報いを受け

 ミレ、と言うのは誰だろう。 「獣でしょう」  ダグラスは断言する。  帰宅早々足下に纏わり付いてきたモリトの話は、二人の表情を険しくさせた。 「その幽霊、神木の精神体ではありませんか。死霊なら体があるはずです」 「そうなると、メディラだろうな」 「神木や獣の事を消し去ったのがヘリガバーム教団なら、この国の建国史だって知ってそうだけど無いの?」 「建国当初の書物は軒並み灰になっているそうです。なんでも、内戦があったとかで」  二人は帰りに寄った図書室で司書に詳しい歴史書を紹介してもらっていた。  それによると、建国して二十四年が経った時、国内が真っ二つに我酷い争いが起きた。当時より前の記録は混乱と破壊によりほぼ消失している。残っている物も保存状態が悪く読めたものじゃない。  残っていたのはようやく発掘してきた絵本だけ。それも子供向けの絵本だ。  要約すると、  昔々ある所に、三人の若者がいました。彼らはとある土地に集まり国を創ることにしたものの、ちっとも作業は進みません。  そこへやって来た白い猫が彼らの国に口を出しました。  猫の言うとおりにした若者達は次々に襲いかかる困難を解決し、とうとう国を完成させたのです。  若者の一人はそうしている内に白猫に恋をして、結婚を申し込みました。 「白猫さん、あなたとずっと一緒に居たいのです」  白猫は頷きました。  こうして国は豊かになり、いつまでも皆が仲良く暮らしましたとさ。  めでたし。めでたし。  ハルは半目になって舌打ちする。 「老王が混血児だって言うの? メディラの事は何も書いてないわ」 「王様に聞いてみるか?」 「教えてくれればいいけど、あの王、何か変よ。目が死んでるもの」 「猊下からの書状を見せるべきでしょうか……」  教皇ダルドのしたためた紹介状は、悪魔の脅威にさらされた場所こそ威光を発揮する。しかし、エイディ国は殆ど悪魔の脅威にさらされてはいない。  国の多くは神木を神のように崇め祭っているがエイディ国では威光も強くない。  そもそもこの国はあらゆる宗教を囲っている。古い土地神から新興宗教まで様々だ。申請を出し税金を納めればどの場所でも布教できるのだ。信者の数も自ずと減る。 「そう言えば、老王以外の王族はどちらにいらっしゃるのでしょうか」 「確かに見ないな……居ないのか?」 「それは無いかと。この国は四百年続いているはずです。以下に長寿な種でも持って三百年ですよ」 「長老は五百年くらい生きてるぞ?」  ならば、混血の可能性は高い。 「モリトはどうしたい?」 「ボクは……メディラに何があったのか知りたい。ラルラはメディラを助けてって言ったよ。今日あった幽霊がメディラなら、確かに様子が変だった……」 「メディラが心を壊したのがいつかわからないなら、建国史は関係無いのかもしれないな」 「でも、無関係じゃないわ。全ての事柄は繋がっているもの」 「そうですね。引き続き探りを入れてみましょう。アイリーン殿の事も調べてみましょうか」 「どうしてだ?」 「王宮に食客として招かれましたが、アイリーン殿を助けた報償のようなものですよね。ラルラ様は歌祭で一番を取ったらメディラ様に会えると言いました。しかし、アイリーン殿は去年一位だったと言う話。しかしメディラ様の存在は知らない様子です。一位を取ったからメディラ様が会いに来ていたのか、それとも何か条件があるのか……歌姫には何かあるのではないでしょうか? 調べてみる価値はあると思います」  建国当初、何があったのか。メディラが心を壊した理由と時期。歌祭。  調べるのはこの三つなら、別れて探した方がいいだろう。 「歌祭の事はカリオン殿にお願いします。アイリーン殿に聞けばおおよその概要がわかるでしょう。現在の歌姫候補の内情も。ボクは建国史に詳しそうなご年配の方がいらっしゃらないか聞いてみます。それから、それらしい書物の事も」 「ボクも行く!」 「なら、最後はメディラの事ね……わたしが様子を見てくるわ。本性に戻ればそれほど警戒されないでしょうし、神木の元まで行ってみる」 「約束はどうするの? ラルラは一番をとったらって言ってたよ」 「とったら会える、と言ったのよ。会ってはいけないとは言われてないわ。ラルラはメディラの状態も、どうしてそうなったかも知ってる……メディラを助ければ従うと言う神木達もきっとそう。もしもよ、モリト。メディラに会って――いいえ、何でもない」 「どうしたの、ハル?」 「……何でもないわ。それよりダグラス、もし何かあったらモリトと一緒に逃げて。落ち合う場所を決めておきましょう」 「別行動を取るのですね」  ダグラスは意外に思う。絶対にモリトを片時も離さないだろうと思っていたのだ。 「わたしもカリオンもいないから、しっかりしてね。何かあったらダグラスを守ってあげるのよ。短命種は弱いから」 「うん。できるよ」  神妙に頷いた姿に、ハルは眩しそうに目を細めた。 ★★★  ようやく私に興味を持ったのね。と、アイリーンは内心ほくそ笑む。 「うふふ、歌祭に興味がおありなのね。まぁ! 私ほど! 実体験している者もいないでしょうし、カリオン様の人選は間違っていなかったとお約束致します」  私室の客間で向かい合うように二人は座っている。間のテーブルは小さく、紅茶のティカップと丸いクッキーが皿の上に並べられている。 「歌姫候補は、産業の出発点であり要と言われています。選び抜かれた美貌の娘達が震えるほどの美声で歌うのです。祭で頂点に立てずとも貴族に見初められる者も多いので娘達の憧れの職業ですわね」  スカウトという職があるのもこの国だけだ。彼女達は彼らの目に止まるために日々自分を磨いているという。声をかけられれば王立音楽大学へ進学し、卒業生と言うだけで箔が付く。他国からの留学生もいるくらいだ。  卒業した後、三つの道が示される。卒業し結婚をする者。フリーで歌うか王城に上がり、アイリーンのように歌姫候補として王に仕える。様々な賓客をもてなすために一流の礼儀作法と美声を持った、最も誉れある職。無論、歌姫には男もいるが共通しているのは誰もが白い体毛を持つと言うことだ。 「なぜ、祭は開かれたかご存じですか?」 「内戦の傷を癒やすためと聞いておりますわ。なんでも大昔、この国ができてすぐに国を二分する戦いがあったのだそうです。争いの種が何だったのかはわかりません。ただ、多くの者が死に、屍が大地を埋め尽くすほどだったと言われております」 「内戦が?」  多くの者が傷つき痛み、明日生きる事すら億劫になるほどの衝撃で何もかもが壊れていた。そんな中、一人のとある人物が人心を慰めるために歌い始めた。  かつて歌は神木がもたらした大いなる恩恵と呼ばれ神聖なものとして扱われていた。あらゆる祭事で歌は歌われ、少しずつ彼らの心を慰めた。 「今もまだ、各地に名残があるらしいのですがなにぶん古い言葉を使っていますので専門の知識が無ければ意味を理解することも難しいのです。そして発音も独特で、現在では別の歌が使われているそうですわ」 「記録がどこにあるかご存じですか?」  丁寧に言葉を重ねるカリオンに、アイリーンは目を光らせる。かかったわね、と言うように。 「でしたらご案内しますわ。本当なら部外者は立ち入り禁止なのですけど、私と一緒なら顔パスで入れますのよオホホ!!」  部外者は立ち入り禁止だが、食客に招かれた客人が申請を出せば王は無下には扱わぬ。それに紋章だってあるのだ。  つくづく恋の狩人だ。それだけは悪魔に対抗する兵士すら凌駕する腕前だろう。  何食わぬ顔で同情したジハールに気付かずカリオンはよろしく頼む、と返事をした。 ★★★  国の昔話を知るものは案外少ない。  既に寿命を終えている物が大半で、そうで無ければ口をつぐむか断られる。 ――エイディ国の歴史書を出版するために、取材をしている。  そんな名目で学者達から情報を得、手紙を出して取材のお願いをすればそのような反応が返ってきた。  中にはダグラスを見るなり態度を変える者もいたが、若い人物こそ顕著で、年配の者の方が気質は穏やか。そんな孫や息子を叱り謝る姿さえあった。  現に、目の前に。 「この国は、外から見ると異質でしょう。悪魔に脅かされたことの無い者が、最近ではああいった態度を取ります。嘆かわしい」  蛙の亜人がそう言って、深く嘆息する。その横ではしかりつけられたひ孫がしょんぼりとした肩をびくつかせる。 「全ては歌祭に選出される歌姫のせい。彼女達は毛皮や肌が白くなくてはなれませぬ。王の……いや罪深い年寄り達の犯した過ちじゃぁ……。内戦の後で国はおかしくなってしもうた。王は心を凍らせ、日に日に冷たく凍てついてしまった。……儂のヒヒ爺が申しとりました」 「翁、詳しく教えていただけませんか。この国の書物は内戦以前の物がことごとく燃え、建国史に付随する物はどこにもありません」 「“全ては神木の洞に隠されている”」  ゆっくりと立ち上がった翁は書棚に近づくと、一冊の古びた書籍を抜き出した。 丁重は綺麗だが、開いてみれば挟まれた板は所々欠けている。後から表紙を付け替えたのだろう。 「これは、ヒヒ爺がよく言っていた言葉だそうで、全ての記録は神木の洞に書かれているそうです。本当かどうか、定かではありませんがな。書籍には当時の記録が綴られています。内戦の後で焚書がありましてな。逃れるために丁重を変え様々な場所に隠した物の一冊と言われております」 「確かに何千年も前の木簡ですが……どなたがお書きになられた物でしょう?」 「悪魔が書いた、と伝えられとります」 「悪魔が住んでたの?」 「じぃじは、うそなんかいわないぞ!」  むすーっとした蛙の子は頬を風船のように膨らませ、げこっと鳴く。翁は微笑ましそうに孫を見る。 「これ、そんな顔をせず、お前もお聞き。いずれお前が語り継ぐ話の事だ。――昔、昔の話ですじゃ。記録は定かでないが、四百年ほど前と言われております。この土地に飢えた短命種が二匹、そして悪魔が一匹、神木の洞へ招かれました――」  それはいずれ、嘘つきと愚か者と卑怯者として建国史に登場することとなる。  中央大陸。  現在のエイディ国がある場所は平地が続き環境も穏やか。目立った水害もなく、かといって乾いているわけではない豊かな森が広がっていた。  しかし、戦乱は中央大陸を火に包み、国ができては消え、消えては生まれる。  疲弊したのは森も大地もあるが、そこに住まう短命種も疲れ果てていた。  一人の若者が戦火から逃れ、逃げ惑っていた。彼は一つの集団で戦士をしていたが不毛な争いに辟易して逃げ出したのである。  同じようにして、敵陣営から爪弾きにされていた弱い短命種とばたりとあい、彼らは行動を共にするようになる。  若者の兵士と爪弾き者が一緒に暮らし始めてすぐに、悪魔が一匹、彼らの元に現れた。  若者は果敢に戦ったが、もうだめかと思ったときに悪魔が一つの提案をする。 「私と一緒に暮らしませんか」 「馬鹿言え! 悪魔と一緒に暮らせるものか!」  槍を突き出す力も無い有様の若者を庇うため、爪弾き者が投げた石が悪魔の額に当たる。  黒々とした血が流れたが、悪魔はそれ以上何もせず近くの河原に住み着いた。  一日中膝を抱えて物思いに耽っては、魚を捕って囓っている。  ときどき若者達に声をかけては周囲の状況をぺらぺらと話す。  ある日、嵐が来た。風が強く、二人で作った小屋もぎしぎしとしなっている。  その頃になると悪魔を悪いように思えなくなっていた彼らは心配になった。もしかしたら自分達と同じで、仲間から逃げてきたのではと考えていたからだ。  二人は河原へ行って悪魔を探した。  いつもの川辺に、大きな石の影で身を丸くして小さくなっている。  悪魔を小屋へ連れて行き、温かいスープを三人で飲むと、身を寄せ合って夜を明かす。  それから、悪魔と敵同士だった短命種が二匹、狭い小屋の中で共同生活を始めた。  その噂を聞きつけて、一匹の獣が現れる。  動物のような四足歩行。白い毛並みを持った猫。大陸中に住んでいるもっとも危険な悪魔と言われていた者に彼らは死を覚悟する。  しかしそれはテールと名乗り、驚く面々を見回しながら話し始めた。 「土地が欲しいか。安寧がほしいか。ならば約束を結べ。破らない誓いだ」  守るのならば与えよう。破るのならば許さない。 「結ぶのを決めるのはお前達。しかし神木はお前達との共存を願っている」  神木とはなんだと若者は問いかけ、答えを得た。 「我らの家であり、友であり、半身である者達。この世界を覆う結界を張っているのは彼ら神木だ」  かつて、世界が神木と獣だけだった頃の創世記。  神木がどういったものか知り、獣がなぜ自分達を追い出し殺そうとしたのか。理由を知った彼らは、終わると話し合う。  提示された誓いは千を超えたが、彼らが取り決めた約束と同じ物も多かった。 「俺は悪魔だが、それでも受け入れるというのか」 「誓いを守る者に種族は関係無い」  三人は更に話し合い、 「我々をあなた方の土地においてもらえませんか」 「約束を破りメディラを悲しませてみろ。――必ず殺す」  凄む獣に彼らは頷く。  そうして洞に招かれた。  彼らは種族も元々の考え方も違ったが、共同生活の中で他人に優しくすることと、されることを覚えた。  意外にも獣は献身的に彼らを助け、時には助言を与えた。  畑は広がり食べる物にも困らず、歌を教えてもらってからは暇な一日歌い続けた。  噂を聞きつけて、様々な種族がやって来た。誰も彼もが戦に疲れたどり着いた者達だ。  神木と獣は同じ約束を彼らに求め、いつしか一つの集団が出来上がる。  人種や国籍を問わず受け入れたためか、集団は大きくなっていく。  約束の下に身を寄せ合い、いつしか国ができた。  これが一番始めの建国史と言われている。