思い描いたものと

 ロンドネル領の中心都市ロンドネルは大きな城の跡地に作られたためか、巨大な城壁があった。城自体は無いものの、敷地面積から言うとかなりの大きさだったことがうかがえる。  門の警備と言うよりも巡回の交代所と言った小屋が領の入り口にあった。物々しい装備を携えた兵士達が厳しい顔立ちで集まっている。  モリトはともかくハルは魔物の頭をぶら下げて歩いているため、酷く目立った。何があったかと警備兵に止められたハルは事情を正直に話し、朝にでも悪魔を討伐に行こうとしていた兵士達は拍子抜けした顔をする。  犠牲者が出たことと、魔物の死骸の近くに墓を作った事を伝え、荒らさないよう念を押し二人はロンドネルへと入った。  まず最初に課金屋へ寄って金を作り、ルフュラを探しに教会へ出向いた。  巡礼という悪魔退治の修行が終わり、一人前のエクソシストになろうかという使徒の死を伝えると、神官は涙を流しながら紋章を受け取った。紋章の裏にはエクソシストの名前が彫り込まれる事になるのだが、その前に死んでしまった彼女の名前は遺留品を見てもわからなかった。  そしてルフュラという人物もわからなかった。神官は聞いたこともない名前だが、住人名簿と教会へ、そのような人物がいないか探すと言ってくれたので、彼女の遺品は全て預けた。  泊まっていけばいいという神官の言葉に甘えて一泊したあと、二人はロンドネル領主家へと向かった。  領主家を訪ねて、遺言を伝えに来たというと最初は怪しんでいた門番は一応取り次ぎをしたらしい。何時間も待たされたあと、家令に導かれて扉をくぐった。  家令は靴の泥をすりつける小汚い客人に嫌な視線を送っていたし、使用人の通路をわざわざ通って客間ではなく洗濯場に通された。そこで靴の泥を落とされやっと室内に入れて貰った二人は、客間らしき場所に連れられた。ソファーには汚れてもいい布がきっちりとかぶせてあり、絨毯も汚い物に変えられているのだろう。所々ほつれていた。  靴の泥を落としている間――というよりも門番に取り次ぎを尋ねて待たされた間――に整えたのだろう。しっかりした使用人達のやりようを領主が認めているならば、かなり嫌なやつだ。  が、常識的に考えればアポイントも無しに汚い二人組が訪ねて来たら取り次ぎもしないだろう。エクソシストになるはずだった者の遺言だというから捨て置けなかったのだろうか。  それからさらに数時間待たされ、モリトとハルは昼寝にも飽きた。二人で声をそろえながら歌っているときに領主は唐突に現れた。  左右に揺れながら元気よく歌を歌っている子供とその保護者、というにはいささか若い二人連れに一瞬ぽけっとしたものの、領主は素早く用件を聞きにかかった。  ロンドネル領主は灰色を基調としたズボンとシャツの上に、上着を一枚羽織っていた。上等な仕立てで手の込んだ刺繍が袖口に成されている。歳は老年、髪の色は金色に白い物が混じっていた。 「遺言と言ったね。どなたからだろう」 「おそらく身分は高くないでしょう。名前はわかりません。ロンドネル領主へ伝えてほしいとのことでした。”五年の月日を放浪し、各地を巡り巡って悪魔と戦ってきましたが、共に旅立った七人の友は死にました。私が最後の一人です。ご領主様お元気で。お腹を壊さぬように、言いつけを守って薬湯を毎日飲んでくださいね”――以上です。彼女に心当たりは?」  ソファーに座り込み、両手で目を覆っていた領主はしばらく動かなかった。静かに悲しんでいるようだったが、震えた息を吐いて顔を上げた領主の目に、涙はなかった。 「ありがとう。彼女は私が支援していた教会の孤児のようだ。彼女の持ち物は教会に?」 「預けました。それで、ルフュラと言う人を探して貰っています。お知り合いですか」 「……彼には別の遺言があるのかね?」 「ええ」  ハルは何も言わなかったし、領主がきつい口調で問い詰めでもすればすぐに飛び出しただろう。さっしたのか、彼は口を引き結ぶ二人に苦笑を返した。 「最期によい友人に出会えたようだ。ルフュラに遺言があるという話が伝われば、君達を訪ねてくる人物がいるだろう。くれぐれも、粗相のないようお願いするよ」 「領主様はルフュラが誰か知ってるの? だったらボク、お手紙を書いてもいいよ」  モリトを優しく見つめた領主は首を振った。 「その遺言は人目に付かない方がいい。だが、できれば相手がやってくるまでロンドネルで滞在してほしいが、強制ではない」  二人はその後、忙しそうに目配せをする家令の視線に焼かれないうちに暇を告げて退散した。今度は大回りせず、しかし最短距離で突き進んで追い出されると、本日の宿探しに放浪した。  そこそこの安さで鍵付きの部屋を頼み、洗い物を済ませて街へ繰り出した。時刻は昼をすぎ、屋台で金を出してポテトを包んだクレープや肉を裂いて挟み込んだパンを食べる。見た目の悪くなったフルーツを搾ったジュースを買ってビタミンを補給していると、 「あなたがルフュラを探してる人?」  花籠を抱えた少女がいる。ふんわりとした灰色のエプロンをして、くるぶしまである厚手のワンピースは襟が詰まっている。一般的な淑女――平民の着る平服だ。  少女は意味深に微笑み、ジュースをすすっていた二人を交互に見て手招きした。危うい色気を醸し出した少女に誘われながら裏路地を突き進むと、妖しげな者達が増えてくる。  大通りを歩く人間とは違い、薄暗い場所を好んで住み着くあくどい者達の住処なのだから、仕方ないと言えばそうなのだが、気持ちのいい物では無い。特にモリトは嫌がっているようで、ハルの腰辺りの服を掴んで半歩後ろに下がってしまった。 「ハル、ここやだ」 「あら、ボクちゃんには早かったかしら?」  挑発するように少女は言うが、ピッタリ口をつぐんだままモリトは何も言わない。何か言いたそうな視線を投げかけるだけで、少女は苛立ち混じりに立ち止まった。行き止まりである。 「まぁいいわ。……ルフュラの遺言のだけど、私から伝えるわ。教えてくださる?」 「名乗らない相手の事なんて信用しないわ。まぁ、名乗ったとしても本人に直接伝えるよう言われてるから絶対に言わないけど」 「そう。なら話は早いわ、とぉっても、早いわ。――死になさい!」  醜悪に顔を歪めて少女は叫ぶ。  ぞろり、と道や屋根から頭を出した大小様々な者達が現れた。死人のように無表情で、生者のように目だけを獣のように輝かせ、脳みそが入っていないかのように、うめき声を上げている。人種は様々。獣人、亜人が入り乱れ、その誰もが腰の獲物を抜き放った。 「やっぱり罠だった」  そうと知っても情報すらないため飛び込まなければならないのが忌々しい。  上も横も後ろも囲まれて、一斉に飛び掛かってくる敵に躊躇せず、ハルはモリトの腰を抱え少女の首めがけ、鉄剣を振るった。後退した少女は避けるが、浅く皮膚が裂け、にじみ出る血は黒かった。  人型の悪魔は存在する。その多くは見目麗しく人に紛れて生活し、手下を増やす。彼らが生きていれば眷属と呼ばれ、死んでいればリビングデッド。  人間も獣人も木々さえ仲間に引き込む、最も狡猾な悪魔と言える。頭も悪くないが、自己顕示欲とナルシストが多い。  少女は見かけを使って眷属を増やしたのだろうか。全体を見ても男ばかりだ。娼婦だろうか、と、どうでもいい事を考えてやめる。今大切なのは手下の心臓が動いていることと彼らが眷属であるかどうか。そして眷属ならば脳みそが入っているかどうか確かめる必要がある。  眷属には自分で考える事が出来る者と命令しか聞けない者がいる。少女が傷付けられても無反応なところを見れば、今回は後者だろう。これは悪魔を殺しても、死ぬまで追いかけてくる。生きたリビングデッド。既に精神は死に、彼らに撤退の二文字は無い。 「ボクも戦う!」 「ちょっと! ……ああもう、モリトは後ろお願い」  小さな手が暴れ腕を抜け出す。  しかたなくハルは見かけ少女な悪魔を追撃することにした。ちょうど上から振ってきた悪魔は「えいっ」と腕を伸ばしたモリトに両足をつかまれ、そのまま棍棒のように振り回された。  ハルは勢いを殺さないまま、壁際を背にして勝手に追い詰められた馬鹿な悪魔に集中する。  体が小さく頭のいい悪魔の特徴は、腕力が弱い事も上げられる。素早さはほどほどで、ハルが鉄剣を振るうたびに服が千切れ血が噴き出す。  小さな切り傷だらけになり、どす黒い血で染まったエプロンは最早廃棄処分だろう。 「お前ッ! 殺せ、全員でかかれ!!」  憎しみを込めて悪魔が叫べば、そこかしこから残りの手下が集まってくる。それをいなし、追撃をかわしながら数を減らしていく。  蜘蛛を叩き潰すように手下共をなぎ払う。数は四十を超えるだろうか。甘味に惹かれた蟻のように、ぞろぞろときりがない。 「っまったく、お前達のろまはたった二人に何をやっているの!? 旅人が二人だけでしょう!」 「本当にそう思うなら節穴ね。何匹集めようとも虫は虫。潰すのなんて造作もないわ」 「小娘が! 短命種風情がこの私の手を患わせるなんて! お前達こそ虫のようにうじゃうじゃときりがないのよ!!」 「同じ事思ってたのよ」  前方にいるのは三人。上空から落ちて来る者はいない。弓を使わないところを見ると、戦闘慣れしていない印象を受けた。  ハルはそのまま右側の男を袈裟懸けに、中央の男の胴体を二つに切り、左の男の首を飛ばした。その間、振り上げて切り返したのは二度。  ほんの瞬き数回の間に壁を失った悪魔は酷く動揺した。ハルを通り越した背後には頼りにならなそうな少年が、しかし大人数相手に足止めをしていることだろう。 「逃げるのは無しよ」 「イヤアアア!!」  たった二歩で数メートル跳躍し、少女の太ももに鉄剣を突き立てたハルは無表情に続ける。 「目的は何? ルフュラの居場所を知っているの?」 「ぐ、くぁっ! だ、誰がお前なんかに教えるものかっ」  ルフュラの居場所を知らないとわかり、少女は痛みに耐えながらハルを睨み上げる。黒い血を流していなければただの女の子にしか見えないが、鉄剣の突き刺さった部分は変色し、紫色の肌が見えている。肌の色を何らかの方法で変えているのだろうか。だとしたら、見たままの姿ではないだろう。 「ルフュラの居場所を教えて」  更に深く鉄剣が突き刺さる。ほんの少し動かせば足は綺麗にそげるだろう。  モリトは最初の棍棒を破損させながら、辺りに犠牲者を増やし、撲殺死体を量産していった。助けは来ない。 「知らないわよ。知っててもお前になんて教えるものか!」 「じゃあ、誰から私達のことを聞いたの?」 「たとえどんな拷問をされようとも、絶対に吐かないわ!」 「命乞いをしないのね」  少し意外に思いながら、鉄剣を引き抜く。 「え、あっ。……見逃してくれるの?」 「まさか」  噴き出す血を浴びないよう体をずらしながら少女の首を撥ね飛ばした。  くるくると回った頭は髪を振り乱しながら壁に跳ね返り、遠くへ飛んでいった。ぱっと見たところ、前世で見たゴブリンにそっくりな顔をしていた。 「人のこと言えないけど、凄いわね」 「ハル、終わったよ」 「そう……情報は持ってなかったみたい」 「いいんだ。……ルフュラの事は、探しに行った方がいいと思う。ここにいたらたぶん、何も来ない」 「それってカン?」 「うん」  そうこうしている間に、表で騒ぎの音が聞こえたのか、切り飛ばした悪魔の頭が飛んでいったのかは知らないが衛士隊が飛んできた。辺りは墨で塗ったような真っ黒で、すぐに原因がわかった彼らはしかし、戸惑うように立ち止まる。  何食わぬ顔で「悪魔に襲われました」と真っ黒になったモリトの首根っこを掴んで横を通り過ぎたら捕まった。  詰め所の事情聴取部屋で二人は別々にされる。ハルは厳つい親父に事情を求められ、モリトは綺麗なお姉さんと一緒に行水に向かった。ハルは一滴も返り血を浴びなかったので綺麗だから、と言うのが理由だった。  綺麗なお姉さんと行水に行きたかったわけではないが、納得できない思いは言葉となって溢れた。 「……解せぬ」 「そりゃ悪魔に心当たりがねぇって話か? それとも俺の顔面の話か」  厳つい親父風の衛士は、もしかしたら傷付きやすいのかもしれない。前者だと誤魔化しつつ姿勢を正したが相手は半眼で睨んでくる。全体的に大きいので、いるだけで気温の上昇を感じた。 「ああいう悪魔は頭が良い。俺達だって見分けが付かないくらいだが、どうしてわかった?」 「襲いかかってきたので切りつけたら血が黒かったので」 「――。……そうか。で、本当に襲われた心当たりはないのか? あるんだったら残りがいないか調べんといかん。なんでもいい」 「……なら、領主家に行って襲われたと伝えれば、何か教えてくれるかもしれません。わたしは巻き込まれただけで、詳しい事情は知りません」 「何に巻き込まれた」 「遺言です」  ロンドネルに来る途中で悪魔に襲われたこと。その時死んだ人間から遺言を預かったことを伝えると、衛士は難しい顔をして口をつぐんだ。ルフュラの事は伝えなかった。これ以上広がると、更なる面倒事の種がやってくる気配がする。  見つめるハルの視線を奇妙なものを見る目で見ながら、彼はふと口を開く。 「あんたの獲物、鉄剣だったな。名前はハルってぇともしかして、皆殺しの鉄剣か?」  そんなあだ名は聞いたことがないので首を振った。さらに考えたような顔をした衛士が口を開こうとした時、隅々まで洗われぴかぴかになったモリトが帰ってきた。つやつやの頬をこすってやると両手を伸ばして膝によじ登ってくる。  洗った女性はやりきった顔をしながら、なぜか誇らしそうに敬礼すると去って行った。  これ以上話すことはないと言う事と、お腹がすいたとぐずりだしたモリトに食べ物を与えるために、納得できない面持ちの衛士を置いて詰所からの脱出を試みる。最後に殺した悪魔の処分を聞かれたが、全て衛士隊に贈呈した。三十を超えているので、けっこうな収入になるとの事だったが泊まるところも探さねばならない。  新しい宿を探しつつも出店を冷やかして甘いパンを租借し、久々に店に入って定食セットで腹を満たした後、手持ちが寂しくなってきたので銀行へ向かった。  あのとき課金屋で一枚でも掴んでおけばと後悔することになるが。