永久になく

 緑が多くなっただけ生活は豊かになり交流は深まった。けれどそれだけ危険も増えた。砂漠に現れた森は日に日に広さを増し、とうとう短命種達の目に止まったのだ。そして悪魔が滅多に居ないとなればどうなるか。  既に多くの獣が命を散らしていた。守りは薄く、ゼーは前線に立つこととなる。 「多くの氏族と共にゼーは戦った。本当は争うよりも歌う方がうまかったらしいけど、それでも凄く強かったんだ」  カリオンは自分の事のように目を輝かせる。 「多くの短命種がゼーと戦って破れ、土地を諦めた。何千という敵を退けて、……でも五百年前に大量の流民達が纏まって攻めてきた。建国王パイロンが率いる軍団だ。――最期は、壮絶だったと聞いている。針山のように槍や矢が刺さって、首だけになっても食らい付くものだから兵士達は怯えてしばらく近づけなかったらしい」  すでに老年だったゼーは全盛期に劣りながらも凌いだが命を落とす。それに続くように、多くの氏族が死に、 「後は、知ってるとおりだ」  話を終わらせたカリオンはモリトを呼び寄せると転がって両手を伸ばした。まるで城壁の表面を撫でるかのように指先が彷徨う。 「苦しまずに死んでほしかったと、最期に書かれていた。俺もそう思うけれど、やっぱり凄いと思う。ゼーは確かに英雄だった。皆を守って死んだんだ」 「でもボクは、そんなふうに死なないでほしい。逃げてほしいと思うよ。それは駄目なこと?」 「いいや、でも戦いでしか得られない物は必ずある。言葉だけじゃ駄目だ」  不意にカリオンはハルを見た。視線に射貫かれたような気がして思わず姿勢を低くすれば眼差しはモリトの巻目に戻る。  それからは、ゼーがどんなことを好んでいたか。村人や子供達との接し方、日向ぼっこが好きだったこと。仮の腕や、木の世話がうまいこと。様々な事を話して一日は終わった。 「そんなにお辛いなら、止めてはどうです」  厳しい冬は終わりに近づいている。吹雪く期間は次第に短くなり、今は晴天だ。  夜空を見上げながら、くっきりと浮かび上がった月を見上げたダグラスは視線を地面に戻した。膝を抱えるカリオンの背中が見える。 「ほっとけ」 「鼻水凍ってません?」 「うるざい!」  ずずずっとすする音が聞こえ、半分だけ振り返った横顔はぐちゃぐちゃだった。落ち込むのを通り越して悲しくて仕方ないらしい。困った人だな、と思いながらも優しい気持ちになってしまうのは、彼の動機がはっきりしているからだ。 「嫌われるとわかっていながら、なぜあんな事を?」  少女が知ればおどおどと戸惑うに違いない。 「他にどうすれば良いって言うんだ。俺にはアレしか思いつかない」 「何の弱みを握って脅しているか検討はつきます。ですが、のちのち自分のためになりませんよ。ただでさえ嫌われていたでしょうに」  ぶわりと涙が盛り上がった端から凍っていく。 「それでもっ! ハルが俺の言う事を大人しく聞いてくれるかわからない……。何より信用がない、相談さえしてくれないのにどうしろっていうんだ。しつこく聞けば岩よりも固く話さなくなる。時間をかけようにも、その時間がない」 「だからといって、今が最善ではありません。僕も彼女に死んでほしくありませんが、見たところ猶予はあるのでは?」 「そうやって悠長に構えている内に死んだらどうする!? ――もしそうなったら、生きていけない」  どれほど見目麗しくとも、強靱な強さを持っていてもつくづく妖精族なのだと実感する。 「生きていけないんだ、本当に。考えただけで何もできなくなる」  膝に額を埋めてしまった彼を見て、ダグラスは嘆息した。  妖精族の恋は、一生に一度だ。実らなければ独り身で生きていくことになる。 「……。本人でさえ解決の糸口が見えないなら、他人がどうしてやることもできないのでは? 残念ながら、彼女とはここで別れた方がいいと思っています」 「置いていくのか」 「少しでも長らえさせたいなら、これ以上の刺激は危険です。僕らは彼女が嫌いな短命種と約束を結ぶために旅をするのですから……あなたもこの先どうするか考えて置いてください」  ダグラスとこうして話す回数は両手の指を越えつつあった。  洞へ戻ったダグラスをぼんやり見送ったカリオンは、冷たい風にはっと意識を戻した。体の芯から冷えている。彼は洞へ戻りふらふらと昼寝をしているハルの元へ行き、座った。  様子のおかしい彼に顔を上げたハルは指先が髭を撫でる手を払わなかった。 「ねぇ、どうしたの」  怖々と聞いてしまうのはやはり弱みを握られているからか。彼女の両頬を掴んで上向かせた彼は、 「俺が変わってやれればいいのに」  祈るように額を合わせた。  虚を突かれたように目を丸くした彼女を抱き上げ寝転がると、横に寝ていたモリトが腕を彷徨わせ、ハルの背中にしがみついた。 「……。カリオン?」  小さく呼びかければ、寝息が聞こえる。腕はいつの間にか背中に張り付くモリトまで回って、サンドイッチの中身のように窮屈だ。けれど嫌じゃない。  押しつけられた頭が、心臓の音を聞く。トクリ、と緩やかに脈打つ音が静かなのに大きい。顔をずらして見上げた彼女は子供のように寝ている彼の顔を見た。顔色が悪く、表情は優れない。  約束を破る酷い短命種だ。けれどそんな表情を見ていると突っぱねている自分の方が悪いのではと思ってしまう。  だからと言って頼っていいものかと悩む。自分の事は自分でどうにかするべきでは。 「自分でも自分の事がわからないの。誰か答えを知っていたらいいのに。どうしてかしら、いつもうまくいかない。――わたしはどこにも行けず、彷徨うのかしら」  そうだったら嫌だな、と思う。  気分が落ち込む前に、視界の端に煌めくものを見つけた。ぎょっと近づけば、鉄剣の芯が光っている。  おそるおそる前足で触れたとき、ひときわ強くなった光に目が眩む。気付けば辺りは暗くぽつりと一人きりだった。 「ここは……魂の中?」  立ち上がりかけたとき「こっちにおいで」と声がした。  ぽっかりと穴が開いている。白い光が漏れ出していて、驚いた彼女は穴の中を覗きこんだ。ここは出口の無い自分の心の中なのに、別の場所に繋がる道が出来ている。  にゅ、と白い指先が飛び出した。それは腕を掴み、引き寄せられたハルは気がつくと白い空間に居た。  見覚えがある。  死んで神の腕へ戻ったとき、ハルとして生まれる直前に通った道にそっくりだ。 「初めまして。ぼくらの最後のお姫様」  白い指先の持ち主はそう言って膝を付く。だが、それでも見上げるほど大きな男だった。声は低くひび割れているものの、優しい眼差しを注いでくる。  固いブーツにズボンを入れ、革のベルトに何本も牙を削りだしたナイフを差し込み、糸を編み込んだジャケットを着た戦士は、側面についた毛皮の耳をぴくぴく動かしている。  その背後には、白い壁のように沢山の獣がこちらを見ていた。  彼らは声をそろえて言った。 ――ようこそ! "全ての魂が通る道筋"に!  そして、 「最後の乙女。ぼくらの子孫。君がここへ来るのを皆、待っていた」  男はハルを抱き上げると輪の中へ誘う。 ★★★  鉄剣が輝いている。  レイディミラーは異変に気付き、すぐさま精神体を取ると膝を突いた。すくい上げるように持ち上げた鉄剣が銀色に点滅している。光は瞬くごとに強さを増し、何かしらの術が発動しているのは明白だ。 「なぜ」  はっと振り返るとハルを撫でる。ぞっとするほど冷たくなっていた。  鉄剣とハルを交互に見つめレイディミラーは気が狂いそうになりながら自身の葉をちぎり粉にするとハルに飲ませる。手をかざせば神力の流れが浮き出し、最悪なことに流れは殆ど止り、心臓から線が一本延びていた。  それは鉄剣の芯へ繋がり、さらに天上へ続いている。 「なぜ!!」  悲鳴に気付いてカリオンが目を覚まし、異変にモリトが足下にかがみ込んだ。 「どうしたの、おかあさま」 「魂に精神が無い!!」  癇癪を起こしたような言葉に顔を強ばらせたモリトは、すぐさまレイディミラーと同じ結論にたどり着いた。 「誰が持っていったの!? この鉄剣は何?」 「短命種が作った。だが、つれて行ったのは違う、死んだはず……なぜ? まだ道筋に? あぁどうして!」 「おかあさま! ボクにもわかるように言って!」  声に気付いてダグラスまでもが起きだした。洞の中は緊迫した空気が流れている。 「この剣は特別にあつらえた物だ。電撃を避け、固く絶対に折れない……鉄剣の芯は六つ目の<神眼>を開花させた獣の尾で出来ているからだ。その男が連れ去った」 「……死んだ獣がハルを? どうやって!」  呻いたカリオンは体温が低くなるハルを暖めようと体をピッタリとくっつけた。前足で擦りながら様子を伺うが、本当に魂がつれていかれたのかわからない。 「わからない」 「いや、つれて行かれた? 一体どこへ?」 「神の腕へ続く道にいるはず。まだ終わりまで行ってないはず、未だ間に合う」 「最後まで行ったらどうなるんだ」 「わからない。生きた獣がそこへで行った事はない。……でも、場合によっては本当に目覚めなくなる」  連れ戻さなければとレイディミラーは震えた口調で呟いた。 「待ってください、どうやって連れ戻すと?」 「教えてくれ」  焦りが行動を急がせる。カリオンは今にも飛び出しそうになりながらレイディミラーの言葉を待った。 「神木は獣が願い、神の元へ行き魂を授かる。それを腹の子に入れるんだ」 「どうやって行く」 「私達がとる精神体は、天を抜け全ての魂が通る道筋へ入れる。その終着点にいる神の元へ行き、魂を受け取って帰る」 「……。じゃあ、行けるのはレイディミラーだけなのか? あんたは魂を持ってきて体に入れられるんだろう? 俺の魂を取り出して持っていくことは出来ないか」  彼女は首を振る。 「魂に触れられるのは確かだが……死者も通る道だ。いずれ通る道を今行く必要はない」 「回りくどい言い方は止めてくれ。死ぬ可能性があるってことか?」 「ああ」 「それでも、頼む」  「死にたいのか」と厳しい眼差しが返る。 「もたもたしている暇は無い。行かなければ――」 「おかあさま。カリオンもつれて行って」  唐突に呟いた息子を見て、レイディミラーは口元を歪めた。 「予感がするんだ。おかあさまだけじゃハルは帰ってこないって」 「天啓か」  悩んだレイディミラーは、それでも息子の言葉を吟味したようだ。 「お前を連れて行こう……ただし、死ぬかもしれないがいいな?」 「かまわない」  レイディミラーは獣の体に魂を入れたときのように手を当てて、カリオンの胸からそれを抜き出した。