共に駆ける足は失われ

 ちらちらと鍋の中身を気にしたように視線を投げかけてくるハルは、前足の骨が折れているのもあって大人しくしている。今はバケツ形の入れ物にすっぽりと収まっていた。カリオン自作のキャットハウスだ。中には寒くないように何枚も布を重ねてあるのでもこもこした中身が暖かい。そこから顔だけ覗かせていた。  こみ上げる感動を震えながら耐えていると半目になったレイディミラーに頭を叩かれた。 「雄なら黙って食料だけ貢げ」  叩かれた頭を擦りながら「何だか理不尽だ」カリオンは鍋の中身に視線を戻した。  ハルが目覚め、一度話し合いを経てから三日が経っている。  モリトが提案した魔王との話し合い。これは難しいと結論が出た。魔界の王を引っ張り出すか自ら赴かねばならないのだ。その危険はどれほどか。考えるまでもない。  また、話し合いをするには溝が大きくなりすぎている。  すでに悪魔の目的はわかっているものの、元々戦闘が好きな種族が平和のために話し合いを行うのだろうか、と言う疑問。 「それに、悪魔は総攻撃の準備をしてるわ」  遺言の女性は"始まりはロストロ"と告げていた。悪魔はもうすぐ準備を終えるとも。悪魔がすることなど古今東西一つしかない。エウリュアレーのような穏やかな性格の悪魔は酷く珍しいのだから。 「おかあさま、魔界が滅びる年数は誰が言ったの?」 「吸血鬼領の伯爵が調べ出したと聞いている。その時が来れば魔界の大地は草木一本育たぬ腐り果てた土地になると。何も育たぬ不毛な土地では悪魔と言えど生きていけまい」 「吸血鬼……あのおじさんかな」 「ハット帽を言ってるならそうじゃないかしら。紋章の悪魔は貴族位の証なんでしょう?」  レイディミラーは頷いて言う。 「もし報復を悪魔にさせたいのであれば生かさなければならなくなる。魔界の大地を浄化し、草木の育つ環境にしなければ。しかし、そうしたとて悪魔は従うだろうか。大地を救えばエディヴァルへ侵略の意味を失う。なによりその方法をもたない我々に何ができよう」 「まずは毒の大地を調べてみませんか。それをしなければ何も決められないように思います」 「どうやって?」 「悪魔のツテを探しましょう。幸いにも教団には捉えている悪魔が何匹か居りますから」  話し合いはそうやって終わったのだ。 ★★★  あれからダグラスはウルーラの洞にあった内容を紙に写す作業をしている。驚く事にあの量を全て覚えているというのだ。感心する面々に「すぐに忘れてしまうので急ぎます」と照れながら頬を掻いていた。  ウルーラの洞にあったのは世界地図。これまで生まれて枯れていった神木の記録。レイディミラーの記憶とすりあわせ、残っている神木の名前を割り出していくために必要な大切な作業だ。  名前がわかればレイディミラーは神木達に連絡を取ることができる。自ら赴かなくても彼らの状況や思いを知ることができるだろう。長旅による時間の浪費も少なくて済む。  食事をしてうとうととしながら一心に作業する背中を見つめ、ハルは不思議な思いに駆られていた。この洞に自分以外の者達が居る。  今日は吹雪の勢いが弱く、外で鍋を軽く洗ってきたカリオンがハルの横で水気を拭いている。ふと、彼が視線を寄越した。  カリオンはじっとハルを見つめることが多い。何を言うわけでも無いので調子を見てるのだろうが少し尻込みしてしまう。 「なに?」 「毛が絡んでる。ブラッシングしようか」  そうして時たま手入れをしたがる。半目で自分の体を確認しても絡んでるところなどどこにもない。 「いらないわ」 「ほらここ」  どこからか取り出したブラシは豚の毛で作られているらしく少し固かった。その先端が耳の裏を擦ると自然と目が閉じて顎を突き出してしまう。気持ちいい。カリオンはそれを見て笑ったが、ハルは気付かなかった。 「あ! 何してるの」  外で遊び回ってきたモリトが雪を払いながら入って来た。頭どころかすっかり全身ブラシをかけられたハルはくったりとカリオンの膝の上で伸びていた。ところどころ気持ちの良い壷を押さえながらブラシをかけられたらこの様だ。 「ボクもやりたい!」 「ハルのはもう終わったぞ」 「じゃあカリオンのする!」  仕方ないな、とハルをバケツ形の入れ物にしまい込んだカリオンは二つ目の姿を取った。すぐにブラシを持ったモリトがよじ登っていった。 「そこそこ……あっちょっと右」 「ここ?」 「あっそっちはダメだ。いたっ!」 「あれ!?」  驚いた声に何かと瞼を上げれば、目を丸くしたモリトが毛をかき分けていた。 「カリオン、背中に葉っぱが刺さってるよ」 「ほんとだわ」  なんだろう、と書き物をしていたダグラスも寄ってきた。  緑色の葉っぱはゆっくりと動いた。 「葉っぱじゃないぞ。羽だ」 「羽? ちっちゃいよ」 「俺のは飛べるほど大きくないけど羽なんだ」 「なんで生えてるの?」 「妖精族だから」  ちょん、と指先で突けば避けるように羽が動いた。モリトがおもしろがって追いかけ始め、ブラッシングはそっちのけになる。  そんな穏やかな雰囲気に包まれている洞の中とは違い、レイディミラーはずっと不安を抱えながら沈黙していた。 ★★★  遅くまで起きていたダグラスも、書き物の手を止めて深く眠った頃。むくりと起き上がったモリトは毛布を撥ね除けた。横で眠っていたハルは小さく髭を揺らしたが起きた様子はない。  いつもはくっついて眠っていたのだが、腕が折れているので今は近くで眠っている。その反対側にカリオンが丸くなっていた。二人が並ぶとまるで兄妹のような対比だ。  モリトはそっと、洞を出た。 『おかあさま』 『どうした、眠れないのか』  神語で語りかければレイディミラーはすぐに答えた。 『眠れないのはおかあさまでしょう。何を悩んでいるの?』 『お前にはすぐに分かってしまうな』 『約束のことだね』 『……ああ』 『大地が腐る原因を知っているの? ううん、直す手立てを知ってるんでしょう?』 『なぜそう言える』 『この洞にエウリュアレーは滞在したのに、どうしてお母さまは枯れないの? この土地の土がおかしいなら、ボクはすぐわかるよ』 『……そうだな。そうだとも。モリト、お前がこれを知ったらどうするのか予想がつく。だから言えなかった。先に約束してほしい。自分を犠牲にしようとするな。絶対に自分の幸せのことを一番に考えるんだ』 『……。約束します』  規律が絡みつくのを見て安心してレイディミラーは告げた。 『悪魔の大地が腐る原因は、彼らの体に大量のカビが含まれているからだ。そして老廃物は異様に腐るのが遅い。これは組織を活性化させる菌も混じっているためだろう。短命種が悪魔の加工物を口にして一時的に力を上げるのはそのためだ』 『じゃあ、加工物を口にした短命種はどうなるの? ハルもよく悪魔を食べてたよ』 『時が経てば消えるようだ。ただ、どうも悪魔の大地は水気が多く沼地のようになっているらしい。これが不味い』 『どうして?』 『水気が多いとカビが繁殖しやすい。土の中には見えないだけで、大量のカビがある。そこへカビを増やすものがあればものすごい勢いで増える』 『それが悪魔?』 『そうだ。そして悪魔の吐く息は太陽を覆った。日光消毒が成らないということだ。必然的に大地は植物が育ちにくい土地になる』 『じゃあここも、腐りかけたの?』 『条件はほぼ同じだった。……わたしも異変を感じ、一度水気を取るために一気に吸い上げた。そうすれば、元に戻った。その繰り返しだった』 『太陽の光、水はけをどうにかすれば悪魔の大地は元に戻る?』 『悪魔の吐く息の正体はわからないがおそらく』 『エウリュアレーにこのことを言ったんだね?』 『彼女は洞を飛び出しどこかに行ってしまった。それきり会っていない』 『……お母さまは、ボクらならどうにかできるとわかったんだね』 『状況に応じて水捌けを調節できるのは意志を持つ植物くらいなものだ。だが、私達の誰も魔界に行くことはできない。根付けるともわからない。モリト、絶対に試してはならない』 『でも、可能性が一つ出た』 『モリト!』 『わかってるよ。大丈夫。無闇に危険を冒したりしないから。ごめんねおかあさま、不安にさせて。もうお休みしよう?』 『ああ。モリト』 『なぁに?』 『故郷に居るのが一番幸せな事だ』 『……。うん』