何も得られない
生き物は必ず眠りを必要とするが、レヴァナントにはそれがない。 蘇った事例はなく、ランダは彼が復活したとき驚喜した。己が望む死者蘇生。不老不死に一歩近づいた――そう思った。 しかしレヴァナントの成功は一例のみ。その後続がない。人か状況か。あらゆるものを様々な方法で追い詰め殺し、死体が腐る前に術を施した。 外道の極み。 けれど、出来上がるのはただの死霊で、魂をほんの少し定着させることに成功する程度。大きな一歩ではあるが小さな一歩でもある。もっと先に進みたい。 ランダはレヴァナントを隅々まで調べた。時には腹を開き、血液を採集し、状態を聞いて会話がどの程度できるか調べたりもした。レヴァナントは自分の事を殆ど忘れていたが、戦いとテールの事だけは覚えている。 これではだめだ。記憶も持っている完璧な死者蘇生が目標なのだ。大切な兄を壊れたまま復活させるなんてとんでもない。 ときどき呟く女王やら姫やらがなんなのかランダは知らなかったが、時折いなくなったと思ったレヴァナントを見つけたとき、小さくて白いものに張り付いていた。 仲間を無意識に探しているのだと思っていた。その考えは半分当たりで、半分違う。 その白い獣を見たとき、やっと悟った。 レヴァナントは殆ど何も覚えていなくても、自分の群れを探していたのだ。 轟音と共に瓦礫が飛び散り、破片がランダの上に倒れているディアボラに降った。 暖かい黒い血が水たまりのように広がっている。 「どうして、庇ったんスか……」 「……ァァッ゛?」 刹那、上空で火花が散った。レヴァナントとハルが交差し爆音と破壊音が轟く。一撃でその身を粉砕させる威力の攻撃をレヴァナントが、力は無いものの速さと曲芸のような動きで翻弄しながら、ハルが応戦する。双方別のベクトルに特化しているが、拮抗し目で追うことすら難しい。 膨れ上がる殺気と共に、小さな体が盛り上がる。 「グルルルル……」 「グルガァァ!!」 まるで引き寄せられるかのように両者は激突し弾かれる。 残像が銀色の線となって飛ぶ様は火花のようだ。 刃と爪が混じりあう甲高い耳鳴りで、自分の心臓の音もわからなくなるような戦闘。その緊張を破るかのように頭上から大量の死兵が叩き付けられた。 はっと見上げれば黒い軍団が大群となって空を覆っている。生暖かい風が腐敗臭を運び、視界さえ遮るようだ。 その中心に大鎌を振り上げながら哄笑する少女が居る。 「これはこれは……もしや神獣かぇ?」 「お前は?」 「我が名はシティパティ。魔界の王なり」 ひしゃげ、おおよそ生きて居るとは言いがたい死兵達が、ぎしぎしと体をひねり、陥没した地面から抜けてくる。その腕には巨大な盾を持った悪魔が捕らわれていた。 「ちょうど兄者の始末が付いた所じゃ」 死霊がおもちゃのように男を引きずり投げ捨てた。地面を削るように回転し、瓦礫の山に埋もれて消える。 遠くで「殿下!」とエウリュアレーが叫ぶ。 横目で追っていたハルは視線を戻した。 「準備運動にもならなかったからの。ちぃと混ぜてもらおうかのぅ!」 眼光が妖しく光り、目尻が対象的にだらしなく下がった。幼い要望が老成した欲望をさらけ出した、ちぐはぐな印象。異様さを醸し出している。緩んだ口から除く赤い下はよだれをぬぐうかのように桜色の唇をなぞった。 「知っておるか、神獣!」 羽ばたき一つで急降下してくる魔王を避け、続けざまに飛び退いた。レヴァナントが隙を突くように襲いかかってくる。 「……ぁ、……る。――――ぉ」 「このレヴァナント、お前の父親じゃないかぇ?」 答えず踏み込む。冗談から斜め右下に払えば半身をひねるだけで避けられた。翼にかすった剣先が硬質な音を立てるよりも早く、大釜の一線が下から突き上げるように繰り出された。腰を落として避ければ、背後から迫っていた拳が示し合わせたかのように襲いかかる。 「おっとぉ!」 遊ぶように避けた魔王はにやにやと笑いながら挑発し続ける。 「殺したのはランダという悪魔じゃ。お前のすぅぐ後ろにいるぞえ。復讐するか? いや、駄目じゃな。アレは弱いがいい死霊術師。殺してしまうのはちぃともったいないかのぅ。しかし愚かよな! 規律に縛られ馬鹿のように死んだ愚かな種! 妻を守れず死なせたあげく、その娘を、命令によって自ら殺そうとしているとは傑作じゃ!」 身をよじったのは避けたから。だが、腹を抱えて笑うためとも思えてならない。 「死んでも神の御許に残らずに未練たらしく地上に残る。哀れで滑稽な! だが悪くない。地上こそがこの世の楽園じゃからのぉ!」 大釜の先が地面を削る。触れた大地が黒く腐蝕しチーズのような粘りけが跳ね上がる。粘土を捏ねるように大量の死兵が現れた。 忌まわしき死者を操る死霊術。 「べらべらとよく回る口ね。余裕ぶってるのか知らないけど」 地面のすれすれまで状態を倒し、弾丸のように駆けた。後ろ足が地面をえぐり凹ませる。魔王の真横に肉薄し鉄剣を下から上に振り払う。が、大鎌の柄に弾かれ、反動で剣先がぶれる。それを誤魔化すように回転したハルは再び切り下ろした。 「遅い!」 半歩下がるだけで避けたシティパティは鎌の切っ先をハルの腰に絡めるように薙ぐ。宙返りして避けた隙を狙い突き出した刹那、虹彩が赤から緑へ変色し―― 一瞬、魔王の前からハルが消えた。 「誰が遅いですって?」 耳の奥で老獣が煩く囁いている。 「遅くないわ。だって」 第三の<神眼>は確信によって開かれる。それは確かな自信による物だ。 「この体は悪魔を殺すために創り変えられたんだもの」 ハルは信じている。 与えられた記憶が囁き導くのを。 獣がどうやって得物を狩ってきたのか、記憶は全て教えてくれる。 「再来か?」 シティパティの口角がつり上がった。 かつて悪魔が仕掛けた侵略戦争で、神は獣を創り替えた。しかしその力を初めから使いこなせる者はいなかった。 そんな中、一頭の獣が第六の<神眼>を開眼させた。そこから獣達は急速に<神眼>を使いこなし始めたのである。 その獣の名はアシミ。 当時最も若い獣であり、悪魔を震撼させた恐怖の代名詞。 動揺が悪魔達に波紋のように広がる中、シティパティだけは歓喜に震えた。飽いていた魂が興奮に高ぶる。 「あぁ、其方。楽しませておくれ!」 「この戦闘狂がッ!」 恋をするような甘い声にハルは舌打ちしながら切り込んだ。 ★★★ 踏み出そうとした眼前を炎が矢のように通り過ぎる。カリオンは舌打ち混じりに飛びすさった。 「よそ見とはずいぶん余裕ですね。あの神獣の元へ行くには、私を倒してからにしていただかなければ」 「クソ羊頭」 口が悪い、と笑いながらシュマが炎を繰り出した。足下には大きな陣が浮かびじんわりとした紫色の光りが染み出している。 「そこをどけ。今なら見逃してやる」 「神獣に守られていたことを知らない愚かな種族よ。お前に私は倒せない」 ふと足の裏に異常を感じたカリオンは飛び退く。地面を割るようにして現れた炎が紫色の溶岩となって流れ出す。辺りはたちまち高温の蒸気で視界が悪くなり、耳の奥がじんと傷む。 「モリト! 下がって他の皆と一緒に。結界を張れるか?」 「できるけど、カリオンはどうするの?」 「あいつを殺す」 「待って!」 声に気を取られた刹那、炎の矢が背後から降り注ぐ。気配は掴めなかった。移転か、移動かはわからないが搦め手の悪魔と対峙するのは初めてじゃ無い。 避けながら身をひねり掴み上げた瓦礫を投擲。何かにぶつかる音に耳をそばだて周囲の状況をつかみ取る。 「カリオン、これを使って」 「ナイフ?」 警戒しながら一度モリトの元へ行くと、そこら辺で拾ったであろう小さな果物ナイフがあった。モリトは首をかしげるカリオンに柄を持たせると、躊躇せず、その刃に手の平を擦り当てる。 「何してるんだ!」 流れる黄金の血に慌てれば鋭い目で見上げられる。モリトは何かを決意した眼差しでカリオンを見る。どうしろって言うんだ、と彼が混乱するとわかっているというようにモリトは頷いた。 「カリオンが一番欲しい武器を想像して」 「まさか創るのか?」 「その剣じゃだめでしょう?」 いつも使っていた大剣を思い浮かべたカリオンが、反射的に目を伏せた刹那、黄金の血が形状を変えた。風に攫われる木葉のように渦を巻いたかと思うとナイフを包み込み、見上げるほどの太刀へ変わる。 持ち上げ振り上げれば蒸気が一瞬にして晴れた。 「ハルには内緒だよ?」 いたずらっぽく微笑んだモリトに苦笑してカリオンは背後のシュマに剣を投げつけた。後一歩で動脈を掻き毟ろうとしていた爪を避け踊りかかる。 馴染む重さに自然と唇がつり上がっていた。興奮で喉を鳴らす様は獣のようでそうじゃない。 血が混じった生ぬるい空気を裂くように肉薄したカリオンは零距離で放たれた魔術を、その太刀の腹で受けた。 王国騎士は楯を持つ。しかしそれでは両手がふさがり邪魔になる。ならばとカリオンは太刀の幅を楯ほどに広げたものを使っていた。人によっては狂気の沙汰。重量は常人ならば数センチ上がればいい方だ。 「なんだとっ!」 防ぎながら棍棒のように振り抜き、シュマの腕をへし折った。腹を靴底で踏み込めば胃液をまき散らしながら倒れた。その首に、いっそ優しいほど刃を滑らせる。 獣の戦いはいつだって素早く繊細でスマートなのだ。 「終わったぞ」 カリオンは飛び込んでくるモリトを優しく抱き留めた。 「さぁ、ハルを助けに行こう」 「うん」