泣くのを知っていたが

 光が瞬けば、ロゼが最後に残った。 「レイディミラー、今までこの子を見てくれてありがとう」 「礼を言われる覚えは無い。私は、この子が大切だった」 「ですって、ハル。安心して起きなさい」 「おかあさまも逝ってしまうの?」 「もう一人待ってる人が居るの。……その顔だと心当たりはわかるのね」  「普通は蘇らないのよ」ロゼは悲しそうに笑った。 「でも蘇ったのは未練。未練が彼をつなぎ止めた。魂は殆ど壊れてるし、忘れてるわ……ごめんなさい、あなたに辛いことばかりさせてしまう」 「わたし、やだ……殺したくない!!」 「いつか対峙するときが来る。あの人に、私が待っていると伝えてちょうだい」 「皆勝手なことばっかり言って、全部わたしに押しつける!! やりたくない! もう何もしたくない!!」 「なら、これは彼に。愛してるわ、私達の可愛いお姫様」  光り輝く物をカリオンの胸に押しつけ「秘密の言葉よ」ロゼは囁く。聞いたカリオンは戸惑うようにロゼを見る。しかし、その時にはもうロゼの姿は無かった。  三人は取り残された。 「ハル、起きよう」 「いやよ!」 「でも、もう誰もいないぞ」 「わたしも一緒に行くの!」  本当は分かっているのだ。これはただの反抗で、本当は望んでいない。けれど、すぐ立ち去るのは嫌だった。 「なぁハル、もらい物は良い物だったか?」  ぐずぐず泣いたままのハルはカリオンを見上げる。 「ええ」 「そうか……なら帰ろう。モリトもきっと、待ってるぞ」  声は思ったよりも響いた。 「モリトは、怒っているかしら……」 「いいや、きっと泣いている。はやく帰って、安心させてやろう」 「……恐い」 「なら、考えるのを止めてしまうか?」 「そんなのっ」 「狡いか? 狡くなんてない。モリトのことだけじゃないぞ、答えはすぐに見つけなくっていいんだ。大切なことなら尚更だし、ある日突然気付く事もあると思う。沢山の贈り物を貰っただろう? それを大切に持ちながら生きるのはダメなのか? 大切にしないことこそ、してはいけない事じゃないのか?」 「カリオンが、急に変な事言う」 「変じゃないぞ。俺とレイディミラーと、モリトと、寄り添って生きればいい。もっといっぱい、沢山の人に出会ってきただろう? 全部が全部同じだったか? 辛いことばかりだったと聞いてるが喜びは一つも無かった? 何一つ優しい物はなかったのか?」 「あ……」 「辛いことがあると辛いことしか見えなくなる。俺もそういうときがあったよ。でも、そうじゃない事も同じだけあったから、もう少しエディヴァルで生きてみよう。俺は何があっても共にいるし、寂しいときはくっついて眠れば良い。不安ならいろいろ話そう。きっと皆一緒に考えてくれる」  それに、と続けられた言葉にハルは言葉を詰まらせる。 「ハルを待っているよ。言わなかったけれど……帰らなかったらモリトは自分のせいだと思うだろう」  言葉よりも先に走り出していた。  その後を、レイディミラーを乗せたカリオンが追いかける。  全ての魂が通る道筋はその魂の人生だ。ハルの後を追えば、自然と彼らに全てが見える。三人の後ろから、景色が崩れるように崩壊しだした。  だが、何も気にならない。 「モリト」  エディヴァルでの生活は想像も出来ない辛いことばかりだった。  けれど、 「モリト!」  草原の始まりと終わりの場所を飛び越えたとき――ハルは、目を開ける。  腕の中で驚いたように目を見開いて見上げる存在がいる。 「違う、違うの」  声がかすれている。 「わたし、心が弱いの。いつも凄く考えて、思い詰めて、勝手に傷つくの」 「ハル?」  体が重い。でも、こんなに濡らしている。 「モリトのせいじゃないの。勘違いしないで。しないで、しないでっ」  泣いている。 「ハル、起きたのっ。ごめんなさいっ! 安心してほしくて、ボク、こっちを見てほしくて、辛いだけで終わってほしくなかったんだ! もうどこにも行かないで!! 嫌いにならないで!」 「嫌いになんてならない」  ぎゅ、と震えた手が指先を遠慮がちに握る。ハルは強く、握り返した。 「大好きよ」  大きな泣き声を聞きながら、ハルはきつく抱きしめられた。 ★★★  一番大きな傷はハルの中に残ったままだ。けれど傷むことはなくなったし、苦しいことも少なくなったように感じる。  それはただ本人の感じ方が変わっただけと言われればそうだろうし、実際当たっているのだろう。 「皆さん終わりました。これで全てです」  ダグラスは油の切れた人形のように腕をぎこちなく動かし紙を広げた。彼がずっと書き続けていたウルーラの洞――神木の系図、地図だ。  紙面が墨で埋まるほど細かく名前と線が書き記されている。線は赤色なものだから、世界地図が燃えているようにも見える。  覗き混んだハルはぴったりとモリトとくっついている。モリトもハルの毛皮に頬を寄せながら、時折指先で毛の先を弄んでいた。一カ所だけくるくるとパーマをかけたようになっているが、全てが元の位置にきちんと納まった証拠でもあった。  覗き込んだレイディミラーはゆっくりと指を滑らせた。 「ファルーラは滅びた。メディーラ、アモネラ、ファムラ。これももういない」  記憶に有る限りの名を上げれば、大陸は丸焦げになるように燃えた。その中で残った名前は本当に小さい。赤の中で埋もれ、今にも燃えてしまいそうに見えた。 「ファズザラーラ、メロゥーラ、ウルーラ……お前達があったのは、この三木と、私。あと二十の神木を回るまでに短命種の考えが変わるともわからない。問題もある……私が彼らに声をかけよう。答えてくれるかどうかわからないが……」  あまり気の進まなさそうなレイディミラーは続ける。 『ラルラ。私の声が聞こえるか。話がある、答えろ』 『レイディミラーか』  若い男の声がした。彼は続ける。 『ウルーラが滅びた』 『知っている。理由も知っている……そのことで話がある』  気むずかしい印象だ。それに悲しんでもいるようで、声は沈んでいた。  レイディミラーはラルラに滅びたいきさつを話して聞かせる。長い長い沈黙の後、彼は言葉を飲み込んだようだった。 『そうか、ここまで来ても変わらないのか……』 『彼女のことは残念だった。だがな、ラルラ。私の息子からお前に提案があるんだ』  モリトの約束のことを話せばラルラは拒否をした。 『今更短命種と約束を結ぶ? 冗談じゃないね!! 新たなる神木を生み、困難な道を歩ませるつもりも毛頭ない! それに……獣はもう滅びた。誰も花粉を運べない』  恐れるような声に『違う』と返す。 『生きている、獣はまだここにいる。だからふさぎ込むな』 『いる? どこに!?』 『私の洞に居るんだよ、ラルラ』  伝えた刹那、レイディミラーは顔を顰め「切られた!」毒づいた。と、遠くで耳鳴りのような高い音が風のように拭く。それは次第に近づき、洞の中へまっすぐと入り込んだ。  青い葉の群れは竜巻のように回転しながら一つに纏まり、ちかりと輝いた。すると一枚が金色に輝きながら霧散する。神術が発動している。そして発動した神術は、葉に人の形を与えた。  服は小麦色で白の刺繍。枯れ葉色の髪は短く刈り込まれ、鳶色の瞳は戸惑うように揺れていた。すっと通った鼻筋の上に乗った眼鏡がずり落ちそうになっている。 『……本当だ』  怖がるように両手を伸ばしてくる彼に、戸惑いながら前足を乗せれば、あっという間に抱き込まれる。枯れ葉の香りがして、暖かかった。 『本当だ!』  ぎゅぅっと背骨が軋むほど強い抱擁をして目を潤ませている。  神木はどうして獣だと言うだけでこうして喜ぶのだろう。それは築いてきた信頼と仲良く暮らしていた記憶、そして規律がそうさせるのだろうと贈り物の記憶が告げる。 『名前は? 何て言うんだ?』 『ハルよ』 『そうか! かわいいなぁ』  指先がクシャクシャと毛皮を撫でてくる。心地よい感触に自然と瞼が降りる。 『お前、一体どうやってここへ!? 私達はこれほど遠く体から距離を置けないはずだ』 『そうだな。だが腐るほど時間があったんだ。葉に神術を施して精神体を乗せれば、けっこう遠くに行けるのに気がついた。まぁ、時間制限もあるけどな』  ほら、と足下を指させば突風と共に吹き込んできた葉が光りながら消えていく。 『新しい神術……』 『お前にも後で教えてやる。……で、モリト。答えは言ったがお前はどうする?』 『一度ダメでも諦めない。何度でも頼みに行くよ。例え何十年かかろうとも』 『……。ふぅん。なら、条件次第では結んでも良い』 『それは何?』 『メディラを助けろ。それができれば約束を結ぼう。他の神木達も従うだろう』 『……どういうことだ』 『どうもこうも、現状をどうにかしようとしてたのは、お前らだけじゃないって事だ。メディラはエイディに居る。音楽の都、地上の楽園と言われる国。冬が開ければ春の祭りで大会が開かれる。優勝すればメディラに会えるだろうよ。じゃあな!』 『ラルラ!』  雪が溶けきるように消え去ったラルラは困惑だけを残した。 「おかあさま、メディラってどんな人?」 「……大人しい優しい青年だった」 「だった?」 「気が狂っている」  目を伏せたレイディミラーは言葉を選んでいるようだった。 「過去を忘れ子供のようになったかと思えば、思い出しては狂ったように叫び、私の事もわからなくなった。他の神木の事もわからないらしい。争いで心を病んだ……」 「じゃあ」 「そうだ、救うことはできない。言葉は通じない。……ラルラはなぜあんな事をいったんだ。他の神木も従う? ……どう言う事だ」  誰も疑問に答えられない。 「ボクは、行こうと思う。とにかくメディラに会いに行ってみる」 「でもモリト、何だか嫌な予感がするわ。エイディって言ったら枯れてない神木が居るところでしょう? ……エイディの春の祭りは有名よ。世界中から歌が集まる歌祭なの。ラルラが言ってたのは歌で一番をとったら歌姫になって神木にあえるってことよ。でも、優勝者は何百年も出てないから出すつもりがそもそも無いって言われてるわ」 「選考の基準は?」 「わからないわ……」  「それでもやるの?」と聞けばモリトは当然のように頷いた。 「冬が明けたらエイディ国に向かってみるよ。それで何が起こってるか聞こうと思うんだ」  モリトは迷いない眼差しで告げた。  漠然とした不安にハルは落ち着きなく居住まいを正した。  冬は未だ続いている。  しかし、確実に春はやってくるのだ。