穏やかだったかを

 殺されたのは皿洗いメイド。今年から王宮で下働きを始めた平民出の女だ。  真夏だというのに完全に凍り付いた死体は内蔵が三つ無くなっていたそうで、城内は騒然となった。  当たり前だ。  こんな事をするのは悪魔と決まっている。  城内は降ってわいた殺人事件に関心が吸い寄せられ、使用人達は怯えながら仕事をしている。 「しっかし、奇妙な死体ですねぇ」  ぞり、と手袋の先で地面を擦るとシャーベット状になった土が纏わり付いた。死体の回りには霜が降っている。この暑さでも溶けないとなると魔術だが、なぜ凍らせたまま内臓だけ抜き取って放置したのだろうか。 「何か目的と意味でもあるんですかね? 聞いてます?」 「うるせぇなぁ、俺らは後片付け。調べ物は別の部署の仕事だ」  周囲を警戒していたアルベは白い羽をばたつかせながら同僚のペタンを見下ろした。青い鳥人はへへへ、と誤魔化すように笑う。 「いいじゃないですか、遊撃部隊の待機組は暇なんですから」 「副隊長の前で言ってみろよ。そしたら認めてやる」  ペタンはす、と視線をそらした。そらみろ、と半眼になったアルベは襟首を掴むと引っ張って立たせる。 「俺達はあっちだ」 「へーいって、足跡?」 「森の中へ向かってる」 「そりゃ、厄介ですね。捜索の許可は?」 「降りてないらしいぞ。お偉いさんはゼーローゼに関わりたがらんからな」  悪魔が森に逃げたかもしれないのにのんきなことだ。  足跡は踵が丸く三十センチにも満たないため小柄な人形の悪魔だろうが、王国騎士が判別できないとなると危険度は中級の悪魔に匹敵すると言われている。  当たり前だ。お仲間だと思っていたら後ろからばっさり殺されるかもしれないのだから。 「無断で森に入るわけにも行きませんし、よしんば森に入ってゼーローゼが良いと言ってもお偉いさんが怒るでしょうし……。上官が戻るの待ちましょうか?」 「そうだなって、ゼーローゼが良いなんて言うか?」 「あれ? 知らないんですか、あの人達、話せばけっこうわかってくれますよ」  半眼になったアルベがペタンの頭を握っても誰も責められないだろう。どう言う事か指先に力を込めつつ聞けば、慌てたペタンが答える。 「アダダ! 庭師の間じゃけっこう知られた話ですって! お客人とか新入りが林突っ切って森に入っちゃうときがあるでしょう? そういうとき、ゼーローゼが見つけて送ってくれたり、夜遅かったりすると家に泊めてくれたりするんですよ!」 「おいおいそんな話聞いた事ねぇけど大問題じゃねぇのか!?」 「そんな事ないですって! 森だってゼーローゼが許可すれば誰でも入れます。まぁ神木の元へは別の話なんでしょうが」  あの人達は良い一族ですよ、とペタンは頷く。 「彼らは小さい子に優しいんですよ。ちなみに泊めて貰ったのは五歳の女の子でした。お姉ちゃんとはぐれたらしくて翌朝半べそかいたお迎えが来たそうですよ。ほら、カリオン様を未だに盗撮したりつけてる人達の」 「ああ、ニメリア家の」 「……。本当に知らないんですね。もうちょっと周囲を見た方がいいですよ。それとも友達いなイデデデ!!」  しょっぱい物を見る目で余計な一言をかました青い鳥の顔面を握りながら、森の奥を見る。葉の間からこぼれ落ちた光が地面を照らしている。素人から見ても綺麗によく整えられた森だった。  ゼーローゼは勤勉な一族だ。  アルベにだって仕事ぶりを見ればよく分かるし、だからこそ彼らが引きこもっている事実がどう伝わるか不安だ。ゼーローゼが悪魔を匿っている。結託していると噂されるのは時間の問題だろう。 ★★★ 「古来より、人形の悪魔は偏食家と知られています。血だけを抜き取る吸血鬼が一番有名でしょうか」 「今回もそうだって言うの?」 「どうでしょう。内臓には栄養が詰まっていますが好んで食べるのは動物に対しても言える事です。第一発見者の庭師はお気の毒でしたね。お腹がぱかっと開いている死体を見るのはぞっとするでしょう」  事件現場の近くにいたと言う事で王国騎士が話を聞きに来たものの、練兵場に行った経緯を聞いただけで去って行った。ハルの無実はカリオンと、お嬢様三人、被害者の死亡推定時刻が証明してくれる。 「しかし、悪魔が城内へ侵入するのは並大抵の事ではありません。なぜ知られるような事をしたのでしょうね」  結界を抜けて人に擬態し、怪しく思われない身分を得て城に採用されなければならない。 時間がかかるし、途方も無い道のりだ。 「その通りです。孤児や身内がいない者はまず採用されませんからね」  そのせいで、本物の孤児達は就職にあぶれる事が多いのだという。血を見れば一目瞭然だが、何度も自分を傷付けなければならず、女性には厳しい。  そして悪魔達は自分の血液を見られないよう、最新の注意を払う事になる。周囲から逸脱しないよう隠れながら。 「未だ悪魔は城内に残ったままと考えると、少し恐ろしいですね。図書室にも行きにくくなります」 「ボクがいるよ」 「わたしもいるわ」  頼もしさに勇気づけられたダグラスは微笑んだ。 「この出会いをいただけた事を神に感謝しましょう。しかし、こう物騒になってくると城内を歩くだけでも大変ですね、警備も厳重になっている事ですし」 「――お客様に万が一の事があってはいけませんので、ご容赦ください」  壁に張り付いていた王国騎士の一人が律儀に答える。全身を覆うフルメイルが輝かしい。それが三つ並んでいる。まるで置物のようだ。  一人に一人ずつ、と言うよりも、ハル一人では心許ないと思ったのだろう。昼時にやってきた彼らはずっと居座っている。おかげで一時も面を外せないハルは顔が痒くなってきた。  彼らと多少話した後、部屋のベッドは二つに増えた。ダグラスが隣の部屋から移ってきて、今夜から二人。ハルは別室で交代しながら護衛になった。モリトはぐずったがどうにもならない。  謁見の返事が返ってきた。  一週間後になるとディザスは告げ、その間、十分身辺に気をつけるよう忠告して帰っていった。  その晩に侍女が失踪したらしい。見つかったのは次の日の夜で、またもや内蔵が三つ無くなっていたようだ。死体は林の中から見つかり、大捜索が行われることになった。犯人の足跡は林に向かって消えたのだが、森の奥の捜査は許可が出ない。  恐怖は不満に加算され、ゼーローゼ一族は貴族達の話題にあがれば傲慢な一族として中傷される事となる。彼らが犯人を匿っているのではないかと囁かれることさえあった。  それに比例して王の下へは嘆願書が山積みになった。ゼーローゼの特権を撤廃しろだとか、一族に事情聴取をするべきだなど処刑を担当する貴族が声高に言い出しているらしい。  彼らがどうにかして不安を解消したいと思うのは当然のことだが、噂に踊らされ態度を変えたり中傷するのは子供染みた言い訳に等しいのではないか。  図書室へ行く途中に見つけた数人のやりとりに、ハルはうんざりする。  一人の女性を数人が囲い込み、問い詰めている。ハルの耳は常人がかろうじて目視できる距離の会話を拾った。他に人もいないし鳥の鳴き声もしなかった。  そして不幸なことに、横にいるのはダグラスとモリトだ。二人はすぐに諍いに気付いて方向を変えた。 「――と……ても、ち……ます。そんなことありませんっ! わ、私は何もしていません」 「じゃあ、どうしてパールが死んだのよ! あなた死んだメイドと同じ時間の勤務だったんでしょう? 何か知ってるのではなくて?」 「それは事情聴取でさんざん話しました! 無闇に人に言ってはいけないとも言われております」 「皿洗いメイド風情が侍女の私達に意見しようって言うの? それともゼーローゼを庇うとでも!」 「そ、そんなことは」 「――どうかなさいましたか」  声をかけると侍女達は睨みつけていたそのままにダグラスを睨み、高位神官の制服に慌てて頭を下げた。 「いえ、ちょっと話し合いをしておりましたの」 「お客様、道に迷われたのですか?」  ほほほ、と侍女達は笑うが、ダグラスは微笑みながら小首をかしげた。 「話し合いとは思えないお声がしていましたが、僕の気のせいでしたか」 「え、ええ」 「おばさん達、嘘つきだ」  モリトの言葉に一瞬形相を変えた侍女達は無理矢理口を笑みの形に変えた。 「わ、私達はこれで……」 「ゼーローゼを庇うってどう言う事? 彼らは何かしたの」  動揺した彼女達は顔を見合わせたが、勝ち気そうな侍女が進み出た。 「お客様、彼の一族は神木を独占しております」 「独占?」 「然様でございます。王族すら蔑ろにし神木を盾に強権を施行し、今回の事も調査をさせずいたずらに不安をあおり立てております」  どう考えても不安をあおり立てているのも強権を施行しているのも侍女達だが、彼女達にその考えは無いのだろう。  すでに何を言っているかわからないモリトは首をかしげ、珍しく眉根を寄せている。 「王様を蔑ろにしてるの?」 「彼の一族はそれはもう! お客様はヘリガバーム教団からいらっしゃった大切な方。神木を不当に所有しようとするゼーローゼ一族は――」 「そこまでにしていただきたい。まさかこのような状況で巫に虚言を囁かれては困ります。全ては憶測の域を出ないのではありませんか? 王城の雰囲気を乱すような行為を侍女殿が自らするなど――懺悔の必要はありますか?」  気圧されたような侍女達は「申し訳ございません」と口早に言い、そそくさと去って行った。皿洗いメイドも礼を言い、業務に戻っていく。 「……まいりましたね。こうまで雰囲気が悪くなってくると調べ物もはかどりません」 「放っておけばいいじゃない。わたし達には関係無いでしょう?」 「そうでもありません。僕は神官で相談事や懺悔も聞きます。皆さんの不安が少しでも薄まるように祈っているんですよ」  昨日から早速、城の蔵書に埋もれるように図書室を使用しているダグラスは、ほんの少しの時間も惜しい、と言う表情をする。しかし惑う仔羊を思って心揺らしているようだ。  難儀だな、とハルは思う。彼は学者という面が表に出ているが神官でもある。その本分は人の役に立ちたいという善意が強いようだった。 「今日は何を調べるの?」 「実は、少し不可解な本を見つけたんです。お二人に見ていただきたい」  二人は顔を見合わせて、図書室のドアをくぐった。  むっとするインクの香りが鼻に付く。壁紙にこびり付いたようなかび臭さも混じり、鼻の奥がつんとした。  何メートルもある本棚が壁につけられ、二回は吹き抜けになっている。梯子を立てかけなければ、最上部の本は取り出せないだろう。 「さて、あっちです」  導かれるままに進めば奥まった場所の雑多な分類コーナーに入った。司書の姿は無く、人気も無い。  護衛達は邪魔にならないよう入り口付近で待機している。  ダグラスはその中の一つを取りだした。 「これです」  開けば、崩れ去ってしまいそうな羊皮紙でつくられた二つ折りの紙の中心に事細かな文字が書かれている。 「何語?」 「建国王が使っていた言語の一つです」 「お母さんに習ったから、これ読めるよ」 「……そんな字あったっけ?」 「ハルと違って、お勉強してたから」  無意識に膨らんだ頬をモリトはつっついてやった。  たまにモリトは素で意地悪なことを言う。いや、意地悪だと思うのは半分以上図星だからかもしれないが。  まぁまぁと取りなされ、三人は頭を付き合わせて中身を見た。 「紛れてしまったかよくわからないんですが、所々文脈がおかしくてですね……、おそらく暗号か何かではないかと。ぱっと見は馬の解体のやり方なんですが」 「崩し文字って事?」 「”けんこくおうしんりゃくせしめるが、かみのきらくるい。えだおれみきたおれる”」 「……これは驚いた」  崩し文字とは密書などに使われた手法で、ある手順で文字を追って読まなければ正しい意味にならないものだ。そのままでも読めるため、発見される確率は少ないが、漢文のような物と言える。  さすが、言語に関する事を集中的に洞に書いてあったレイディミラーの子と言うべきか。モリトが呟けば、ダグラスは感心したように羊皮紙をさしだした。続きを読めと言う事だろう。 「ええとね……」  建国王侵略せしめるが花、これを避けることならず。戦長期に渡り花、枯れ落ちる。右の神の木落涙。悪魔天より溢るる。右の神木、枝折れ幹倒れ後、花の生き残り慰むるが復活ならず。天覆う黒波に侵略王、力無く。侵略王問う。如何にすべし。花の生き残り約と答えこれを結ぶ。右の神木、花の約を聞く。黒波引き深き眠りにつく。 「うーんと、つまり、建国王が侵略したとき花がたくさん死んじゃって、右の神木が凄く悲しんだら悪魔がふってきたよ。花が声をかけたけど、ダメだったんだって。それで侵略王がどうすればいいの? って。花は約束を結べって答えたら悪魔が引いて神木は寝ちゃった……?」 「右はパイロン王国の神木ね」 「なぜそうと?」 「神木が隣接してるのはここだけよ。じゃなきゃ右なんて表現は使わないと思うわ」  ダグラスは納得した。 「しかしこの文面からだと、花はゼーローゼの事でしょうか。神木は枯れてそうですね……。実は、昔からパイロン王国の王城には神木が無いのではと噂されています」  二本の神木があるにもかかわらず、結界は薄い。ここ数百年姿を見ていないのは王城にあるこの一本だけらしく、周辺国は神木の存在自体を疑っている。 「それは無いと思うわ」  ファルバの反応を見て思う。 「でも、いい状態じゃなさそうなのは確かね。他に目ぼしい物が無いか探してみましょう」 「そうですね。……そう言えば建国王は元々流民だったそうです。いくつかの言葉を話せたのも、その事情があったからでしょう。図書室の歴史書をあらかた読みましたが、戦争時に神木が枯れかけたのは事実のようです」 「読んだって、本当に?」 「あの棚くらいの量ですよ」  それほど時間が経っていないにもかかわらず、棚一つ分くらいの書籍を読破したという。ハルは書棚が何段あるか数えようとして止めた。  ダグラスは事も無さげに言った後、ああそれと、と続ける。 「それから五百年前、当時ここあったのは国では無くフロースという集団だったそうです。動物を従え、五年の間戦い続けたとか。まぁ、教団の総本山も昔、彼らの土地だったと言われていまして、いろいろな部族や種に攻め込まれたという記述も残っているんです。教団があそこを総本山としたのはパイロン王国の建国前でして、当時は流民達の大暴動だ、これは不当だから教団に土地をよこせと抗議し、小競り合いをした事もあった様子で……いえ、お恥ずかしい限りですが戦争を続けた結果、神木が更に枯れて結界が弱まってですね」  今なら原因も分かりますが、まったくすみません。とダグラスは肩を落としたがハルは半分も聞いていなかった。  気になる事を知ったし、何より短命種とはそう言う物だと分かっている。そして、彼が謝っているのは過去のことであり、今更どうにもできない事だ。