見つめ続けた

 水が染みこまないように加工のされた板がピッタリ地面を覆い、その上には分厚い絨毯が何枚も重ねて置かれている。他にも年代物の調度品があり、全てに魔術が施されていた。  調度品を慎重に鑑定していたダグラスは円柱状の家具の一つを操作する。中心にはめ込まれた水晶が赤く発光すれば、暖かい光が漏れ出した。全て神力で稼働するよう設計された魔具は完璧に制御されている。 「どれもきちんと動きます。信じられません、これが何千年も前に作られた物とは……しかも、たった一人で! 天才です」 「鍛冶師はこの場を調べ、どれだけの期間持ちこたえるか追求し実現しただけだと言っていたが」 「いいえ、これは信じられないほどの工夫と情熱によって出来ています。間違いなく制作者は天才です!」 「そうか」  端的に告げたレイディミラーをダグラスは見あげる。  背の高い女性に見える。まっすぐで、どこか緊張したような瞳は炭のように黒く、片方に編んで整えた髪もまた同じ色だった。着ている物も黒い長衣で、おとぎ話の魔女のようだが、固い口調が魔女よりも硬質な印象を相手に与え、ちぐはぐに見える。 「洞で生活できるとわかったな? なら本題だ。いつからハルは眠ってしまった?」  たまに思うのは神木とは獣の事しか考えていないのではないかと言う事。  ファズともメロゥーラとも違う精神の持ち主でありながら神木は獣を大事に思う。燃えてしまったウルーラでさえ、そのそぶりがあった。  ハルを失えば、どれほどの悲しみに暮れるだろうか。 「二週間になります。思いつく限りの事をしましたが、目覚めません」 「おかあさま、何か知らない?」  黒い三つ編みを弾くように背に払い、レイディミラーはモリトの反対側で背中をなで続けているカリオンを見つめる。 「その前に語るべき事があるだろう。お前が旅立って三年も経っていない。にもかかわらず、成長しすぎだ」  何を決めた、とレイディミラーはモリトの顔をのぞき込む。 「……ウルーラの声は全ての神木へ届いた。その直後にお前達は帰ってきた」  哀しみを帯びた声にゆるゆると顔を上げるモリトは暗い顔をしている。後悔している表情だ。 「ウルーラが滅びたのは、そうしたいって願ったからだよ」  モリトが荷物の中から箱を取りだしたフリュイを見せれば、レイディミラーは指先で表面を撫でた。 「目覚めなかったのか」 「ずっと、目覚めないでって言ってたんだって。フリュイのためにウルーラは生きてきた。ボク達に託したから、もう生きる意味は無い。あの国の短命種は欲が深い、安寧の地をあげたくなかったって。でもハルは納得できなくて怒ってた。……それと、ボクが短命種と何かを引き替えに取引をしたって知ったから――」 「取引?」  眉根を上げたレイディミラーの声が冷たくモリトを責める。 「ボク達が平和に暮らせる世界が欲しかったんだ。短命種と約束を結び、神木に不可侵を。破れば一本も残らず神木は枯れるって……脅したんだ」 「私の知らない所で種の滅びを賭けた契約を?」 「ううん、契約はまだ成ってない。神木を巡って話をして、一本ずつ願い事を聞いて契約するつもりだったんだ! でも、でもハルは聞く前に倒れて、ボクはハルを傷付けた。心が耐えられなくて、だから傷が――」 「落ち着きなさいモリト。愚かな行いをしたというなら泣くな。……私の息子だからと言って、お前まで愚かに生まれなくてもよかったろうに。今まさに、私も後悔している。私は動けず、お前達を守る獣はもういなかったのに洞の外へ出すのでは無かったと。それしか方法はなかったはずなのに。……だが喜んでもいる。ハルは絆を結ぶに足る者を見つけられたのだろうか?」  カリオンを見て、ダグラスを見つめる。 「お前達二人は、ハルにとっての何だ? この子をどう思ってる」 「尊い方だと」 「お嫁にきてほしい」 「……………」   口をへの字に曲げたレイディミラーは首を振った。 「酷い」 「カリオンはハルの事、大事にしてくれるって! ……たぶん」  フォローを入れたつもりでとどめを刺したことに気付かない息子から目を離し、レイディミラーはハルの背中を撫でた。 「お前達。ハルの魂に傷が付いた原因を知っているか?」 「いいえ、それが全く」 「では、もともと傷が付いていたことは?」 「道中、話を聞きましたが……」 「信じられないか? だが輪廻転生はあり得る。なぜならば魂は死んで神の腕に戻り傷を癒やして再び肉体を持つ」 「短命種も神木もかつては別の誰かだったと?」 「なにか、だ。植物でも岩でも世界その物であったかもしれない。命潰えたとき、魂には必ず傷が付く。なんであれ死の衝撃は肉体と言う盾を貫通して魂に届く。それは短命種おまえたちも同じだし、傷を癒やすと言う事は記憶が無くなると言うことだ」 「我々に魂はあるのでしょうか。僕達は神に創られた種では無いと聞きました」 「ある。神に創られていなくとも、命を持つ全ては魂をもつ。でなければお前はなぜ生きている?」 「しかし獣は神が神木を通じ体に魂を入れられますが、短命種は違うと」 「それはなぜ生まれたかという疑問か?」 「はい」 「誕生のしかたの違いでしかない。お前達は世界の要素が複雑に絡んで進化し、生まれた。このような誕生をする命は珍しくない。他の世界にもあると聞く」 「では、魂はどうやって入るのです」 「魂はエディヴァルの外に溢れている。生まれる準備が整った魂は肉体の中に入り込む。驚く事はない」 「世界……異界」 「魔界もその一つ。究極的には全ての生き物は同じ。ただ同じ世界に生まれるのが多く、生まれ方が違うというだけ」  話を戻そう、とレイディミラーは続ける。 「死んだ記憶を持ったまま再び生まれるというのは癒やされるべき傷が治らないままということ。他の生き物よりずっと、弱くなる。実際ハルはそうだった……この子はもっと体が大きくなっていなければならないのに、幼児ほどの大きさしか無い。前世を覚えているせいだ。死の記憶がこの子を弱くしている」 「<神眼>の影響じゃないのか? 子供の頃から使うと神力の循環が遅くなると聞いた事がある」  カリオンは不安そうな顔を顰める。 「それもある。だが<神眼>が傷の付いた魂を守っているのも本当だ。ハルは<神眼>の力を支えにしている」  精神的な拠り所がなければ魂はもっと深く傷付いていっただろう。 「魂にできる傷は、心の傷。<神眼>が目覚める条件は様々にある……」  威嚇の黄金の瞳は恐怖から、力の赤い瞳は生への執着から開花する。窮地に陥った獣が状況を打破できるように。  ハルは<神眼>の存在を知り、渇望し、それを得た。 「<神眼>は六つ。内二つを持っている。……これを得たときも眠り続けた事があった」 「ボクが生まれる前?」  頷く。 「自然と目覚めるのを待つしかない」 「何も打つ手が無いって事か?」  彼はレイディミラーから視線を外しハルの耳を摘まむように撫でた。 「眠りは精神の休息だ。疲れたらお前も休むだろう? 魂の傷は精神の安定でしか治らない。<神眼>を得た時も一冬眠り続けた。――お前達を洞に招こう、後三日で身動きが取れなくなる」  吹雪は全てを平してしまうだろう。 ★★★  雪白木ゆきしらぎの森は、その名の通り雪白木が群生している。冬に花を咲かせる植物で、針のように細長い。他にも豪雪でも生き残る賢くたくましい植物に溢れている。また、冬にしか羽化しない虫達や氷鳥の群。雪原にしかいない動物達もいる。  環境に慣れるため、生き物達はあらゆる面で効率的になっている。  来る前に食料品をそろえたものの心許ない。一度吹雪けば一歩も外へ出られないとなれば、今のうちに少しでも食料を集めた方がいい。幸いにも動物達は冬眠のために肥え太っているし、吹雪くのは数日後だろうと言う話だ。  雪兎の群れを見つけたカリオンは一番大きな一匹に抜いた刀を投擲した。空を裂く音に逃げ出そうとした足に見事突き刺さり、鈍ったところへ近づくと素早く首の骨を折った。毛皮は鞣す道具が無いため加工はできないが、外に置いておけば腐ることは無いだろう。  雪兎は体長一メートルを超え、ずいぶんと脂肪が多い。一頭でも十分だろうと死体を担いで戻った。血も栄養になるため抜くのはやめだ。これほど寒いなら、加工ができるかもしれない。  鍛冶師が作った道具のおかげで火を使わなくても加熱ができる。雪兎の肉は解体して入り口付近に置いておけば勝手に凍るだろう。細かく捌いて小分けにする必要はあるだろうか。そんな事を考えていると、すぐに雨露の入り口へ付いた。  そこではモリトとダグラスが採ってきた果物を潰して煮詰めていた。ジャムにしているのだ。 「わぁ! おっきいの採れたね!」 「香辛料もあるから、辛めのソテーも作れると思う。好きだったろう?」 「やった! ……でも本当は食べなくても大丈夫だよ」  モリトは水を摂取すれば本当は食物などいらない。必要なのはハルとダグラス、カリオンのぶんだが食べられるなら食べさせてやりたかった。  いいよ、と頭を撫でればふふふと笑う。  雪兎の解体はかなりの時間をかけて終了した。袋につめて入り口付近に置くと、洞の中へ入る。  レイディミラーの膝の上でハルが丸くなっていた。耳の裏を掻いても、ピクリとも動かない姿に不安になる。本当に目覚めるのだろうかと。 「この子は傷付きやすいが、強い」 「……だが」 「死んだ記憶を持ったまま再び生きる事は、もう一度死ぬと言うこと。この子はそれでも、生きたいと願った」  見透かしたように言われ、カリオンは恥ずかしくなった。 「強いか」 「……。この子の何を見て番に欲しいと? お前との子は神の規律をもって生まれないだろう」 「規律が欲しいんじゃない。そもそも、あの頃は知らなかった」 「ではなぜ?」  詰問され、目元を染めたカリオンは押し黙ったが、そそがれる視線が沈黙を許さない。渋々口を開いたが、声がうわずる。 「ハルがモリトを守りあやそうとしている姿がいじらしかった。それから言葉が全て心からの物だと分かる。仕草が可愛らしい。表情はあまり動かないけど、不機嫌だったり……照れたりすると口が尖るんだ。それから、困っているともじもじしてて……愛らしい。それに、良い匂いがするんだ」  垂れ流される言葉に半眼になりながら、レイディミラーは言う。 「混血児、姿を変えてみろ」 「え」  いいから、と言われ乙女のように恥じらっていた彼が二つ目の姿を取ると、値踏みするように眺められ唇をめくられる。 「ふむ。生まれてから何年だ?」 「十七年」  あまりハルと変わらないな、と呟いて続ける。 「幼女趣味かと思えば、同じくらいの年齢か。しかし、混血児でこれほど獣の特徴が出るのは珍しい」 「どう言う事だ?」 「お前は獣で言えば成人前だ。歯の生え換わりをしていない。獣の生態のことは私の洞に書かれてないが、それくらいわかる」 「……ここは本当に言語に関する事しか書かれていないな」 「獣の好奇心と多種族との共和の努力がこの場だ。殆どの文字はもう使われていないだろう。記録すら、ここ以外残っていまい」 「魂の傷は精神の安定でしか治らないと言ったが、本当にそうなのか?」 「……眠りは記憶をより分ける」 「倒れたのは、ハルの死の記憶が蘇ったからか? それを忘れようとして眠りについてるなら……一冬で目が覚めるとは思えない。体はもつのか」  今もスープを作っては流し込んでいるが、それだけでは足りない。ハルの体は弱っている。 「目覚めなければ死ぬだろう」  死の記憶は深い魂の傷となる。癒やすのにたった一冬で済むわけがない。 「さっき強いって言ったじゃないか!」 「そうだ、強い。だからこそ、こんな状態になっても生きている」 「それでも生きられないって言うのか?」 「全てはあの子次第だ」 「手を貸してやれないのか」 「出来ない。眠る相手にどうしろと? ……どのみち、いつか通る道だったのだ」 「どう言う事だ」 「……。短命種を巡るように旅に出したとき、傷つくだろうと思っていた。別の世界で生きていた記憶は、ここにいては薄れさせることができない。短命種のように生まれ、狩りも知らない女子。今でこそ神語もエディヴァルの言葉も話すが、最初は別の言語を持っていた」 「前世の世界の?」 「平和な世らしい。そして、このように荒れた世界に生まれれば、どれほど苦労をするか知らなかった。短命種はハルの憧憬と希望を打ち砕いた。彼らにとっては勝手な期待だろう。しかしあの子は切実だった。前世と同じ場所が無いか探し、利己的で卑怯な者を見過ぎた」  カリオンの顔を見て想像できないか、とレイディミラーは笑う。 「私にも実感できない。世界に何を期待する? 他者に求めると言う事は求められると言うことだ。理由が愛ならば幸せだと感じるだろう。しかし役目を求め探すのは愚かで滑稽なことだ」 「……ハルが嫌いなのか?」 「愚かだと言えば全てを憎んでいる証なのか? 可愛い私の娘。神はなぜ、この子を選んだのか……惨いことをする」  神は問いかけた。 「生まれてすぐに死すか、記憶を持ったまま生きるか問いかける。全ての命に死は、傍らにある友のように寄り添っているのにもかかわらず。生きてもいずれ死ぬ。遅いか早いかを死を知った者に選ばせた」 「……レイディミラー。あなたが自分を愚かだと言ったのはなぜだ」 「何のことだ」 「ここへ来たとき、言ってたじゃないか」 「……聞こえていたか」  決まっているだろう、とカリオンを見て、 「私は何一つ助けてやることができない。あの子の言葉をもっと早く覚えていれば衝動に洞を出る前に世界のことを教えてやれた。私はいくつも手遅れな事をしながら止められないでいる。娘のように思いながら、他人のように心を支えてやる他ない。心配していると、寄り添いたいと信じさせてやれなかった」  これを愚かと言わず、何というのだと双黒を湿らせた。 「そしてこの子の心を真実理解してやれない」 「……それは誰だってそうだ。何もかも相手のことを理解なんてできない。ただ、あなたはハルの母上だ、本当にそう思う。ここに連れ帰ってきてよかった」  膝からハルを取り上げて腹の下に入れると、目を閉じる。 「俺が見てるから、休んでくれば良い」 「……変な事をしたらすぐに分かる」 「しない。約束したんだ」  レイディミラーは精神体を解いた。  木がほんの少し揺れたのは風のためかはわからないが、泣いているのだとカリオンは思った。 「ハル、早く目を開けろ。皆心配して待ってるぞ」  ほんの少し耳がぴくりと動いた。カリオンは鼻先を耳の裏に押しつけながら今日あった事を語り始めた。