戦わなければ

 レヴァナントは執着にディアボラを追い回す。  屋根から屋根へ、木や電灯の残骸の上を飛び回り、迎撃しては弾かれ突かれ服は細かな傷が入り、肌からは黒い血が滲む。 「小さい、小さい女の子ぉ。どこだ。どこだろう? ……今は黒いの追っているよ。どうして追ってる?」 「ご主人様に言われたからでしょぉに……」  うんざりと吐き捨てながら手袋の中指を噛んだ。尖った犬歯に引っかかればするりと青白い指先が現れる。手の甲には悪魔文字で作られた陣が刻み込まれていた。  体ごと回転しながら発動させた風の刃を投げつける。レヴァナントは難なく避けた。 「化け物は化け物の相手だけしてればいいって言うのにねぇ。アァ……いっつも貧乏くじばっかりだなぁ」  それでも他の道を選ぶことは考えられない。  悪魔でありながら悪魔たり得ない、半端な道化。  自分にぴったりだ。 「ねぇランダ。お前もそぅ思うでしょ?」 「だったらさっさと死ねッス!」  ハハ、と苦笑して避ける。地面が土埃を上げて凹むのを見る間もなく、ランダへ詰め寄ったディアボラは彼女の首にナイフを当てた。 「いくらレヴァナントが強くても、あやつるお前は弱っちぃんだから、前に出てきちゃ駄目だろう」  さんざん忠告したのにな、とディアボラが言えば、ランダは怒り狂ったようにもがく。 「レヴァナントの命令を取り下げろ」 「いやッス! こいつを殺せ!」 「こいつ、どーいつ?」 「目の前に居るだろう、このぉー!」  ディアボラは反射的に横飛びしながら「バーカ」と嘆息した。首をかしげたレヴァナントが先ほどまで立っていた場所に腕を食い込ませている。地面が粉々に砕けていた。 「え、えあ、なんでっ!」 「目の前に居る、なんて言うからだ。あいつにまともな脳みそ残ってるわけないのにねぇ」 「煩いッス!」  多少知識はあれど、認識するのは困難だ。一度死んだ命は特にいろいろなものが欠けて壊れている。 「ところでさぁあ。どうしてあのレヴァナントが創れたか知りたくない?」 「え、あ、え……え?」  ランダは動揺する。  まったくやる気のない声を上げながら、ディアボラは無造作にランダを投げた。放物線を描きながら飛んでいく彼女をレヴァナントは反射的に追う。膨れるように盛り上がった筋肉が風を切り―― 「わっわわわ! ――ストップ、ストーップ! アタシじゃなくてあっち!!」 「んー、わからない、わからないよー。全然見分けが、つかないよー」 「おばか!」  途中で止まったものの空中で勢いを殺す事が出来ず、二人はぶつかり落下する。瓦礫と化した町並みをごろごろと転がり止まれば広場に出る。  ディアボラは指を打つ。ぱちん、と音が鳴ると同時に、足下に入った亀裂からのっそりと首を伸ばしたベヒモスが大きくのけぞり、 「撃て」  濃縮された雷撃が障害物を焦がしながら直撃した。  ディアボラは嘆息する。 「アァ……これだから神獣はいやなんだ」  火花が散る中、溶けかけた大地を踏み煙の中から現れたレヴァナントは猫背を更に曲げてぎこちなく動いている。  全身を纏っていた特製の防護服は殆ど焼き切れているにもかかわらず、その肌には焦げ目一つついていない。  雷撃も悪魔術も殆ど効かない。刃物だってあの肉体に薄い傷を付けるのがやっと。そして獣達は誰もが勇敢なのだ。 「ど、ど、ドコだ。小さな、私の女王……私の、どこニ」 「ランダ……私が神人を蘇らせようとしなかったのはなぜだかわかるか?」 「いったい、何を言ってるッス」 「アレを見てるとさぁ、神人を蘇らせる研究をしなくて良かったって思えるよねぇ。いいなぁ神獣は」 「あー、あ゛ー? まも、る。ドレ、あーブル。なにから、まもる。女王、私のじょうお…ぉ……」  油の切れた機械のようにレヴァナントは動きを一瞬止め―― 「アアアアアアアアアア――!!」  殺意が肌を突き刺し、絶叫が空を振るわせる。崩れかけていた建物が衝撃で倒壊した。  完全に機能を停止した防護服。顔に張り付いていた布を引きちぎる荒っぽい仕草。現れた双眸に正気はなく、爛々と赤く発光していた。ぐるぐると唸りながら口の端によだれが垂れ、銀色の髪を振り乱す。 「死霊術がっ」  額に施した紫色の陣が崩れかけている。  知性を失った獣がかすかな物音に振り返った。 「あ、あ……」 「私の、女王」  腕が振り下ろされるのを見ながら、ランダは確かに聞いた。 ――私の小さなお姫様。 ★★★  轟音と殺意に、はじけるように顔を上げた。  噛みついていた悪魔は尻を押さえながら脱兎のごとく逃げ出すが、全身の毛が逆立って、それどころじゃないと警告してくる。  神木の周りにいた悪魔は、既に数を減らし逃げ惑っていた。  短命種が相手なら一騎当千の彼らだが、獣相手じゃ分が悪い。恐怖と混乱でちりぢりに逃げている。 「なんだ、この殺気は……おかしいぞ」 「――モリトが危ないわ」  駆け出そうとしたまさにその時、爆風と共にそれは現れた。  大きな体躯、黒い服。  銀色になびく硬質な髪は長く、肌は雪のように白い。子供が縫ったようなへたくそな縫合の痕がうっすらと浮かび上がっている。目だけが赤く爛々と燃える火のようで、理性を失った両手にはしたたるほどの血がこびり付いていた。  その足下に伏せるように倒れているのは、いつぞやの吸血鬼。腹の下に三つ編みの少女が、同じように倒れ伏している。  ああ。と自然とこぼしたのは誰だったのか。  ゆっくりと彼は、ハルを見た。 「どこに……約束を」 「……おとうさま」  幼い子供のように呼びながら踏み出す。胸が張り裂けそうに悲しい。  レヴァナントの向こうに、見知った顔がいくつもある。散らばる死霊を相手に奮闘するのは教皇ダルド。そしてダグラスに傷ついたエクソシストに守られた住民達が見える。 「ダグラスは応援を呼んでくれたんだよ!」 「皆さん無事でしたか、よかった!」 「あなたも元気そうね」  見たところ、モリトを中心にエクソシストがリビングデッド相手に奮闘している。周囲に散らばる死体を見れば、彼らがモリトを守っていたのがわかった。  神木の根元になだれ込んでくる者は憔悴しきっている。 「二人ともよそ見をするな!」  叱咤と共に、ダルドの手から竜巻が吹き出す。雷撃を巻き上げた瓦礫でことごとく粉砕し、シュマは舌打ちし後退した。その足下に尖った槍が突き刺さる。モリトは投げた体制のまま、大丈夫だというように手を振った。 「モリトの加勢をしてちょうだい。ここは一人で平気よ」 「だが、あの人は」 「もう死んでるの! ……前みたいに簡単にやられたりしないわ」 「無理するな、俺が行く!」 「お願いよ、行って」  カリオンは嘆息する。 「……危なくなったら加勢する。これ以上は譲らないからな」  振り仰いだ先は心配そうな顔。それに鼻を鳴らす。  一度は負けた。  だが、今は負ける気がしない。  ゆっくりと抜き放った鉄剣に揺らめく炎が反射して、滴をこぼすように切っ先で散る。 「絶対に無理するな」  念を押したカリオンが去るのを横目に右足を出し、左足が横ぶれ、最後に踏み出したもう一歩が地面をえぐる。  向かう先は一度敗れた相手。おそらく父親だ。  ハルは躍り出す。  天辺の月が傾き始めていた。