それを愛した

「つまらぬのぅ」  大鎌を深く突き刺された殿下の背に座るようにしてシティパティは嘆息した。その両手は黒く染まっていた。 「這いつくばって足掻く様子はなかなか楽しませてくれていたが……あれもここで始末かのぅ」 「お前を支えてきた臣を、なぜ簡単に捨てようとするっ」 「けっきょくは駒の一つに過ぎぬ。しかしのぅ、あれはよくやってくれていた」 「があああ!」  シティパティが大鎌を引き抜けば、踏みつけられていた彼の左腕は千切れおびただしい血が地面に跳ね返った。  それを一瞥してやはりシティパティはつまらなさそうに溜息をつく。 「愛、友情……結構なことじゃが本能を忘れ自制する者の多いことよな。惑い、弱くなり、使えなくなる者も多いときた。そんな者達を弄るのも一興じゃが」 「そうやって全てを食いつぶすつもりか」 「仕方なかろうて。欲望に果ては無いのじゃ。食欲と一緒じゃな」  そういえばと思いついたように彼女は手を打ち、彼の背から飛び降りる。 「兄者、あれの研究成果を見てみるつもりはないかえ?」  鎌を振れば地面から吹き上がる黒い煙。それと同時に死兵が現れ、カタカタと髑髏の顎を鳴らす。 「魂は循環の流れに乗る。では乗る前に留めておけるか。ランダに与えた課題の答えは――できる」  頭蓋骨から透明な何かが零れている。 「では留めた魂を体に定着させられるのか――できる」 「あ、あ……」 「では、それらが合わされた者の記憶を魂から掘り出せるか――ランダには無理だったようじゃが妾はできた」 【殿下ぁ……なぜ。なぜ我らを見捨てたのです】 【あれの凶行から我らを守ってくださるとそう仰ったのに】 【殿下ぁああ!!】 【なぜ、なぜ我らを裏切った!】 【なぜ、なぁぜぇえええ】 「そして奴らを意のままに操れるか――ふむ。死霊術じゃな。最初からできる。残念ながら死者復活とはいかないが、生前の記憶を持ったままの兵士は使い勝手がいい。端から端まで命令を下さずとも己で考えるからの」 【我らは魔王の死兵となった】 【我らには命令に従うより他に無い】 【永劫の地獄を魔王と共にあるしか無い】 【殿下が憎い】 【なぜあなただけが生き残る!】 「さてさて、こやつらはずっと正気でいられるかの? 魂が砕け果てた先がどうなるか――今試している最中じゃ」 【殿下。覚悟をお決めくだされ】  ひときわ大きな骸骨がハルバードを振り回す。  見覚えがある姿に、彼は立ち尽くした。 「……アエー。お前も責めるのか。当然だ」 【我らは魔王の死兵となりました。この屈辱、殿下なら晴らせるはず】 「できない……」 【殿下。己の命と世界の運命、そして魔王の命を天秤にかけるのです】 「どちらも大切だ……」 【できるはずです。ひざ丈しか無かったあなたがこんなにも大きくなった】 「アエー。でも無理だ。無為に時間を過ごしただけだった」 【そんなことはありません】 「だがっ」 【神人は変わることができると仰った。目の前にその証が】  はっとした。  ハルバードの先が翻り、骸骨の中、心臓部分に食い込んだ。 【殿下。変わらぬ忠誠を捧げます】  硬質な音。  割れたガラスのようだ。粉々に散った破片がなにか、彼は理解したくない。 「ああああああああああああっ!!」 「うーむ。魂が粉々になると神の御許には戻らぬようじゃの。ほれ、消えた」  欠片を踏みにじって蹴り飛ばす。土埃に混じったそれは霧散した。 「どうしてお前は、試すようなことばかりする」 「ほぅ?」 「お前はいつも誰かの大切な者から攻めていた。恋人や家族や仲間。身の毛もよだつような殺し方を好んで嬲って」 「兄者、この世に生まれたからには楽園を楽しまなければ損じゃ。わからない事や好奇心は殺すべきではないと思わぬかえ?」 「そのために非道なことをしてきたのか」 「妾は悪魔。欲望に忠実に生きて何が悪いのじゃ」 「その通りだ」  残った腕で盾を握る。  意外そうにしたシティパティはにたりと笑うと大鎌を回し始める。死兵達が怨念を上げながらじりじりと間合いを詰めていく。 「これらの死兵は特別製じゃ。魂を砕かぬ限りずっと動き続ける」 「お前は神が何もしないと思うか?」 「しないじゃろう? ここまで好き勝手してきおったが、なぁんにも起こらぬ」 「神は役割を担っている。魂の循環だ」  彼は背後に居るはずのモリトに声をかけた。  青ざめ表情を無くしたかのようなモリトは呼びかけにそっと顔を上げる。その目の奥に怒りが渦巻いていた。 「神木の子よ、先ほどの契約はまだ有効か」 「あなたが魔王を殺したらって話?」 「然様」 「できるの?」 「できる」  本当はもっと早くやるべきだった。 「契約を結ぼう。けして破らない契約だ。魔王を殺しお前に従う。魔界を好きにしていい。協力をする、絶対に逆らわない、裏切らない。だからパティの死兵を神の御許に還してやってほしい」 「富も名誉も何もかも投げ捨てて、本当に誓えるの……たとえあなたが誓わなくても、ボクはきっと歌うのに?」 「示しがつかない。これはやらなければいけない事なんだ」 「いけません、悪魔の言葉は全て嘘ですっ!」  止めようとするダグラスの手から逃れるように身をひねったモリトは、顔を覗き込む。 「この土地がロストロと呼ばれていたとき、多くの約束を結んだ。お前達は嘘がわかるだろう? 一度でさえ破ったことは無い、と言ったら?」 「必ず殺して」 「この命をかけて誓おう」  規律が宣言を以て、彼を縛り付けた。その重みと神の残酷さに心が渇いていく。  モリトは殿下を見つめ確かに頷くと、呟き始めた。 「清廉なる魂、言寿を捧げます」  死兵達が金縛りにあったように動きを止めた。  モリトは続ける。 『天辺に御座す我らが神よ。終わりある道に誘うよう迷える魂、流るる黄金の力で我らの前に道を示し、眠りに誘い実らせ給へ』  黒かった骨が徐々に崩れ、大きく広がった穴から白い塊が飛び出した。絡まっていた蜘蛛の糸のように粘着質な死霊術が分解されていく。すると金色に光った。光りは蛍の光のように柔らかく点滅し、ほっそりとした枝が撫でるように連れて行く。 【殿下……】 【どうか、ご無事で】 「すまなかった」  苦痛を噛みしめるようにした彼は、剣呑な光りを目に讃え振り返る。 「パティ!!」 「おお兄者! やる気になったと見える!」  にやにやと事の成り行きを見守っていたシティパティは、瓦礫をひょいと飛び越えた。 「お前を殺す。もう二度と、あんなことはさせない」 「やってみぃ!」  振り上げた盾に大鎌の先が触れ火花が散った。  重い一撃をかち上げるように後ろ足に力を込める。反動で一気に開いた空白を埋めるかのように同時に踏み出す。耳の奥で空気が裂けるような音と共に轟音が。飛び退いて足下の瓦礫を蹴り飛ばす。三メートルほどある石の塊がおもちゃのように飛ぶ。ステップを踏むように避けながら、間合いを詰めた魔王の鎌が地面を擦った――と同時に吹き上がる影と死霊。すかさずモリトが唱えれば、たちまち消えた。舌打ちの鋭い音が耳朶を打つ。仕方ないとばかりに、今度は影が生き物のようにうねり襲いかかってきた。  四方八方、種族を問わず黒い闇が飲み込んだ。  晴らすようにモリトが結界を張り巡らせ、エクソシストが魔術を放つ。それでも強大な影は視界を奪い周囲のものを物理的に破壊する。倒壊しかけの家々は崩れ、瓦礫は更に細かく、道は粉砕される。  築き上げてきたものを一切の容赦もなく破壊する様は、まさに魔王の名に相応しい。  盾の尖った部分で細かく影を粉砕しながら大きく上体をひねる。反動を利用し、切っ先を定め投擲された盾は真っ直ぐシティパティの腹に食い込んだ。  逆に彼女は、吹き上がる血もそのままに驚異的な俊敏さで鎌を投げた。それは彼の右足に深々と突き刺さる。  両者とも、目が一瞬にして紫色に燃えた。大きく息を吸い、喉の奥から放たれた雷撃が爆散する。  鼓膜を破るほどの轟音と熱量が周囲を吹き飛ばし、触れた場所を融解させた。煙の中で両者武器を拾い上げ対峙する。一瞬の間もなく肉薄しては離れ、打ち合い殴り、蹴り上げては避けを繰り返す。息が乱れる音がする。  戦いの余波を恐れた悪魔も逃げ出した。 「弱くなったかぇ?」 「お前は強くなったな」 「どうりで魔界が退屈じゃったわけじゃ」  魔王と争う反乱軍は弱かった。  わざと逃がし機会をあたえ、あるときは武器を流してやったりしたものの、ちっとも歯ごたえが無いときた。  荒廃が進み、生まれる子供も少ないとなれば当たり前のことだが。 「なればこそ場所を移すことは正解じゃ。一匹か二匹、妾を殺せるような存在が生まれるかもしれぬだろう?」 「それも殺し、なにもかも腐らせ蹂躙するのか」 「然様!」  大釜の腹を突くように弾けば柄に軽い罅が入る。続けざまに足払いをかけるが避けられた。大きく軸がぶれた隙を突くように踏み込んだ魔王は盾を砕く。  勝利を確信した彼女はしかし、目を見開いた。 「見事……!」  ごぶり、と血を吐く魔王の胸に、深々と腕が刺さっている。 「油断したのぅ! それは使えぬと思っておったわ」 「……パティ」  自ら切り飛ばしたはずの腕の残りが貫通している。心臓を確実に潰していた。 「どうしてお前は戦いのことしか考えられない。何もかもなくそうだなんて……」 「何もかもなくす? 笑止!」  ふふふ、と地面に四肢を投げ出しうつろな目が空を見上げる。その口元は満足げに歪められていた。 「空が無くなり大地が腐り、食い物が無くなろうとも残る物がある。愛? 違う。何も無くなる? 違う。あるではないか“争い”が! 飢えようとも消えはしない」 「だからと言って奪っていいわけがない!」 「奪われる弱者の戯れ言じゃ。幾度生まれ変わろうと、妾は必ず殺戮を繰り返す。それが生まれる理由、生きる意味。妾ほど献身的な神の使徒はいまい――次は何をしよう」  ああ、と唇が甘い歓喜に震える。 「よい人生であった」  無邪気なまでの悪意の塊が、舌なめずりをしながら事切れた。 「……パティ。他の者はいらなかった?」  今にも動き出しそうな死体を抱え上げる。涙は出なかった。 「お前、寂しいよ」  静かに見守っていたハルは、ふと顔を上げる。 「まだ、全部終わってないわ」 「あれは、魔界?」  モリトの言葉に周囲の者達が反射的に神木を見る。 「メディラが呼び寄せてるわ」  真紫の塊が迫ってきている。地表には逆さまになった家や腐り果てた土地さえ見えた。 「モリト乗って! メディラを止めに行く」 「俺も行く」  素早く二つ目の姿をとったカリオンにダグラスと教皇が飛び乗る。 「おい、重いぞ!」 「そう言わず乗せていってください」 「うむ。大義である」 「なんで男の尻に敷かれないといけないんだ……行くぞ!」  しっかりと毛皮を掴まれたカリオンは嘆息して走り出す。 「神術が動いてるわ。時間はないわね」 「ボクにも見える。渦巻いた鎖状の光りが魔界に突き刺さってるよ」