世界が変わり

 本名はカルフ・イスタールと言うらしい。  オンドロード領出身の未来ある若者だった青年は、顔がいいため銀行マンになった矢先にパイロン銀行中央支店に飛ばされた。栄転だったがその後、故郷は悪魔に侵略され土地の半分を乗っ取られたのだという。  歴史至上初めて悪魔に土地を強奪され、世界の嘲笑と恐怖を煽ったのは記憶に新しい。いや、悪魔が滅ぼした国など両手を越える。噂を耳にしたときは、とうとうこの大地に住み着く時が来たかと思ったものだ。  歴史至上初という不名誉のせいか、侵略を受けたとたん融資は軒並み打ち切られ、ほとんどの工場や支店が尻尾を巻いて逃げ出した。残っているのはデーモンハンター共が使いそうな武器屋の類や食品工場。  融資をお願いされた織物工場は周囲の住民の雇用をかろうじて守っている企業。出資者はオンドロード領主のみである。税収は土地の半分を失い、誹謗中傷と風評被害、街の破壊で著しく下がり、首が回らなくなっているとのこと。  今や領民の生活を維持しようとしているのはオンドロード領主と王家が出す騎士、ささやかな援助金だけである。  悪魔は自然災害と同じに分類されている。災害支援として給付が成されるのだそうだが圧倒的に足りていない。  悪魔を狩れば金になるのは狩った人間だけである。  悪魔と戦うために作られたハンターギルドは世界各地にある。そして所属する人間は治外法権。圧倒的に足りない人員を確保するために税金の多くは免除される。  そして、領内のギルド支部からもたらされる税金は、土地の使用料などで、たいした金額にはならない。領の支えになる事もないし、ハンターは無法者が多い。  当然治安は悪化し、悪魔に怯えて逃げ出した領民も多かった。商店街はシャッター街に変身を遂げている。 「領主の私兵は何をしてるんですか」  悪魔は強いが金塊の山に例えられる。毎日一匹狩れば大金持ちだ。そう言うとカルフ銀行マンは顔を引きつらせ「普通の人間は毎日悪魔を狩れるほど剛胆じゃない」と言う。 「最近では教会からエクソシストも派遣されましたが、犠牲者ばかりが出ているという話です」  オンドロード領の悪魔は増えすぎた。徒党を組む事になった悪魔は並のハンターでも太刀打ちできない。八方塞がり、とまではいかないがお粗末な展開を聞いて鼻の頭に皺が寄った。  指名という形で一ヶ月の出張期間をもぎ取ったカルフ銀行マンは、引き留める美女達を華やかな笑顔でかわして馬車の御者台に乗り込んだ。  三頭仕立ての馬車には、彼の荷物とついでとばかりに自費で買いあさった物資が積み上げられた。オンドロード領に向かう馬車は月に二回という少なさだ。実家へ持って行くのだという。  最早、最前線となったオンドロード領には、あらゆる支援物資は届くものの、壊れる物と出ていく物が多すぎて自治もままならないのだそうだ。王家も悪魔を追い返すために頭を壁に食い込ませるほど悩んでいるらしい。  申し訳なさそうな顔をする彼に手を振って、ハルはふてくされたように荷台に丸まった。 「他の領地の領主も、これ以上広がってはと思って兵を送ってくれてはいるんですが、年々減っています。今じゃ領地の境目に城壁ができる始末です。オンドロード領は見捨てられつつあります」  馬はぱかぱかと大人しく進む。この距離では行先もわかっていないのだろう。モリトは周囲を見回すのに飽きて、早くもあやとりを始めてしまった。  かまってやりながらハルは周囲を見回す。薄暗い顔をした人間が進行方向とは別に向かって歩いている。オンドロード領の難民だろうか。持てるだけの荷物も含め、全てが汚れている。  夕焼けが世界を焼く頃、馬車は街道を外れて止まった。野営の準備が始まる。いつもは狩りの獲物を丸焼きか、乾肉か乾燥パンを囓るくらいのハルは、カルフ銀行マンの手際を見つめるだけだ。  石を拾い積み上げ、土をかぶせて穴をふさぎ、薪を拾って火種をつけて燃え上がる火の上に鍋を置いた。  水を汲んで流し込み芋と乾肉を入れ、調味料で味を調える。かき回して芋に火が通ればそれで完成だった。  差し出された椀の中身をしげしげと眺めながらすすった。味は薄い。ハルの好みだ。出来る男は営業だけじゃなくて料理もキャンプも得意らしい。 「口に合えばいいんですが」 「とてもおいしいです」  女として全てが負けている気がするが、ふと自分は二足歩行の短命種ではなく獣だったことを思い出す。そして、迎える夫は永劫無く、たった一匹の生き残りであることも。  惨めさは無いが、ただ空虚な思いがあった。それを寂しさというならそうだが、そうとも思えない。自分が何処に立っているのか、わからない。そんな迷子に似た気持ちが近いだろう。 「今日は早めに寝て日の出と共に出ましょう。順調にいけば明日の昼には着きます」  馬車は小さめだが内二人は子供と呼べる年齢だ。並んで眠るには支障はない。  朝食用にサンドイッチを作って眠ったカルフ銀行マンは、御者をしていた疲れもあってすぐに寝付いた。  ハルはフカフカの毛布から顔を出して周囲を見回す。  目が覚めたのは夜のひんやりとした香りが辺りに充満しているからではなく、かすかな足音と気配のせいだ。横に眠っていたモリトの頭の下から腕を引き抜き、そっと窓から片目を出す。  月明かりを遮る影が三つ。足音からするに二足歩行。耳が頭にある者が一つ。角が付いているのが一つ。装備は斧と剣だった。靴を見ると堅く、膝まである。戦闘ブーツだろう。最後の一人は後ろに控えている。木々の影に守られて、体格はわからない。  手慣れた気配。日常的に道を通る者を襲って金と食料を稼いでいるたぐいの連中だった。  二人を起こさないよう鉄剣を引き抜き立ち上がった。夜の冷たさが服を突き抜けて肌をさした。 「なんだぁ? 餓鬼か」  荷台からするりと出てきたハルを見て、警戒した彼らは口元を歪めた。獲物に手をかけ、子供で女だとわかると深い笑みを浮かべる。 「こりゃ別嬪さんダ」 「うまくすりゃ、しばらく遊んで暮らせるぞ!」 「静かにして」  男達の下卑た笑みは見慣れた物である。他に襲撃者がいないか周囲を見回し。おもむろに角の着いた男の首を飛ばした。重力に逆らい天をめがけて噴き出した血しぶきが黒い影になって地面に落ちた。 「やろっ! がぁっ」  静かにしてって言ったのに、と面倒そうに呟いて体をひねると横の斧男の首を掴む。首は太く、ハルの指は回りきらない。しかし指先に力を入れると筋肉が盛り上がるような弾力の後、小枝のように折れ曲がった。最後の一人が逃げようと背を向けた瞬間、投げ放たれた鉄剣が、頬をかすめた。  十二歳だろうか。それくらいにしか見えない少女が大の男を一撃で殺す様は異様の一言だっただろう。無意識に命乞いをしていた男は、突き刺さった鉄剣が唇を割ったことで黙った。 「静かにしてって、言ってるの」  従順に口を閉じたままの男に尋問が始まった。 「ルールは簡単。わたしの問いに答えること。大きな声を上げないこと。わたしの仲間が起きるようなら殺すこと。わかった? ……そう、じゃあ一つ目。襲撃はあなた達だけ? 仲間はいない?」  ゆっくりと剣先を引けば、男は唾を飲み込みまくし立て始めた。 「い、いない。今日は俺達だけ出来たんだ! ほ、本当だ!」 「地声が大きいの? 今のはノーカウントにするけど、次はないわ」  浅く頬を切りつけると、男は縮み上がった。獣相は無いが、何かの獣人だろう。皮膚が人よりも厚く硬かった。 「さっき今日はっていったけど、いつもはもっといる? あんたを入れて何人?」 「じゅ、十五人」 「山賊ね?」 「ひ」 「アジトはどこ。つれて行きなさい。そうしたら、あなたは殺さないであげる」 「ほ、本当かっ」 「嘘はつかないわ」 「わ、わかった! あ、案内する、案内する!!」  静かに叫んだ男に仲間の死体を拾わせて担がせる。背中に剣をつけて歩かせると、血の臭いが鼻についた。しかし風上に立つ訳にもいかない。  つくづく面倒だ。投げ出してしまいたいし、眠ってしまいたい。  飛ばした頭は森の茂みに捨てた。仲間の死体を運びながら歩く山賊は脂汗をしたたらせ、呼吸もまともにしていないようだ。まるで、息をするのが煩いとハルに殺されると信じているかのように。  山賊の根城はかなり深い場所にあった。木と葉で隠され、巧妙に隠蔽された洞窟がある。夜のせいか中から小さな光が漏れ出ていた。煙がうっすらと上がっているところを見ると、あまり深くはないらしい。 「ここでいい。次に会ったら殺すから、もう二度と現れないで」 「ひいい!!」  死体が二つ落ちる音と、けたたましい足音に中の住人は異変を感じたようだった。ぞろぞろ出てくるのは亜人が多い。全部男だ。誰もが不潔で汚れているし垢じみた格好をしている。 「なんだぁ?」  侵入者を見つけた面々は足下の死体に形相を変えた。ただの迷子では無く狩人だと気づいたからだ。 「帰るときに合うと面倒だから」  掲げた鉄剣に月の光が反射し、獣は宣言する。 「ここで、全部殺す」  言葉は魂に絡みつく鎖のように心臓を縛った。  神に作られた神木と獣は、神の規律の中で生きている。約束は宣言であり誓いだ。言葉に出し心に約束した以上、違えることは許されない。  剣は静かに振り下ろされた。 「もう朝ですよ」  体を揺する衝撃に目を開けた。 「顔を洗いますか?」 「ありがとうございます」  差し出された濡れたタオルを借りて、ハルは目を瞬いた。柔らかい布で顔を拭きながらモリトを揺すると眠そうに寝返りを打つ。 「起きて、モリト。朝だよ」 「ねむいよー」 「朝ご飯いらないの?」 「いる!」  のんきな顔に呆れて言えば、ぱっと毛布を撥ね除けた。モリトにたたみ直したタオルを渡して使った毛布を丸める。もそもそ顔を拭いていたモリトは、終わると水桶に浸して丁寧に絞った。水はあとで馬が飲むだろう。 「そう言えば、昨日の夜どこに行ってたの」 「狩り」  ふーんと言ったモリトは続ける。 「おいしいのあった?」 「あれは食べられないわ」  たとえ綺麗に洗ってもハルの食欲はそそられないだろう。今や鳥の餌になっているであろう死体を思い浮かべて首を振ると、カルフ銀行マンの呼ぶ声に立ち上がった。  空の半分が濃い紫色に侵食されている。  まるで夜と朝が共存しているかのような風景は、不気味の一言に尽きた。  ハンターでさえ逃げ帰りたくなる悪魔の領地となりつつある場所へ降り立ったのは昼頃。 「とまれー。って、イスタールの坊主か! こりゃ珍しいなぁ」 「お久しぶりです叔父さん。今日は融資の件で、見学のお客様が同乗しています」 「そうか! そりゃいい事だ。入りんしゃい、だが、出るときはちぃと厳しい」 「何かあったのですか?」 「ん、おお……。悪さ起こして逃げ出す奴がいるんだ。この間も街の女が襲われたし、泥棒目的の売女が多い。だいたいはここは通らねぇけどな。お客様に護衛はいるか? いないならまっすぐご領収様の所へ向かえよ。街の中も物騒になっちまった」  気のいい親父は眉をハの字にして情けなさそうに笑った。痛ましそうな、やるせないような顔をしたカルフ銀行マンは馬を走らせる。 「先にご実家に行ってください」 「しかし……」 「でも、渡す荷物は一つの方がいいでしょう。後は小分ですね」  布を避けて外を眺める。  ならず者達が地面に座り込みいやらしい視線で女達の腰を抱いていた。  珍しい馬車の到着は人目を集めている。しかし御者の優男を見ると舌打ちする者が多かった。胸につけた銀行員のバッチが彼を国の下僕として手厚く保護しているのだろう。  ハンターギルドと銀行は提供を結んでおり、銀行員に手を出したハンターを指名手配にして首を飛ばしに来るくらいには仲がいい。  宿屋は荒くれ者共でいっぱいだったし、人々は下を向いて歩いている。へたに目が合うと絡まれるし何処へ連れて行かれるかわからないからだ。昼間だというのに女性の一人歩きはまずいない。 「ここです」 「味があるお宅ね」 「ぼろぼろしてるよ?」 「……モリト」 「古いでしょう、お世辞はお気持ちだけでけっこうですよ」  ははは、と苦笑した彼は、今にも朽ちそうな屋根を見つめて懐かしそうにした。乾いた砂に削られた壁も、少し曲がった扉も古く、お世辞にも綺麗と言いがたい。 「でも、丁寧に管理されてるのがわかります」 「貧乏性なもので……。では行ってきます。――母さん、帰ったよ!」  がらりと口調が変わった。緊張と少しの甘えに似た柔らかな声に、中にいた住人は飛び上がって起きたようだ。そっと荷台の中から伺っていると、恰幅の良い女性が出てくる。その脇からは狭い部分を埋めるように顔を出す小さな女の子がいた。彼の妹だろうか。  彼らは戸口で挨拶と抱擁を交わしあい、ハルは隙を狙って近づいてくる泥棒を牽制する。目が合った泥棒共は舌打ちして離れていった。 「あんた、帰ってくるなら手紙くらい出しとくれ!」 「悪かったって! でも、仕事で来たんだ。ご厚意で先によらせて貰っただけで、すぐに領主様の所へ行かないと……」 「てぇと……お客様待たせてるのかい?」 「兄ちゃん、それまずいんじゃ……」 「そうなんだ。だからまた後で来る」 「お客様はほっといていいの?」 「ええと……言いずらいけど、銀行を辞めようと思ってる。それで、こっちに帰ってくることにしたんだ。もちろんこの土地で用事が終わったらだけどね」 「何言ってるの!」  声が鋭く尖った。 「あんた、まさかこっちで衛士にでもなるってのかい!? お前以外は皆そうさ、衛士になって領地を守らなきゃって出てっちまうっ」 「ごめん母さん、でも決めたことなんだ。これはお土産!」 「お待ちよっ!」 「さっさと中に入って、鍵を閉めて。ほら! もう行かなきゃだから」  話しを強引に打ち切ると鍵を閉めさせる。カルフ銀行マンは「お待たせしました」と微笑みながら御者台に乗って馬を走らせ始めた。  後ろから覗くとカーテンが閉められた影からひょっこり覗く四つの目。それが二人を見つめ慌てる。モリトが手を振ると、少女が遠慮がちに手を振り返した。その目に涙が浮いている。母親の表情は戸惑ったように硬い。 「よかったの? あんな事言って」 「それに、嘘ついた」  カルフ銀行マンは参ったな、と後ろ頭を掻いた。 「お二人には何でもわかるんですね。嘘を見分ける方法でも持っているんですか?」 「そうだよ! 光がね、歪むんだ」  モリトの言葉は本当だが、カルフ銀行マンは子供の戯れ言だと思い、優しく納得したふりをした。 「銀行を辞めないのに、辞めると嘘ついたわけは何なの?」 「ははは、内緒です……」  「そう」とだけ言って布を下ろす。  見送りは角を曲がるまで続いた。