手を伸ばしても

 階段を駆け上がって第二施設に着いたとき、日は高く上がっていた。  競技広場はどこか聞き回って付いた頃には決闘が始まっており、周囲には年齢問わず、様々な神官やエクソシスト達がそろっていた。 「どう言う状況?」 「リンガルが二勝だけど、そろそろやばい」  同級生の少年はそう言って指をさした。  厚手のズボンにショートブーツを履いたリンガルがいる。かっちりとした黒い上着はあちこち裂け、綻びが出ていた。膝をついたリンガルは泥だらけで、頬には鬱血と、口の端には血が滲んでいた。それでも短剣を掲げている。  向かい合うタイラードは紺を基調とした上等なマントに身を包み、裾には白い刺繍が施されている。魔術印だ。そのためマントを含め、来ている衣装に綻びは見えない。  四方に立つ審判がそれを無表情で見つめていた。その後ろに横たわった取り巻き二人がぼろぼろになって転がっている。  試合形式は一対一の勝ち抜き戦。正式な決闘だが、対等な戦力とは言えないだろう。  教会には決闘という制度がある。王国にもあるが、教会の決闘は必ず掛け金が用意される。なぜかと言うと、大切な物のために戦うとき、魂が磨かれると信じられているからである。 「リンガル!」  ハルは声を上げた。  集中力の切れかけた彼はハッと飛び退いた。タイラードの風の魔術が地面をえぐる。 「どうしてこんな事をしてるの! わたしが言った事のせい?」 「違います、いえ、その通りなんですけど――アネモス!」  手の平から舞い上がった光が暴風となってタイラードを吹き飛ばした。リンガルは短髪をなびかせ走り出す。疾走する馬のように栗毛が撥ねた。 「本当は自分でもうすうすは感じていたんです。でも先生方ははっきりとは仰らない……。旅人のあなた方に聞けば情報も、何か良い方法も教えてくれるんじゃないかと思いました。甘えていますよね。僕は悪魔を狩るエクソシストを目指しながら、五年の巡礼がどんな物か、はっきり意識していなかったんです! あなたにそこを突かれたように思えて、僕はみっともないくらい動揺した。――本当は八歳の時、悪魔に村を潰されてここに来ましたが、それ以来、悪魔を見ていない! 僕はまったく、温室育ちだ」  それは神木があるからだ。神木の周辺には悪魔が異界からやってこられないよう結界が張られている。 「エクソシストが騙され、奴隷として売られるなんて知りませんでした! あのあと、僕なりに考えました。確かに身ぐるみ剥がされれば、僕達がエクソシストだと証明出来る物は何も無い」  数人がぎょっとしたようにハルを見た。 「馬車に乗っていたら悪魔に襲われるなんて、想像もつきません! タイラード・ディミュクルにやり返さなければダメだと思ったんです! だって!」  決闘は真剣で行われる。持った短刀がタイラードに振り下ろされる。それをマントに刺繍された魔術印が跳ね返した。 「僕は死にたくない!! 出世できなくても、生きてる方がいい!! 同じように思う仲間を探すためには、タイラード・ディミュクルに誓って貰わなければならないんです!」  リンガルが求めたのはただひとくだり。――今後一切、リンガルに対する侮辱や妨害行為、また不利益になる一切の事を禁止する事。 「だからって、なぜ命をかける必要があったの!」 「ここで勝たなきゃどうせ死ぬんです、同じ事だと思いました! ウェントゥス!」  風の刃がタイラードが着ている鉄の鎧に傷が付く。だが、それだけだ。彼が振り上げたお粗末とも言える剣に短刀が触れる。握力の落ちていた手から短刀が弾かれた。 「まったく、ひやひやさせやがって! ウェントゥス!」  至近距離で放たれた風の刃が、リンガルの胸に直撃し皮膚を裂いた。事前に付与魔術をかけていなかったら内蔵が零れていただろう。リンガルは地面を削りながら転がり、咳き込みながら立ち上がり――膝を折って倒れた。 「平民が手間をかけさせて……。僕を誰だと思ってるんだ! お前達より高貴で、価値のある、貴族なんだぞ、僕は!」  意識を失ったリンガルに、タイラードは大きく剣を掲げた。悲鳴が上がり、顔を覆う者もいる。しかし審判は静止しない。なぜならこれは決闘で「参った!」と言わなければ続行なのだから。 「――やめろよ、卑怯者!」  観衆の中の一人が大声で叫んだ。 「今のは誰だ!!」  はっと口を覆ったのは黒髪に緑の目をした少年だった。頭に乗った兎の耳がピンと撥ねている。 「お前か! 僕に卑怯と言ったのは」 「そ、それは……」 「ふん、アーレイか。なんだ、言いたいことでもあるのか? ん? 言ってみろよ! 下級貴族の分際で、僕に逆らえるならな!」 「っひ、卑怯だって言ったんだ! そっちは三人いて、リンガルはたった一人じゃないか!! こんな決闘無効だ!」 「だったらお前、どうしてこの平民が人を集ったときに手を上げなかった? お前がこいつを見捨てたんだろう? なんだったら、今から参戦してもいいぞ? お前程度の魔術に僕が負けるはずはないがな、万年最低ランクのアーレイ君」  酷く動揺したように視線がせわしなく動く。舌打ちしたタイラードがリンガルにとどめを刺そうとしたとき、 「わかった!」  絞り出すような頼りない声だ。目に涙さえ浮かべてアーレイは叫んだ。 「俺がお前と勝負する!」 「止めとけアーレイ! お前魔術あんまり使えないだろう!!」  一人が止める手を振り払って、アーレイは進み出した。 「確かに魔術は使えないけど、タイラードだってうまくないじゃないか! 勝てたのはリンガルが肋骨折られてたからで、折ったのはダラスカとニシーラが卑怯な手を使ったからだ!! そうじゃなかったら、リンガルが勝ってるんだ! あいつはタイラード達が束になっても本当は勝てないんだ! 俺は階段であいつらがリンガル突き飛ばしてたの見たぞ!」 「お、お前! 証拠も無しに虚言を吐いて侮辱するとは、死にたいみたいだな!!」 「うるさいうるさいうるさい!! 俺は見た!!」 「下級貴族風情が! 没落させられたいか!」 「うちなんて名ばかりだ、どうなったって今の生活は変わりゃしない! 俺は撤回しない! 絶対に!!」  混沌としはじめた空気に審判が視線を交わし始める。妨害があった場合、無条件でやり直し、もしくは相手側の敗北となる。 「タイラード・ディミュクル。この決闘預からせて貰う。どうも余計な事があったようだ」  一人の審判が手を掲げると、タイラードは忌々しそうに睨み上げた。 「しかし、タイラードは既にリンガルに勝っていますよ」 「それは関係無いだろう。決闘直前に相手に怪我を負わせている。これは決闘を侮辱する行為だ」 「私もそう思います。それにリンガルは一人だった。ハンデがあったと考えるべきでは? もともとこの決闘には反対なのですよ。片方は命を賭けているのに、相手が三人とは……公平ではない」 「僕はそう思わないが」  四人の審判が争い出す。どうも二人はタイラードに買収されているようで、庇う口調である。その中の一人が埒があかないと言うように、タイラードを睨みつけた。 「タイラード・ディミュクル。御身に恥じることがあるならば今すぐ申し上げよ」 「ございません」  朗々と述べたタイラードを見て、次に審判はアーレイを見つめる。 「アーレイ・ガララント。その証言を証明する者は他にいないのか?」 「鉢合わせたのは俺だけです。あと知ってるのはそこで伸びてるダラスカとニシーラ。リンガルだけです」 「……全て当事者となると、証言として適応されない」 「では、仕切り直しにしましょう」  買収された審判が言った。 「どうです、三日後に持ち越しにしては。その間、双方十分な治療を受ける。万全の体制で再び決闘というのは」 「妥当か」 「まて、骨折の治療に三日とは少なすぎる。治ってもいないではないか」 「では、一週間後」  全ての審判が頷いた。 「では、一週間後の正午、再び再選をする! 勝負は一騎打ちの勝ち抜き戦のままダラスカ、ニシーラ、タイラード対リンガル、アーレイとする」 「待ってください、一人足りない!」 「では今すぐ参戦する者はいないか!」  告げられた言葉に周囲は動揺し、アーレイは歯がみした。 「一人増えるなら、賭の変更をお願いしたいのですが、審判」  そこに嫌らしい笑いを浮かべたタイラードが言う。 「なんだね」 「僕らはそれぞれ金貨三枚出しています。それに対してリンガルの命一つでは安いと思いませんか?」 「では、どうしろと?」 「そうですね、負けたらアーレイには奴隷になって奉仕活動にいそしんで貰うとはどうでしょう?」 「ゲス野郎!!」  しかし、アーレイの言葉は無視されて、タイラードは嘲笑う。 「まったく、貧民と変わらない口の悪さだ。これなら仲良くやってけるだろう。この条件で請求します。決闘が持ち越しになった場合、相手側に請求する賭が変更されるのはよくあることでしょう? ああそれと、この場で代役を立てることを申し上げます」  決闘で代役を立てるには三日前に申告しなければならない。  今回タイラードが受けた決闘は昨日の昼。申請の書類を提出はその後だったらしい。今回は一週間の期間がある。  ちなみに代理人が負けた場合、掛け金は代理を立てた者が払うことになる。  審判は二つに割れたが、一人が反対側に何か囁くと、三対一でこれを認めた。 「代理人はそうだな、家の護衛でいいか。ハズメンド兄弟にしよう!」 「誰?」 「ディミュクル家で最も有名な戦士の名前だぞ」  首をかしげたハルは、隣の青年に礼を言った。なるほど、虎の威を借る狐である。  周囲の人間は震え上がるのを見ながら、ハルはモリトを見つめた。いいよ、と言うように頷くのを確認し、視線を戻す。  周囲を見回すが、誰もが目をそらす。 「っくそ! 誰かあと一人、頼むよ!」 「じゃあ、わたしが出るわ」  ハルは右手をぴしっと挙げ、言った。 「お前、昨日のクソ餓鬼っ!」 「こんにちは、お坊ちゃま」  ぺこりと頭を下げるとタイラードの米神に青筋が浮いた。 「いいだろう。ちょっと人を脅かすのが得意だからって、ハズメンド兄弟に敵うわけ無いからな! お前の泣き顔を僕は拝むことにするさ」 「そういう性癖をさらすのは止めた方がいいと思うけど……まあいいわ」  ハルはアーレイを見上げた。 「リンガルが決闘をしたのは、わたしのせいなの。だから参加するわ」 「君は一体誰……?」 「旅人」 「はんっ! どうせ親はいないんだろう」 「ええ。そうよ」 「ふんっ! やはり孤児だったか。まぁいい、お前が負けたらアーレイと一緒に奴隷になるんだ」 「お前、こんな小さい子までっ」 「いいわよ」  ハルはタイラードを見上げ、一歩出る。 「その代わり、わたしが勝ったら今後一切リンガルとアーレイに対する侮辱や妨害行為、また不利益になる一切の事を禁止。それからディミュクルと名の付く全ての者達の首をもらう」 「な、なんだと!?」  ざわめきが広がり、ハルは不適に口の端をつり上げた。 「ディミュクル家の人間が、いったい何人いると思ってるんだ! お前よりよっぽど価値のある者達だぞ!」  心から何を言われたか分からない。  そんな表情をしながら、告げる。 「あなたは、何を言っているの? 決闘の要求に、公平もクソもないじゃない。そうでしょう?」  視線をやった審判達は頷くが、苦り切った顔をして言う。 「しかし、人道的でない要求は審査する必要が――」 「では、死んだ方がマシと思えるような要求を突きつけたお坊ちゃまも審査対象でしょう? それとも棚上げなのかしら? 神聖なる決闘にも身分が持ち越される? ねぇ、どうなの。ヘリガバーム教団の神官様。わたしはそれを聞く必要があるわ。この決闘は一度汚された。二度目はあるのかしら」 「そ、そのようなことは、ない」 「なら問題はないわ。あら震えてるの? 屈辱? 憤慨? それとも怖くなって決闘を止めたくなった?」  酷く好戦的に微笑んだハルに、周囲は怯む。まるで、地獄から顕現した子鬼が嘲笑っているかのようだ。  それはタイラードも同じで、怯んだ自分に気づき怒った。 「何だと! この僕が怖じ気づくものか、いいだろう、その話のってやる!」 「じゃあ三日後に。賭は、わたし達が負けたらリンガルの命と奴隷になること。勝ったら約束と、ディミュクル家、全員の首をもらう。決闘が”終わった後”で待ったは無しよ」 「お前こそ、怖じ気づいて後でやめてくれと泣いても知らないからな!」 「何を言ってるの?」  ハルは剣を軽く握り、切っ先を天に向け掲げる。リンガルはその眼光に冷や汗を止められない。それは周囲も同じだった。得体の知れない何かと交わす、恐ろしい契約を目の前にしたかのように。 「怖じ気づこうが、死ぬことになろうが関係無い事よ。わたしはそう言う種なの。誓うわ、約束は絶対に違えない。わたしは約束を破らないの」  掲げた剣を鞘に戻すと、アーレイを引きずってその場を後にする。モリトがリンガルを持ち上げて続く。  敵の姿が見えなくなると、タイラードは自分がとんでもない事をしてしまったのではないかと、呆然とした。