それが他人の不幸の上に

『メロゥーラ、また泣いているのかい?』 『あなたは悲しくないのですか』  メロゥーラは吐き捨てた。仲間の死はいつだって苦しいのにファズは微笑んでさえいるのだろう。  悪魔も増えつつある。 『間もなく悪魔の総力戦が始まる。……彼らはぎりぎりまで兵士をそろえようと襲うつもりさ』 『兵士をそろえる?』 『死者の軍隊さ。悪魔だけが扱える死霊術。異界の神が与えたおぞましい力』 『寒けのする神ね。死体を蘇らせるだなんて、循環に反しているわ』 『そこに魂があるかどうか、わからないけどね」  肩をすくめ、続ける。 「どうせ面白いとでも思ったのさ。あれらの考えは私達には到底わからない。それがこんな気味の悪いことだと思うと、気分は最悪だけど』 『東から難民が押し寄せてくるわ……また大きな争いが始まるのね』  彼らは少ない大地を奪い合い、剣を取るのだろう。 それだけですめばいいが、悪魔に残っている時間はあまりない。  長く伸ばした根の先で大地が悲鳴を上げていた。腐り逝く不快な感触はそれほど遠くない。悪魔はエディヴァルに住み着き腐敗の種をまき散らしている。  メロゥーラの声がファズを引き戻す。 『……なんとしても、あの子達に伝えねばなりません。他の神木に連絡を取って、枯れないようにお願いしてみます』 『それは無理な話さ。彼らにも彼らの事情があるからね』 『知った風な口をききますね……ファズザラーラ。何か言っていないことがあるでしょう』 『君が何の事を言ってるのか、わからないな』 『嘘おっしゃい!』 『本当さ。嘘をついたらどうなるか君だって知ってる。……ああそんな怒らなくても」 『あなたが何も言わないから悪いのです!』  怒りだしたメロゥーラにファズは笑う。その悠々とした姿が憎らしいと言うような気配にファズは笑った。それが彼女を更に苛立たせると知っているにもかかわらず。 『なら私と勝負をしてみないかい?』 『勝負ですって? またそんな子ども染みたことを言って!』 『君が勝ったらなんでも話すよ。聞きたい事ぜーんぶ、隠したりしないで親切に最初から最後まで。聞いてないことも含めてね。君はこの話がどこの国か当ててくれ。チャンスは一回』 『本当に全て話すのですか』 『約束するさ』 『……。いいでしょう』  彼は物語を聞かせるように優しい声音で話し始めた。 『昔々ある所に、嘘つきと愚か者と卑怯者がいた。彼らはとある土地に集まり国を創ることにした。誰もが笑って暮らせる理想郷。沢山の約束事に縛られた、優しい国を』 ★★★  切り伏せた悪魔がびくびくと痙攣している。墨汁のような血が大地に染みていた。  爬虫類型の悪魔は絶命しているが、今にも動き出しそうだ。  雪白木の森を出て既に一月が経とうとしている。 「ずいぶんと増えたわね」 「……リノンの影響でしょう」  エイディ国に向かう道で既に数え切れないほどの襲撃を受けていた。リノンから流れ出た悪魔も然る事ながら、今まで潜んでいた悪魔が大きく動き出している。  それはエイディ国を目前にしても変わらない。神木がある国は悪魔が殆ど出ないはずなのだが。  周囲の人だかりを見て件の血糊を飛ばすと、ハルは鞘に鉄剣を収めた。一行を恐怖に引きつった顔で眺めている者達は、ようやく戦闘が終わったと思い胸をなで下ろす。彼らは皆エイディ国に入国を希望し、列に並ぶため多くの者が広くもない道で立ち往生していた。悪魔から逃げるには狭すぎて逃げられなかったのだ。 「あちらも本気で仕掛けてきているようですし、教団の噂も気になります」 「連絡は付かないの?」 「教団からの手紙のやりとりはできますが、何ヶ月もかかるかと。すぐに話が聞ければ良いのですが……」  流れ始めた列を見ながら、ダグラスは落ち込んだように呟く。 「猊下は、どう言うおつもりなのでしょうか。世界会議の発足とは……」  神木と獣の関係を教皇ダルドは民衆に伝えた。この時期に発表した理由はわからないが、何かが動いているのは間違いない。  モリトもハルも言うなとは言わなかった。だが、慈悲は尽きたと伝え民衆を煽るのは止めてほしい。今だって遠巻きにしていた者達がダグラスの服の紋章を見てひそひそ話している。 「混乱した誰かが神木に何かしなければいいんだがな」  カリオンの心配は尤もだった。 「リノンの二の舞だけは避けなきゃいけないわ」 「でも、ここからボク達にできる事ってあるのかな?」 「エイディ国にもヘリガバーム教団の教会があります。少し顔を出して探ってみましょう。もしかしたら猊下から何か聞いているかもしれません。僕らの行先は既に手紙で送っていますから返信の期待はできませんが……」 「雪白木の森の雪解けはどこよりも遅かったからな」  出発してすぐに手紙を出したが、到着しているかも怪しい。 「とにかく急ごう。日が沈めば入国は難しくなるし……何より長いなぁ」  一同は先を見た。  正方形の広大な敷地を囲う城壁の中に、所狭しと住宅が建ち並び、城壁から外は一面田畑。地平線の彼方まで続いているのではないか。そう思わせる国の中心に針のように細長い神木がそびえていた。 「間に合うかな」  ぽつりとモリトは呟く。 ――メディラを助けろ。  いったい、何から。どうやって。  ラルラの残した言葉は少なく曖昧だ。メディラを助ければ他の神木もモリトの提案に従うと言う。そしてメディラに会うためには、歌祭で歌姫になれば良いとも言う。  面倒な手順を踏ませようとした理由は何だ。他の神木が従うと言うことは、何かを決めたはず。  メディラは気がふれていると言うが、最も安定しているのがエイディ国。もしかしたら表面上だけで実態は違うのかもしれないが。  短命種は神木を枯らしたくない。彼らは悪魔を恐れている。そして悪魔の狙いは明白だ。――エディヴァルが欲しい。できれば、腐らない大地を。  神木が悪魔に協力をするのなら全ての願いが叶う。  メディラを助ければラルラは他の神木も従うだろうと言った。  もし悪魔と短命種が結託するならば、神木はそれこそ滅びを選ぶだろう。けれどメディラが気づけなかったら――メディラは人質になっている可能性もある。  短命種と悪魔の利害は一致する。悪魔が彼らを襲わずに共存する道だ。  悪魔が短命種を襲わないと誓い結託し、神木を脅しつける。もしくは協力を得る。  これだけで全ては丸く収まるのだ。  だが、できなかったからこそ今がある。そんな事は不可能だ。 ――この約束にはいずれ生まれる者達も強制的に参加させられる。そのことを許せるはずもない。  レイディミラーはそう言って、モリトの提案を撥ね除けた。 ――お前は失望するべきだ。 「入国したら二手に別れませんか? 歌祭りの事も調べなければ行けませんし、僕は一度教会に寄らなければなりません」  物思いに耽るモリトを引き上げるようにダグラスは言う。 「じゃあ、わたしとモリト。ダグラスとカリオンね」 「俺も一緒がいい」 「ダグラスが一人になるわよ」 「じゃあボク、ダグラスと一緒に居る!」 「それはありがたいです。是非ともお願いします。お二人は先に聞き込みをお願い致しますね」 「で、でも二人じゃ何かあったときどうするのよ」 「教会に行ったらすぐに合流致しますので大丈夫ですよ」  裏切りを見たかのような顔をしたハルにダグラスは人知れず表情が豊かになったと思う。レイディミラーの洞で過ごす内に少しでも気を許せるようになったのだろうか。  でもでも、と口を尖らせているハルに「何が駄目なの?」とモリトが聞けば、ハルは静かに膝を突いた。  モリトと目線を合わせ、しばし沈黙し、 「……。モリト、ダグラスをちゃんと守れるの?」 「うん!」  頷いたハルに本当に変わったな、とダグラスは微笑んだ。  二夜明かした昼、ようやく関所が見え始めた。目につく兵の数は、多い。入国待ちの者達は、様々な表情を浮かべている。  不安、興味、哀しみ、喜び。  祭を楽しみにしてきた者と亡命を望む者。 「次、何名だ? 目的と荷物をだせ」  三人の兵が列に並ぶ者達を改めている。そのうちの一人は分厚い紙束を持っていた。書き留めた紙はインクが乾く暇もなく後ろに回されていく。 「四人です。祭りへの参加、登場を希望しています。僕らはヘリガバーム教団の高位神官とその護衛達です」 「ここでは身分は問われない。どれほど高位の方であろうろも王の許しがなければ並んでいただく事になりますが」 「かまいませんが、どれほどで入国できるのでしょうか。手持ちの食料が心元ありません」 「出入りの商人が日に一度、ここまで回ります。その時にお買い求めくださるか、近くの農家と交渉すれば良いでしょう。顔を改めます」  態度を改めた兵士は、慣れたように案内する。しかし、ダグラスに対する視線は辛辣だ。そしてモリト、カリオンに目が行き――ハルを見て彼らは顔を見合わせた。うっすらと見開かれた目に自然と眼光が鋭くなる。 「その髪、地毛かどうか調べても? もし地毛でしたらすぐにでも入国許可を出させていただきます」 「どう言う事?」 「我が国は白を容姿に持つ者に優遇措置を取っているのです。そのためにまず、我々が見回りを」  口を「へ」の字に曲げた面々は顔を見合わせ、ハルは嘆息する。どのみち調べられるだろう。遅いか速いかの違いでしかない。  髪の毛を一本欲しいと言われ、仕方なく抜いて差し出せば、カリオンは剣呑な雰囲気を出し始める。  彼らはそれを三本に切り、三つの筒に入れる。中には薬品が入っており、浸けた髪を持ち上げて、溜息をつく。 「是非とも我が国においでください。あなた様は歌姫になる資格を持っていらっしゃる」 「歌姫って、祭で歌う者達のことかしら?」 「いいえ。そらは全て歌姫候補です。歌姫は歌祭で選ばれる王よりも尊き方。この国の全てを手に入れる資格のある者のことです」  膝をついて丁寧に頭を下げた一人に促され、長い列を追い越し関所をくぐった。