馬鹿馬鹿しく

 マーシャという男は神官の中でも特異な位地についている。ゲデラー三世が作り上げたオールドガム教の異端児とも言える、神木のための神官だ。オールドガム教は大陸中にはびこる教会から国土を守るために築き上げられた宗教である。他国の宗教が国内に蔓延し革命を起こされないように、リノン国民はかならす生まれた時、オールドガム教に入れられる。詳しい話は国立図書館か教会に行けばわかるだろう。  大切なのはオールドガム教が長年の平和で腐敗し、国民は安全と引き替えに別の物を失っていると言うことだ。  安全と引き替えに重税を課し、教会と王侯は何もしなくとも金が入る方法を確立してしまった。神木の葉と偽ってありがたいお守りを高額で売り飛ばすなど様々な商法を試し材を成し、次は何をするのだろうかと嘲笑を受けているのを知らない。  リノンは安全だが力の無い国だとマーシャは断言する。軍ももちろんそうだが、鉱山は掘り尽くし穴だらけだし、そのせいで災害も多い。  神木がなければ国として終わっている。そこに目をつけた流浪の者が徒党を組み始めていると耳に挟んだ。速めに対策を立てねばリノンは滅ぶだろう。  前王の時代はよかった。王は忠臣を引き上げ私欲に走る者達を遠ざけた。しかし次の王が立ったとたん、全ては元に戻ってしまう。 金に目がくらみ慧眼を無くした王侯は危険が襲いかかってからその存在に気づくだろう。耳に痛いことを囁く忠臣を遠ざければ、賢い者から国を去って行った。  神木の前に来ると、マーシャは自分のふがいなさと国の現状に死なないのが不思議なほどの羞恥を感じる。リノンの民で恥辱を感じない者は皆、心が腐っているのだ。  使者達が羨ましい、とマーシャはその姿を一目見たときに思った。瞳は精錬に輝き意欲と魂の高潔さによって背筋がきちんと伸びた姿。そんな物達を使者に選べるヘリガバーム教団はよい統率者に恵まれている。  一度、教皇にお目通り願えたあのときにも同じ事を考えたものだ。  国をどうにかできないか。  マーシャはいつだって考えている。  目の前に立つ使者達を眺めながらマーシャは会話を聞く。 「初めまして。ボクはモリト」  王宮の奥まったところにある庭園の一角。風景に馴染むように植林されたそれは、隣にならぶ木と何ら変わりない種類だ。最初に神木だと紹介された木の種類と同じでもある。だが、確信があるように少年は幹に手をついて言った。  ふわり、と大気が揺れた。  紅葉が落ちるように大地に降り立ったのは、真っ赤な裾の広がった服を纏った女性だった。なびく髪は黄金。こぼれ落ち水の流れのごとくたゆたった。ほっそりとした顎に目鼻が左右対称についている。瞳は少し伏せられモリトの頭頂部を見つめするりと面差しに移った。 「初めましてモリト。私はウルーラ。よくいらっしゃいましたね、さぁ中へどうぞ」  指が顔をよく見せるように促した。ゆるりと木の表面が揺れ亀裂が現れる。本来の神木が持つ洞だ。ずいぶんと天井が高く、立ち上がっても頭をぶつけることはなさそうだ。一面に描かれた神語にダグラスは目を輝かせ、カリオンは物珍しそうに指で刷った。  中へ入った六人は円を描くように座った。 「モリトが訪ねてくるなんて、何千年ぶりかしら。うふふ、こっちにおいでなさいな」 「ふふ!」  ぺったりと寄り添った二人は嬉しさに頬を赤らめた。 「……。お二人はどんな関係なのですか」 「親子みたいなものですね」  ぽつりと呟いたマーシャは微笑ましそうなダグラスの言葉に視線を戻した。歌い始めたウルーラに合わせて、彼女の周りをくるくる回り始めたモリトはきゃいきゃいはしゃいでいる。見ていたハルも混じって、耳をぴくぴく動かしたカリオンも後に続く。  まるで御伽噺の一場面。見つめていたダグラスは視線を外して熱心に洞の壁を見つめだし、恐ろしい速さで視線を行き来させている。  しばらくじっと見守っていたマーシャは歌が三周目に入ったところで手を叩いて注意を引いた。 「あまり時間も無いのでお話は迅速にお願いしたく思います」 「ああ、そうでしたわね! モリト、これを持っていらっしゃい」  手を打ったウルーラは落ち葉の中から木の実を取り出した。 「私とジュラーラのフリュイよ。彼はもう枯れてしまったけど、とても優しい神木だったの。どうか、この子を連れて行って」 「どうして?」  マーシャを気にするように目配せしたモリトに、ウルーラは微笑んで頷いた。 「彼はこの実が何か知っているわ。あなたの連れもそうよね? 短命種も混じっているようだけど」 「うん、二人は短命種でハルが獣だよ。ボク達、神木を回る旅をしてるんだ」 「そう! それは素敵ね! 残っている神木は少ないでしょうけど、最近は生気を取り戻してると聞いてるわ。モリトが回っているからでしょう? うふふ、それくらいの噂なら私の所にも入ってくるのよ」 「ウルーラはどうして枯れずに残ってたの?」 「それはね、約束をしたからよ。この国の宗教を作ったゲデラー三世と言う短命種クオルトと」  モリトの手の中にあるフリュイを優しく撫でながら、ウルーラは顔を歪ませる。まるで苦い何かを飲み込むかのように。 「ほんの数百年前のことなのに、あの人がいなくなっただなんて思えない。今でも振り返れば、そこにいるんじゃないかと思うことがあるの」 「フリュイを託すのはその人のせいなの?」 「私の願いなのです。ゲデラー三世は……関わってないとは言わないけど」 「自我が芽生えるまで神木の洞にいるのがフリュイだよ。どうして?」 「この子はもう何千年も目覚めていないの。水も毎日汲んだり話しかけたりしてるのだけれど。きっと環境が悪いのだわ。……昔、目を覚まさないフリュイがいました。その子は獣と一緒に旅をしているうちに芽を出したそうなのよ。この子も同じかもしれないと思ったの」 「うん、そういうことならわかった。ボク達と一緒に行こうね」  よしよしと表面を撫でたモリトはそれをどうしようかと視線をさまよわせた。持ち物から布を一枚取り出したカリオンが包んでやり、後でちょうど良い箱を作ろうと言う。知らない間に潰さないように、そうするのが一番良いだろう。  ほっとしたようなウルーラは両手を合わせて喜んだ。黄金の髪が肩からこぼれ落ち、はっとするような清純さを感じたのは気質だろうか。それとも神木という種のせいか。 「それで、今度はどの神木の所へ行くの?」 「ウルーラ……ううん、ボク達はしばらくここにいたい。それで、獣と神木のお話を聞かせて欲しいんだ。ハルは獣のことをあまり知らないし、ボクもウルーラがどうやって今まで生きてきたのか知りたい」 「私と、獣のこと……。いいえ、モリト。この数千年の間、訪ねてくる者はいなかったわ。短命種はいくらでも私のことを拝みに来たし、オールドガム教の何人かと話をすることはあったけど、それだけ。たいした話ができなくてごめんなさい。詳しいことが知りたいなら、別の神木の所へ行った方が良いわ」  悲しそうにモリトの前髪をつまんだウルーラは額を寄せる。 「じゃあ、ここに泊まるのもだめ?」 「洞の中にあるものを、全部覚えるまでいてはいけないかしら……」 「だめだわ」  どうして、とハルは聞く。緊張に指先が震え出す。 「必要ない事だからよ。太古の営みは無くなり、ここに描かれているのは神木に関することばかり。一万本を越える神木の名と住処の場所が記してある、ただの地図。これを見て獣達は次の行き先を決めたけど、私を含め二十四本しか残っていないし、その二十四本の場所はあなたたちだってわかってるでしょうに……」 「でも」 「もうここへ来る必要はないわ。お行きなさい。今日この時ですら無駄にせず、先へ、先へ進むのよ。国を出てまっすぐお行き。さぁマーシャ、話は終わり。彼らを外に連れて行って二度と立ち入らせないで」 「どうしてわたし達を遠ざけるの」 「なら、どうして」  どうしてよ、とウルーラはハルをなじった。 「どうして、あの時に来てくれなかったのっ!! ここが、私の周りがこうなってしまう前に獣はどうして来てくれなかったの」  思わず出た言葉にショックを受けるハルは表情を凍らせたままウルーラを見上げる。こぼれ落ちた涙は頬を伝って落ちた。冷たくハルの米神をぬらしていく。 「一頭でも来てくれればこんな事にはならなかったわ――出て行って」  腕を振った刹那、巻き上がった風がハルを乱暴に浚った。危ないととっさに腕を伸ばしたカリオンごと二人は洞の外に叩き出された。 「ウルーラ! ハルはそのとき生まれてなかったよ! それに獣は神木を守る戦士じゃない」 「そうだとしても許せないのよ、私がどれほどこの時を待ち望み心を削ってきたことか! モリト、私は生きながらえるためにゲデラーと約束を結んだの。惨めだった……この数千年の間、私はあれらに全てを差し出さなければならなかった。尊厳も、心を踏みにじられてもなおっ」 「それでもハルのせいじゃない。現状が嫌なら新しい約束を短命種と結ぼう? ボク達の全部をかけて」  モリトは神木と短命種が結ぶ、新しい約束のことを話した。けれどウルーラは首を振り皮肉に笑う。 「私はそれに入らない。やるのならあなた達だけでやったほうがいいわね……お行きなさい、モリト。ここへはもう二度と、何があっても来てはだめよ」 「ウルーラ……ううん、ボク、明日もここに来る」  彼女は許さないというように首を振って残りの二人を追い出すと、マーシャに言う。 「わかっていますわね?」 「ええ、しかし皮肉なものですね。まさか今日、ぎりぎりになって現れるとは……因果とはこういう物かと思います」 「……。早く彼らを」  洞を出た彼は、険しい顔をした面々に言う。 「これ以上神木のお心を乱されてはかないません。お引き取りを」  さあ、と押し切るように言われればそれ以上何もできない。モリトはまた明日来ると告げ、ウルーラの元を去って行った。  宿へ強制的に連れて行った面々を見て、マーシャは告げる。 「使者様方、用がお済みでしたら速やかに国を出て行ってください。王城の門番にもあなた方を通さないように告げておきます」 「どうしてウルーラからボクらを遠ざけるの。オールドガム教は神木を失ったら困るから?」 「使者殿」  モリトと目線を合わせるために膝をついたマーシャは鋭い双眸を向ける。まるで聞き分けのない子供に物事の通りを教えるような仕草で。 「用はもうお済みでしょう? ならば速やかに国を出て行っていただきたい。これはただのお願いではありません。神木にはもう二度と合わせませぬ。あの方が望まぬ限り」 「ウルーラと何を約束したの? 脅して、何を約束させたの!」 「この国は近日中に荒れるでしょう」  天候の話ではなく、脅しでもないとマーシャは言う。では何だと問いかけても彼は答えない。 「どうぞ、フリュイ様を入れる箱はこれをお使いください。こちらから言えるのはそれで全てです。……あなた方の旅に、幸あらんことを」  無論言うことを聞くわけもなく、神官が立ち去った後もモリト達は宿に泊まり続けることで方針を固めた。マーシャの物言いも気になったし、何よりウルーラのことが心配だった。  尊厳を傷つけられ続けていると言った彼女の言葉や責められたことに、ハルが予想以上に動揺していることも大きかった。  一日中塞ぎ気味で、もともと乏しかった表情がさらに硬くなっている。カリオンはかいがいしく様子をうかがっては追い払われるし、モリトはモリトで街中に聞き込みを始めていた。  街は思った以上に不安定だった。冬に向けて備蓄を始めたため食品は日に日に高騰し、あらゆる品物は通常よりずっと出回りにくくなった。宿代や防寒具然り、小さな木製のスプーンですらそうだ。 「ねぇ、おかしいわ」  最初に気づいたのはハル。彼女はモリトとダグラスが作った聞き込みの内容とカリオンが家計をやりくりするお母さんのように付けていた家計簿を見比べて顔をしかめる。 「冬に近づいて食べ物が高騰するのはわかるし、リノンは食料品を輸入に頼ってる節があるのも知ってる。でも、この品薄はおかしいし、秋に収穫を迎える穀物があからさまに少ないわ」  どこかで災害が起こったという話もない。 「戦争が起こる直前と似てるわ」  それも、悟られても良いと分かっている戦争だ。苦い顔をしたハルにダグラスは「杞憂では?」聞くが首を振る。 「ちょっと街へ行ってくる。少し調べ物をしたら帰ってくるけど、荷物をまとめていて」 「その必要はございません」  宿で借りている一室。扉の向こうから声がする。  警戒しながらカリオンが戸を開くと、黒っぽい服に身を包んだ男が立っている。彼は神木の伝言とマーシャの手紙を預かってきたと告げ押し入ってきた。  彼が差し出したのは封のされていない一通の手紙。宛先はなく、ただマーシャの言葉が書かれている。  全てを読み上げたダグラスは次にモリトに手渡し、ハルが読み、カリオンはその横から内容を確かめた。 「安全な道をお教え致します。すぐに出立の準備を。時は迫っております」 「ウルーラは安全なの?」  硬い言葉にハルを見つめた使者は無感動に「使者殿がお気にされることではありません」と言う。 「わたしが気にしなくていいことなんて一つも無いわ。わたしは獣なの。ずっとずっと、神木を守って生きてきた」  手紙にはこれから数日の間、革命軍が決起し国のあちこちで反乱を起こし、貴族を押さえ、王宮に攻め入ることが書かれていた。 「いつからリノンはこんな風になってしまったの」  手紙の配達人はため息をつくと「長い話になります」腰を下ろし、座り込んだ。 「全ては前王が亡くなられたことにより、始まりました。いいえ、その前から予兆はあったのです」  三十年前の王室は実りすぎた果実が腐り落ちる直前のような酷い有様だった。神木を我が物顔に扱い、諸国を愚弄し敵愾心を煽る。当時は鉱山も生きていたし、上質な鉄も取れた。それがいつからかクズ石ばかりとなり収入を絶たれた王室はプライドから諸外国に交渉することもできず、神木をタネに商売を始めようとした。  もともと畑を作るには厳しい国だった。神木を別の場所に移すために戦争をしかけようと愚かな試みをしたこともある。  それを防いだのが前王であり、彼は険しい山でも飼育できる動物や飼育の教師を遠方から呼びよせた。肉や毛皮を使った品を作り、加工品を売るよう計画した。これはとてもうまくいった。  動物は険しい山で育つためリノン国の気候に適応し、食べるものも似ている物が多かった。険しい山で育つ植物は生命力も強い。それを美味しく食べる方法も研究された。  民の生活は安定しだした。浪費と飢えつつあった彼らはようやく苦役の中で一息つけたのだ。  全てが水の泡に返ったのは慈悲深かった前王が病死し、前王の息子が王位を継いだ時。  現王は今までの王族ととてもよく似ていた。強欲で搾り取る事に長け悪知恵が働く。甘言に弱く佞臣の話をよく聞き、前王が無し集めた全ての事柄を壊してしまった。これに怒ったのは苦役にさらされた市民だ。彼らは前王が民のことを考え働き、これから戻る生活がどれほど自分達を虐げていたのか知ってしまった。  知っていたことを知らなかったことにはもうできない。重税の意味も、神木がありながら苦しい生活にさらされていたことも広く知られてしまった。  また地獄のような日々に戻るくらいならばと密かに集まって作られたのが革命軍。それを先導している者達の一人がマーシャだと配達人は言う。 「ウルーラはそれを知ってるのね?」 「ええ、革命軍には神殿の者も多く関わっていますゆえ。さぁ話は終わりです、参りましょう。この土地は今に荒れます」 「ねぇ、最後に教えてよ。ウルーラの伝言ってなんだったの?」 「失礼を……託された物を守ってほしいと。そして、酷いことを言ったと謝っておられました」  お急ぎを。  再び促され、断る事はできなかった。  全ての荷物をまとめ、宿代を払って場所を後にする。街に出れば人通りは少ない。すでに夕暮れが近づいていた。  振り仰げば王城は明るい。既に火が入れられているのだろう。煌びやかで豪奢なのに虚しく見えた。 「ハル、急ごう」  カリオンに手を引かれ、ハルは何度も振り返りながらリノン国を後にした。