後編

 前世の記憶が蘇ったのは六歳の頃だった。  ここが学園物のノベルゲームの世界で、しかもホラー系だったことを思い出してしまった。自分がヒロインに散々妨害と嫌がらせをしたあげく、死ぬ運命にあるのは、何の冗談かと思う。  一族郎党斬首される逆ハールートに、在学中に刺客の手によって死亡し、亡霊となって立ちはだかる怨霊ルート、ぬるい物でも放逐ルートだったり……とにかく、こんな結末なんて迎えたくない。  どれもろくな死に方をしないのは悪役キャラの宿命なのか。  最初はもちろん信じたくなかったし、信じていなかった。  それが核心に変わったのは12歳の時にリーゼロッテに会ってから。  彼女は悪役令嬢に付き従う忠実なメイドで、妖精の血をもつ特別な使用人。彼女の未来予知の力でアイリーンは増長してしまうのだ。  最初、アイリーンは彼女を恐れて近づかなかった。  戸惑うリーゼロッテを見て、兄がよく慰めていたのを覚えている。 『お嬢様は私がお嫌いなのでしょうか』  そう、兄が慰めて―― 『落ち込まないで、リーゼロッテ。人見知りをしているだけだよ。僕が話してくるから、君はここで待っていなさい』  ――その後の事は思い出したくない。 「アイリーン、ぼーっとするなんて余裕だね」 「ひぃ! おおおおおおお兄様」 「緊張してる? でも、しくじったらどうなるかわかってるよね?」  笑顔で圧力をかけてきたアレクにびくびくしながら頷く。  この上なくアレクは上機嫌だった。 「愚妹の不始末には頭を痛めたけど、結果的に見ればよかったのかも。お前もそう思うでしょ?」 「お兄様……。本当にこんなことをするのですか? リーゼが知ったらどう思うか」 「お前に言われる筋合いはない」  笑みが消えた。 「リーゼに夢見を頼んだことを父上が知れば、修道院送りじゃすまなかっただろうね。それにあの子を自分の妖精と言ったそうじゃないか。勘違いするな、あの子は僕のものであって、お前のものじゃない」 「わかってるわ、お兄様」 「本当にそう願うよ」  酷薄な視線は見慣れたものだが、リーゼロッテが見たらどう思うだろう。彼女はこの氷の悪魔をとても優しくて、暖かみのある好青年だと思っている。実はただの束縛体質な変質者と知ったら……。 「アイリーン、余計な事は口にしないだろうね?」 「当り前よ、こんなこと口が裂けても言えないわ」 「ならいいけどね。ほら、主役がお出ましだ」  はっと顔を上げる。  呼び出された5人の生徒はそれぞれ、室内にいる人物を見て顔を顰めた。  れいのミリーとその取り巻きと化した5人だ。 「アイリーンと……アレク殿か」 「お久しぶりです。呼び立てして申し訳ない」  紳士の仮面を素早く被ったアレクはそう言って、口を開く。 「実は学園で不穏なことが起こってると聞いていていてもたってもいられず。単刀直入に言うと、アイリーンの事なのですが」  と、一瞬だけアイリーンを見て、渋面になった面々に向き直る。 「この子が殿下やご学友に何か失礼なことをしたと」 「その通りだ。アイリーンは身分を笠に着て、ここに居るミリーを目の敵にしていた。階段から突き落としたこともある」 「それが本当なら、由々しき事態です」 「ならば!」 「では、診断書の写しをいただけますか」 「なに?」  アレクは紳士の顔のまま、言った。 「現場を検証しましょう。他にもハンカチや教科書の破損なども、うちのアイリーンがやったと言われている。本当ならばキャンベル家の家名を汚すような下劣なやり方です。徹底的に調べなければ、こちらも引き下がれませんしね」 「お兄様、ほどほどになさって……」 「黙ってなさいアイリーン、僕は煩わされることが嫌いだよ。――そういえば殿下、なぜアイリーンがミリーを目の敵にするのです?」 「嫉妬だろう。ミリーが我々と親しくしているのをよく思っていない」 「そうなのか?」 「違いますわ、お兄様。この方達、勝手に想像して聞く耳を持たないのです」 「お前っ! この期に及んでそんな事を! 証拠は挙がってるんだぞ」 「では、それも後ほど調書に記しましょう。ところで殿下」 「なんだ!」 「嫉妬とは具体的になんなのでしょう? 失礼ながら殿下と親しくされているからと言われても、困ります。この子は失礼ながら――ああ、入って」  ノックと共に制服を着た男達が入ってくる。 「なんだ? なぜ騎士隊がここに……」 「ミリー殿の部屋を少々改めさせてもらいました。彼女は学園の寮に部屋があったので」 「なっ! どうして」  それまで黙っていた少女が口を開く。 「調べると言ったでしょう、お嬢さん。もちろん殿下達や、他の怪しい生徒の部屋も調べさせてもらいました。さて、さて……実は以前から皆さんの様子は調べさせていただいてました。もちろん神聖な学園の中でも、ここは特に高貴な方々の通う場とあって、陛下の許可は必須でした。なのでご安心くださいね。彼らは正式な騎士。卑怯な真似はできますまい」 「お、お兄様……まさか陛下の耳に入れたのですか」 「当り前だろう? 国が乗っ取られては困る。となれば陛下に言うのは当然だ」 「どう言う事だ?」 「どうもこうも、そこのお嬢さん。あまりにも手口が綺麗すぎる。さぁて、結果を見ましょうか。他国の情報屋と通じ、彼らに取り入って甘言を吐く。本当の姿は天使か、立派な毒婦か。僕の予想が正しければ、真っ黒だ」 「ま、待ってください。どうして私が疑われて――」 「あまりうまくやり過ぎると、逆に目をつけられるんですよ。お嬢さん」  流れるような言葉の羅列は今までの出来事をかいつまみ、アイリーンにかけられた容疑を否定して――結果的に王家の取りなしによって終息した。  ミリーの部屋にあった謎のノートは妄想と言うには現実的で、何より隠すべき秘密が多すぎた。彼女は密偵として捉えられ、城の地下牢に収容された。  慌ただしかったのは1月ほど。  アイリーンは気力を全て奪い尽くされ、そして―― 「あ、あの……あのっ! アレク様っ」 「んー。もう結婚したんだからいいでしょ?」  でれでれした顔で腰をなで回している変態に戸惑うリーゼロッテに、心の中で深く頭を下げた。あれから助けるのは無理そうだ。 (予知夢を上回るってどう言う事っ)  キャンベル家は名実共に王家の右腕となった。妖精の予知夢は必要とされず、築きあげられた基板の中で、この上なく大切にしまいこまれるだろう。  兄の手腕に、アイリーンは心の底から震え上がった。  そしてなにより、事件が終息した後の、あの言葉。 『ああそれとアイリーン。僕と陛下のくだらない低俗本の事は見なかったことにしてあげる。どういう意味かわかるね? 賢い選択を期待しているよ』  もう絶対逆らえない。