まるで違うものだった

 パイロン銀行と名付けられたその銀行は、国中に支店を建てている国営の銀行だ。磨き抜かれた彫像と、柱には細かな彫り物がされている。そのためすぐに見分けが付くことと、金がぎっしりと蓄えられているのがわかる豪華な内装が特徴的で、ドアマンまでいると有名だった。  平民から貴族まで幅広い層を相手取り、国庫の金貨に貢献していると定評がある。  身綺麗にはしているが、使い古した服装の二人組が入るには幾分か気後れしそうな内装を見回して、ハルは受付カウンターに顔を出した。  綺麗に化粧を施した受付嬢は顔で決まるのだろう。愛想良く微笑んだ美女は男ならば永遠に張り付いて案内を頼みそうだ。無論彼女達も心得たもので、その手の客のあしらい方は流石プロと拍手したいものがある。  ハルは腰のベルトにとめてあったバッジを取り、差し出した。バッジには金緑色の宝石がはめ込まれており、天井に吊されたシャンデリアの光を乱反射してまぶしい。  全ての銀行で出し入れするのに必要となるバッジは、金庫の鍵となる。あらゆる偽装、盗難防止の魔術が込められているし、貴族にはオーダーメイドで鍵を作るサービスがあると言う。  外見特徴と生体反応をスキャンする道具に手をかざしたあと、名前を見た受付嬢の頬が引きつった。 「別室で少々お待ちください」  と、カウンター席からわざわざ別の人間が出てきて、そのまま奥の部屋へ案内された。二人はドアをくぐる際の厳重な盗聴防止の魔術に顔を見合わせ、ふかふかなソファーに尻を降ろして不安そうに見つめ合った。 「なんだろう。ボク、怖い……」 「わたしも」  モリトは不安そうにハルの膝によじ登った。銀行を何度も使ったが、今までこんな事は一度もなかった。規約でも変わったのかと考えたが、それなら別のカウンターに案内すればいいのではないだろうか。客の一人、一人を別室に呼びつけて説明をする労力よりも何かを疑われて隔離された可能性の方を考える。  一分もせずにお菓子と紅茶が運び込まれ、モリトは全ての不安を忘れさったかのごとくサクサクと食べ始めた。ハルは悪魔の首を飛ばすのは得意だが、こういうVIP待遇のように他人からへこへこされたり豪華な場所に閉じ込められると、何も無いのに叫びだして逃げ出したくなる癖があった。紅茶もクッキーも最早、味も香りもわからないただの水と霞となっている。  二枚目の霞を飲み下したとき、灰色のスーツに身を包んだ美丈夫がやって来た。綺麗になでつけられた金髪に緑の目をしている。  カルフと名乗った銀行マンは別室に呼んだわけを丁寧な謝罪を入れながら説明しだした。  彼が言うには、一般人が貯金できる最高額を超えてしまった状態で、銀行の采配で通帳を二枚作っているのだという。知らせようにも定職も住居先もない旅人のハルにお知らせをすることができなかったと、彼は頭を下げた。  ちなみに定職も住居も定まっていない者が銀行を使う場合、金の貸し借りは一切できない事になる。できるのは貯金と引き出しのみで、一定期間どちらの利用もない場合、その金は国の物となる。あぶく銭でも塵も積もれば山となり、国家運営に携わる者達のがめつさには脱帽だ。  無論、制限をかけられた人間の九割方はケチな犯罪者が多いので、入金先はしっかりチェックされている。ハルの場合は全て課金屋からで、悪魔の首を飛ばして得た物ばかりだ。  最近は悪魔を殺したら課金屋に行って直接代金を受け取っていたので、銀行に行く用がなかった。残高のことをすっかり忘れていたハルは気の抜けた返事を返した。  カルフ銀行マンは麗しく微笑み、薄い唇を引き延ばして現状の把握を促した後、二枚の通帳を一つにしませんか、また、ランクを上げないかと持ちかけた。聞けば、二枚目の通帳も、もうすぐ最高額を超えてしまいそうなので、いっそランクを上げて上限を取っ払ってしまいたいらしい。  ハル自身も銀行に来るたびに別室に呼び出されるのは、校長室に呼び出された小学生のような気分になるので賛成だが、問題もある。 「わたしは定職にも就いてないし、ギルドにも入ってません。住居もない根無し草だし、お金の貸し借りはしたくないです。それに、上限がないって領地でも経営してなければ無理だって話を聞いたことあります」  子供の作文のごとく、たどたどしい言葉遣いで主張するも、銀行マンは強かった。モリトはすでにわからない会話を聞くのを放棄し、紅茶とお菓子のおかわりを済ませている。 「ですが、この調子で行きますと、三通目の通帳も埋まってしまうことになります。その場合、滅多にないことですが特別措置として契約の見直しをさせていただいております」  銀行の契約は基本的に三つで、犯罪者が使う事の多い現状の契約が一つ。一般人が使う上限ありの物が一つ。そして貴族らが使う最高のサービスを歌っている上級の物だ。何が違うかというと手数料や査定の厳しさだ。一番査定が厳しいのは上級で、緩いのが犯罪者用。  厳しい査定に受かる理由が見つからないのだが、銀行マンは強かだった。 「たまにお客様のような方がいらっしゃるのですが、定期的な課金状況と課金の内容を査定に出しましたところ、十分な資格ありと言うことになりました。めったにないことですが、お客様は悪魔を倒して生計を立てていらっしゃいますよね」 「まあ、そうですね」 「悪魔は高価な品物になりやすく、実際、ハンターギルドに所属していた場合のランクを出させていただいたところ、上位も軽いと太鼓判を押していただきました」  ハルの知らないところでパイロン銀行は、勝手にハンターギルドに調査を頼んだらしい。課金実績を調べれば簡単にできるのだが、本人の了承もなくやるとは恐ろしい銀行だ。しかもまったく悪びれていない。 「勝手にお調べして申し訳ないのですがご登録時の契約八十二行に記載されていますのでご了承ください」  この時点でカルフ銀行マンは営業部署だと感づいたハルは身を固くした。問題のある、またはカモになりそうな客を持ち上げて落とした次には、さらに持ち上げる準備をして契約をぶんどる彼らは、ノルマという悪魔の傀儡なのだ。  なんとなく冷静になったハルは紅茶を口に含んだ。少ししか話していないにもかかわらず、酷く喉が渇いていた。紅茶の味は復活し、薫り高い。 「お客様の現在の状況を総合すると、お選びいただけるのはこちら三つの契約となっております」  上級にもランクがあり、その中で最も希望に近いものを選び、オプションを全て撥ね除けカルフ銀行マンの誘いに首を振る。手数料無料上限無し、貸し借りその他無しの、ただの普通通帳を作り上げたハルはほっとして胸をなで下ろした。  カルフ銀行マンの顔は引きつっているが、銀行のよくわからない仕組みに飲み込まれなかったことに胸をなで下ろした。  最後に二回目の融資契約をお願いされ、小金でもいいからお願いできないかという所で、もう少し突っ込んだ土地の場所と状況を記した書類を数枚渡された。  今、一番活気があって美味しいが割高の会社の株から、今にもつぶれそうな研究室への出資、教会への寄付まで様々にあった。  カルフ銀行マンが断罪を待つ罪人のような顔になっている。 「申し訳ないけど、どこにもお金を貸すつもりは無いの。付き合いとか面倒ですし……」 「あのっ! 待ってください!」  立ち上がりかけた彼女を制すように、カルフ銀行マンは机に両手をついた。茶器が揺れ、波紋が幾重にも反射する。  彼は酷く慌てたような、追い詰められたような顔をして歯をくいしめた。まるで耐えがたい何かを吐き出すため、力をためるように。 「お願いが、あります」 「融資の話は……」 「わかっています! それは、十分、わかっています。……しかし、あまりにも惜しいとは思いませんか、これほどの資金をただ眠らせておくというのは! 融資の話に気が乗らないならば、どこか腰を落ち着ける場所を探すのはどうでしょう? 豪邸も別荘も思いのままですよ!」 「旅人には必要ないじゃない……」 「ええ、ええそうです。もちろん戸籍も必要になるでしょう! 登録やもろもろの手続きも銀行側が引き受けることが出来ます。お客様はただ、サインするだけ。後は住宅地にそう惜しい土地を見学し、土地をお決めになられては」  恭しく述べられる言葉を白けた視線でたたき落としつつ、嘆息する。  家も土地も戸籍も何もかもがパイロン王国に腰を据えるために必要なものだ。旅人にはその日の宿と手に持てるだけの荷物があればいい。  いらない、必要ない、買いません、失礼します。それらのどれか、しかし同じ意味の言葉を口に乗せようとしたとき、ふと、張り付いた笑みの銀行マンが、異様なほど汗を掻いているのに気付いた。立ち上がりかけた姿勢のまま、緑色の目を見つめる。  焦燥と恐怖と怒り。ない交ぜになった感情はぐるぐると変わり、そこに諦観と――覚悟だ。  ノルマだろうか。  いや違う。 「……はっきりおっしゃってください。私的な事で何か?」 「そ、れは……いえ、いいえ、はい。銀行とは別件で、とても私的で……いえ、私的ではないかもしれないのですが」 「失礼します」 「待ってください!! オンドロード領の融資をお願いします!!」  諦めと覚悟が混じり合った緑の瞳が、ひたとハルに向けられる。そこにほんの少しの期待を込めながら見つめられると、足が縫い止められたように動かなくなった。 「お客様が、ハル様が旅人なのは存じております。オンドロード領の事もご存じでしょうし、金をドブに捨てるようなものだとも、わかっています! しかし、しかし!! どうしてもお金が必要で、それがなければもう、どうしようもない状態なんです! もちろん領主や国が悩むべき事で、ハル様には何の責任もなく、義務もありません! これは私の身勝手なお願いです、銀行業務とは関係ありません。ですが! ですがこの通りです、お願いします!!」  机に額をこすりつけるほど頭をつけてカルフ銀行マンは言いつのった。それは必死で無様で涙を誘うような場面だが、ハルの心は鉄のように冷たく堅い。 「受けるつもりはありません」 「……そう、ですか。申し訳ありません、ご不快な思いをさせていまい」  そのとき顔を上げた彼は諦観が勝り、希望が潰え、覚悟を決めた。そんな表情をしてハルを見上げている。怒りも也を潜め、見ることはできない。  それは感情を制御しているだけかもしれないし、ハルがわからないだけかもしれない。ただ物珍しく奇妙に映った。  それはモリトも同じだったらしい。 「悪魔を狩れってハルに言わないんだね。どうして?」 「どうして、と申されましても……お客様は悪魔を狩って生計を立てていらっしゃいますが、ハンターギルドに登録していません」  その通りだ。 「それはつまり、悪魔を狩るために旅をしているのではなく、旅をしていると悪魔に遭遇したから狩っているからでは?」 「その通りだよ! 続けて」  不味い兆候だ。ハルは止めようと口を開き、握られた手の強さがそれを押しとどめる。 「悪魔生業にしていないという者を死地にたたき出すことはできません」 「だけどなりふり構っていられない、そうでしょう?」 「その通りです、ですが、その」 「きちんと言って」 「私はオンドロードのために心を砕いてくださらないなら、たとえどんな力を持った方でも頼みません。それにお二人は前途ある若者です。私よりもずっと……幼い」  立ち上がったモリトはハルの手をひいた。嫌な予感に胸を泡立たせながら視線を下げると、きらきらと好奇心に満ちあふれた視線が無言で問いかけてくる。 「たまにそういう事もあるの。珍しいことじゃないわ」 「へぇ! ねぇ、ボク達と話して何を考えたの? さっきの話以外でだよ」 「何を……ですか? お恥ずかしながらオンドロード領の事ばかり考えました。何かできないか……いいえ、何かしようと」 「そっか! ねぇ、いいでしょう?」 「……すぐに変わるかもしれない」 「そうなったら帰ろうよ。最初は様子見だけでもいいから! 手助けをしてあげよう? それともお金が減るのはイヤ? じゃあ、ボクも稼ぐことにする! お茶を飲むだけでお小遣いくれるって言うお姉さんがいてね――」 「絶対に止めて! どこでそんな話しを!」 「じゃあ決まりだね!」 「モリトっ!」 「あのぅ、お二人は何の話を……」  ため息をついて口を歪め、最大限の不機嫌を現したハルとは対照的に、モリトはにこにこと笑う。 「オンドロードの融資の件、ボク達受けてもいいよって話し!」 「だめよそんな事! わたしは反対!」 「じゃあ、見てくるのは?」  彼ははっとした顔で二枚の紙を見渡した後、ハルが口を開く前に慌てて、 「し、視察はどうでしょう! 工場見学をして、オンドロード領の現状を見ていただければきっとお心も決まるかと!」 「わたしは……」 「馬車も用意してくれるでしょう? ね、ちょっとだけ。ちょっとだけ助けてあげようよ!」 「準備はもちろん銀行の方でそろえさせていただきます!」  皮膚の下から脈打つように光があふれ出してくる。遺言の女性よりずっと小さくかすかなものだ。目を奪われるほどではなく、人混みに紛れてしまえばわからないだろう。  だが、先ほどまでは全くなかったものだ。  モリトとハルにはそれが目視でき、興味を引かれた少年は、好奇心のまま体を動かそうとする。 「行きたい行きたい行きたい! ところでオンドロード領って?」  半眼でため息をつきながら、ハルはソファーに深く座った。言い出したら聞かないモリトは、何が何でも行こうとするだろう。どれほどハルが諫め、ダメだと言ったとしても。 「西」  今、世界一ホットな悪魔侵略を受けている土地である。