名前も種も変われば

 領主、スクター・オンドロードは報告書を見つめ十字を切ったが、すぐに執事が注意を促す。 「正念場はここからですよ」 「わかっておるわ。しかし、神にでも祈らんとやってられないじゃないか」 「お気持ちは察します」  故郷のツテという事でごり押ししていた融資者が領地にやって来た。しかし、相手はほんの子供だと言う。悪魔を殺して生計を立てているらしく、一体どんな悪童かと思うと肝が冷える。聞けば、ハンターギルドに入っていない野良者で、素行は悪くなさそうだが何で機嫌を損ねるかわからないらしい。  六歳くらいの弟らしき子供といつも一緒にいる事しかわかっていないし、そんな子供が小難しい話をわかるのだろうか。わからないから口車に乗せられこんな所へ来たのかもしれないが。 「ハンター全部が出資してくれればあっという間だがなぁ」 「彼らは大金を稼ぎますが、そのぶんあっという間に使ってしまいますよ。酒場と賭博が主な収入になってるのをお忘れですか?」 「わかっとるわ」  煩い家令の言葉に子供っぽく耳をふさいだ領主は門に到着した馬車に深呼吸した。 「ハンター共がどれほど言葉の通じない者かも、よくわかっとる。出迎えに行こう。客室の準備は」 「滞りなく」  さて、救世主となるか、破滅の使者となるか。領主は薄くなった髪を掻き上げ憂鬱に溜息をついた。  地方の領地だからかもしれないがロンドネル領主家と違い、オンドロード領の領主家は城だった。王城より小さいが、かなりの大きさがある、白亜の城だ。積み上げられた石は古いが隙間無く埋められ高い塔を形成している。  通されたのは客を迎えるのに申し分ない部屋だった。豪華すぎず、手を抜きすぎずちょうどいい上品な調度品が飾られている。  握手をして名乗り終わった後、柔らかいソファーに座ると足が浮いた。ずいぶんと高めのソファーであるが、目の前の男を見ると致し方ないことだった。  トロールという巨人に分類される種族が領主を務めているのは知っていたが、ハルの四倍は大きかった。食費も大変だろう。ほとんど人間と変わらない容姿をしているが、肌の色はうっすらと緑がかって皮膚は硬そうだ。耳はほんの少し尖っている。  スクターは仕立ての良い黒を基調としたタキシードを来ている。シャツはのりが効いているし、口ひげはまさに英国紳士の見本みたいだ。 「この度は、よくぞ起しいただきました。さっそく融資の話に入らせて貰っても?」 「はい」  それ以外に何を話すと言うのだろう。貴族は客室の調度品褒めから始めなければいけないのだろうか。そうだったら、とても大変な事だ。  資料を手渡されたハルは「少し時間をください」さっと中身に目を通した。なぜ出資者を求めているか、現状の売り上げと新開発する商品の内容。需要の面。メリットの説明など様々に書かれている。  軽く読み終えたハルは領主を見上げた。なぜか引きつった顔をした領主は「では、説明を」と語尾を濁しながら話し始めた。  おおむね資料に書かれていた通りの説明に補足が着き、地域の活性化の重要性を謳い内容は終了した。新商品の試作品を家令から受け取り、高価な雷魔石を使った簡単な実験も見せて貰った。  悪魔が得意とする雷撃攻撃の軽減、または無効化する布の開発。試作品が完成すればオンドロード領にいるハンターだけではなく、世界中から需要が見込めるだろう。 「確かに、これじゃ誰も出資しないのはわかりました」  雷魔石から生み出される小さな力を防げても、本物の雷撃は防げない。地面をえぐり、クレーターを及ぼすほどの力があるのだ。 「その通りです。現在布に使われている魔術を強化するために多額の資金が必要なのです。ですが考えてください、もし成功したならば、巨万の富をお約束します」  下手な口上だと思った。金に執着の無い人間を相手にしたことが無いのだろう。同じ貴族を相手にしてきた領主にとって、ハルは理解できない人種だ。それも、自分よりも位が低い。相手も苦心していることだろう。  別席に座るカルフ銀行マンを見つめた。彼は爪先を地面につけながら背筋を伸ばして座っている。 「どれほどお金をかけて魔術を強化しても、きっと求める水準に達しないよ」  ハルは布触りを確かめるように指でなぞった。柔らかな感触はそこそこ良い布を使っているのだろうが、布は布だ。 「魔術開発のための出資なら、受けないわ。現在最も有効な魔術でも全てを中和できないんだから」  それも目玉が飛び出るほど高い魔術で、施すだけで家が建つと言われている。内容は雷撃を受けたとき、方向をそらすと言うものだ。無論かけたときの魔術が切れれば効果は無くなる。 「織物工場なら、織物でどうにかしないの? 絶縁体で布を織るとか、そっちの方が絶対簡単だわ」 「絶縁体、ですかな」 「知らないの?」  ハルは困惑した視線を投げたが、カルフ銀行マンも領主も首をかしげた。 「電気を通さない物質のことを、絶縁体って言うの。知らないの? 本当に?」  専門性は置いておくが、日本では理科の実験で必ずやる内容である。  是非ともご教授を、と身を乗り出した領主の目は妖しく光っていて怖かった。ハルが怯むのと同時に、モリトは嫌がって背中に隠れようともがいた。 「情報をいただけるのであれば、そちらで検討することも可能です。その場合には無料で株を差し上げます」  株の仕組みはよくわからないのだが、ハルは二人の顔を見て頷いた。殺気でも怯まない獣はもみてされ過剰に扱われるのが苦手だった。 「ガラスとか、ゴムとか、そう言うのを絶縁体って言うの」 「ゴム、ですか? 聞いたことがないのですが、それはどういったものです」 「木の樹液から作るの」  モリトがカッと頬を染めた。 「なんでもいいんじゃなくて、弾力のある木からじゃないと採れないし、加工もしなくちゃいけないやつで……」  うろ覚えの知識を適当に並べていくと、なぜか庭に行くことになり、呼びつけられた庭師がそれっぽい木の所まで案内する。  ハルは庭師に頼んで木の表面を傷つけて貰った。見かけはそっくりである。しばらくして切り口から白い樹液が垂れだした。 「これは旅の者から貰った種を育てた物で、元々は違う大陸にあった物だそうです。名前はカームと言いまして、式典などで使われる木だそうです」 「これゴムの樹です」  そんな事もあるのかと目を丸くしながらハルは白い樹液を指ですりつぶした。領主は喜び勇んでこれで絶縁体を作り、織物の糸に出来ないか研究するといいだした。そういう事ならば、と二つ返事で融資の件に頷いてサインしたハルは、必ず絶縁体を作る方向でお金を使うよう念を押した。  失敗してもハルの金である。魔術を開発するよりもずっと安く済むのならばと領主は頷いた。  話が纏まると、夕食に招かれた。領主は悪魔の話を聞きたがり、よければここに定住しないか、など様々な話をしたがどれも断る。どうやらハルの頭の中身に興味を持った領主はさらに引き出そうと話を重ねるので、食事は苦痛の時間となった。  夜、疲れ果てたハルはモリトと一緒に布団に潜り込む。部屋を二つ用意してくれたらしいが、モリトとハルはいつも共寝をしていたので、これも断った。カルフ銀行マンはそれをもったいないなどと言いながら微笑ましく見送った。 「さて……。何をすねてるの? わたしが植物を生け贄にしたから?」 「ボクのこと忘れてたでしょう?」  つーんと突き出した唇を摘まんでやると、膨れた頬から空気が飛び出した。大人の話をしたために疎外感を受けたらしい。 「そんな事ないよ。モリトが最初に言ったことをやっただけ。融資の話はうけたでしょう」  へにょりと口が曲がった口を摘まんでやると、再び「ぶ」と口から空気を吐き出して逃れようとする。じゃれ合ってると、ふと手を握ったモリトが、それを抱くようにしてうつむく。 「どうしたの?」 「わがままだった?」 「だった」 「むぅ……」 「まぁ、モリトのわがままを聞くのが役目みたいなものだし。……上目遣いして、まだ何かあるの?」 「役目ってどういうこと?」  不思議な事を聞いた、といった風にモリトはハルを見上げた。掴んでいた手がそろそろと首を伝って頬をなでる。 「言う事を聞くのが、ハルの役目って思ってる?」 「そんな感じでしょう?」 「わがままだった? 怒ってる……?」 「怒らないよ。わたしの役割をしているんだから」  困惑して返せば頬を真っ赤にしたモリトが、ぎゅ、と頬を引っ張る。 「何を考えてるの? ハルはボクの召使いじゃないよ。ボクはハルのご主人様じゃないよ!」 「どうしたの? 獣は神木を守って生きてきたじゃない」 「獣は神木を住処にして、二つの種族でずっと仲良く暮らしてた。ハル、ハル。そんな風に思わないで。そんな風に、思っちゃやだ!!」 「でも、現に……」 「違うよ、ボク達は一度だってそんな風にならなかったよ」  流れる涙をぬぐってやりながら、しかしハルは答えることができなかった。  簡単な関係ならレイディミラーが教えてくれた。その話では、獣は神木の友達ではなく守護者だった。神木を守り、神木の子モリトの根付く場所を見つけるために共に旅をする護衛。 「わたしはモリトを守る。その護衛で……それ以外に何かあるの?」  他に何があるのだろう。他の獣に聞けばわかるだろうか。  いいや、獣しか知らない獣の話を聞くことは一生できない。それは完全に失われた物語なのだから。  腹を空かせ何日も彷徨い、ようやく見つけた獲物を取り逃がした孤独な夜を、唐突に思い出した。 「――。わからない。……わからないよ。ごめんね」  教えてくれるものは誰もいないのだ。  だから謝って、傷つけることしかできない。 ★★★  目が覚めたハルは高く上がった日に目を細めた。カーテンの隙間から日が差し込んでいる。  はっとして起き上がると横に寝ていたモリトが転がった。むにゃむにゃ言っているが泣いた痕がある。指先ですってやればむずがるように枕に頬を埋めた。  あれから手が付けられないほど泣きわめいたモリトは、そのまま眠ってしまった。ハルの服をしっかり握って離さなかったのだが、もうとれている。  モリトの位置を戻し、丁寧に布団を掛けてからそっとベッドを抜け出す。曇りの少ないガラスから見る城の景色は絶品だった。  ひしめくように建てられた住宅の屋根に黄金色の朝日が差し込み、城壁が留めて少しこぼしている。  猫のようにしなやかな動きで部屋を出たハルを待っていたのはカルフ銀行マンだった。かっちりと衣服を着込み、見たことも無いほど険しい顔をしている。 「どうしましたか」 「ちょうど起こしに行こうと思ってた所でした。馬車の準備は出来ています、おはやく」 「何があったんです」 「悪魔が大挙して押し寄せています。今は大丈夫ですが、すぐにここまで来るでしょう。早めに逃げてください。御者は領主様が貸してくださいます」 「あなたはどうするんですか」 「家に帰って様子を見てきます。御者は別にご用意致しましたので、道中のご心配はいりません」 「あなたはどうするの。帰りの馬車はないと思うわ」  それどころか、逃げることもままならないだろう。カルフ銀行マンはぐしゃりと表情を崩した。 「勉強じゃなくて、悪魔を狩るような強さの方がよかったと、つくづく思います」  胸元の服を引っ張るように掴んだのは、心臓の音を聞かれるのを嫌がったのだろうか。激しく鼓動を打つ音は恐怖に叫んでいるだろう。 「逃げないのはなぜ?」 「帰ってわかりました……ここは故郷なんです。家族もいる」 「だからって心中することは無いでしょう? あなたは死ぬことが怖くないの」 「怖いですよ。でも見捨てていけない、守るべき場所だ」 「……あなたの家族だけなら乗せていけると思うけど」  その瞬間、彼は迷ったように視線を泳がせた。諮詢し、そんな自分に気付いて首を振る。 「やっぱり無理です。父も兄も衛兵をしていますし、母さんは父と一緒じゃなきゃ梃子でも動かない頑固者で、妹は兄にべったりで、いないと寂しがるでしょう。なにより、他の人を見捨てては行けません」  それはハルの知っているようで知らない家族の、ありがちな物語だ。それを語る青年は苦笑して、馬鹿な奴だと思いながらもそれでいいと諦観を抱いている。  覚悟をしてしまった顔だ。 「銀行を辞めるって話」 「え?」 「こういうことだったのね。あなた一人が死んだって何も変わらないと思うけど」 「ほんの少しの手助けはできます。二つの意味で――ですので、ここでお別れです。お見送りもできず、勝手な振る舞いをして申し訳ありません」 「なんだか少し拍子抜け」  直角に下げられた後頭部を見つめながら呟く。 「え?」 「ここまできて、あなたはわたしを使おうとはしないのね。そう言うのは初めてよ。それじゃ、悪魔を追い返すまでここで戦うのね?」 「使うだなんてとんでもない! それに、ここに来る前もずっと悩んでたんですが、もう決めました。故郷を見て踏ん切りがついたというか、出て行く者ばかりだから、たまには帰る者がいても良いでしょう」 「死にに来て、死ぬ覚悟をしたのでしょうけど家族はたまらないでしょうね」 「申し訳ないとは思います」  神木が切り倒され、たくさんの仲間を失いながらも神が短命種をどうにもしなかったのは、この輝きに魅せられたからではないか。  ハルは短命種の暮らしを旅をして回り見ながら、ときどきそう思う。体の内側から溢れる生命の胎動は、目を焼く朝日のようだった。もし神が頭上より世界を見下ろすならば、それは星をちりばめた夜空のように見えるだろう。 「じゃあ、少しだけ待ってるといいわ」  耳を澄ませば喧噪が聞こえてくる。城の者達も剣をとり、そうでない者達は防衛のために動き出している。  輝く光を見つめながらハルは鉄剣を握りしめた。 「……ハルさん?」 「あなたより、よほどうまく悪魔を狩れる。このままでは馬車も無事に帰れるかわからないし……」  困惑するカルフを見上げた顔は静かに微笑んでいた。 「ちょっとだけだけど「助けてあげてようよ」ってモリトは言ったわ。だから少しだけ手を貸すの」  ふらり、ふらりと足が動き、カルフがはっと声をかけようとしたときにはハルの姿は消えていた。 「っここは二階で!」 「夜までには戻るわ! ――モリトが起きたら狩りに言ったと伝えておいて」  見惚れたのは一瞬。飛び出した彼女を追うように窓枠に手をついて身を乗り出すが、そこにはもう、誰もいなかった。