止めようとさえ

 案内されたのは、リビングデッドがわき出す水路の入り口だ。やや斜めな穴からゆっくりと敵が這い出してくる。  水路を埋めないよう出てきたところを順番に倒していくと、周囲はあっという間に腐乱死体の山を築いた。  神木の周辺はファルバ達が中心となって掃除をしているらしいのでハルとモリト、そしてカリオンは水路の穴から侵入を試みることになった。  リビングデッドの流れがいったん途切れると、ハルは水路に向かって吠えた。吠えたつもりだったが「にゃー!」と言う猫の鳴き声にしかならず、声も小さい。  赤面し、八つ当たり混じりにカリオンに吠えるように言えば「グルオ!」と響く。 「こんな事して相手に気付かれないか?」 「気付かれるわ。でも、こっちも相手の位置が分かる」  耳を澄ませ反響具合を調べたハルは素早く水路に滑り込んだ。 「モリトはそこで待っていて。わたしは奥へ行って、残りを退治してくるから」 「俺も行く」  水路に入り込んできたカリオンをぎょっとして追い出そうとすると、 「しばらく潜ってたから、水路のことはだいたい分かる。今から行くところはまだ見てないが、落盤したあと無事に出られないんじゃまずいだろう?」 「……カリオンが行くなら、ボクは大人しく待ってるね」  珍しい、とごねなかったモリトを見上げ、ハルは頷いた。確かに落盤の危険姓はあるし、カリオンなら危ない場所も大丈夫だろう。  村人達と共にモリトがいなくなる。  月明かりは入り口までしか照らさず、中は真っ暗だ。しかし、ハルの目ははっきり奥まで見通せる。 「はぐれないように、手を繋ごう」 「いらない」  歩き出した彼女を留めるように肩に触れたカリオンは、遠慮がちに言う。 「……前のように、ハルの望まないことはしない」 「……………」 「本当に、反省してる。だから、もう二度としないって誓う。お願いだから、手を。何があるかわからないから」  見上げて、諮詢したハルは口の奥でもごもご言った。視線を右に、左に揺らし―― 「だって、カリオンが悪いのよ」  そっと左手を差し出した。 「ごめんね、ハル」 「これじゃ剣が握れないわ」 「俺が代わりに戦うから大丈夫」  大きな手が安心したように握り返し、二人は歩き出す。  薄暗い水路は水の匂いが濃く、鼻の奥がつんとした。 「ハウリングの様子で分かったけど、蟻の巣みたいに細い通路があって、行き止まりがいくつかあるの。生き物がいたのを見つけたけど、すぐ奥に引っ込んじゃったわ」 「それが死霊術士?」 「わからない。でもここにいるなら締め上げる価値はあると思うわ。途中にリビングデッドがいるなら、とくにね」  ザン、と大剣を振るえば崩れ落ちる生き物だった者。  二人は手を繋ぎながら黒い流れとなって襲いかかるそれらに対峙した。カリオンは大剣で、ハルは蹴り飛ばしたりしながら。  足はよどみなく前へ進み、枝葉を払うように剣は振るわれる。  最奥部は少しだけ大きな空間が広がっていた。  そこに、二メートルを超えた巨大な何かがいた。手がシャベルののように平たく爪は尖っている。突き出た鼻先に裂けた口。モグラに似た悪魔だ。それがルビーのような目をハル達に向けている。 「お前達、嫌いな匂い。太陽の匂いがするゾ」 「お前が水路を決壊させたのか?」 「そう、そうだじょ。太陽の匂いは嫌いだ。なのに探さなくちゃならない、ああいやだ、いやだ」  あまり頭はよくないらしい。悪魔は同じ言葉を繰り返し続ける。 「きらいだ、いやだ、いやだ。だけどここはいい。水の香り、太陽の匂い、しない、しない。探す、探す。女で小さい、小さい女」 「探して、どうする」 「食べるじょ。食べる? いいや、食べない。殺す。殺す」 「何のために」 「殺す、殺すじょ。殺す、殺す、殺す、殺す、殺す!!」  モグラの悪魔は襲いかかってきた。まるでパニックになったかのように無造作に手を振り回し、そこら中の土壁を削りながら。  それらを避けながら、どうしたものか考える。これから締め上げて吐かせるべきか、それとも殺してしまうか。  カリオンが、悪魔の腹部を痛烈に蹴り上げた。  ふたりはちらりと視線を交わしあうと、 「どうするの?」 「どうするか」  よし、と 「殺そう」 「そうね」  あっけないほど簡単に命は刈り取られ、骸はぬかるみに沈んだ。  もどろうか、とカリオンが差し出してきた手を今度ははねつけ、ハルは先に歩き出す。 「もう全部殺したから、大丈夫よ」 「落盤してはぐれるといけないから。――あ」  手を取られ、腑に落ちない面持ちで嘆息したハルは勢いよく顔を上げる。耳の奥で地鳴りがしている。 「水が来るわ!」 ★★★  モリトは通せんぼするように眼前に立つファルバを見上げた。大きな老人だと思う。老いてなお体躯は堂々としていて鍛えられている。庭師の仕事は力仕事だ。村での畑仕事もある。そうやって五百年を暮らしてきたのだから蓄積された経験も多いだろう。  それでも、ファルバは外の世界を知らず、神木の側にずっとあった。  獣と神木の関係を思えば自然なことだが、あまりにも不自然だ。獣は神木の間を歩く渡り鳥なのだから。 「童、ここで待っていなさい」  威風堂々とした声は聞く者を従わせる力があった。  首を振ったモリトは彼の向う側をのぞき見た。リビングデッドは全て倒されたわけではないが、供給が無くなった以上、数を減らしている。モリトが無理に参加しなくても誰も死なずにすむだろう。 「混血でも、力は短命種以上にあるんだね」 「童」 「ボクはレイディミラーのモリト。童じゃないよ。お爺さん、ボクはずっとお爺さんと話をしなくちゃって思ってた」 「儂にはない!」 「ボクにはある」  引き下がらない子供に苛立ったように、ファルバは顔を歪めた。 「神木にモリトと獣が会いに行くのに誰の許可もいらない。これは世界が始まったときから続く営みの一つだ」 「神は儂らに何一つしない。そんなものの言う事を聞く必要なぞない!」 「言う事を聞く? 違うよ、そう言うことじゃないのはわかるでしょう? ボクらはそうやって暮らしてきた。ゼーローゼだってそうだから、神木を守って今まで生きてきたんじゃないの? どうしてボク達を神木に合わせないで、だめだとばかり言うの。交わした約束は、ボク達に合わせないと、そう言うものだった?」 「――っ」 「ここに来てから沢山の本を読んで、調べ物をしたよ。人に聞いたり、王様に交渉したり。でも、けっきょく肝心なことはわからなかった。神木はどうしてボク達を避けるのか、会いたくない理由があるの? それとも会えない理由が? 教えてよ、五百年前に何があったのか。このままじゃ、ボクはここを離れられない」  神木の目は拘束力でもあるというのか。  ファルバは胸中で皮肉に吐き捨て、これ以上は無理だと悟った。 「面白い話でもない」 「話してくれるの?」 「絶対に獣には言うな」 「約束にかかわることなの?」  苦い顔をしたファルバの眼光にモリトは首を振った。 「約束できないよ」 「頑固な童めっ」 「それは本当に知られたら不味い事?」 「………。わかった。お前に任せる」  諦めたように嘆息してファルバは話し始めた。 「儂らの祖先は、元々別の場所に住んでいた。だがな、争いが起こり嫌気が差してこの土地にやって来た。当時は一面砂漠だったらしい」  隣人に嫌気が差して引っ越しをするのはままあることだが、砂漠を選んだのは周囲にどんな種もいなかったためだ。隣人と諍いを起こした彼らは、絶対に誰もいない土地に住むと決めていた。  さて、祖先達が新しい土地でまず始めたのは植林だった。妖精族は魔術に長けた一族で、砂漠でも水を得ることはできた。ゆっくりと大地を緑に染め、安寧の土地を作ろうと計画していたのだ。  その努力は何代繰り返しても続けられた。砂嵐にまかれ、せっかく育った苗木が駄目になることはざらだったが、彼らはめげなかった。  妖精族は偏屈で頑固な一族だ。彼ら砂漠の緑化に矜恃をかけたのだ。  何百年も経った頃、ふらりと旅団がやって来た。  彼らは奇妙な一団で警戒する妖精族に問いかけた。 ――いつも、そこで何をしてるんだい?  彼らは自分達の目的を話すと、それを聞いた旅団の一人がいたく感心し、その地に根を張ると言い出した。  それが、現在のパイロン王国にある神木だ。  旅団は神木の間を行き来していた獣の集団だった。当時、短命種と獣達の中はそれほど悪くなかったのだ。  突如現れた類を見ない巨大な木に妖精族は驚いたが喜んだ。大きな木は暑い日差しを遮り、熱風から彼らを守った。 「その時から祖先は「神木を守り、心を尽くす」と誓った」  それは、緑化のためだけに日々を生きる彼らのために木陰をあげた神木に対する、ささやかな感謝の気持ちだった。  神木が砂漠に根を張ってから何百年も時は流れた。毎年旅団が来るようになり、妖精族は様々な知恵と種を手に入れることができるようになる。  そしてあるとき、誓いを聞いた一頭の獣がいたく感心して、その場に残ると言い出した。獣が一カ所に留まるのは滅多にない事だったが、その獣は「世界を回った。神木のことならよく知っている者が近くにいた方がいいだろう」と言って留まった。  これの名前がゼー。 「一族の娘と婚姻を結び、ゆっくりと獣の血は儂らの中に混じり、二つの姿を持つのが当たり前のようになった。カリオンを知っているだろう? あの子は性格的には妖精族の気性だが、伝え聞く獣にそっくりだ。小さい頃は、殆ど獣の姿で暮らしていた」 「カリオンが?」 「獣の血が濃く現れる者はかなりの長寿となった。それを知った者達から狙われる事もあったが、おおむね平和に暮らしていたな。数が増えると氏族を作り、儂らは仕事を分担した。そしてゼーの名前をつけることにした。一帯を守る役目のゼーメギ。田畑や神木の世話をする、儂らゼーローゼ、とな。他にもいたが、残ってるのは儂らだけだ。そうなったのは、五百年前の侵略戦争の折り」  他の氏族達が滅びるほどに苛烈な戦いは夏に始まった。  現在の王家、建国王が率いた流民達が濁流のように襲いかかってきた。  砂漠の地を一から耕し、獣達が持ってくる知識や情報、運び込まれた種を地道に撒いてようやく緑を得、神木に献身を捧げた果ての侵略は神木の根元に住む者全てを激高させた。  ようやく豊かとは言えないが、暮らしていくのに困らないほどの糧を得るようになったのに、と。  流民の殆どは過去、神木を切り倒し悪魔に終われに故郷を追われた者達だった。自業自得であるし、その中には過去、先祖が嫌気が差して出て行った土地の出身者もいた。 「そして、儂らはゆっくりと追い詰められていった。侵略者達の数は多かったし、奴らは火を使うことが多かった。森は焼かれ、糧は減り、儂らは飢えていった」  昨日笑っていた者が次の日にはいない。  繰り返された理不尽な別れに神木は嘆き、葉を落とし始め、事件は起きた。ゼーローゼ以外の氏族が全て絶え、滅ぶしか無くなったとき神木は結界に大きな穴を開けたのだ。 「穴からは黒い流れのように悪魔が出現し、空は真っ黒に染まった。悪魔はまず神木を襲い、幹にかじりつき、枝を落とし切り倒そうとした。儂らは応戦したし、神木に穴を塞ぐように言ったが無駄だった。儂らが滅びるなら、憎い相手を道連れにするのだと言って聞かなかった。神木は心を病み、嘆きの沼に沈んでいたのだ」  神木は絶えること無く悪魔の攻撃を受け、侵略者達も仰天した。神木を襲う悪魔の群れに兵を挙げ撃退に乗り出した。  当時のゼーローゼ達は必死で神木をなだめたし、言葉を尽くしたが穴は塞がれず。 「儂はまだ成人も迎えていないような子供だったが、まずいと思った。そこで神木と約束をした。絶対にゼーローゼは神木の根元を去らないと。侵略王と約束を結んでくると。儂は一人で流民共に会いに行った」  当時を思い出したのか、ファルバは千切れたような耳を擦った。 「この傷は、その時に負った。奴らは儂を捕まえ殺そうとしたが、神木を失うと脅せば王の足下へ転がした。儂と、奴はそこで取引をした」 「庭師として、神木の根元にあることを?」 「お前達は、神木の世話の一切をゼーローゼに一任すると言う約束をした。そう聞いているだろう? しかし、少し違う。儂は侵略王に殺した氏族達の代わりになるように言ったのだ。そして、神木の前に二度と顔を出すな。誰も近づけるな。そうで無ければ穴は塞がれぬと。断れば神木はお前達を道連れにして朽ちるだろうと」  子供の戯れ言と言うには結界に開いた穴は大きかった。  神木の真上の空間が歪み、悪魔がぼとぼとと落ちてくるのだから見た者は誰もが震え上がっただろう。 「侵略王はそれを鵜呑みにした。後から考えれば子供の戯れ言によくも、と思うが。流民共は神木が心を持ち、我らと同じように言葉を交わすと知らずに戦を仕掛けた。パイロン王はそれに感づいたのだろう……儂は背中に契約書を刻んだ」  上着を脱げば、剥がされた毛皮の上に細かな傷があった。完全に痕が残るよう、深く傷付けた痕がある。  モリトは傷跡をなぞり奥歯を噛みしめた。 「儂は帰ってこれを見せた。神木は結界に穴を開けるのを止めて、悪魔は討伐された。しかし生き残ったのは幼い者ばかり。儂は神木を気にしながら、侵略者達と向かい合わなければならなかった。生き残るために一族を纏め納得させるまで百年費やした。……だがその後、神木はぱたりと言葉を交わしてくれなくなった。それどころか神木としての体を無くした自分は、もう二度と顔向けができないと言ったのだ。モリトにも、獣にももう会えないと。大人達ならば慰めの言葉を多く言えただろうか。神木が思い悩む必要など無い……全ては儂らが弱かったせいだ。純血種であったならと今でも思う」  盛り上がった傷跡をなぞるように指先で脇腹を撫でたファルバは当時を思い出すように目を伏せた。 「神木は、洞を無くしたんだね」 「……お前の獣にあったとき、あれは知識を求めていた。絶対に、神木に合わせるわけにはいかないと、儂は思った。これ以上あの人を傷付けたくない。それに、お前達だけには自分達が半端者で役に立たないと言うことを知られたくなかった。そして泣いた神木を、これ以上泣かせたくなかったのだ」  愚かな事だ、と老け込んだ表情で彼はつぶやく。 「しかし、そうやって生きる以外に思いつかん。神木は自身を許せずにいる。……周囲の者には病と言ったが、病の根は心にある。洞を治すことは叶わないだろう。当時生き残ったゼーローゼ達で、後の世の子供達にはけして伝えないと決めた。儂が死ねばこのことを知るものは誰もいなくなる」 「……。神木の気持ちはよくわかるよ。君達がボクらのために滅びるほど心を砕いて尽くしてくれるのが、嬉しいけど辛いんだ。神木が洞をなくしたなら、生きる価値が無いと思うほど悩むのもわかるよ。ボク達は獣の家なんだから」  モリトは立ち上がり、うずくまる老人に手を伸ばした。  ファルバはしばらく見つめるばかりだったが、手を取った。皮の厚いしっかりとした手だ。 「報いたいと思うけど、そうする力をボクらは持ってない。神木が言葉を交わさない理由も、枯れなかった理由もわかった。その上でもう一度お願い。ボクを神木の根元へつれて行って。このままで終わるのは悔しすぎるから」  成した事の成果を奪われ、荒らされ、傷付けられたまま時が過ぎてしまった。パイロン王国とゼーローゼ達の対立関係は水面下で変わらないまま進行している。  と、ばたばたと慌ただしい足音。  すっかりリビングデッドは倒され、モリトはハル達が帰ってきたのかと思った。  しかし、来たのは王国騎士数名と、庭師が一人。モリトも見たことがある。迷子になったとき、案内をしてくれた庭師だ。彼はファルバ達を見つけると慌てて駆け寄ってきた。 「ご無事で!」 「誰の許可を得てここへ入った!!」  怒号に怯えるよう両手を挙げて後ずさった庭師は顔を顰めた。 「す、すみません。でもですね、城はリビングデッドが出たり水路が決壊して水浸しになったりと、大変な事になってるんです。ここに何かあったらいけないということで、俺が案内を……」 「臭い」  モリトは顔を顰めた。風に乗って漂ってくる濃い、血の臭い。それに混じる腐敗臭。腐った、水の匂い。 「……。ああしまった、やっぱり、夏場はダメだな」  王国騎士達がゆっくりと剣を引き抜いた。さびて刃こぼれした刀身に付着した血が黒く固まってこぼれ落ちる。よく見れば双眸に生気は無く、喉の奥が黒く腐り落ちている。 「あなたは誰?」 「うーん、名乗るほどの者じゃないけど、君達を殺しに来た者だよ」  優しそうに笑った庭師は背負っていた背負子を下ろすと、くくりつけていたノコギリで軽く地面を打った。  地面の揺れが激しくなり、あちこちから泥水を吹き上げたリビングデッドが這い出してくる。 「死霊術士」 「大当たり! ご褒美に仲間にしてあげよう」