立ちはだかる

 結界が薄れ怨嗟の声が消え、メロゥーラは愕然とファズを見た。 『いったい……。っどうやってここへ!?』 『神の力は創造の力。思えば全てが力になるのさ』  くるり、と回って見せたファズは『何だか変な感じだ』メロゥーラを見上げる。神木の精神体を遠くへ飛ばすための神術は、まるで新しい体をファズに与えたようだった。 『ずいぶんと小さくなってしまったね。神木の中で君が一番大きかったのに』  幹に触れる手を邪険に払い、メロゥーラは怒る。 『そのことではありません! 答えなさい、ファズザラーラ!! 皆が枯れてしまった……こうなることを知っていた?』 『そういきり立たないで。大正解した君に全部包み隠さず教えるよ。あとでレイディミラーに教えてやれ。蚊帳の外にいるのは君と彼女だけなのさ』 『モリトの行いが一番破壊が少ないと言ったのは、このことと比べてだったのですか』 『そうさ。君が耳を塞いだ後、少ししてメディラが約束を結びたいと言ったんだ。誰もが暮らせる国がほしいって。私達を彼らと同じだと認めてほしいと言っていた』  だが、それは間違いだった。 『約束は破られメディラは心を壊した。……破壊を望んだあの子に私は囁いたのさ。悪魔はエディヴァルが欲しい。神木は短命種が憎い。なら手を組めるだろう? ……短命種さえ居なければ、私はどうなったってかまわないと、そう思っていたのさ。悪魔と手を結ぶのは当然の流れ』 『ならばなぜ、モリトの約束に賛成をしたのですか。あなたは穏やかに暮らす事を願っていると言いました』  ファズの目が揺れた。 『諦めきれなかったのかもしれない……。メロゥーラ、私は本当に馬鹿な神木だ。子を殺した短命種が憎いのに、その目を見ると期待してしまう。私の子供達は、まだそこに居るのかな、と……。あり得ないのにさ』 『……ファズ』 『それに獣はまだ生きていた。あの子のために何ができるだろう? 何をしてやれるだろう? 世界が悪魔の住人にとってかわり、あの子は幸せに暮らせるだろうか』 『ならばやめることもできたはずです』  ファズは混乱しているように頭を振った。 『私は獣を待つつもりだった。でも、永遠に待ち続けるつもりはなかったのさ』  悪魔が破ると信じ、ファズは約束を結んだ。  悪魔はメロゥーラに手を出して、レイディミラーに襲いかかり、もしかしたらメディラを切り倒すかもしれない。  そうなってもよかった。  神木達は失望し、希望を失っていたのだから。  いずれ滅びるのなら、その過程は関係無いと思っていた。 『わたくしがあなたを止めます。あなたの陰謀を、絶対に』 『どうやって? 采は投げられ、後戻りはできないのに?』 『それでもやるのです。あなたはそこでうじうじしながら見てればいいのだわ。狡猾な神木は己の思いに枝を結ばれてしまえばいいのよ。ふぬぅううっ!』 『えっ! あ、え……!?』  片腕だけだった精神体がみるみるうちに変形していく。  異変を感じて文字通り飛んできたゼーローゼ達は右往左往と混乱した。 『ふふん! あなたにできて、わたくしにできないはずがありません』 『いやそれ、全然違う神術創ってる……』  手の平サイズになったメロゥーラの精神体は直系四センチほどのちんまりした手足に、大きな丸い頭とほっそりした胴体。背中には体よりも大きな虫のような羽が生え、せわしなく動いていた。ブーン、と音がしている。 『これでわたくしも遠くへ行けます。体はわたくしのフロースとそっくりですよ』  かなりゆっくりしか飛べないのか、ふよふよと飛んでいるメロゥーラを手の平に乗せたファズは小さく嘆息し、 『私が連れて行こう。君の速さじゃ、たどり着く頃には全てが終わっているさ』 『最初からそう言えばいいのです』 『メロゥーラ』 『なんです。まだなにか?』 『君は強くなったね』  助けてと言うだけだった彼女は、悔いている。 『ええ。守りたいものを思い出したのですもの』 ★★★  炭のように焦げ落ちた灰が降り注ぐ。  白い町並みはあっという間に煤けて壊れ黒く塗りつぶされていく。  願ったとおり短命種が逃げていくが、心は一向に晴れない。 「ハルを出せ」  冷ややかな眼差しのカリオンが見下ろす。メディラは口元を歪め虚ろに呟くだけだ。言葉は耳に届いていないようだ。 「短命種、ここは悪魔の魔窟となるだろう。死にたくなければ今のうちに逃げるがいい」 「ハルをどうするつもりだ。この子をこのまま閉じ込め続けるのか!」  殴りつけても結界に罅一つはいらない。 「あんた達はいったい何がしたいんだ! 俺の知ってる獣は皆、神木を守ってきたのに、なのに神木が獣を裏切るのか? 閉じ込めて悪魔にでも捧げるつもりなのか!」 「そんなわけないだろう! この子は俺達で大切に育てる」 「悪魔に世界を明け渡して? やめてくれ、ハルはやっと俺達と一緒に生きる事を前向きに考えようとしてる所なんだ。その邪魔をしないでくれ、これ以上孤独を味あわせないでくれ……!」 「あの、いったい何の話ですの? 逃げた方が……」  と、 「アイリーン様!」 「ジハール!? やっときたのね、この役立たずっ」 「おやまぁ。カリオン殿の前で猫をかぶるのやめたんですね」 「うるさいわねっ!」 「っと」  巨鳥を振り向きざまに殴り落として手を払う。  ジハールは洞の中のハルを見て、苦笑する。そして持っていた荷物を放りだした。ハルやカリオンの荷物だ。 「しばらく神木の元に悪魔は来ません。国を出るならしばらく様子見するといい」  殴られた巨鳥は忌々しそうにこちらを苦むが、大きく羽ばたくと旋回しながら飛び去った。 「ラルラ、今からでもいい。ハルを解放して結界の裂け目を閉じてくれ」 「既に約束は結ばれ、変える事はできない。メディラの願いを叶えるために多くの神木は生き、今滅びた。悪魔は計画通り全てを殺して腐らせるだろう。止めることはしないと約束をした」 「あんた達はいつだって約束だの契約だのに縛られる融通の利かない頑固者だ。神の規律に従うことがそんなにも大切なのか? なんで簡単に結んでしまうんだ!」  ラルラはうずくまるメディラの横に座り込んだ。あぐらを掻いて空に広がる悪魔の群衆を眺める。どこか気の抜けた表情で。 「お前と同じ事を言った短命種がいた……。守る必要のない約束を結ぶから付け入られる。誓ってはならない事を平気で口にするから滅びへの道を歩むのだ、と。そんなことは百も承知だ。お前の言うとおり、我らはただの融通の利かない頑固者なのだろうよ。だが逆にこう思わないか? どうして、お前達は誓ってはくれないのか、と」 「何の話だ」 「どうして我々の規律に誓ってはくれぬ。難しい事など何一つないというのに。約束を守ればいいじゃないか。どうしてそうしてくれない」 「……短命種は欲や怠惰を忘れられないのよ」  ハルは言った。出られない洞の中から恨めしそうに外を眺めている。  ラルラは首を振る。 「神木や獣はできるのにか?」 「それは神の規律に生きるあなた達だからだろう」  違う。とラルラは続けた。 「規律を破っても、死も罰も何も下されない。ただ規律から外れるだけだ。我らが生を受けてより、この時まで規律を破った者はただの一本、一匹もいない」  カリオンは絶句した。 「約束を守れることを証明し続けてきた。約束により死よりも辛い辱めを受ける者もいた。……だから余計に思う。どうしてお前達は守ろうとしてくれなかったんだ――こんな事を言っても、何もならないのにな」 「そう思うなら、わたしをここから出して」 「全てはメディラの意思だ」  ハルは、結界に前足をつきながら、彼を見上げる。 「メディラは気が狂ってるってレイディミラーは言ってたわ。でも違うの? 神術を自分にかけて狂ったふりをしていたの?」 「いいや。そんな事ない。今だって話かけても返事が無いだろ。神術は、ミレが死んだって事だけを忘れさせていたんだ。そうしなければこの時まで持たなかっただろうよ」 「メディラは復讐のために今まで生きて来たの? 何があったか知らないけど、でも最後は枯れるつもりなんでしょう。この国をどうするつもりなの」 「なぁ、短命種を信じているか?」 「……あなたは信じていた?」 「メディラは信じようとした。その結果が今だ……皮肉だな。ここは悪魔の国になる」 「ちょっと、黙って聞いてればどう言う事? その幽霊が悪魔を呼び寄せたって言うの! 説明して!」  ジハールは嘆息する。 「つまり植物は話さない。何を言っても文句を言わない、だから何をしてもいい、と我々は思っていた。実際は意思があり言葉があり大切なものがあった。それを認められない者達が悲しいことに多かった。そういう事です」 「もうわけがわからないわ! ……獣と神木って何ですの? どうしてこんなことに? 神木は世界を守っていたのではないの? それに……神木は、人の姿をとるって……」  ラルラはうっすらと笑った。 「さてな。――ただ言えるのは、この国の本当の姿は食卓。贄の皿。その上に乗るのは当然生け贄だ。ロストロは滅び、復讐のためにエイディは建国された」  最も栄えた国は世界の要となる。それが壊れればどうなるか。  殆どの短命種は生きられない。 「な、なによそれ! 巻き込まれた私達はどうなるのよっ」 「嘆くなら歌姫候補になどならなければよかったんだ」 「どう言う事!」 「歌姫はメディラの慰め役だった。お前が特別に優遇されていたのは、ミレに声が似ていたからだ」 「どう言う事なの、ねえ! 誰か答えなさいよ!」  わめくアイリーンの言葉に顔を顰めながら、ハルはジハールを見上げる。その向こう側に悪魔の大群が見えていた。雨のように降り注ぐ悪魔に破壊と悲鳴が聞こえる。  それを眺めながらモリトのことを思った。  あの子はこの国の未来を悲しむだろう。  瞼を閉じれば世界は黒く、開ければ鮮やかに彩られる。 「もう御託はいいわ。あなた達と話すにはここは煩すぎるし、時間がないもの。――悪魔は殺す。この国は今日で終わらない。明日は歌祭りよ。歌ったらメディラに会えるんでしょう?」 「……あぁ」  ぶつぶつとつぶやき続けるメディラにはどんな言葉も届かない。ラルラは赤く染まったハルの双眸を見ながら頷いた。  もう言葉はいらない。  ハルは風のように後退し、嵐のように結界へ突撃した。  体に堅い物が触れ、はじけ飛ぶ。  反動で転がりながら体制を立て直せば、服と鉄剣が投げ寄越された。カリオンだ。  薄い生地の服を被り擬態すれば、ハルはいつものように鉄剣を握る。  十字の剣。アシミの尾を使って創られたそれは、いつだってハルを助けてくれた。  右手で握り遊ぶように振り回す。  折れた骨は完全につき違和感はなく、確かめたハルは神木の幹を駆け上がった。  背後で静止する声を無視しながら枝から枝へ飛び移り、天空に跋扈する異形の群れへ身を投じる。  悪魔の数は膨大だ。 「でも、そんなの関係無いわ」  今日はご馳走の日。明日のお祭りは皆でお祝いをしよう。  獣は狩り場を定めた。  死にたい奴からかかってくればいい。