前編

 一国の王が住まうような広大な面積を使って作られてはいるものの、この箱庭の屋敷は実にせまかった。歩けど歩けど景色は変わらず、人工的に作られた森も、池も、庭も飽きていた。変わり映えのないこの箱庭に二十年間も閉じこめられれば誰だってそう思うはずだ。  人知れず魔女はため息をついた。  魔女の家名であるローゼンクレラは国が建ったその時から王に仕える名門中の名門である。だが王に求められたのは政治手腕ではなく一族が持つ不思議の力。  ローゼンクレラは魔女の末裔だ。能力に差はあるが生まれてくる誰しもが占いの能力に秀でていた。ある者は未来を目にし、ある者は不思議の力を使い、水を操り天候をよんだ。  かくいう魔女もローゼンクレラの持つ特色の類に漏れぬ者として生まれた。夢を見れば過去と未来を。物に触れればその歴史を透視した。動物の場合はその過去を見た。意識せずとも、呼吸をするように離れた場所にある物を浮かせてみせた。  魔女の力は軍を抜いていた。それこそ現代に不必要な力は先祖返りとも言われ当時はもてはやされた。  けれど、次第に王は魔女を恐れ広大な庭の中心に赤錆色の屋敷を築く。そして魔女が三つの時に、この箱庭に閉じこめた。天高く積み上げられた四方の壁はある一つを動かせば屋敷もろとも巻き込み崩壊する。魔女の白い空は、王の殺意でもあった。  いつか王が出してくれると思いこんでいた魔女の希望が叶わぬと知ったのは、それを知ったときだった。 「私が何をした」  魔女は白亜を見上げ、いつもそう囁いていた。風すら満足に流れぬこの世界にいったい何の意味がある。それほどの罪を己は犯したのだろうか。力があると言うことはそれほどまでに恐ろしいというのだろうか。  人の心を覗き見ることができなければ、魔女はここへは来なかったのだろうか。人の思惑の中を上手に渡り、閉じこめられる事はなかっただろうか。 ★★★ 「お師匠様」  何番目かの弟子が魔女を呼んだ。どうやらいつの間にか物思いにふけっていたらしい。二つ年上の弟子は不思議なことにローゼンクレラの者の中で唯一何の力も持って生まれて来なかった。 「何を考えていらっしゃる?」 「何も考えてはいないさ」  愚鈍で才能のない恥さらしと罵られていた彼を拾ったのは魔女だった。ローゼンクレラの弟子達から、バカにするように聞いた話に興味を持って呼び寄せた。  魔女は会うまでその話を信じていなかった。まさか、本当に何の能力も無いものだとは思いもしなかったので、会ったときは思わず笑ってしまったのだ。  酷く羨ましかったのを覚えている。 「裏庭の花が咲きましたよ」  弟子が言って無骨な指が窓の外を指した。その先にはくすみがかった白い空と森が見える。白夜ではない。ここではその壁が魔女の空だった。 「花か、そうか……この季節だとまた赤い花だろうか」 「ええ」 「ここより北では青い花が咲くのだろう? 空と混じり合うのだろうか? なぁ、青の深みはどれほどの種類がある?」 「いくらでも。……お師匠様」  たしなめるような言葉に魔女はふくれて腕を組んだ。弟子は、しまったと口元をおおうが出てしまった言葉はどうしようもない。 「出られないのは分かっている! 質問くらいいいじゃないか」 「と、取り寄せましょうか」 「いらん!」  慌てた声に怒鳴りつけた。たったこれしきのことで花を摘むのは忍びない。彼らはそこで生きている。 「いつか王は出してくださいます」 「夢物語だ。証拠もあるぞ、この間の手紙で、夫を選べと言ってきた」  思い浮かべて苦り切った顔をした魔女に弟子は気遣わしげな視線を送るが、次の言葉に表情を凍らせた。  テーブルの上に置いてある仰々しい書状。押印の押されたそれは正式な王からの手紙であった。 「強い力を持つ者の子どもは強い力を持つと言われていたから、これも道理かもしれない」  けれど二十四年と少しの間、のらりくらりとかわしてきたのだ。どうして腹をくくれよう。子どもができてしまえば魔女と同じようにこの箱庭で暮らすのだ。これほど退屈で恐ろしい世界に我が子を置く事など魔女にはできなかった。  ふと、結婚してしまえばこの弟子はどうなるだろうかと考えた。  一般的に未婚の男女が同じ場所にいるのは認められないが、師弟の関係で二人は一緒にいる事ができた。だが夫は弟子がこの屋敷に残ることを良くは思わないだろう。 「お前はいつまでここにいるつもりなんだ。他の者達はすでに役職に就いてるのに」 「オレのような者を雇う場所はありませんよ」 「だが、お前には力の変わりに剣があるだろう? それに学者になるのもいい。それが嫌なら職人に弟子入りしたっていいし、畑を耕すのもきっと楽しい。何かしたいことはないのか?」 「お師匠様、夕食はどうなさいます」  肯定も否定もなく話を逸らしたのは考えていないからだろうか。何をしたいと言っても怒らないというのに、弟子は未来の話をしたがらない。  やはり、ローゼンクレラの者として役職に就きたいのだろうか。 「……私とお前を二つで割って足したらちょうどいいのにな」  そうしたら、二人とも空の下で笑っていただろうか。分からないが、誰にも指を指されなかっただろう。 「師匠、泣かないでください」 「涙は流れてないが?」 「いいえ、泣いておられます」  言うと、無骨な指が目元を拭った。  乾いたままの指を何度も往復させながら、弟子は泣かないでと繰り返す。もう一度、泣いていないと言うとようやく弟子は手を止めた。  魔女と、化け物と呼ばれる彼女に躊躇無く触れるのは、長い間でもこの弟子だけだった。  王は魔女を恐れている。  王は魔女を箱庭に閉じこめた。  魔女はいつでも空を望んでいた。  それ以外は何も望んだことはなかった。  それ以外の物しか与えられなかった。  力も富も権力も栄光も魔女は一度も望まなかった。  だが、人々は言うのだ。  魔女は時期に王国を滅ぼす魔性になると。  魔性は閉じこめなければならないと。  人々にとって力は魅力と共に憧憬であった。  それを持った魔女を人はねたみ恐れた。  だから、王の意思は国民の意思でもあった。 ★★★  結婚の二文字は魔女を酷く煩わせた。  断る端から見計らったように別の相手が来る。ある者は権力欲しさの欲まみれ、またある者は魔女の力に怯えて話もままならない。げんなりとしながら去った見合い相手を見て魔女はため息をついた。  扉が閉まったとたん、入れ違いに入ってきた弟子に魔女は貼り付けていた笑みを消した。そして、彼の持っているココアのカップを見つけて目を輝かせる。 「お疲れのようですね」 「……思い出させるな」  今日一日分の体力を使い果たした魔女はぐったりとテーブルに突っ伏しながらちまちまとココアをすする。  王の要請は強くなっている。 「あと三人ほどいらっしゃいますがどうなさいます?」 「無理だ! 「体調を崩したので」とでも言って追い返してくれ。それと、王に送った書状の返事は?」  魔女は、見合いの話を白紙に戻せと言う内容の物を送ったが一ヶ月経っても返事は来ない。 「それが、お忙しいとのことで」 「ほぅ、普段はどうでもいいような事で手紙を出すくせに、こちらの用件は聞かぬと来るか」  やはり王は魔女の言葉を聞かぬ。  心の中の何かが切れた。  怒ることもなく、また冷え冷えとした表情でもなく、ただ色の抜け落ちた布のような顔をした魔女に、弟子は不安そうな表情を送った。  魔女の相手は相変わらず決まらなかった。  断りを入れても二度、三度とやってくる者達を相手にしながら、確実に魔女はすり減っていった。  しびれを切らせた王がいつ勅命を下すとも知れない中、魔女は部屋にこもりがちになる。