後編

「おはようリリエンダ、今日もはやいな」 『おはようアルゴ王子』  早朝とも言える時間に訪ねてきたアルゴ王子に頬を膨らませて不愉快な思いをしていると訴えるが、全然効果が無い。  毎朝日が昇ると共にノックもせずに侵入してくるなんてマナー違反だ。貰ったスケッチブックに書き足される文章はほとんどアルゴ王子に向けた罵詈雑言になっている。  海にいたときだってこんなに早起きをしなかった。  眠い目をこすって『着替え!』と言う大きな文字を書いて追い出す。  顔をぬぐって着替えたリリエンダはぐったりしながら首に掛かった大きなペンダントを指先でなぞった。鏡で見ても大きさは変わらない。重いペンダントはそのままリリエンダの心も重くしている。  皆の前で呪いをかけられてからと言うもの、ペンドラ国王も王妃もリリエンダをお城の部屋に住まわせることにした。外に出ると死ぬとでも思っているのか攫われるとでも思っているのかは知らないが、リリエンダが城の外に行くときは、許可がないと出られなくなった。そして一人ででも出ようとしたら、たちまちペンダントの宝石が光り兵士が追いかけてくる。リリエンダはうんざりしている。  海は広いが城は狭い。退屈と理不尽で心がずっしり重くなる。  リリエンダは呪いをかけられたことを重要視していない。死の呪いではないし、声が出なくても筆談ができる。海に近づかなくても大陸中を旅して魔法使いを探し、魔法を解けばいいのだ。もともと陸をぐるっと回ろうと思っていたのだし、ちょうど良いとすら考えていたのに。  そう伝えているのだが、そろいもそろって首を振られる。  彼らの言い分はこうだ。  曰く、リリエンダは大勢の前で人魚だと知られてしまったので人攫いに合う。  曰く、またヴルダナが来たとき、一人で大変な目にあうかもしれない。  曰く、悪者はリリエンダを騙して破廉恥なことをするだろう。  などなど。  耳蛸になってうんざりしたリリエンダはあっという間に言いくるめられてしまった。  今はリリエンダの書いた手紙を人魚仲間に渡そうと、複写した物を大量に海に流しているらしい。そのうち誰かが来て、リリエンダの呪いを解いてこの監獄から連れ出してくれるのを願っている。切実にだ。 「リリエンダ、もう終わった? 朝ご飯を一緒に食べよう」  アルゴ王子がべったり張り付いてきて鬱陶しい。  リリエンダを朝から晩までかまい倒そうとしていると思えば、いきなり逃げ出したり、べたべた触ってきたりとせわしない。  心休まる時間がなくて、リリエンダは深い溜息をついて扉を開けた。 ★★★  さわさわと風が草木を揺らす音は、少しだけ波のせせらぎに似ていた。大きな噴水のある庭に座って太陽を一心に浴びていたリリエンダはほっと息を吐いた。  やっと一人きりになったリリエンダは、今後どうやってアルゴ王子を交わそうかぼんやり考えていた。 「リリエンダ、リリエンダ!」  と、聞き慣れた声にはっと顔を上げてみると、噴水が黄金色に輝いていた。うっすらと女性の影が見える。 「あ、よかったリリエンダ! アンタが人間の国に捕まったって聞いて心配してたんだよ! ……どうしたんだい、なんで話さない」  心配そうな顔は、何百年ぶりに見る友達だった。  リリエンダは首を振って喉を触った。 「あんた、まさか陸の人間に恋をしてっ……? 違う? じゃあどうして声が出ないのさ。……ええと、魔女、ヴルダナがやってきて、うんうん。海に近づけない、声がでない、呪いをかけられた!? ええ!? ……人魚だってばれてるから、外に、出して貰えない? ははぁ、そのペンダント盗難防止用のだわ。大事にしてくれてるじゃん。事情はわかったけど呪いを解く方法は? え! 人間と真実の愛!? え!? ええ!?」  酷くショックを受けた様子の友達を見てリリエンダは肩をすくめた。 「わかったわ、長様に事情を話して、ヴルダナの魔法に勝てる人魚に行って貰えるように頼むから、しばらくそこにいてね。あ、手紙は海に流してるの? 場所はそれを見れば良いのね。わかったわ、それまで元気でね!」  ぱっと消えた姿はもう映ることもなかったが、リリエンダは心が軽くなった。  すぐに王に事の次第を告げると、彼らはそろって安心したようにリリエンダを抱きしめた。 ★★★  数日後に、裸足の美女集団が城下に現れた。艶やかな長い髪に美しい容姿の彼らは何者だろう、と不思議がられたが城の人魚を迎えに来たのだと話せば人々は納得したように頷いた。  リリエンダは知らせを聞いて、城の入り口へ駆け寄るとアルゴ王子と彼女らが何か話し合っているのを見つけた。 「リリエンダ! 久しぶり!!」  友達からは磯の香りがして懐かしさに涙ぐんだ。 「さぁ、中へ入ってください」  アルゴ王子の案内で人魚達は国王達に挨拶をして、一番広い部屋を借りた。  リリエンダは椅子にちょこんとすわり、年の行った、けれどとても美しい人魚が眼前立つ。 「リリエンダ、今から魔法を解きます。体をらくにして目をつむりなさい」  柔らかな手がゆっくりと喉の周りを撫でると、あっという間に魔法は解けた。 「治ったわよ」 「よかった、これで海に帰れるわ! アルゴ王子と皆様、今までリリエンダをかくまってくれてありがとう!」  友達が言えば、人魚達は口々に礼を言った。  海には他の仲間とヒルディが待っていると言うので、そのまま帰ることにすると、リリエンダを引き留めるように、アルゴ王子が手を握る。 「次に会えるのはいつ?」 「わからないわ。それに大陸中を回って観光することにしてたの」 「それって結婚相手を探すため?」  誰から聞いたのか、思わず半眼になる。 「陸の人とは結婚しないわ」  リリエンダは続ける。 「結婚するならクジラか海王イカって前から決めてたの」  その言葉に衝撃を受けたアルゴ王子はがっくりと肩を落とした。  クスクス笑う人魚達に連れられて久しぶりに海に戻ると、懐かしい顔ぶれが勢揃いしていた。 「リリエンダ、今回は災難だったわね」 「でも良い経験できたわ。ヒルディは大変じゃなかった?」  彼女は肩をすくめた。 「ちょっとね。でも、無事に魔法が解けて良かった。じゃあ、私がかけた人間になる魔法も解くから、海に足をつけて――【月はきらめき、華は踊る。形をかえよ、人魚に戻れ!】」  人間の足が光り出し、綺麗な鱗をもった人魚の下半身に変わる。借りた服も返して、リリエンダは冷たい水の感触にうっとり頬を緩めた。  これで人魚リリエンダのちょっとした騒動は終わり、ヴルダナの意地悪も終わった。永遠に。 怒った人魚達がヴルダナの住処にいたずらと呪いをたくさんかけたのだ。  ヴルダナが意地悪な呪いをかけようとすれば【タンスの角に小指をぶつける呪い】【空から落ちてきた海水がお化粧を落とす呪い】【ぺんぺん草まみれになる呪い】【カビが生える呪い】【虫が襲ってくる呪い】【鳥に糞を落とされる呪い】が発動するようになった。  お屋敷には【掃除をしないと屋根のどこかが壊れる呪い】【掃除をしないと起きたときにゴキブリが口の中に入る呪い】【掃除をしないと雑巾が襲いかかってくる呪い】等々かけられたので、彼女は大人しく屋敷の掃除をするようになり、世界は少しだけ平和になった。汚部屋も綺麗になった。  そしてアルゴ王子は一緒に来ていた人魚の一人にお願いして、魔法のインクを貰いリリエンダにまた手紙を書くようになった。  海にずっといなくても良くなったリリエンダは三通に一通くらいのペースで返信するようになり、二人は大切な文通友達になったし、リリエンダはたまに彼に会いに行くようになった。  さらに何年か経って、リリエンダが結婚してしばらくすると、そこかしこで人魚の姿を見るようになった。  彼女達は美しいがとても警戒心が強く【浮気したらナニが爆発する魔法の契約書】にサインしなければ恋人にも、お嫁さんにもできなくなったので、自信のない男共は逃げていった。  リリエンダは生まれた子供をだっこして、幸せそうに微笑んだ。隣にはアルゴ王子が彼女の肩を抱いて、娘の頬を優しくなでている。 「あんな契約書にサインしたの、未だにあなただけよ」 「これからずっと心変わりするつもりはないし、こんなに可愛いお嫁さんを貰えるなら安いものだよ」  そう言って二人はいつまでも、いつまでも仲良く寄り添い、幸せに暮らしましたとさ。