど、わたしにとっては凄く、大事なことなの!」  群れの中から強引にカリオンが進み出す。 「答えなんてあるわけがないだろう! ――獣の生き方を知りたがった次は何だ、どうやって生きたらいいかとでも悩むのか? 馬鹿馬鹿しい! 型にはまった生き方なんて存在しないし誰もが作られた道を進んでいるのか? 少なくとも俺は人生の説明書なんて馬鹿げた物を見たことは無いぞ! 例えあったとしても、そんな物に何の意味も価値も無い!!」  断言できる、と荒く息を吐きながら彼は続ける。 「どうして何度も何度も迷う? ――解決してないから迷うんだ、悩むんだ。本当はもっと別のことが引っかかって、積み重なって見えなくなってる」  そうだろう、と彼はハルを追い詰める。 「根源は何だ? 前世のこと――願いが叶わなかった無念と後悔を背負ったまま生まれ変わった。世界は思うように優しくなくて、君は一頭だけになった。大人の獣に習うこともできず、神木とうまくつきあうことができず、負い目を感じたのは短命種に近い心を持っていたから。役割を求めて神木を守る戦士だと思いたがったのは――あぁ、そうか」  瞳の色が和らいで、気遣うような色を称えている。  突然の変貌に凍り付きそうなくらい震えた心が混乱した。  そんな様子のハルに気づかずカリオンはハルの元まで歩くと、すりすりと鼻先をよせた。 「どこにも立てずに迷って、立ちたいのに立てなかった。決めかねて、決めるために獣のことを知りたがり、理想を描いてそうなろうとした」  世界が、震えている。 「自信が無かったんだな」