夢は夢で無念にするのはおかしい

 敦が肩を掴むと皐月はそのまま柔らかい寝台の上に転がった。  突然の事に動揺する間もなく被さってきた敦は、大きな手の平で皐月の頬をなでるとそのまま後頭部を押さえ、唇を会わせた。肉は薄いが弾力があり、皐月はやっとたどり着いた動揺のまま敦を押しのけた。  しかし、自分より体重も力もある人間を押しのけられるほどの腕力は持ち合わせていない。一ミリどころかますます密着した体に不埒な手が這い回った。  しまい込んでいた裾をかき出してするりと入り込んだ手が下着の線を這い回り、なで上げられた背中が反り返った。言葉はすでに封じられ、巧みな舌が口の中を這い回る。  皐月は混乱した感情のまま身を揺すったが、猫のように入って来た下半身に大きく膝を割られて窮地に立たされた。 「皐月ちゃん……」  口を離した敦はうっとりと微笑みながら目元を赤くして目を丸くしている皐月の頬をなで下ろしながら顎に手を添え親指で唇をなぞった。薄く開いた唇にもう一度被さろうと身をかがめたとき、皐月の両手が敦の胸を押しやり――刹那、するりとスカートの中に指先が。 「かみさまぁぁぁあああああ! がみざまぁぁああああああああああああ!!」  なけなしの矜恃と混乱を押しやり緊急警報を発射させた皐月の脳内が警笛を鳴らし口から懇願と助けを絶叫する。 「えっあ! ま、まって皐月ちゃんっ! さつきちゃんってば!!」  ふにゅりと柔らかく盛り上がった胸部を掴んだ瞬間、敦の手の平から暖かさは消えそこには真っ白なシーツの海が広がるばかりだった。 ★★★ 「皐月、またダメだったんだね」  真っ白な髪が滝のように流れ落ち、銀糸で縫われた白衣を纏った男がしょうがないな、と小首をかしげて嘆息した。目の前には襟のボタンがちょっと外れた皐月がぺたりと座りながら泣いている。  耳まで真っ赤になって両手に顔を埋めていた皐月は男の言葉に更に激しく泣く。  やれやれ、と男は四角い椅子の上にどっかり座り込み、皐月は膝の上に引き寄せられるかのごとく埋もれた。心得たように男が頭を撫でると皐月は幾分かマシに、しくしくと泣き出した。 「今回で通算598回目の失敗だけど、けっきょく踏ん切りが付かないのはどうして? 君の希望は敦君が許す限り聞いてきたけど? 前回の話じゃこれで大丈夫そうだったじゃないか。無念を癒やす神様としては、敦君のために願い事を叶えてあげてほしいな」  ぐすぐす泣いているばかりでいっこうに口を開かない皐月に嘆息して、神は宙に指を滑らせた。銀色の光が横に倒れた長方形を描くと、ずーんと落ち込んで膝まで抱えてしまった敦の姿が映し出される。 「敦君、敦君。それで、いったいどうしたの? 前回の話し合いの結果、私は君たちの状況を見てないわけだけど、いきなり襲いかかったの?」 『じでまぜんよがみざま――――!!』  こちらも酷く動揺して泣いているらしい。598回も失敗していれば男の矜恃もボッキボキの粉々だというのに自分が悪いように突かれてはたまったものじゃないだろう。  神もどうしたことか、むせび泣く二人の男女に嘆息した。 『ど、どうしてなの、皐月ちゃん。ちゃんと自己紹介して知り合って、仲良くなって手繋いで告白してデートに行って付き合って三ヶ月経って、お許しもでたのに!』 「だ、だって敦君がいきなり覆い被さってきて」 「てきて?」 「あんなに足開かせて、いきなり、いきなり手が下着のな、なっ――うぇぇえええん!!」 「……がっついちゃったんだ」  かわいそうな物を見る目で見やると敦は滝のような涙を流して膝を抱えてしまった。  無理もない、と二人を見た神は皐月を見て人選ミスだったと嘆息した。だが、敦の条件に合う子は皐月しかいなかったのだから仕方ない。  敦のやっかいさを考えるとしかたないとも思うのだが、もう少し思い切ってくれないかとも思う。 「皐月、このままだと仮名敦君は一生無念を晴らせないままになってしまうよ。それでもいいの?」 「で、でもがみざま、わ、わたしにはやっぱり出来ません! もっと経験のあるお姉様にお願いしてください!!」 「できないのはわかってるでしょう? 敦君は純情な少年達が叶えたかった『可愛くて純情で身持ちの堅い女の子が自分だけに身も心も開いてほしかった思い』の集合体なんだから」 「いつも思うんですがそんなの矛盾していますよ! 純情で身持ちが堅かったら結婚するまで絶対そう言う事しません! 自分だけに身も心も開くって何!? お前はそんな女の子に振り向いて貰えるほどの魅力があるの!? って話でございますよ! 最近の無念は酷すぎます、エロゲーとギャルゲーに侵されて現実が見えてないんです! 妄想と現実の区別が付かないならトイレに籠もって右手と握手してればいいんです! 大和撫子なんて滅びたんですよぉぉおおおお!!」 「ああそんな、本当のことを……。見なさいショック受けて白くなってるよ。とにかく、現実にいないからこういう無念がたまってしまったんじゃないか。はらせるのはもう君しかいないんだ。がんばれ皐月! 負けるな皐月!」 「神様が楽したいだけじゃないですかー!」  繰り出した右ストレートは空しくも払われた。神はよいしょと皐月を膝に引っ張り上げて、父親が子供にするかのように体を揺すり始めた。歌でも歌えば保母さんだ。 「皐月は敦君がきらいかい? やりきれない心残りを晴らしてあげるのが神を補佐する式(きみ)の役目じゃないか」 「それはそうですが……。そもそもこんな事になったのは神様のせいじゃないですか。お仕事めんどくさいって言って、まとめてお姉様達に放り投げたから、純情な思いと童貞共の歪んだ夢だけが残って敦君になってしまったんです」  せめて仕分けしておけば敦という面倒な存在は生まれなかった。 「ごめん悪かったよ。だから敦君にとどめを刺すのを止めようか。半分くらい黒くなってるから。黒くなってるから!」  画面の向こうの敦は膝を抱えながら半分ほど黒く染まっていた。煤のような物を体から出している。体が全部黒くなると怨霊となって下界を闊歩するか払うしかなくなるので、仕方なく皐月は口を閉じた。 「じゃあ599回目の話し合いを始めよう。前回の約束に引き続き、今度はがっつかないって言うのを追加だ。ああそうだ、どうするの。結婚式は挙げる?」 『! 皐月ちゃんがいいって言うなら僕は大賛成です!』 「じゃあ、二十歳過ぎるまで本番は無しと言う事で」 『っ! ……っ!!』  果たして、本当に思いをとげられるのかわからないが、敦はたった一つの希望に向かってのっそりと顔を上げた。執念深い思いは例え600回を越えても諦めないだろう。それが千を超え、万を越えたとしても。  皐月は乾いた笑い声を漏らした。