共に過ごす事も

 追いかけようとしたハルを押しとどめたのはカリオンだ。 「親子で話がしたいんだろう。行かせてやればいい」  ひそひそとした小さな声。  そっと立ち上がりかけた体を戻せば、 「俺のことが恐くないか」 「何を言ってるの?」  唐突な質問に見上げれば、彼は真剣な表情でハルを見ている。 「襲われたとき恐かったはずだ。……俺の時も」  認めるのは癪だが、その通りだ。沈黙を肯定と取って「本当にごめんな。もうしない」と固く彼は誓う。  正直に謝られれば悪い気はしなかった。少し対応には困るものの。  根は悪くないのだとハルもわかっている。比較できるほど酷い者達を見てきた。 「もういいわ」  不安そうな視線に「あやまらなくていい」と告げる。 「悪気がなかったのは、わかってたの」 「でも、ずっと避けてたはずだ」 「悪気がなくても嫌なものは嫌なのよ」 「今も?」 「え?」 「今も嫌か?」  落ち込んだ様子に思わず笑ってしまった。  答えがほしいと訴える眼差しを知らないふりでやり過ごし、もっと悩めばいいのだと意地悪く考えた。自分が苦しんだ分だけ苦しめばいいと。それは意地悪な思いと少しだけの親しさが込められていることに本人は気付いていない。 「じゃあ、別の話をしよう」 「ねなさいよ」 「もう少しだけ話したい」 「何を話すの?」 「ハルが幸せになる方法」  何を言ってるのだろうか。 「カリオンは……変な事を言うのね」 「変な事じゃない、大切な事だ。何か俺達に隠してるだろう?」  確信がある口調にどきりとした。 「何のこと?」  ハル、と懇願する声が続ける。 「時々遠い目をしたり考え込んでる。……元気がない」 「そんな事ないわ」 「前足が折れたときでも屋根に登って日向ぼっこしてたじゃないか。一緒に暮らしてたときは家中走り回ってた。今はちっとも動かない」 「冬は動きたくないの」 「レイディミラーは冬だってモリトと走り回ってたと言ってたぞ」  ハルは押し黙った。  のそりと起き上がったカリオンはゆっくり近づき、体を寄せた。 「ちょっと!」  前足で暖めるように引き寄せながら、 「皆、何かしら様子がおかしいって思ってる。……相談することは悪い事じゃない。俺じゃ嫌なら他の人を頼ってもいい。それとも誰にも言えないような危ないことをするつもりなのか?」 「モリトじゃないもの、そんな事しないわ」 「リノン国では勝手に居なくなったじゃないか」  まさにその通りだったので、ハルは何も言えなくなった。カリオンの尻尾がくすぐるようにハルの頭に触れる。 「……レイディミラーは一冬では目覚めない可能性の方が高いと言っていた。なのにこんなに速く目覚めたのはなぜだ? ハルが目覚めて嬉しい。だが君は何か隠し事をしていて、本当は取り返しの付かないことになってるんじゃないかと不安になる」  ハル、と自分を呼ぶ声に顔を避けた。 「耳が水平になってる」  手で隠すように押さえると、カリオンは表情を険しくさせた。 「どうして隠す」 「カリオンには関係無い」 「じゃあ、誰なら関係あるんだ」  低い声だった。聞いたこともないような声音に驚いて見上げれば冷たいほどの視線で射貫かれる。誰だ、とカリオンは繰り返す。  知らない他人のようだ。  透き通るような目はどこまでも凍り付いたように恐ろしい。押し黙った彼女を見て苛立ったように表情が更に険しくなっていく。 「ハル、俺は気が長くない」 「嫌がる事はしないって言ったわ!」 「大事なことを隠すなら話は別だ」 「大事なこと?」 「わからないのか?」  更に苛立ったように鼻の頭に皺を寄せている。不意に寄せられた頭が首の下を擦るように撫でる。熱い。 「眠っていたときからそうだ。今もこんなに冷たい。自分で気付いていなかったんだろう?」  なぜだか体が動かない。  顔をこすりつけるのを止めたカリオンはそんな彼女を見ていった。 「記憶を整理するとレイディミラーは言っていた。それは終わったのか?」  疑問符でありながら確信に満ちた声音。  心の弱った部分が震えている。  確かに体が思うように動かない。今は眠り続けていたせいだと言い訳がきくが、時が経てばそうもいかないだろう。  観念して、ハルは呟く。 「だったら何だって言うの。わたしは目覚めた」 「治ってないのか!」  洞中に響く声にどきりとするが誰も起きる気配はない。ホッとしたのも束の間。乱暴に揺すられ動揺したカリオンが早口でまくし立てる。 「なら、ならこれからどうなる? 傷が治らなければ――」 「今まで通り何も変わらないわ」 「なら隠す必要なんてなかった。……どうして人を信じようとしない」  やるせなく、彼は呟く。 「誰かに頼ればいいじゃないか。俺じゃ嫌ならレイディミラーでも、モリトでも誰でも! ――どうして自分を大事にしない。獣は確かに君しか残っていない。でも、同族にしか助けを求めちゃいけないわけでもない!」 「声が大きい、皆起きちゃ――」 「自分で自分を大切にしない。大切にしたい人の手も振り払う。なら、誰なら君を守れる。誰も居ないじゃないか! 俺はもう、あんな思いはしたくない」 「ね、ねぇ……」 「目覚めなかった君を見て、俺がどんな思いでいたか! 胸が潰れて死にそうだった」 「カ、カリオンっ」 「それでも関係無いって言うのか? それでさっさと死んでしまうつもりなら絶対に許さない」  情けなくも、ハルは心の底から恐かった。  立ち上がったカリオンはハルの怯えた顔をのぞき込むように狂気に潰れた眼差しで見つめ続ける。 「ゆるさない」  そう繰り返し、ふと空気が和らいだ。 「信じられないならそれでいい。俺は勝手にする」 「う、嘘つき。嘘つき! 嫌がる事はしないって、言ったのに!」 「なら、この事を皆に話そうか?」 「!」 「モリトは泣いて、ハルのためにもっと無茶なことをするかもしれない。レイディミラーはきっと悲しむな。ダグラスだって教団に連絡をとって――大騒ぎだ」 「やっぱり短命種は嘘つきよ! 皆そうやって自分のやりたいことを優先する!」 「君だって同じだろう。君が短命種を嫌いなのは同族嫌悪なのか?」  絶句したハルに寄り添うように体を寄せて、カリオンは目を瞑った。腹の下から這い出そうとするハルを押さえ込みながら「話すぞ」脅しつけ大人しくさせる。  震えながらハルは嗚咽を堪えた。それをあやすように寄ってくる鼻先に噛みつけばお返しとばかりに耳を囓られる。 「カリオンなんて嫌い」  とうとうぐずぐずと泣き出したとき、洞の中へ戻って来るモリトの気配がした。気取られたくなくて声を殺して泣く。最悪な夜だ。  目元を舐めてくる舌に反感を覚えながらハルは眠りに落ちる際、思い出していた。 ――妖精族の習性はな、伴侶に望んだら自分じゃどうしようもなく惹かれちまうんだとよ。  名前も忘れた卑怯な犬の言葉。 ――惚れた相手の言動で馬鹿にも気狂いにもなる。  もし本当だったらと考えただけで、足の先が冷たくなりそうだ。 ★★★  その後から、カリオンは遠慮なくハルにかまうようになった。  食事をきちんと取ること、外に出て少し運動をすること、洞では暖かくすること。そして、自分の側から離れないこと。これが一番辛い。  モリトもレイディミラーも二人が不穏な空気を纏っていることに気付いてやきもきしている。だが、言うわけにもいかず口を閉じる。 「ん、ちょっと体温戻ってきたな」  背中をブラッシングしながらカリオンはホッとしたように呟いた。膝に乗っているハルは一瞬びくりとする。 「少し、長い話をしようか」  外は猛吹雪で、音が中にも伝わってくる。昼を少し回ったところで、食事を終えた面々は少しうとうととしていた。 「お話?」  モリトが顔を上げた。 「オンドロード城にある壁に書かれていたことだ。それからゼーの話をしよう」 「妖精族と一緒に暮らしていた獣の話?」 「ほぅ、それは興味深い」  ダグラスは既に知っているのか、書き物の手を止めず耳だけをカリオンの方へ向けた。神木と獣は回りに集まって大人しく座る。 「のんびりしてて、気弱な戦士だったそうだ」 「獣なのに?」 「誰もが勇敢な英雄にはなれないし、それでいいんだと言っていた。けれど、妖精族にとっては間違いなく彼は英雄だった」  ハルは戸惑いながら話の続きをせがんだ。  メロゥーラが妖精族と共に暮らしていた平和なとき、砂漠の向う側は不穏な空気が漂っていた。悪魔を狩る獣、獣を打ち倒す短命種。短命種を食い殺す悪魔。三つ叉の戦いは泥沼の一歩手前。  いずれ短命種は悪魔を避けるための手段を探し当てるだろう。  動けない神木を守ってやらなければならない。  当時の獣はそう考えていた。ゼーも、そのうちの一頭だ。 「だがなぁ。砂漠は暑いぞ……」  誰かがうんざりしたように言った。ファズの所は山で緑もあるからそれほどではないが、メロゥーラが居る場所は砂漠のど真ん中だ。  毛皮を持った自分達には辛い場所だと群れの誰かがぼやいた。 「妖精族はよくあの場所に住もうと思ったな」 「まぁ、諍い起こして引っ越したなら、誰も居ない場所にいきたいって思っても仕方ないと思うぞ」 「言っても仕方ないじゃないか」 「なぁ、じゃあ俺があそこに住むよ」  ゼーが言うと、円を描くように座っていた群れが一斉に彼を見た。 「ずっとって、ずっとか?」 「無理だ、止めとけ」  彼らは神木を巡り営みを続けるという規律があるし、衝動を我慢するのは苦しい。 「本当に苦しいならすぐ側にファズが居るし、行って帰ってくればいい。妖精族に聞いてみよう。それに、彼らがずっとメロゥーラによくしてくれるかわからないからな」  その言葉に顔を見合わせた獣達は頷いたが、何人かが一緒に残ると言い出した。短命種は弱い。だが数が多いのだ。妖精族全部とゼー一頭では負けてしまうかもしれない。  けれど彼は断った。 「彼らはきっと、一頭でなければダメだ。それに俺は臆病だから、短命種が責めてこなさそうな場所の方が気が休まるしな!」 「……お前はそうやって、いつものんきだなぁ」 「妖精族は隣人と諍いを起こしたから、集団が近くに居るのを嫌がった。諍いの原因は縄張り争いだと言われている。決められた協定を隣人は破ったんだそうだ」  だから、ゼーの考えは正しかったのだとカリオンは続ける。 「最初は遠巻きに見られてたらしいんだが得物を取りに行く以外、殆ど洞から出なかったらしい。一日中洞から出てこないから妖精族の一人が怒って引っ張り出したとか」  ゼーは怒られると弱いらしく、すっかり大人しくなって洞から出たらしい。引き籠もりである。  それからゼーは後に番となる妖精族の女性に引っ張られてあちこちの植林作業や開拓に連れ回されたという。  そしてゼーを尋ねてきた獣が植林の話を聞いて、苗木や土の作り方に話が変わり、獣達は情報を集めてくれるようになった。そうすれば開拓は速くなり、気付けば交流の輪は広がった。  群れはゼーのことを心配して、できるだけ多くメロゥーラの元へ行っていた。沢山の品と情報を渡し、ゼーがひどい目に遭わないようにお願いしていたらしい。  メロゥーラもまた、ゼーのことを頼りにしていた。こう言った流れから、妖精族の警戒はなくなり、ゼーが別種の番を得ても戸惑いと共に受け入れられた。  妖精族と獣が一緒に食事を取ったり、泊まって帰る事も多くなった。その頃には辺りには緑が広がり、木々は暑さに負けずに背を伸ばしていたのもあるが。 「毎日畑を耕して、森を整備し、水を汲み。天候を読みながら嵐への備えをする。時々ファズザラーラの元へ行くこともあったみたいだ。そうしたら、沢山のお土産を持って来てくれた」  遠い場所の木の実、獣の皮にその肉。土産話。 「獣達の話もよくしていたようだ」  神木が歌う。  歌に合わせて獣達は円になり、ぐるぐると合わせながら歌に加わる。そうすると、神木は華を咲かせる。くるくると回りながら落ちる花弁と共に花粉が体につくのだそうだ。そのまま獣達は次の神木の場所まで行くという。 「お腹の中に入れるんじゃないの?」  自分の腹を見つめて首をかしげる。 「さぁ、そんな話は聞いてなかったな。――続きを話しても? お姫様」  カリオンのちゃかすような言葉にむっとすれば、 「ごめんごめん、お姫様って言うのは獣達にとってはお嬢さんって呼びかけるのと一緒なんだ」 「それ本当に?」 「本当ですよ。壁にはきちんとそう書かれていました」  疑いを持って問いかければ、書き物をしながらダグラスが答えた。 「獣の風習は実に興味深い。独特で穏やかですが全てが合理的です」 「……おほん。つまり、そういう事だ。ちなみに雄が雌の番を呼ぶときは女王様と呼ぶらしい」 「王様が居なかったのに?」 「獣は女尊男卑だから、女性の方が偉いんだ」  ふーん、と首をかしげるがぱっと思いつかない。 「本当だ。獣の雄達は黙って雌にいろいろと貢いでいた。食料、花、悪魔もそうだな。洞の中のものをそろえたのも全部雄だった」  懐かしむような顔をしたレイディミラーは当時を思い返しふ、と笑う。 「聞いたことないわ」 「……そうか、情緒教育は群れに居れば自然と身につくが、ハルは知らなかったな」  自分の落ち度を知り、レイディミラーは詳しく話そうと口を開いた。  成人した後、番を得るために雄はそれはそれは涙ぐましい努力をするらしい。基本的に獣の雌は男を転がすのが上手で貢がせるのがうまいという。どれだけ相手に貢がせられるかで雌のステータスが決まるのだとか。  想像もできない世界だ。 「……わたしには無理だわ」  しょんぼり垂れる耳を見ながら部屋の隅に山盛りになっているクッションや膝掛け、ハルのお気に入りになっているバケツ形のキャットハウス、毎回出てくる食事を思い出してレイディミラーは半眼になってしまう。  話の続きをしよう、とカリオンは言った。