情けなく

 空気が乾いている。  山間を抜けた所で立ち止まると鳥の声が後方から追いかけてきた。森は紅葉し、山は一面黄色く染まっている。そのせいで削り出された剥き出しの地面が異様に浮き出していた。 「あれがリノン?」 「ああ」  モリトの言葉にカリオンが頷く。モリトははしゃいだ末に肩車をされていた。カリオンの額に指先を置いていたモリトはすっと彼の耳を触る。 「先っぽ冷たくなってるよ」 「そろそろ寒くなってきたし、フード付きのコートでも買おうか。モリトのもな」  仲良くする二人を見てぶっすりしたハルに苦笑したダグラスが「僕達も買いましょうね」と慰めの言葉をかけるのに、カリオンは嫉妬の眼差しをじっとり注ぐ。  カリオンの耳を温めるように手の平を当てていたモリトは足をばたつかせて、先を急ぐよう促した。  リノン国は牧歌的でのどかな国だ。  神木は国の中心にあり、枯れていない三本の内一本である。リノン国の結界は強く、広範囲にわたっている。  しかし遊牧と海産物が主な産業で、険しい山が多く田畑を広げられるような平地は少ない。過去、開拓を進め山を削ったため土地はぼこぼことアリの巣のようになっている。自然災害も多い。昔は鉄が採掘されていたが今はクズ石ばかりが出るとの噂だ。  そして噂は本当のはずだった。前王が死に、息子である元リノン王が立つまでは。  パイロン王国から丸五日進んだ先の国。モリトは残りの東を回ってから大陸の中心を目指す事を選んだ。  見上げる城は贅をこらした彫刻に、大陸の有名な技士に頼んだオーダーメイドの調度品が並んでいる。パイロン王国のような天を遮るほど城壁は高くなく、門番が四人立っている。  その前に折りたたみ式の大きなテーブルが置かれ、山積みになった包みがあった。薄く、ともすれば風に飛んでいきそうなそれは豪奢な箱に入れられ、金貨数枚と引き替えにありがたがられて買われていった。 「……。これは、いったい」  愕然とした声を上げたのはダグラス。彼は目を見開いてぱかりと口を開けたまま立ちすくむ。荷物は既に肩から滑り落ち、それすら気づかない様子だ。  箱に群がるようにして信者達が列を成し、噂を聞きつけた旅人達が覗き混んでは顔を顰めていく。  悪魔除けの効力があると噂されるお守りは神木の葉が入っているという。  間違いなく偽りだ。断言できるのは神木の葉は枯れても青くても枝から落ちれば地面に触れる前に消えるからである。消えないのは神木が特別に集めて洞の中に敷き詰めている物だけだ。 「まだわからないよ」  不快な表情を浮かべながらモリトが言う。  そう、リノン国の神木は枯れていないのだ。お守りの中身が本物である可能性は残っている。ただし、謳い文句のように悪魔除けの効力は全くないが。  詐欺商売を見守っていると、買い占めた信者がほくほく顔で帰っていく。身なりからしてそこそこの商人だろう。買ったそれを売り飛ばすのか商いの御利益として使うのかは不明だが、金を払ったぶんの満足は得られているようだ。胸くそ悪いことに。  神木の葉と偽って信者達に金で買わせる。悪辣な商売を推奨しているのは王室とそれに食い込んだオールドガム教と言う国教だ。  箱の中身が無くなると一人の神官が大きなベルを鳴らした。 「今日は終わりです!」 「終わりです、もう品はありません! また明日お越しください」 「神木に感謝を!」  列に並んでいた人間達は一様に肩を落とした。一人が買える最高枚数は十枚だとか、先ほどの商人から買い取る段取りを……などと人々は口にしながら帰っていく。  素早く片付けを始めた神官達は金をお守りの入っていた箱にそのまま入れ込み、机を畳む。金貨は山となり、オールドガム教の運営資金に入るのは明白だ。 「浅ましい」  筆舌に尽くしがたい表情でダルドが吐き捨てた。彼が公に不快感を表すのは珍しいが、仕方ないことと言える。オールドガム教の稼ぎ方は、悪魔に不安を持つ人間を食い物にしているのだから。  しかし、城の前で騒ぎを起こすことはできない。  なだめるようにカリオンが、彼の肩を叩いて諫めた。不服そうな顔で見上げるも、足下に落ちた荷を拾い上げた。 「あぁ、この国はどうなってしまうのでしょう」  去り際にすり切れた上着の女性が呟くのが聞こえた。見れば、市民の誰もが煤けた格好をしている。若者はうつむき、老人は鶏ガラのように、子供達は腹を空かせているのだろう。やはり痩せている。  それに比べ王城の絢爛豪華さは不釣り合いだ。  思えば、リノン国に付くまで野党の数が多かった気がする。食い詰めた農民だったのかもしれない。 「ハル」  カリオンが顔を顰めている。同じ事を考えたのかもしれない。  折れた右腕を左手でさすり頷く。 「ええ、嫌な予感がするわ。油断しないで行きましょう」  旅人達は門番の元へ向かう。  神官達は片付けの手を止めてにこやかに言う。 「本日の御布施は終わったところです」 「また明日、おいでください」  御布施が金を貰ってお守りを渡すことを指しているなら大きな間違いだ。不愉快な気分になりながら、脳天気な神官共に首を振って答える。 「僕達はヘリガバーム教団の者です」  とたん、神官達の表情が歪んだ。  宗教の中でヘリガバーム教団だけは明確に神木を守り、悪魔と戦う事を掲げている。そして教団のエクソシスト――少なくとも五年の巡礼を終えた者達――はどこへ行っても歓迎される。  支持率と信者は圧倒的と言っていい。  オールドガム教は枯れない神木を持つリノンの国教として定められてはいるものの、知名度は低い。リノン国は国としての魅力もそれほどでは無いため信者はそれほど多くなかった。 「この国に悪魔はおりませんが、いったい何用です」 「王城の神木にお目にかかりたく存じます。これは猊下のご意志でもあります」  差し出した書簡の中身が見えるように掲げると、彼らは一様に顔を顰めた。一人が鼻をならし、明らかに敵対するように睥睨してくる。  質が低いな、とハルは思った。  生き物としての質が薄っぺらくて思わずひっくり返ったカメムシを見ているような気分になる。 「では、入場料をいただきます」  神官の一人がいやらしい視線を向けてくる。その手を見てこれ以上無いほど引きつった顔をしたダグラスは言葉が喉に張り付いてしまったようだ。肩車していたモリトを下ろしたカリオンも不愉快そうな顔を隠さず、胸元から紋章を取り出す。  それはパイロン王が自ら――だいぶしぶしぶではあったものの――託した王家の紋章だ。頭が二つある鷹が盾を抱えている紋章は金で刺繍されている。布は最上級の物を使い、裏面には王族に貸し与えられた旨が記されている。  なんとかカリオンとの繋がりを絶ちたくなかった遊撃部隊長と、カリオンを連れて行きたかったモリト達の利害が一致した結果である。国王もデーモンハンターより仕事をしている男達の戦歴は評価しているらしい。  それを見た神官達は、腰が引けているにもかかわらずしぶとく動かなかった。仕方なくハルは小銭入れを取り出して中から金貨を二枚取り出して彼らの足下に放り投げた。 「知らなかったわ、神木ってお金を払えば会えるのね」  コインの音は思ったより周囲に響いた。後方で声を拾った者達がどういうことだと聞き耳を立てて近づいてくる。  ぎょっとしたのは神官達だ。 「たった金貨二枚で神木に会えるなんて知らなかったわぁ! 神木の葉を貰うよりよっぽど御利益があるんじゃ無いかしら? だって、本物に会えるのですものね!」 「お、大声を出さないでください!」 「どうして! こんな素晴らしいこと皆に教えてあげなきゃだめじゃない! たった金貨二枚で神木と会えるのよ! たった! 金貨! 二枚で!!」 「お金はいただきません、いただきませんから声を上げるのを止めてください!」 「返します、返しますから!!」  慌てた神官が拾った金貨を受け取ったハルは元に戻すと半眼で彼らを睨んだ。 「じゃあさっさとそこを退いてくれないかしら。わたし達これでも忙しいのよ」  ぐ、と奥歯を噛んだ彼らはハルが右手を口元に添える仕草を見せると、慌てて体をずらした。  「最初からそうすれば良いのよ」と顎をそらしたハルは引きつった顔をする門番の前に立った。後から小走りに付いてきたダグラスは口をもにょもにょ動かして何か言いたげにしている。 「ご、ご用件は」 「神木に謁見の許可をいただきに参りました。書状はこれです」 「承りました。しばしお待ちください」  門番の一人が書状をうやうやしく受け取って伝令を飛ばす。  旅人達は待たされながら静かに周囲を伺った。  野次馬はすでにおらず、緊張した門番が先ほどよりも背筋をただして立っている。 「ハルさん、あまりああいった事はしないでいただきたいのです。後々問題になるかもしれませんし教団の顔に傷が付きますので」 「付かないわよ。むしろ、あのまま戯れ言に付き合ってた方が後々問題になるんじゃないの? 弱いとみればすぐにつけ込むだろうし」 「それでも、お願いします」  重ねて言ったダグラスにぶっすりとハルは頷いた。  権力が絡んでくるとそれに応じて体が動かしにくくなる。  しばらくして現れたのは白服に身を包んだ神官が三人。一人はステッキのように短い杖を持ちオールドガム教の紋章が柄の部分に施されていた。三十代だろうか、落ち着き払った印象を受ける男だ。 「王城で神官を務めているマーシャと申します。神木のお世話をさせていただいております」 「僕はヘリガバーム教団行為神官のダグラスです。唐突な訪問、申し訳ございません」 「いえ、こちらの神官が何やら失礼をしたようです。彼らに変わって謝罪いたします。では、早速ですが神木の元へご案内いたします。無論、お金は取りませぬよ」  丁寧に足を折って頭を垂れると、冗談を言ってマーシャは立ち上がった。  歩き出した彼について行くと、後方に付き従うよう神官二人が続く。  王宮内はどこを歩いても絢爛豪華だった。常駐する兵士の他に使用人なども見受けられるがオールドガム教の紋章があちこちに見受けられる。リノン国はオールドガム教と権力が一緒になっているのだろうか。  ふと、視線を背後にやり顔をしかめる。すれ違った使用人の口角が引きつるのを押さえるように強ばっていた。  侮蔑を含んだ出向かえに不愉快になりながら白い回廊を曲がれば巨大な彫刻や色ガラスをはめられたとびきり豪華な扉の前にたどり着く。ステンドガラスには男女が二人向かい合うように膝を折っていた。女性の背後には木が。男性の頭には王冠が乗っている。 「神木と約束を結んだゲデラー三世と神木の一面が描かれています。中へどうぞ」 「綺麗ですね」  ダグラスは目を細めてステンドガラスを焼き付けた。まぶたの裏に焼き付けるかのように何度も瞬きしている。  扉の向こうには庭園に続く道があった。カットされた石がはめ込まれ、歩いて傷を付けるのが罪悪のように感じる。所々石に混じって宝石も見受けられた。  前方を歩いていたマーシャが、唐突に立ち止まった。  そこには大きな木が一本、立っている。 「これが神木です」  四人は顔をしかめる。神木にはあまりにも似ても似つかない。大樹ではある。だが、それだけだ。 「ねぇ、神木じゃないよ。神木はどこにいるの?」 「何を仰います、ヘリガバーム教団の者ともあろう方が見間違えるとは」  それとも我らが嘘を言っているとでも、と言ったのは背後に控える神官だ。ハルは不快そうに顔をしかめて彼らを見た。その眼差しに一瞬息を詰めたのは金色の双眸があまりにも冷たかったからだろうか。 「ボク間違えたりなんてしない。これは神木じゃないよ」  ふむ、と顎に手を当てたマーシャは神官二人に下がるように言った。彼らは顔をしかめ納得いかない様子を見せたが、再度マーシャに言われ、渋々引き下がった。 「使者殿、申し訳ありませんが試させていただきました。リノン国にとって神木は何にも替え難い存在なのです。他国を回った使者殿にはおわかりになりますでしょう? 神木無くして我々は生きていけないのだと」  神官の背が見えなくなった頃、マーシャはそう呟いた。 「付いてきてください。本物とそうでないもの。見分けがつく者は招くようにと仰せつかっているのです」 「誰に?」 「リノンの神木ウルーラ様でございます」  そうモリトの問いに答えたマーシャは淡々と「こちらです」歩き出した。