召還された彼女の条件

     

 太古の昔、アトランティスは突如襲った未曾有の天変地異により一昼夜で滅亡した。大陸は暗く深い海の底へと沈み、歴史から姿を消した。  けれどこの世界では間違いだ。  確かにアトランティスは天変地異とも言える現象に襲われたが、原因は自然現象ではなく大陸単位で召喚されたため。  召喚したのは希代の神術師ディーヴと百人の弟子。愚かしい志願者二千人。場所は、広大な面積を誇るデルシャワ湖の中心だった。  地球のように球形ではなく平面で構成されたその世界の名はトワイワース。  神術師とは神から与えられた力を使う者達のこと。神術とは傷を癒し水を操り風を吹かせ炎をたぎらせる術のことである。  ディーヴ達はその神術を使い、異界から神を喚ぼうとして失敗したのだ。当然、大陸単位で召喚されたアトランティスの住人は、召喚による反動で大半が死に、生き残った者達は怒り狂った。召喚をした神術師の九割も死に、残りは後遺症を残して神術の技術は大幅に失われることとなる。  さらに、異なる世界からやってきた植物や大地はトワイワースに益をもたらしもしたが、同時に今まで無かった菌が持ち込まれたために、多くの死者を出した。これを「神の怒り」と後の研究者達は記述した。人に過ぎた力によって神罰が下ったのだと。  世界の半分が死んだと言われる「神の怒り」が収まる頃、アトランティスの住人と神術師を中心とした勢力ができあがり、二つは対立した。原因は言わずもがな。勝手に呼び出したあげくに多くの死傷者を出し、元の世界には返せないことが一つ。もう一つは神術師がアトランティスの住人たちを検体し、その他にも口に出すのも憚られるようなおぞましい実験のために使用したことだ。神を喚んだはずなのに違う生物を喚んだ原因を神術師たちは知りたがった。  無論、神術師達の間でも研究を進める者とそうでない者で分裂し、アトランティスの住人達の勢力に加わるなどと言う出来事も起きた。  結果的にはアトランティス側が神術師達に勝利したが、その頃には生粋のアトランティス人は一握りまで減っており、トワイワースの住人達との混血が進んでいたため完全勝利とは言い難かった。  その後千年間の間に思想の改善や神術に対する規制が行われ、召喚は全面的に禁止された。だが神術を使うことは続けられ、今もそれが実行されている。 ★★★ 「だから? だから何を言いたいの?」  いらいらと貧乏揺すりを始めた段階で、焦って早口に説明していた神術師の監視および規律の番人をしていると宣った男は、低くうめくような声音にピタリと口を閉ざした。  向かい側で黙って話を聞いていた彼女は怒髪天を衝きそうな激情をかろうじて喉の奥に押し込み唸った。 「もう前置きはいいわ、ただでさえこんな状況で混乱してるんだもの、さっさとすませてください」 「つ、つまり」  視線がうろうろと動く。  彼女はそんな規律の番人を静かに睨み付けた。もういい、と心の中で呟く。 「つまり、あなた達は《《召喚は禁止》》されてるけど神術禁止されてないから方法を探すことはできる。わたしは運悪く、非常に不愉快な話だけど規律を無視した神術師に《《喚ばれてしまった》》。そいつは《《死んで》》、わたしは《《家に帰れない》》。ついでに死ねばよかったのに生き残ってしまった!」 「ひぃ!」  がつん、と力任せに拳を叩き付ければ丈夫に作られているはずの卓がきしんだ音を立てた。感情にまかせて振り上げたそれは普通ならひりひりと痛むはずが、興奮で感じない。厚さ十センチはある卓は殴りつけたところだけ凹んでいた。  その手を引き寄せると、最後に見たときよりも小さくぽちゃっとしている。成人した女性が持つにはあまりにも小さな手だった。勿論、彼女が病気をしていた事実はなく、けれど自分の腕に間違いはない。――召喚された反動で、外見年齢が後退してしまったのだ。  この症状は過去にも見られ、後退した年数分の期間だけ腕力が通常の二倍になり、感情の起伏に比例し、怒れば怒るほど強力になった。引き替えだというように後退した年数分、寿命が縮むが。  召喚なんてろくなものじゃない。いらない物を押しつけられ、大切な物をぶんどられるだけじゃないか。  彼女を召喚した人間も命を落とし、もういない。  名前は聞いていない。聞きたくもないからだ。名を聞けば憎しみが個となって向かうのが分る。憎しみを持ち続けるのは辛いから、相手のイメージは曖昧な方がいい。  そう考えれば全てが億劫になった。  小さくなってしまった体を抱きしめるように腕を回し、目を伏せた。泣きたいのになぜか涙は出なかった。 「わたしをこんな目に合わせた人間はもういない。なら、彼が持ってる物を全部わたしにください」  首に下げた水晶のネックレスを指先でもてあそびながら、呪いを吐くように息を吐き、言った。 ★★★  人付き合いのない少年の――彼女を召喚した人間は、どうやらそれくらいの年齢らしかった――荷物を引き取るのは案外簡単だった。  一軒家と庭を見つめながら空笑いをしつつ遺品を見回す。埃一つ無いのは召喚の資料を押収した後だからだ。本棚には一冊の書物も置いていなかった。  残っていた日用品も胸くそ悪くなりながら庭の焼却炉に放り込んだ。今頃は灰になって黒い煙が細長く上がっていることだろう。  明日、日用品の買い出しと店の場所を教えてもらうことになっている。  湿気の酷い布団に顔を突っ込みながら、布団も買い変えようと頭の隅で計画を立てた。  町外れの森に近い、比較的広い一軒家。彼女を呼び出した張本人が残した物を賠償金代わりにもらったのだ。気違い染みた所行である。  ベッドに仰向けに寝転んだ状態でいると、日が差し込み、次第に辺りは闇に包まれた。  天上を眺めていた彼女は唐突に口元を押さえ、顔をしかめた。 「子どもの絵?」  楽しそうに笑っている男の子と、女の子。それから大きな人間が二人に犬や猫、太陽や山、花といった物が天上の端から端まで描かれている。思わず立ち上がって触れてみるが染料で塗られているわけではないらしい。どうやら写し絵のように光の位置で絵が見られるように設計されているらしい――と考えはっとする。  日は沈んでいるのだから光などあるわけがないのだ。つまり太陽以外の光元があるはずで――――。 ★★★  急いで二階に向かうと寝室の真上にあるはずの部屋に飛び込む。床を調べると一部がはめ込み式になっていた。取り外した中には光る石と一緒にノートを引きちぎったような文字が書かれている。だが、全く読めない。言葉は通じるが、文章は読めないのだ。  すると持っていた石がどろりと溶け左肘まで垂れたかと思うと奇妙にうねり皮膚の中に溶け込む。悲鳴を押し殺した一瞬で石は跡形もなくなり、辺りは再び深い闇に飲まれた。 「毒じゃないわよね……」  呟きながら紙切れを見て更に目を見開いた。 ――――僕の妹は生きている。  紙が燃え上がり悲鳴を上げて手を離した。動転した彼女は驚いて部屋を飛び出すと一階の寝室に逃げ込んだ。そして、ふと冷気を感じてベッドの横を見るとぽっかりとした穴が空いていた。 「もうやだ、このホラーハウスっ」  穴の上に文字が浮かび上がった。 ――――奥に秘密の扉がある。  まるで子供に言うような言葉遣いに半泣きになりながら誘われる。なぜだか、行かなければならない気がしたのだ。  壁の中は広い空間が広がり七つの本棚が綺麗に並べられていた。本棚の一つ一つが数十メートルもあり、綺麗にヤスリがかけられている。思わず天上を見つめながら横をすり抜けていくと、足の裏に当たる感触が冷たくなった。綺麗にカットされた石が敷き詰められたそこには青い染料で大きな魔法陣が一つと複雑に重ねられた記号が描かれている。  神術――彼女をここに呼び込んだ元凶だ。  魔方陣の上には鉄でできたテーブルと椅子が置かれており、上には乱雑に本が積み上がっている。そのうちの一つを開くと淡い光が漏れ偶像を作り出した。 「なに、これ……」 「敷地内に仕掛けられた神術を全て把握することができるものだよ」  はっと振り返ると闇がふくれあがった。それはぼこぼこと気泡をあげながら人の形をとり男の姿に変わる。最後に黒い膜となった影がはじけると、赤錆色の髪をした男が飛び出した。体にぴったりと張りつくシャツは黒く、ズボンには金具がたくさん着いている。その一つ一つに神経質なほど均等にそろえた文字が緻密に彫り込まれていた。  彼は一瞬だけ口元を引き上げて皮肉そうな表情を作ると靴音を響かせる。 「こんにちは。召喚されたお嬢さん」  この家の立体映像は二度回転すると赤い点を三つ点滅させた。指先で触れると詳細を映す文字が噴き出した。 「おっと、暴れるなよ? 怪我したくねぇだろ?」  そう言って鈍色に光る物を見つめ彼女は無感動を装って頷いた。 ★★★ 「解読。日本語へ翻訳」  足下に描かれた円が淡く光ると同時に角張ったくせのある文字はなじみ深い物へと形を変え、 【盗聴、盗撮機発見。第三段階の防御を展開できます。解除しますか】 文字が浮かび上がる。  頭の痛い思いで、隣に積み上げられていた物の中から薄い冊子を引っ張り出すと翻訳するように呟いて項目を探す。家が盗聴されたときのマニュアルから対処のパターンまで簡単に書かれた文字が出た。  その中からよさそうな物を選ぶと赤い点に触れながら、 「解除は不要です。代わりに敷地内に記録していた映像を展開してください」  文字が震え入れ替わる。 【展開する映像を決定してください】  少し悩むと彼女は「三日前の物を。――再び増やされた場合には同じ対処を自動で行うものとする」瞼を押さえ告げる。何度開いてもこの文字を見るのは辛い。神術で作られたものだからかもしれないが、パソコンを長時間見た後の時のように眼球に熱がこもるのだ。  思いつく限りの設定をした後は体の筋肉が強ばり椅子に全身を預けてしまった。けれども、三日間中に終わらせなければならない事が大量にある。盗撮機の映像を誤魔化しているうちに籠もって長距離移動用の神術を組み立てなければならない。  と、 「精が出るねぇ」 「トントン! いつも後ろから来ないでって言ってるでしょう!」 「奇遇だな。俺もその呼び方をやめてほしいって何度も言ってるんだが」  背後から声がかかり、彼女は慌てて振り返った。本棚の影が不自然に盛り上がる。 「あなたの名前言えないのよ。いいじゃない、どうせ偽名でしょ?」 「神術師の二つ名は偽名じゃない。俺の名前は――」 「はいはい。「神術師は二つ名を名乗るという風習がある。確かに生みの親がつけたものじゃないが俺の大事な師匠がつけてくれたもんだ」でしょう。耳タコだわ」 「だったらちゃんと呼んでほしいね」 「話聞いてた? 言えないって言ったばかりでしょう?」  舌打ちしたトントンは横によけてあった踏み台を引いて円に入らないぎりぎりの場所に座った。 「それで、外はどうだったの」 「お前の対策が講じられた」 「それだけなら帰ってちょうだい」 「つめてぇなぁ。ていうか自分の話されたって言われたら内容気にならないか?」  本を置いて振り返ると、にやにやとこちらを見ているトントンは肩をすくめる。暗闇の中でかげった瞳が獣のようだった。 「あなたは合ったときからそうよね。もったいぶった話し方をして大したことは言わないのよ。人を喰ったような態度ばっかりだから、きっと友だちも少ないわね」 「おい」 「次やったら今度こそあなたの言葉を聞くのを止めるわ。こっちの準備は三日で終わらそうと思ってたけど、明日で終わらせる」 「ちっ。わーったよ!」 ★★★  神術師達は幼少の頃に才能を見いだされ、塔の術者の弟子となり共同生活が始まる。そのため親元から引きはがされた子供をあやすための施設や運動場、食堂、寮などが塔に完備されている。  神術師は常人では起こせない現象で国家に貢献する。彼らが最も力を発揮するのが戦場なのだから、待遇が良くて当たり前だ。  だが想像していた以上に「塔」と言う場所は広く、大きく切り出した石を敷き詰め壁をつくり、その中には蝋燭を突き刺したように何本もの太い塔が築かれていた。  何十メートルもある境界線を見上げながら、彼女は「牢獄のようね」呟くとそっと水晶のネックレスに触れた。  準備はできているはずだ。  黒く塗りつぶしたようになっている目元を擦りながら彼女は裏口に手を添えて押し開けた。いるはずの見張りは居眠りをするように壁に背中を預けている。  中は広い運動場のようだ。人が多く、着ている服が統一されているのは神術師達だ。ほかはまちまちで、彼女と同じような格好をした人もいる。これなら紛れるだろう。  見張りは門の入り口にしかいないらしく、そのまま堂々と木製のドアから中に入った。  積み上げられた石の階段は薄い素材でできた靴の裏をひんやりと冷たくする。螺旋状になっている階段を慎重に上っていくと、次第に日が暮れ始めた。  普通なら息が切れるところなのに散歩に出ているような感覚なのは、やはり召喚されたときの影響だろう。  彼はいるのだろうか。  考えながら、彼女は登り続ける。 ★★★  けっきょく目的の部屋に辿りついたのは夕暮れも過ぎた頃だった。いったい神術師達はどうやって行き来しているのかと思えば、神術を使ってトントンが現れた。  うんざりとした表情の彼女ににやにや笑を向けながら小首をかしげる。 「よう、苦労したか?」 「あんたの性根が腐りきってることを再確認して、うんざりはしたわね」  ネックレスの先をもてあそびながら彼女は聞いた。 「いるの?」 「学長は中にいるぞ。ちょうどよく、お前のことを話し合ってる」 「そう、じゃあここは会議室なのね。そっちの首尾は?」 「ちゃんと見つけた」 「どこにいるの?」 「お前の家に運んだ。寝てるよ」 「そう」  なら、もう本当に終わるのだ。眠い目を擦りながらノブを捻る。銀色のノブは毎日丁寧に磨かれているのか、指紋一つついていない。  押し開けると、暖かな空気が頬を撫でた。 ★★★  こんにちは、と形だけの笑みを向けると、中にいた人間は怪訝そうな顔をした。どうやら顔は知られていないらしいと苦笑しながら名乗ると一瞬で緊張が走る。  中にいたのは四人。  口髭を蓄えた老人は、落ちかけた瞼が辛うじて上がっているような印象を受ける。けれど眠そうではなく、微かに見える瞳から鋭い警戒が伺えた。その隣に座るのが角刈りの男で全体的に中背。病的に顔色が悪く口元に小さな傷跡が残っている。さらにその隣に腰掛けているのが物腰が柔らかそうな二十代くらいの男性だ。他の男性が三十を超えている印象を受けるなかで若く見える。  最後に、長髪を一つに束ね、難しそうにこちらを見ている女性は彼女が名乗った瞬間立ち上がり両手をクロスさせた形で口を開いた。 「召喚者がなぜここに? 知らせはなかったわ。それに横にいるのはいったい……」 「トントンはただの立会人です。――ここへ来たのは非公式にしたほうが良いかと思ったので。告げなかったのは手段がわからなかったからです。非礼をお許しください」 「ということは、内々で要求があると?」 「というよりも、わたしからあなた方に話さなければならないことがあったので」 「ほう?」  方眉を上げた老人は興味深そうにテーブルに肘をついた。厚みのある木から作られた円卓には細かな細工が施されている。きっと、その中に神術も彫り込まれているのだろう。  立ち上がった女性は椅子に座り、何気ない動作でカップを持つ。  さて、と周囲を見回した。 「話さなければならない事というのは、わたしが召喚された目的です。これはわたしを召喚した人間が書いた日記です。どこのどんな人間だろうと読めるように神術がほどこされていました」  手垢の付いた薄い書物を見せると空気が張りつめた。 「ここに書いてあったことによると、彼はずいぶんと頭の良い子だったんですね。たった二年で神術を扱って召喚についての論文を書いてた。研究していた年数は十年にも及び、神術を習得した大人でさえ、彼の足元にも及ばなかったんじゃないでしょうか。彼は頭がいいのと同時にかなりの努力家だった。努力しなきゃいけなかったともいいますか……」 「彼は同世代の子供と比べても突出した人材には見えなかったが?」 「突出してないのに召喚をするのですか? 表向きは同世代の子供と比べても平凡なように偽っていたと言われたほうが納得できるし、事実そうでした。あなた方は何も言わなかったけど、彼には妹が一人いるようじゃないですか。その子のために偽っていたのでしょう」 「どういうことだ」  今度は角刈りの男が口を開いた。 「君の話を聞いていると、一人の天才が妹のために実力を隠していたと聞こえる。この塔は優秀な者はす上級へ上がる仕組みだ。妹のためを思うならすぐにでも上に上がり役持ちになるのが普通だ。」 「私《わたくし》には彼が十年以上も研究を続けていたというのも信じられないけれど。年齢的に考えれば六歳の時には神術をマスターしていたのよ。神術はそんなに簡単なものじゃないわ。それより、あなたが召喚された目的というのは?」 「これをきちんと説明するためには、やはり彼のことを話さなければならないでしょう。――先ほど六歳と言いましたが、この塔に入るのは幼少、三歳からだそうですね。国民は必ず検査を受け、条件を満たせば強制的に塔の入門が決定されるとか。  日記によれば彼が塔へ入ったのは十二歳の時、ご両親が死んだ年だそうですね。ちなみに両親が神術師の場合、己で育てるのが普通だと聞きました。実際街に行っても、その様な話を聞きました。彼の親が彼に神術を教え、極秘に召喚の研究もしていました。だから研究を十年以上、と言ったのです」 「どうぞ、続けてみたまえ」 「問題が起きたのは、両親が死んだ後でした」  十二歳の少年だった彼は塔に行けば保護されるが条件を満たしていない妹は残される。親戚もなく、たった一人で幼い妹が暮らすことはできない。施設にも入れたくない。しかし彼らは二人とも未成年だ。  そんなとき彼の両親の友人が甘言を囁いた。妹の後継人になって引き取って面倒を見る。君が成人したら妹と暮らせばいいと。  彼は喜んでその話を飲んだが、妹が引っ越し、塔へ行った隙に家の中に保管されていたはずの未発表研究が次々世に送り出された。  その人物達は希代の天才と呼ばれ、瞬く間に上り詰めていく。  彼が騙されたと知ったときには合法的に拉致された妹を助け出す術はなく、塔へ閉じこめられ言いなりになるしかなかった。 「彼の才能も妬んでいたんでしょう、そのご友人達は。だから平凡から抜け出さないように脅して飼い殺しにしたんです。そして一通り未発表の研究を出すと、品切れになったご友人は己の地位が揺らぐことを恐れ、彼に不動の地位を築くような研究をしろと言った。そして、彼の両親が秘密裏に続けていた召喚術に手をつけろと言ったんです。  ご友人達は出すのは論文だけでよかったのに、実際に人を喚んでしまったのだからびっくりしたでしょうね。でも、幸いなことに部屋から研究資料は出てこなかった。黙りを決め込めば彼の罪になったでしょうが――」 「おい!」  手の中にあった日記が一瞬で燃え上がった。熱さに思わず落とし、地面につく前に炭も残さず消えた。 顔を真っ赤に染めた女が右手を振り上げた格好でこちらを睨んでいる。  吐き捨てるように彼女は言った。 「例えそうであっても、召喚が成功したという事実を明るみに出すことはできないわ。その犯罪者は内々で処理しましょう」 「召喚が表沙汰にできないことだったらなぜ、わたしは殺されず、軟禁もされず要求を通されたのでしょうか」  召喚が成功したことは極秘である。それがわかれば塔は禁忌を破ったとして断罪されるだろう。たとえ軍事的に大きく貢献していたと合っても首を切られる。それくらい重要な事なのだ。  ところで、 「おかしいと思いませんでしたか。なぜ禁忌とされる研究を彼の両親は何十年にも渡って研究し続けられたのでしょうか。わたしは思いましたよ、おかしいなぁって。それでいろいろ考えたんですが、とっ捕まえる方が依頼したのなら話は早いと思いませんか?」 「なんですって? まさか!」 「つまり、あなたは自国のトップを敵に回しちゃったんですよ。彼のご両親と面識があるのは、口髭と角刈りと叔母のあなたですね。そして、偶然ながら台頭した時期も一緒とはすばらしい中の良さです、ええ」 「その女はでたらめを言っているぞ!」 「でたらめ? あなたがたが見つけられなかった研究室にたくさんの実験資料が残っていました。皆さんが発表した研究資料とそっくり同じ物です」 「でたらめを言うんじゃ無い、我々が人の研究を盗んだと言うのか!」 「それ以外の何だと言うんですか。鑑定すればあちらの資料の方が古いことは証明できますよ。そうなったら」 「こいつを捕まえなさい!」  空気が動いた。  卓が光り、一瞬で三人の姿がかき消える。  残っていた二十代頃の男がゆっくりと立ち上がり、丁寧に頭を下げた。 「ご協力感謝します」 「こちらこそ。それで、わたしの要求は全て通りましたか? 市民権と戸籍、拒否権と彼の財産をまるっといただけるというのは」 「すでに手続きは済んでおります」 「あの人達に召喚された目的を話しきれなかった……。どうして途中で連れて行ったんです?」 「申し訳ありません、しかし限界でしたでしょう?」 「あとは締め上げれば吐くだろう」 「そう……。そうね。なら、わたしも約束を守りましょう」  ネックレスのチェーンをもてあそんでいると緩んだ部分が切れた。かつん、と音を立てて落ちた水晶を彼女は足で踏みつぶした。堅いはずの水晶も軟らかい粘土のように砕けちる。割れた水晶の破片から文字がするするとこぼれ落ち、広がり始めた。それは部屋をぬけ、瞬く間に塔全体を覆い、国を覆い、国境を越えて世界に絡む。 「では、私は送った罪人から事情聴取をしてきます」 「立ち会いはどうするの?」 「俺でじゅうぶんだろう?」 「そうね。脅して手伝わせた極悪なお役人様が立会人なら安心ね」 「……怒ってんのか、ナイフを出したのは悪かった。だがお前、召喚者だろう?」 「馬鹿力でも怖いものは怖いの。それに恐怖じゃ力は出ないわ」  あくまで怒りの感情にしか力は左右されない。  世界中を囲み終わったのか蜃気楼のようにパネルが現れる。項目は「はい」と「いいえ」の二択のみ。 【召喚を封じますか】  ところで、とトントンが聞いてくる。 「けっきょくあの小僧があんたを呼び出した目的って何だ? 日記に書いてあったんだろう?」 「妹を助けてくれる人間を召喚したかったんですって。それからちょっとの知的好奇心。やっぱり神術師として召喚には少なからず興味があったみたい。あの部屋には、必要な物がなんでもそろっていたから、あとは作るだけみたいだった」 「恐ろしい餓鬼がいたもんだ」 「けっきょく死んでしまったけどね」 「おぉ、耳が痛てぇ」  国が彼の両親に秘密裏に依頼したのは召喚の完全封印。神術は神術でしか封じることはできないと考えたのだろう。何処かの馬鹿が召喚をして、再び大陸が降ってくるなんて事になったら大変だ。  けれど、研究が完成する前に彼らは死に、気づいたときには貴重な知識を持っている少年は塔へ、その妹は引き取られていた。研究資料は探せどどこにもいない。見当はついても調査はなかなか進まず手をこまねいたまま月日は流れる。  転機は唐突に訪れた。  一人の女が召喚されたのだ。  国はこれを期に捜査を推し進めるが、肝心な部分は神術師達がすばやく押収してしまった後。また後手に回ったことに国王は憤死する勢いだっただろう。  ただし、押収した資料の中にも核となる肝心な部分の記述が無いことから、塔も焦ったらしい。本人は細胞の一片も残さずこの世から消え去ってしまったから、永遠に見つからないままになるはずだった。  そのまま見つからなければよかったのに、と彼女はひとりごちた。けっきょく日記にあった合い言葉で隠し部屋を見つけてしまったのは自分だが、まさか最初に入った人間に部屋の中の権限が全て譲渡されるとは思わなかった。それも、並大抵の神術じゃどうこうできないほど強力な防壁が張り巡らされていたなんて。  トントンに見つかったのもまずかった。こんな手伝いをさせられるとは。  彼女が「はい」と呟くと文字は大地に染みこみ見えなくなった。実に五分間のあっけない出来事であった。  これで召喚を試す者がいても成功せず、忘れ去られた遺産となるだろう。 ★★★  家に帰ると、数人の人間が押しかけていた。といっても、ただの医者と役人だったが。  役人は彼女に召喚された経緯を告げた規律の番人だった。何処かびくびくした言葉を聞くと、どうやらトントンを捜しているらしい。「あなたの上司は家に帰りました」と言うと風を切るように去っていった。  ベッドで眠っている少女の顔色は悪く、聞けば心労で倒れたのだとか。どうやら、自分が兄の足かせになっていたことはわかっていたようだ。  目を覚ました少女に、完結に自分が召喚されたときのことと、頼まれたこと、ここまでの経緯と財産は全部ぶんどった事を告げると、少女は目を伏せて涙を流した。 「ごめんなさいね、強欲で」 「いいえ、当然の権利です。それよりも、なんとお詫びをしたらいいのか。召喚なんてせずに、出頭すればよかったんです。私も、足がもげたって逃げ出せばよかったんです……!!」 「謝罪はいらないわ。もらっても気分が悪いだけ。いまさらそんなこと言ったって遅いわ。――それに、それほど悲観してないのよ。寿命は縮んじゃったけど、そんなに長く生きたいとも思ってなかったから。あなたも速く体をよくして家事とか手伝ってね」 「え?」  逃げれば足がなくなるように申述を施されていたらしい。あくどい事だ。  きょとんとする少女に眉根をよせて睨む。 「軟禁生活のせいで立てないほど筋肉衰えちゃってる? それとも料理したこと無いとか?」 「い、いえ。小屋に閉じこめられてたので自分のことは自分で……。そうではなく、どうして一緒に住むことになっているんでしょうか。私は加害者の妹で……」 「言ったでしょう、強欲でごめんなさいって。それにどんな形であれ守ろうとしてくれたあなたのお兄さんは立派だわ。最低最悪のシスコン野郎だけど。それに、わたしもちょっとだけ感謝してるのよ」 「召喚されて、ですか? でも今までの生活とか、家族とかから切り離してしまって……」  くしゃり、と泣きそうに歪んだ顔を見て、少女は口を閉ざした。 「母親はとっくに死んでるわ。――喚ばれた日、父親が危篤だって電話があったのよ。母を捨てて借金残して蒸発したろくでもない男の。母の死に目の時にはあってほしいって縋った娘を足蹴にして若い女といっちゃったくせに、図々しいわよね?  病院に着く前に喚んでもらってよかったって思ってるの。あんな男、孤独死すればよかったのよ。ずっと、そう思ってた。だから、感謝してるのよ。友達も世界も古郷も、母親の墓参りもできなくなっちゃったけど、一番大切なときにわたしの過ちを正してくれたんだから」  それにね、と続ける。 「あなたのお兄さんへの復讐はこれからするの。残した財産も全部もらって、あなたの花嫁姿を代わりに見てあげる。あの世で合ったら歯がみして、地団駄分で悔しがらせるつもりよ。いい考えだと思わない? でも、世の中ろくでもない男ばっかりだから結婚は遅くなっちゃうかもしれないわね」  ぼろぼろと泣く少女の額を撫でながら呟いた。 「ねぇ、わたし、こんな性悪だけど、家族になってくれる……?」