こっちを見てほしいから

 体調が悪くなった。  再びの衰弱は、前回よりもハルの体力を奪った。原因がわからないため、根本から解決できないでいる。あれからベッドに押し込められ、動くことを禁じられていた。発熱も始まり、本格的に体を壊した彼女は、浅い眠りと覚醒を繰り返す。 「……ハル」  眠る少女の額に絞った布を起きながら、モリトは心配そうに呟いた。先ほどまで起きていた彼女は少しだけ深い眠りについているが、他人が近づくとすぐに目を覚ましてしまう。  そう言う状況では借りている部屋も救護室も出入りが激しく、ハルを寝かせておくには適さない場所だった。  どこか、人の来ない場所でハルを休ませなければならない。  森に連れて行くべきだとモリトは考える。  動植物に囲まれた奥深い場所なら短命種は滅多にいない。雨風防げる場所を探し、体調が戻るまで、ゆっくり眠らせるのだ。  もしくは―― 「どこへ行くんですか」  しかし、今のモリト達には監視が付いている。リンガルは書き物をしていた手を止めてベッドから顔を上げた。  折れた肋骨は未だにくっついていないらしく、運動を禁じられている。彼は日中モリト達の監視役を務め、日が傾けばディラーに変わる。なぜなら教会に情報をもたらした二人は、重要参考人として逃がさないよう通達されているからだ。  それに、タイラードの様子がおかしいらしい。  彼は叔父に事のあらましを知られてしまい、決闘は無効となった。知らない間に掛け金にされていた当主と叔父からきつい仕置きを受けているらしく、謹慎処分を言い渡された。  今までの悪行を心から反省し、二度と愚かなまねをしないと反省文を書かされているのだが、どうやら恨みはハルとモリトに向いたらしい。  矛先が向いた原因は、ハルが挑発したからという、どうでもいい事からだった。むざむざと乗っかったタイラードのせいなのだが、不思議な思考回路の彼は、全部ハルが悪いと考えた。全く迷惑な話である。  現在ハルは体調を崩し、見かけはただの少女なため、心配したリンガルと死んで貰っては困るディラーが交代で様子を見ることにしたのだという。 「外に行きたい」 「一人じゃダメです。ボクかディラー先生と一緒じゃないと」 「儂は牢屋の看守じゃないんだがのぉ……」  ふてくされて背中を丸めていたヘイシスの声は黙殺された。 「ハルを休める場所につれていきたいから、邪魔しないで!」 「でも危険があるかもしれません」 「……モリト。どうしたの?」  二人は声に気付いて目を開けたハルを見つめて辛そうな顔をした。 「眠らなきゃ駄目だよ」 「眠ってるわ……」  苦しい言い訳だ。ハルは観念してベッドから出ると上着を羽織った。 「レイディミラーに原因を聞きに行こうと思う。一回帰ろう……」  そこまで持つかもわからないのに、ハルは立ち上がる。様子はすこぶる悪い。発熱で赤くなった頬に、吐く息は荒く足下はおぼつかない。故郷まで持つかもわからない状態で旅をすることに、やはりダメだとモリトは首を振る。 「なら、神木のところに行こうよ! ずっと近いよ」 「神木へ!? 無理ですよ、あそこは教皇しか入れないし……なんで?」  おろおろするリンガルを置いて、モリトはハルを引っ張った。乱暴に開けたドアが跳ね返り、ちょうど追ってきたリンガルの顔面に当たった。  痛々しい音に振り返る事なく二人は走り出す。 「モリト! 足が、もつれる」 「早く行こう!」  すれ違った何人かが何事かと振り返る。  二人は階段を上り、頂上へ登り始めた。途中、白い階段を上っている巡礼や掃除の者達を追い越して、門にたどり着く。  第二施設へ入るためには許可証がいる。そこには旅人は入れないし、出入り出来るのはエクソシスト見習いや神職関係者だけだ。  門番は当然止めに入り、モリトはじれた。 「わかったなら、帰ろう? レイディミラーの所で休めばきっと治るわ」 「でもっ」 「――お前達、何をしている」  にやにやと、陰湿な笑みを貼り付けながら階段を下りてきたのはタイラードだ。後ろにダラスカとニシーラを連れている。  素早く踵を返そうとした二人を呼び止め、タイラードは鼻をならす。 「卑しい貧民が、やはり神官達の目を欺いて侵入を果たそうという心づもりだったんだな!」  何を言っているのやら。門番すら首をかしげているが、三馬鹿は格好の餌を得た、と言うように胸をはった。 「謹慎中なのに外を歩いていいんですか」 「こうなったのも全部お前達が悪いんだ! 僕は悪くないのだから閉じ込められるいわれは無い!!」 「そうですともタイラード様!」 「ここでこいつらを捕まえれば、ディミロ様もわかってくださいます」  何をだろう。  胸中で苛立ちを押し込め、ハルは傷む米神を押さえた。頭がふらふらして物事をうまく考えられなくなっている。  赤い顔のまま三人を見つめていると、一人がハルに手を延ばす。無意識に鉄剣を抜き、腕を切り落とそうとするが指先は空を切るばかり。 (そうだ、救護室においてきたんだった……)  ぼう、とした頭は使い物にならない。  ハルは苛立ち混じりに吐息を吐き、手の甲で、相手の肘を打った。 「このっ!」  打ったのはダラスカとニシーラのどちらかだ。ぼんやりした頭はすでに区別も付かず、赤くなった腕を押さえる子供を見つめる。  いきり立った二人を転がせば、階段をごろごろ転がり落ちる。誰かの悲鳴が聞こえ、門番の静止が響く。ふと顔を上げた頭上に、影が迫っていた。鈍色の輝きは切っ先が鋭く、触れれば皮膚を切るだろう。  首をかしげるように噛みつけば、唇が少し裂けた。押し込む力は強くなく、動揺が刀身から伝わってくる。歯に力を込めて見上げれば怯えたタイラードがむちゃくちゃに力を込めた。しかし、ハルの頭は動かない。  みしり、と硬質な音を立てて皹が入る。顎に込めた渾身の力が刀身を割った。  噛み砕かれた剣を見て、タイラードは腰を抜かしたようだ。ゆっくりと迫る手を震えながら見るしかできない。  そのまま首を掴んだハルは、自分より背が高い少年を持ち上げた。  空に掲げるかのように。 「ハル! やめて、殺しちゃ駄目だ!」 「でも、刃を向けてきた」  もがくタイラードの首に細い指が食い込んだ。 「きっと敵だわ。殺さないと、殺されてしまう」 「殺すつもりなんてなかったはずだよ!」 「じゃあどうして剣を向けてきたの?」  周囲が慌ただしくなりだした。階段から落ちてきた二人を発見した者が、人を呼ぶために声を上げている。ふと、腰に巻き付くモリトの腕がハルの背中に回った。 「ごめんね、ハル。ボクが馬鹿だったんだ、神木に会いに行くのはやめるから、そんな事しないで。はやく帰って手当をしよう! 破片を吐き出して……!!」  見上げる緑の瞳が泣いている。緩んだ指からもぎ取るように、門番がタイラードを救い出した。今や彼の顔色はどす黒く、四肢から力は抜けている。 「モリト、泣かないで……」  剣の欠片を吐き出しながら、ハルは膝を折った。  口元を血で染めたハル。贄のように横たわるタイラードを見つけた野次馬の一人がつぶやいた。 ――あれは、悪魔じゃないのか。  ハルはそちらに視線をやった。怯えた眼差しの持ち主が息を詰める。 「これは何事です!!」  上層から降りてきた女性神官が、現場を見つめ青ざめている。白い服が目に眩しく、ハルは目を細める。世界が歪み始めた。目眩を感じ、きつく目を閉じると眼孔の奥がしびれるように傷む。 「……門番、何があったか報告を!」 「この二人が上に行くのを止めていると、タイラード様とお連れの方達が現れ、彼女達に暴行を働きました。結果、お連れの方達はあのように。タイラード様は剣を抜き、襲いかかりました。少女は剣を噛み砕き、タイラード様の首を絞めたのです」  息をし始めたタイラードを診察した治療神官は、首元を確認し、顔を上げる。 「ふむ、命に別状はありません。何もしなくても目を覚ますでしょう」 「死んでいたら一大事です。……さて、君達も治療をしましょう」 「ハル、口を開けて」  目を開けられず、大勢の人の気配に過敏になったハルをなだめるように、モリトはそっと顎に手を添える。  口の中を覗いた治療神官は、顔を顰めて言う。 「ずいぶん犬歯が発達してる。いや、これは乳歯か。……お嬢さん、これから指を突っ込んで破片をとるが、口を閉じないでおくれ。指が真っ二つになる。坊主も頼むよ……ほら、とれた」  破片を飲み込んでいないか確認すると、治療神官は布を噛ませて止血した。 「ハル! モリト! ……いったいどう言う事だ」 「おじさん!」  階下の様子を見に来たディラーは一瞬変な顔をしたが、二人の様子を見て青ざめた。片方は泣き痕が痛々しく、もう片方は口から血を流しながら両目を押さえている。 「リリカ様、彼女は元々具合が悪いのです。すぐに寝かせなくては」 「……この間の決闘騒ぎの子ですか? まったく、ディミロ高位神官もやっかいな甥を持ったものですね。二人は上で預かることにしましょう」 「よろしいのですか?」 「いいも悪いも、放っておけないでしょう? 隔離部屋を作り、そこで寝かせます。タイラードは別室に監禁します。誰か、手を貸しなさい!」 「ハル、じっとしていなさい」  足音に反応した姿は牙を剥く獣のようだ。傍目から見てもハルの様子はおかしい。ディラーは足の裏に手を通し、抱え上げる。 「どうした、しっかりしろ。目が痛いのか? 開けてみなさい……っ!!」  瞼に指が触れた瞬間火花が散る。獣のような悲鳴を上げ、ハルは両手で目を押さえた。  しびれにも似た痛みは激痛へと変化した。目の奥で何かが荒れ狂い眼球を破ろうと暴れ始める。  モリトが青ざめて叫んだ。 「ハルに触らないで!」 「すまない、悪かった、悪かったからっ」  もがくように暴れ始めたハルを懸命に押さえ込む。ディラーを振り返ったリリカは、 「ディラー、何をしたのです!」 「すみません、瞼に触れたとたん痛がりだしてっ! 暴れてはだめだ!」 「神木の所につれて行って!」  ディラーの足に噛みつきながらの言葉は、神官達の動きを止めた。 「……坊や、神木は神が作り出した聖なる木ですが、癒やしの力はないのですよ」 「そんなの知ってる!」  玉のような涙をこぼすモリトに戸惑った視線を向けるばかりで、神官達は立ち止まっている。苛立ちが頂点に達したモリトが実力行使でハルを取り返そうと手を伸ばしたとき、 「神木の元へ行けばどうにかなるのですか?」 「そうだよ!」 「焦らずお聞きなさい。どうにか猊下に話をつけます」  一人が不安そうに彼女を見る。 「リリカ様、しかし神木は……」 「大丈夫です」  リリカは膝を折って十時を切った。 「オンドロード領を救った英雄にお成りなさい。ずっとではありません、一時で良いのです。皆さんもそのつもりで。いいですね?」  彼女は本人が目の前にいるとは思っていない。つまり、嘘をつけと言っているのだ。  袖でゴシゴシ涙をぬぐったモリトは、リリカを見上げた。 ★★★  静謐な空気が流れている。  白を基調とした壁紙を覆うように赤い木を削りだして作った本棚が、所狭しと壁際に並んでいた。敷かれた絨毯は厚く、刺繍は落ち着いた色合いで縫い込まれている。  ヘリガバーム教団教皇ダルド・パトリオティズムは長い嘆息の後、肩を回した。 「お茶が入りました」  側仕えが差し出した紅茶に口をつければ湯気が顔にあたる。何とはなしに見つめていると、酷く目頭が疲れた。  毎日書類に埋もれそうになりながら世界中にある教団からの嘆願を読み、問題を解決しなければならない。悪魔の被害は年々増し、人々は恐怖を紛らわすために教会の門を叩き、エクソシストになるために神官になる。  爆発的に人数が増え、そして制御が効かなくなっていく。代々の教皇はそれに悩み、権力が高まる事に恐怖しながらも実を浸していった。  ダルドも、ときどき自分が何をしているのかわからなくなっていた。  人々の安寧を守るために軍隊を作っているのか、悪魔を滅ぼすために兵士を育成しているのか。それとも不安な心につけ込んで、糧を得るために布教をしているのか、私腹を肥やし、贅沢がしたいがために神官を作っているのか。  教団は大きくなりすぎていると、ダルドは感じている。戦わない貴族から出るエクソシストの、なんと多いことだろう。そして、真に戦いに赴くエクソシスト達は平民や下級貴族という有様だ。  エクソシストの称号を金で買うのを禁止すべきだ。しかし、それには多くの反対がでるだろう。  そもそも金で買えるようになったのは、小さかったヘリガバーム教団が寄付のかわりとして、苦肉の策で売ったのが始まりだ。悪しき習慣である。 (では、五年の巡礼をやめるのか)  教団が始まったのは、悪魔と対抗する手段を持つためだ。  しかし現在はどうだ。教団が現在建て続けている教会は安全な場所ばかりある。街の中心や、都市。地方の教会でも神木の恩恵がかろうじて届く場所ばかりに建てられる。  嘆願の多くは、神木の恩恵の外へエクソシストを派遣してほしいという物ばかりだ。戦えるエクソシストは少ない。  優秀なエクソシストを育てるためには優秀な教師が必要だ。見習達に経験を積ませるにしろ、結界の外まで悪魔を求めに旅をしなければならないだろう。膨大な旅費や人件費がかかる。そして、大貴族は息子達が赴くのを許さない。  常々体を巡る苛立ちは、いつもくすぶっている。  この体制を改善しなければ教団その物が害悪となる。解体してしまった方がいいと人々が言い始めるのは近い未来かもしれない。  と、部屋の外が騒がしい。目線で問いかければ側仕えが耳打ちする。 「猊下、中位神官リリカ様がお目通りを願っています」 「……ふむ、通しなさい」 「よろしいのですか?」 「私はいいと言った。二度言わせるな」  慌てて入出を促す側仕えを見ながら、確か、規律に厳しい女性神官だったはずだ、とダルドは思い出す。男ばかりが上に昇るため、滅多に女性の姿は見ない。たまには華やかなものを見たい。  よこしまな思いに内心苦笑すれば、長い栗毛の女性がかしこまって入出する。  膝を折った女性は許しを得ると率直に話し始めた。 「猊下、オンドロード領の英雄をお捜しでしたでしょうか」 「その通りだ。しかしロンドネルに入った後、行方が知れぬと聞いている。続報が?」 「連れて参りました」 「なんと!」  執務用の広いテーブルに手を突けば、リリカは冷や汗を掻いた。 「しかし、体調が優れない様子で、先に神木の元へ行きたいと申しております……」 「ヘリガバーム教団に御座す神木は、教皇のみお膝元へ行く事が許される。それほどまでに悪いのか」  項垂れるように頷く中位神官を見て、教皇は大きく息を吐いた。 「神木は治癒の能力を持たぬ。それを子供達は知っているのか」 「お気づきでしたか……」  震えながら顔を上げたリリカの頬は青ざめている。 「これでも耳は速い方だ。下で何があったか既に知っている。そなた以外にも、その手を使ってここへやってくる者はいるのだ」 「全てはわたくしが皆に促した事でございます」 「後で懺悔をしなさい。それで全て許される。しかしなぜ英雄の名を語った」 「二人とも、そっくり同じ名前の旅人です。親も亡い、小さな子供にございますがディミュクルの決闘の際、機転を利かせてエクソシスト見習いを助けました」 「なるほど。そして先ほどはディミロ・ディミュクルの甥が手を出し、それを撃退したと」  ディミロ高位神官は鼻持ちならない貴族だ。積極的に周囲に取り巻きを侍らせ権力を強化しようとしている。狙っているのは教皇の座だ。忌々しい人間を追い落とす理由を考えていたが不要になったようだ。 「なるほど、それほどの武勇ならば本物かもしれぬな。連れて参れ、神木自ら確認していただこう」 「! では!」 「勘違いするな、規律は秩序。守らねばならぬ。これはあくまでも確認のために連れて行くのだ。二人とも歩けるのか」 「一人は目が見えない状態です。わたくしが運んでも?」 「ならぬ。そこまでの慈悲はない。そなたは庭の入り口で待ちなさい。もう一人は私が運んでいこう。なに、大人を抱えたこともある、子供ならば軽いものだ」  側仕えに支度を促した教皇は、リリカに向かって告げる。 「いたずらに広めては成らぬぞ。英雄の名を騙れば会えると思われては敵わぬからな」 「もちろんにございます!」  側仕えの持ってきた上着に手を通し、教皇は外で待っているという病人を受け取りに行った。