後編

     

 何か礼をしたいと言った男について行ったのは、どうしたらいいのか自分でもわからなかったからかもしれない。  男はセリゼと名乗った。本名かどうかは知らない。  頑なに名乗ろうとしない彼女を見て男はしかたなく「娘さん」と呼ぶことにしたらしい。 「あの峰の向こうにオーガの群がでてよ。雨の日で視界が悪くて落ちちまった。あの部位は惜しかったなぁ。八十ゴルドは行ってたぞ」  オーガの討伐は一匹当たり十ゴルド。つまり七匹か八匹のオーガに出くわしたらしい。普通、一匹見ただけでも死を覚悟すると言うオーガだ。よく生き残れたな、と思わず半目になってしまう。  場所を変えて酒場。金のなさそうな男は意外にも懐に余裕があるらしく、死に損なった祝いと礼をかねて彼女を食事に誘った。断る理由がないので同席している。 「それで、あんたこれからどこ行くんだ?」 「ごちそうさま」 「待て待て、探ってるんじゃない。女の一人旅は何かと危険だ。行きたい場所があるならそこまで連れてってやるって話だ。勿論、料金はとらねぇよ」 「あのことなら、話さないよ」 「違うって。これでも申し訳ねぇって思ってるんだよ。……大事な物だったんだろう?」  突かれたように顔を上げた彼女に、とんとん、とセリゼは胸を叩いた。 「あのペンダント……は、大事な人からのもらいもんだろう? それをただでもらったとなれば、相応の対価をアンタに返したいって思うのは当然のことだ」 「そう思わない人だっている」 「俺は違う。受けた恩は必ず返す。この命に代えてもだ」 「なにそれ。あなた森の民なの?」 「そうだ」  驚いて見やるが、伝え聞いた話とはあまりにもかけ離れた姿だ。  森の民は西の森深くに住んでいて美人ばかりだ。線も細くてこんな髭もじゃなマッチョとは到底似つかない容姿だと聞いている。髪だって茶色いし、肌だって褐色だ。 「言っとくが元々は髪だって緑だし肌も白かったぞ。日焼けしたらこんな風になった」 「……弓だって持ってないじゃない。魔法は使えるの? 耳は……尖ってるけど」 「弓は目立つしいつもは持ってないな。それによ、途中から殴った方が速いのに気づいたんだ」 「なにそれ!」  思わず吹き出すように笑ったら、セリゼもほんの少し微笑んだ。 「いいわ、それじゃあなたが森の民だとして、どうしてこんな所にいるの? こーんな、人間ばっかりの所に。ドワーフはもっと南に行かないとあえないよ」 「人を訪ねてきたんだ。家に行ったんだが何も無くなってたし、誰も行方を知らないってんで、探し回ってる」 「そう……大変ね」  気のない返事をしながら最後のスープをすくい上げた。 「お誘いは嬉しいけどごめんなさい。知らない人にはついていっちゃだめだと躾けられてるの。その探してる人、見つかるといいわね」 「ありがとよ。んで、どこ行きたいんだ?」  話を聞いていたのだろうか。眉根を上げれば肩をすくめる。 「受けた恩を返さなきゃ、俺はそれこそ古郷に帰れない。行き先が無いってんなら、一度俺の故郷に来ないか?」 「森の民が人間を招き寄せるの?」  ありえない、と首を振ると、続ける。 「何が目的なの? あれならもう持ってないわ。くれた人も死んでるし、私につきまとっても手に入らないわよ」 「あんたなぁ。ちょっとはこっちの話に耳を傾けてくれてもいいだろう? それに俺はいろいろ役に立つ。連れてて損は無いはずだ」 「例えば?」 「体温が高いから、夜は暖かいぞ」  無言で席を立つと慌てて追いかけてくる。が、そんな物知らない。  痴話喧嘩かとはやし立てる酔っ払いを睨み付けながら酒場を出た。 「悪かったって! ちょっとした冗談だ。あんたを侮辱したわけじゃない」 「なら、未婚の女で一人なら簡単だって思ったの?」  本当にこの男は高飛車でプライドの高いと噂の森の民なのか。ナンパで頭の軽い人間にしか見えない。言葉遣いだって優雅じゃない。  むっつりとしたまま課金屋で交換したポーションの代金を握りしめ、旅に必要な物をそろえていると、行く店で必ず後ろの男が店主やら従業員やらの知り合いだった。ギルドでよく依頼を受けていたからそのせいなのだろう。 「何したか知らないけど、悪い奴じゃないんだよ。これおまけするから許してやって」  なんて言われてしまえば怒り続けるのも難しい。  最後にはむっつりと頷くと、男はぐはぁっと息を吐く。 「そういえば、依頼受けて帰ってないんでしょう? さっさとギルドに行って清算してきたらいいんじゃないの」 「それもそうだな。……じゃあちょっと時間くれ」 「ええ? 何で私が」 「一緒に里に来るだろう?」 「え、……えぁ、ちょっと!」  絶句している内にセリゼは彼女の腕から荷物をつまみ上げてしまう。  手を伸ばすも背の高い彼は巧みに避けて、結局ギルドの前まで来てしまった。  真っ直ぐ中へ入る男に嘆息しながら彼女は続く。  それで、男の身元が確かな事と実力が確かなことをくどくどと受け付けに諭される不幸に見舞われた。どうも不審者を見る眼差しが気になったらしい。  そういうことで説教されてげっそりとした彼女が町を出られたのは翌朝。スラムから脱出して二日目の朝だった。 「……なんで」  早朝に出てきたにもかかわらずしっかりと待ち伏せしていたセリゼに「もう好きにしてよ」と深く肩を落としたのだった。 ◇◇◇  セリゼは外見に反して紳士的だった。道中警戒するのがばからしくなるほど馬鹿みたいな話をして、かと思えば魔物が出れば必ず背にかばった。  父の形見のペンダントは、何かあったときのためにとわざわざ錬金術師に頼んで中にハイ・ポーションを注ぎ込んで作った物だ。価値はそれほど無いが、彼女にとっては命ほどに大切な物だった。  それでも使ったのは自暴自棄になりかけていたからだし、両足が折れたセリゼをそのままにするのは見殺しにするのと同じだから。  形見は既に形を無くし、ただのチェーンだけになっている。それでも思い出は消えない物で、ペンダントのなり損ないは大切にしまってある。もらったときの事を何度も思い出しては泣いた。涙は出きったと思ったのだが、不思議なものだ。  スラムを出てから不思議と追っ手の気配がしない。  あちらはやっと掴んだ尻尾を逃がさないと思ったのだが、スラムの住人は彼女をかばい続けてくれているのだろうか。彼らに報復などされていないといいが。  確かめる術はなく、一歩でも遠く離れることが彼らの安全にも繋がる。  気づけば無事に国を出ていた。 「あと、どれくらいかかるの?」 「半分は来たなぁ。ゆっくり行って、三ヶ月か?」  国を出て数ヶ月は経っている。国境を越えてまで追っ手がかかるのか彼女には検討もつかなかったが、これまで何も無いなら諦めたのだろうか。  そんな矢先に、夜襲をかけられた。 「こんばんは。まったくあなたはつくづく逃げ足が速い」  憎々しげな口調で言うのは金的を喰らわされて蹲った男だ。それを思い出してほんの少し笑えば相手は舌打ちする。他には数人の男で、街道沿いにいた旅人達は遠巻きだ。誰だって諍いに巻き込まれたくはない。 「セリゼはどこ?」 「あちらで女とよろしくやってるでしょうよ。まったくあの護衛、どこで雇ったのやら。隙が無くて困りました」 「まだ用があるの? 宮廷にでも招くって?」 「それはもういい。レシピは手に入れたのでね」 「そう! けっきょく独占はできなかったのね。ざまあみろ!」  スラムの青年が隠し通せないのは端から分かっていた。あそこは情報を秘匿するには向かない場所だ。必ず誰かの目が走っている。ハイ・ポーションのレシピはスラムから市井に流れ王宮に伝わっただろう。彼らが最も蔑む場所から出た物が貴族の口に入ると思えば笑いがこみ上げる。 「あなたさえ大人しくしていれば莫大な富が懐に入ったでしょうに、なぜ拒む? あれは世紀の大発見でした。王宮に招かれれば一生遊んで暮らせただろうに!」  突き飛ばされたのも、屈辱からだと思えば何だって許せる気がした。 「それで高額に売り払う? 父が望んだのは金じゃなくて家族のためだった。あんた達の金儲けのためじゃない!」 「国益に貢献するのも民の役目です」 「じゃあ何で助けてくれなかったの。お母さんと私があいつに搾取されてたとき、こっそりお役人に手紙を出したわ。でも何もしてくれなかった。七年閉じ込められた……七年間、私は人間じゃなかった! お母さんの死に目にも会えなかった。自力で逃げ出して、あんた達は私が盗み出した物を見なければ動かなかったくせにっ。けっきょくあんた達も私から絞りたいだけなんだ。あの豚と大して変わらない!」 「それは!」 「そこまでにしとけ」  はっと振り返ると無表情のセリゼが立っていた。 「あんた本当は騎士様だろ? 騎士道を行くなら、この子をもう追い詰めないでくれ。何もかも全部、なくしちまったんだ。それに国が民を守るから、民はあんた達に従ってるんじゃないのか? 責任を果たさないから娘さんは国をでた。自分でどうにかしたんだ。あんたの主は、なんて言った? どうせ、他にレシピが渡ると困るとか、別のレシピは無いのか調べろとか、そんなことだろう?」 「……………」 「欲張るな。身の丈に合った生活をしろ。でないと森の民は総出となって戦争をしなくちゃならない。森の民は受けた恩を忘れない。この意味がわかったなら娘さんを諦めて引き返せ。そして正確に俺の言葉を伝えるんだ」 「あなたは森の民なのか?」 「よーく疑われるが本当だ。向かってるのは俺達の森。仲間も迎えに来てる」  しゅん、と足下に突き刺さったのは鷹の羽が使われた矢。それが立て続けに三本、一列に並ぶ。射手の気配はしなかった。 「……伝えよう」  消沈したように彼は踵を返した。  姿が見えなくなったところでセリゼが「悪かった」と頭を掻いた。 「探してたのは、まさか私なの?」 「まぁ、な」 「じゃあ、ずっと騙してたの? もともと連れて行くつもりで近づいた?」 「いや、会ったのは偶然なんだ。そもそも両足骨折した状態で狙いを定めるって、どんな芸当だよ」 「……そりゃ、そうだけど。じゃあ、何で?」 「探してた理由か? あー。娘さんのおっかさんに頼まれたんだよ。古郷ではずいぶんと世話になってたんだ」  母は浚われ、人の住まない僻地に追いやられていた。見張りが定期的に食品を持ってくる以外、外部と接触は無かったらしい。彼女と違い、母はスキルを持っていなかったから何も作れないと思われたのだろう。 「その頃、里が魔物の群に襲われて、怪我人が多く出てた。元々森の民はポーションの効きが悪くてな、アンタのおっかさんに会わなけりゃ半分くらい死んでただろうよ。だから里の恩人の願いを叶えようってんで、俺は里を出てた。他にも何十人かいて、三年くらい探してたんだが全然足取りがわからんし、親玉は巧妙に言い逃れしやがる。気づけば斬首で、アンタは見つからないまま。国も隠して余計にわからなくなってなぁ。見つけたときは、心底ほっとした」 「……お母さんは、死んだって聞いてた。もしかして生きてるの?」 「いいや。確かに去年の冬、風邪をこじらせて」  やっぱりそうだよね、と肩を落とす。 「あんたにはすまない事をしたと思ってる。里に連れて行ければあんな事にはならなかったが、おっかさんがな、娘さんが酷い目に遭うかもしれないから行けないって」 「うん」 「その、きちんと供養した。墓はこっそり、里に移したんだ。悪く思わないでくれるか?」 「うん……ありがとう」 「アンタのことを頼むって。……だから、なぁ。そんなに泣くな」 「無理言わないでっ」 「お、おぅ」  彼女は手の平に顔を埋めるようにして泣いた。 「里には、一緒に行く。お母さんのお墓に連れてって」 「もちろんだ。今日はもう寝とけ」 「そういえば仲間って……」 「ありゃ嘘だ」 「え、え。でも矢が振ってきたのに」  そこでセリゼは得意げな顔をする。 「これでも森の民だからな。射た矢がどの程度で当たるかなんて寝ててもわかる」  つまり遠くで弓を放ってから、こちらに来たらしい。思わず「なにそれ」と笑ってしまった。森の民は凄かった。  翌朝、ふと思い出して彼女は聞いてみた。 「そういえば、どうして私がお母さんの娘だって分かったの? あのポーション?」 「それもあるが、娘さんが怠け者って言っただろう? あの言葉で確信した。おっかさんにもよく怒られたなぁ。うちの旦那はまじめで勤勉なのに、あんた達は怠け者だ。だからこんな事になるんだって。耳が痛かった」 「お父さんは本当に働き者で……だからこのレシピを見つけられたんだよ」 「……それから、こうも言ってたな。娘も同じくらい働き者で頭がよかったって。皆で考えればこんな事、もっと前にわかってたはずだって」  親子でそっくりだと思った。と笑うセリゼが歪んで見えた。  もう彼は泣くなとは言わなかったが、変わりに頭をぐちゃぐちゃに撫でてきた。 「あの山を越えたら故郷に着く。そうしたらもう、誰もアンタを探せない。気に入った場所に家を構えてゆっくり暮らせばいい。楽しいこと見つけて、辛かったことはゆっくり思い出に変わるといいな」  うん、と小さく頷いたら、背中を二度叩いてセリゼは手を放す。  勇気づけられて踏み出した一歩が古郷への決別と寂しさを伴った。けれど先がわからない不安、迷子の子供のような気持ちが薄れ、足下から暖かさが伝わるようだった。  その後ハイ・ポーションが世界中に広まり、ただのポーションと呼ばれるようになる頃。ほんの少しの怪我で命を落とす者は減り、人口が緩やかに伸び始めた。材料は村の畑で取れるような栽培の簡単な物だったので、どの村へ行っても専用の畑が一つ作られるようになり、 「新しく品種改良した植物だけど――」  深き森の中で輝くような笑みを浮かべた彼女を、すっかり日焼けが治った森の民が優しく見守り続けていた。