掴んでくれる力は小さくて

「愚かとしか言いようがないわい……」  救護室で肋骨を折られたリンガルを手当てしながらヘイシスが吐き捨てた。怒り心頭の様子だが、手当てする手はてきぱき動いている。 「ハズメント兄弟のことを知っているんですか」 「有名な兄弟だよ。代々ディミュクル家に仕える一家で、過去最高の戦士って言われてる」 「悪魔狩りでも有名な兄弟じゃよ」 「紋章の悪魔とどちらが強いの?」 「さぁ……。どっちも見たことない人間にとっては同じくらいだろうて。おお、目が覚めたか」  リンガルはうめきながら頭を上げた。 「大丈夫か?」 「あれ、アーレイだ。じゃあここは夢の中か。死んじゃったのかなぁ……」 「そんなわけないだろ! リンガル……悪かった」 「何についての謝罪?」  目を擦ったリンガルは、体を起こそうとしてうめいた。折れた肋が痛いのだろう。 「俺、タイラードに目をつけられるのが怖かったんだ。お前があいつより頭が良くて、強くて人としてまともな部類で、劣ってるのは顔面くらいだって知ってたのに……見捨てるようなまねして」 「アーレイ、顔面は余計だよ……。で、僕はどうして生きてるのかな、タイラードは僕を殺すと思ったんだけど」 「あ、あぁ……。それが、俺、お前が突き飛ばされて階段から落ちたの見てただろう? そのことを言ったら仕切り直しになったんだ。一週間後、今度はハズメンド兄弟と再選になった。メンバーは俺とお前と、この子」 「ハルさん……どうして」  ハルが参戦すると聞いて、リンガルは顔色を変えた。 「わたしの言った余計な一言が悪かったんでしょう。責任を取ろうと思ったの」 「そんな……あれはその通りでした。だって、僕は意気地無しだったし、お花畑だ」 「相手がハズメンド兄弟って聞いてびっくりしないのか?」 「タイラードは最初、そいつらにやらせようとしてた。挑発して次の日にしたんだけど、けっきょくこうなったね。諦めも付くよ」  リンガルはリンガルで、頭を働かせて決闘をしたらしい。苦笑と諦観を浮かべ枕に深く頭を預けた彼は、それで? と問う。  正確な意味を理解したアーレイは口ごもりながら告げた。 「掛け金も変わって負けたらリンガルの命と、わたし達二人は奴隷になることに決まったわ」 「僕は、今まで僕ほど愚かで馬鹿な奴はいないって思ってた。でも違ったなんて……」 「そんな死んだような顔して言うなよ!」 「こっちは最初の要求と、お坊ちゃまの一族郎党の首を貰うことになったわ」  リンガルは限界まで目を見開いた。栗色の髪から一筋汗がこぼれ落ちる。はくはくと口を開けた彼は生唾を飲み込む。 「それは、本気?」 「タイラードは審判の前で誓ったの。教会の決闘に記述されるルールでは覆せない事になってる。そうでしょう?」 「大騒ぎになる! ……っそれが狙いですか」  ハルは頷いた。 「これから一週間、わたし達は人の目に常にさらされることになる。おいそれ近づけないと思うわ。証明はされなかったけど一度目に妨害工作があったのは、あの場にいた誰もが聞いてる。また変な事があれば、ディミュクル家は決闘制度を作った教会に楯突く連中だと思われる。うかつに手出し出来なくなったはずよ」 「その通り」  静かに空いたドアから、男が一人入って来た。飴色の長髪を後頭部にくくり、厳しい顔をしたエクソシスト。中肉中背で腰に差した無骨な剣が金具と当たって音を立てた。目立った獣相はない。人間だろうか。 「ディラー先生!」 「二人とも、よくもこんな大騒動を起こしてくれましたね」  叱咤の声に、リンガルとアーレイは歯を食いしばった。 「申し訳ありません。ですが譲れないものを僕も持っていることに気付いたんです」 「俺もだ先生。悪いと思ってるけど、あのままリンガルを見殺しになんて出来なかった!」 「上は今、この決闘のことで大騒ぎです」  ぴしゃりと言い放てば二人は黙る。 「アーレイ、君は妨害を見たら大騒ぎするべきだった。すぐにリンガルを救護室に行かせて、審判にタイラードのした事を言えば君の証言は目撃者の物となったはず。……リンガル、君もです。報告すべきだった」 「もみ消されると思ったんです……」 「……。俺も」 「……なるほど。今回の事は信用がなかった教職員の責任でもある。……こうなってしまった以上、とれる行動は一つ。二人とも決闘を取り消しなさい」 「なぜですか先生!!」  冷ややかな目で見つめたディラーは吐き捨てた。 「一度の勝負で人生を棒に振るのは馬鹿のすることだ。君達は負ければ片方は命を失い、片方は奴隷になる。馬鹿馬鹿しい! 共に悪魔を淘汰すべきエクソシストが、内輪で争うなど本末転倒です! この決闘で高められるものはありません」  少年二人は俯いたまま口を引き結んだ。悔しさを前面に押し出しながら、心の中で吟味している。  教師は二人の信頼を得ているのだろう。このまま行けば、教師の言うなりになる可能性もある。それもいいとは思うが、厳しい表情を見つめながら、しかしハルは水を差す。 「わたし達は負けないわ。それとも、こちらから取り消して貰いたい事情でもあるの?」  宣言するように言えば、ディラーは殺気混じりの目でハルを見下ろした。 「あなたがあの無茶苦茶な要求をしてくれたおかげで、事は叔父であるディミロ・ディミュクルの耳に入りました。このような不名誉な事を彼は許さないでしょう」 「不名誉?」 「決闘を受けることで、タイラードは自分がリンガルに不当な行いをしていたと認めているのよ」  要求は双方共に二つ。命と奴隷。約束と、命。約束の内容は、タイラードが今までリンガルにした仕打ちを認めるものだ。  貴族が平民を蔑ろにし、差別することは往往にしてある。が、リンガルは主席である。  優秀な平民を手下に加えることは貴族に度量があると認められるが、力ない貴族が優秀な平民を妬んでいることは、嘲笑を呼ぶ。ディミロ・ディミュクルは、そのことに耐えられる矜恃の低い貴族では無かったのだろう。 「そこのお嬢さんの言っているとおりです。……まったく、知らないでやっていたのですか、リンガル。あなたはもっと頭のいい子だと思っていましたよ」  やれやれと肩をすくめたディラーは嘆息した。 「二人はしばらく謹慎です。リンガルは救護室で療養なさい。アーレイは自室にて待機を命じます。ハルと言いましたね。あなたは私と共に来ていただきますよ」 「いやよ」 「気になることを聞きました。その事情聴取です」  神経質そうに目元を引きつらせたディラーは背を向けた。  綺麗に敷き詰められ、亀裂の見当たらない廊下は泥一つ無く光沢がある。  すれ違う者達がディラーの姿に膝を折って頭を下げる。教職にある者の中でも、ディラーは慕われているようだった。  途中途中で生徒達に呼び止められる。彼らは忙しいと断られると残念そうにするが、後ろにいるハルとモリトを見て首をかしげた。 「あなたのような容姿の者は珍しい。銀の髪に金に近い瞳ですね。どこの種です」 「知らないわ」 「そこの男の子もですか」 「ボク、モリトって言う名前だよ」  立ち止まったディラーは、しばしモリトを見つめると再び歩き出した。 「魔術の素養が高い子だ」  それはそうだろう。将来的には悪魔を追い出す結界を維持するくらい、凄い神木になるのだから。  皮肉な気配を感じたのかディラーはムッツリと黙り込んだ。  彼が二人を連れて行ったのは、教会の懺悔室だった。広く高い天井はどれほどの人間が働いたのだろう。彫刻が施され、神木が天上一体を覆い尽くしていた。  綺麗に並べられた木製の机と椅子を通り抜け、壇上に上がり、左右にあった扉の右側を開く。中へ入ると再び廊下が続き、所々迷路のようになった道を進んでいく。そうして一番奥の扉にたどり着いた二人は中に入れられた。  そこは椅子が一脚あるのみで、石を掘って作られた部屋だった。小さな細い穴がいくつも空いている。  ディラーは二人を中に入れると遠ざかり、しばらくすると反対側に人の気配がした。  ディラーだ。  では、ここは懺悔室。  暗い空間を見回し、ハルは全身の毛が逆立つような気がした。 「ここで聞いたことは、たとえ王侯貴族であろうとも聞き出すことはできません。聞いた人間もまた口をつぐみます」 「教皇であろうとも?」 「……そうです」 「なにが聞きたいの」  ハルは椅子に座り、モリトを膝に抱き上げた。細い穴は深く、覗いても向う側は見えなかった。 「エクソシストが奴隷になって売られているというのは本当ですか?」 「本当よ。教養があって世間知らずが多いから、いい金になるって言ってた。身ぐるみ剥いじゃえば、エクソシストだって証明する術なんてないからカモにはちょうど良いのよ」  石壁の向こうから殺気が漏れ出した。 「その組織は何処にあるのですか。あなたとはどういった関係です」 「一味じゃないわ。それに、そう言う奴らは組織じゃないのよ。エクソシストが世間知らずだなんて誰だって知ってる。人買いには関係無いの。村人、役人、様々にいるわ」 「教会の魔術を扱える! 彼らが簡単に捕まるわけがありません」 「奴隷の首輪は主人に逆らえなくなる魔術が施されてるでしょう? どうやって逃げるの? 命令されてたら自分が何処の誰かなんて、言葉にだって出せないわ」 「くっ!」  教会は神木の近くに大抵ある。そして神木の近くが安全だと知った短命種は、そこに都市を造ることが多くなった。枯れかけている二十一本の神木の回りには都市どころか王城がさえある。 「ここは平和だから、皆忘れてる。でも神木が遠くなれば悪魔も多くなるわ。治安だって悪い。路地に入ったら二度と出てこられない危ない道だってあるのに、本当に知らないの?」 「っ、口の減らない子供は可愛くありませんね。しかし、仰るとおりだ……」 「私は神父でも神官でもない。懺悔ならほかの誰かにして」  ディラーは本分を思い出し、首を振った。 「失礼。ではどのくらいの範囲で狙われているのでしょう」 「世界中」 「あなたが見たというエクソシストの特徴と場所を教えて貰いたい」 「世界中」 「真面目に答える気があるのですか!」 「答えは世界中よ。だってわたしは旅人だもの。どこでだって見られる背景の一部みたいなものよ。エクソシストだけじゃない。孤児だって、町で働いていた娘だって攫われる」  ハルは一拍おいて続けた。 「世間知らずはエクソシストじゃ無くて、教会なのね」 「侮辱ですか」 「凄くびっくりしてるから言葉に出したの。……エクソシストが五年の巡礼で死ぬのは悪魔にやられるのもあるけど、そればかりじゃないのよ。いくら巡礼の旅に出るのが平民出や位が低い貴族だって、しっかり目を光らせたらどうなの? それからわたしに怒ればいい」 「――っ!」 「ハル、意地悪しちゃダメだよ」  諫めるように頬をなでる手がハルの軌道を確保した。いつの間にか息苦しく、呼吸もままならなくなっている。 「ごめんね、おじさん。ハルは警戒してるんだよ。暗くて狭いところで顔が見えない人と話すのが嫌なんだ」 「……。そうでしたか。失礼ですが、一度捕まったことがあるのですか」  それは奴隷になった事があるか、と言う意味だろう。ハルは頷いた。  伝わってくる怒りが収まった。 「辛かったのですね」 「変な事言うのね。奴隷は違法じゃないでしょう」 「そうであっても享受できないことだったでしょう」 「死ぬよりマシな事よ。……比較的こぎれいで教養がある奴隷がどこに行くか知ってる?」 「どこです」 「貴族」  何人か腕の立つ人間に下町を歩かせればいい、と囁く。 「領地を守るために兵士が必要になる。消耗品だから定期的に補給しなくちゃならない。だって悪魔が住み着いたら困るでしょう? ……ねぇもういい?」 「ご協力感謝します」  モリトが駆け足でドアを開けてくれた。  光の下にいるだけで、心が落ち着いていくのを感じた。暗闇に放り込まれると酷く攻撃的になり心がささくれ立つ。  数十分話ただけで一日の体力を使い果たしてしまったような気がした。口の周りが乾いて、目線が下に行きそうになる。  心配そうなモリトの頭を撫でてディラーが戻って来るのを待つ。彼はハルの顔を少し見つめて、おもむろに手を伸ばした。 「なに?」 「大人しくなさい」  膝をすくい取られ抱き上げられた。視界が高くなり緊張に体が強ばる体を落ち着けるようにディラーが背中を叩く。 「落ち着きなさい、何もしませんよ。モリトはしっかり後を付いてきなさい」 「わかった!」  そう言ってモリトが服の裾を掴んだのを確認し、彼は歩き出した。 「疲れたなら眠りなさい」 「だめよ、まだご飯食べてないの」 「何か持って行ってあげましょう。重いですよ、動かないでください」  もがくのを止めたハルはそれでも目を開けたまま、しっかりと前方を見据えた。可愛くないと言いたげな視線を寄越していたディラーは、救護室へ向かった。