出ているのに

「何をしてるの!!」  慌てて精神体をとってウルーラは湖の縁に膝を落とした。いつもは恐ろしいほど静かな湖面が荒れ狂っていたのを覚えている。  ハープを持ったままのずぶ濡れな男を引っ張って、ウルーラは己の洞へ招き入れた。 「ウルーラ、ここは……」 「お願い、この場所の事は絶対に言わないで」  ずいぶんと歳をとったが瞳に濁りは無く、しっかりとした体格をしていたアイゼルは困惑したように洞の中を見つめている。  嵐は冷たく体を冷やしていたが、洞の中は暖かかった。乾ききった落ち葉の上にハープと濡れた雨用の上着を置くと、アイゼルはゆっくりと座り込んだ。  両手をとられたウルーラも横に座り込むとアイゼルはじっと彼女を見つめる。左手が彼女の頬に張り付いた髪を優しく払うと、 「会いたかった。俺はあなたに会いたかったんだ」  変わらない身勝手さでウルーラに触れながらアイゼルは頷いた。 「ああ、ここのことは絶対誰にも言わない。ただし約束してほしいんだ。俺があげたオルゴール、あれをもう鳴らさないでくれ」 「どうして?」  音の鳴る箱はウルーラにとって日々の慰めとなっていた。 「この森は、特に湖の周りは音が響く。誰もいないはずの森から音楽が聞こえれば人は理由を知りたがり、いずれ君にたどり着くだろう」  端に寄せてあるアイゼルがくれたプレゼントを見て、ウルーラは頷く。 「もしかして、いつもハープを奏でていたのは私が会いに行かなくて、それを伝えられなかったからなのですか?」 「もっと早く伝えるべきだったんだが、言えば君とはもう話せなくなると怖じ気づいたんだ……。ああそうだよ、君に送ってすぐに気づいたが、言えなかった。まぁあの湖は綺麗だから、それ目当てでもあったがな」 「まあ」 「ウルーラ、俺は君にプロポーズして断られた。だが、いつまで経っても気持ちが変わらないんだ」 「……。あなたは短命種で、私はそうではないの。一緒にはいられないわ」  嵐は酷い勢いで激しくなる。洞の外から見れば他の草木はなぎ倒されるような勢いだ。ウルーラも気を抜けば倒れてしまいそうな突風にさらされている。枝一本落とすことはできなかった。どういうわけか短命種は神木を見分けてしまう。  隠れている神木が見つかり枯れてしまうと言うこともあった。どうやって探すかは簡単だ。悪魔が現れない土地を探すのである。山向こうにできた短命種の住処も悪魔が結界を突き破らない部分を探してやってきたことも、うすうすわかっていた。  短命種が神木の周囲に住みたがるようになったことはウルーラも知っている。だからこそ見つかるわけにはいかない。 「俺が嫌いか?」 「そう言う物ではないと、あなたもわかっていらっしゃるでしょう?」  アイゼル、と観念してウルーラは言う。 「私が何か、もう気づいていらっしゃるようだからきちんとお話しします。私は短命種が、あなた方が嫌い。私の同胞を切り倒し、獣を殺し、悪魔に勝てないからと私達に慈悲を請う。心底浅ましいと思います」 「……ウルーラ」 「あなたにも本当に会いたくなかった。あなたは後数十年で死ぬでしょうけど、私の生は世界が終わるまで続くのです。不死性と言えばおわかりになるでしょう? あなた達に見つかったら最後、世界が終わるまで私は利用されるわ」  これからアイゼルと会うことでウルーラは危険を冒すことになるだろう。もう既に愚かしいほどの危険を冒しているのだが。  フリュイの自我が目覚め土地を離れられるようになるまではウルーラは枯れられないのだから。 「……ならばなぜ、俺のハープを聞きに来たんだ」  酷く落ち込んだような声音にウルーラは憤慨した。あれほど嫌がったのに引き留めたのはアイゼルである。そしてしつこくつきまとったのも。  彼はうち捨てられた犬のようにしゅんとしながら「迷惑だったのか」と呟いた。今更気づくなんて、なんて鈍い男だろうか。  髪もずいぶん濡れていたのでアイゼルが持ってきた敷物を引っ張り出して被せてやった。落ち葉の上に短命種は寝たがらないと言うのはわかっていたので、彼をふかふかのクッションの上に押し込むと、膝掛けをかけてやる。  全てアイゼルがウルーラに押しつけたもので、彼もそれに気づいて改めて周囲を見回した。嵐のおかげで相変わらず酷い音と幹のしなる音が聞こえていた。洞の中はほとんど真っ暗で、肩先が触れるほど近づかなければ表情さえわからない。  けれど、彼の内側の輝きだけは目を閉じていても分かった。 「迷惑だったけど、それだけじゃなかったわ。あなたの音楽はとても素敵でずっと聞いていたかった。でも、わかってほしいの。あなたと私は思っている以上に多くが違うわ。あなたと私じゃ子供の作り方も違う、環境も状況も違うでしょう?」 「俺も真っ先に考えた。だが、それでも諦めきれなかったんだ。ただ共にいるだけでよかった。君が湖に現れなくなってから結婚を申し込むのではなかったと後悔した。俺はいつも馬鹿なことばかりする」 「それは否定しないけれど……」  いつだって正直なウルーラに心をえぐられながらアイゼルは苦笑した。 「なら、友達になってくれないか」  ずっといることはできないが、時たまあって話をする。そこに束縛は無く、ただ気軽に会いたいとアイゼルは願う。  結果的にウルーラはそれを受け入れた。  突っぱねてしまえば彼は洞のことを言うかもしれないのだから。それを盾に脅してこなかったがウルーラは短命種を信じていない。  けれどアイゼルの善意を受けたのは正解だった。意図せず、それはウルーラを守ることに繋がったのだから。 ★★★  カリオンは疾走する。  振り落とされないよう首に巻かれたモリトの腕が緊張で汗ばんでいた。 「火が……!!」  前方を見れば山の間にぽつりとあるような街から火の手が上がっている。城は炎にまかれ、消火活動を開始している場所もあれば逃げる者でごった返す道、今だ戦闘を続ける場所もあった。 「ハルが危ないっ」 「スピードを上げるから、しっかり捕まってろ!!」  振り落とさないようにしていたカリオンはモリトを気遣うことを止めた。  おそらく少女は王宮の最も炎が強い場所にいるだろう。  数分で城壁まで来たカリオンは木に飛び乗り軽々と飛び越える。周囲の草花には火の装飾がなされ、焦げた灰が巻き上がっている。 「カリオンあっち!」  モリトが指さす方向へ行けば、生きている者の気配がした。前方で打ち合う音が聞こえる。争う声もだ。 「――――です! だ、……ではないのですか! なぜだグレイス!」 「お前がいれば俺はトップへ立てない、それだけの話だろう! 上に立つのは一人だけでいい!」 「ならどうしてそう言わなかった!! 私は邪魔もしないしお前を支持しただろう! 話は終わりにしろ、神木が、神木が燃えてしまうっ」 「それならば部下をやって火が回らないようにしている、安心して死ね!」 「違う! 表の神木は偽物で、本物はここにあるんだ。どうしてわからない、こんな無駄なことをして、命を散らすなど愚かだっ。なぜ火を付けた、それだけは使わないと言ったから協力したんです!」  マーシャは体格のいい男と打ち合っていた。身の回りの持ち物、装備を見る限りずいぶん訓練を重ねた兵士に見える。だが、そんなことは重要じゃない 「お前はそうやって俺達を見下してきた、前王の毒殺もお前が手を出したと噂もあるんだぞ!」 「噂程度に踊らされ何の調べもしなかったというのか? ふざけるな!!」  どれほどこの時を待ち望んできたか、お前は知らないのだとマーシャは睨み付ける。彼の横顔に飛んでいるのは返り血だろうか。  周囲を見回せば神官服を着た人間と、兵士が倒れていた。かろうじて息がある者も炎に巻かれて死ぬだろう。  グレイスの一閃が深くマーシャの胸を切った。そのとき浮かんだ笑みが欲に濡れた様を見ながら、男の本心に身震いする。 「どうしてこれほどまでに愚かなんだ、お前は現王と同じだ。これじゃ、誰が上に立つ」 「とどめだ!」 「なんのために、革命を……誰か、あの方を、水を、火を……消し、て……」  見ていられずカリオンはグレイスの腕に噛みついた。牙は服を突き破り深く腕に突き刺さった。口内に流れ込んでくる血の、なんとまずいことか。臭く鼻が曲がりそうで、なによりも奇妙な味がする。 「な、なんだこの獣は!」 「モリト、神木の元へ行け!」  小さな頷きを返し、モリトは屈んだカリオンの背から素早く降りると駆け出す。  銀色の動物が口を開いたことにグレイスは恐怖したようだ。鋭く睨み付ける眼光に恐ろしい咆吼を上げ襲いかかれば攻撃を曝しながらも後退する。彼ははっと周囲を見回しながらじりじりと後ずさり、十分に距離を稼ぐと逃げ出した。 「マーシャ」 「……だ、か。だれか、神木の元へ」 「わかった、連れてくぞ」  目から命の輝きが抜け始めた彼を引きずるようにして、神木の元へカリオンも向かう。 ★★★ 「ウルーラ!」  ハルは炎の気配を感じ、毛を逆立てた。  喧噪が近づいてくる。  戦いが近づいている。 「手を離して! 外が」 「話の中であった湖がどこにも見当たらないって不思議に思ったでしょう?」  しっかりと腰を抱き、足の間に閉じ込めるようにしてウルーラは続ける。ねえ、と苛立ったように胸を押すが背中に回った手がなだめるように叩き、耳の付け根をさすってくる。 「どうかこのまま聞いていて。私がどうやって短命種と約束に至ったかを」  首を回してウルーラを見上げれば、まなじりにたまった涙がこぼれ落ちるところだった。ハルの頭頂部にぽたりと涙が落ちる。ウルーラは引き寄せられるように頬を寄せて髪の感触を確かめているようだった。 「アイゼルは山向こうにあった短命種の国で、たくさんの嘘をつきました。神木を探していた彼らの目をそらしていたのです。でも、それを知らずにいた私は思った以上に穏やかな日々を過ごしました」  森の中でするハープの音を頼りに精神体をとり、湖のほとりでは目立つからと茂みの中で語らった。  アイゼルは街での生活を、ウルーラは今まで自分達がどうやって生きてきたのかを。歌を歌っていたと聴けば、アイゼルはとても興味を持って彼女が小声で歌う音に耳を澄ませ、街で評判の菓子屋や織物を見つければ、アイゼルは土産に持ってきた。  そのときの二人は真実対等で、外の動向を省けば理想的な短命種と神木の在り方だった。獣がいたら、彼をとても歌のうまい良心的な男だと評しただろう。  アイゼルの強引さはなりを潜め、ただ優しくウルーラを労った。年を経て自らの欠点によって失いかけた者に対する思いが変化し、秋の燃えるような思いが静かで暖かい薄紅色の花に変わったように。そしてそれは、献身を越え信仰にも近い形となった。  精神体を作れば足跡が残る。  それさえも自らの足で押しつぶし無駄に周囲を歩き回り、用も無い獣道を何年も歩き続け頻繁に使っていると偽造した。ただ気に入った森を散歩していると言い張るために。開拓の手が進みそうになれば土地を買い上げ私有地とし、寝食を惜しんで仕事をする――アイゼルの努力はすさまじい物だった。  しかし、アイゼルがそらしていた捜索の目もいっこうに神木が見つからない状況に変わった。捜索していない場所は時を経るごとに少なくなり、じわりじわりとウルーラは追い詰められていった。 「今でもそのときのことを覚えています。ある日、早朝のことです。ハープの音が聞こえました。いつもと違うと思いながら私が行こうとすると、アイゼルが来るなと叫んでいるのが聞こえたのです」  隠れながら周囲を伺えば、アイゼルと数人の短命種が湖の周辺で集まっていた。  短命種の神木を求める意志は恐ろしいほど苛烈に降り積もっていた。悪魔に対する恐怖と比例して。  では、ウルーラは結界の維持をやめて閉じこもっているべきだったのか。  それはできなかった。  彼女の洞には目覚めぬ我が子がおり、獣に託そうとも彼らは音沙汰ない。そしていつの間にか減っていく神木達よりももっと数が減っているのを知っていた。数えるほどに。  悪魔は必ず神木を狙って攻撃をする。ウルーラはきっとフリュイを守り切れない。いつ目覚めるかわからない我が子を短命種に託すわけにはいかず、ならば結界を維持するしかない。 「彼の兄シルトが、とうとう思い出してしまいました。かつてアイゼルが探していた女がいたことを。それは湖にいて何もはいていなかったことを」  森の中は折れた枝や尖った石が転がっている。うら若い乙女が湖に素足を浸すことはあるが、何もはかずに歩き回ることは無いことを。 「全ては私の不注意が招いたこと」  しかし、咎はアイゼルにも及んだ。 「シルトという男はアイゼルとほとんど変わらないように思いました。しかし本質的にはアイゼルは私達にとって善であったと断言できます。反対にシルトは短命種らしい短命種でした。そして私は、アイゼルがどんな人間かを知ったのです。いいえ、この言い方は適切ではありませんね、彼がどんな身分を持っていたかを知ったのです」 山向こうの短命種をまとめたてっぺんの種族。王族。その四番目の王子がアイゼルだった。  二番目の王子シルトは王位に最も近く、しかし得られなかった男。現国王のように強欲で悪知恵が働き、甘言に弱かった。 「私達神木は、いつの間にか短命種にとって王位を左右する存在となっていたそうです――アイゼルが私に逃げろと言ったとき、周囲に短命種がいたのを見たとき、とうとう見つかってしまったのだと思いましたわ。今隠れても、それはほんの数日か、数年怯え見つかるのだろうと」  それならば、あと少ししか生きられないアイゼルに酷いことをしてほしくなかった。  ウルーラはそっと彼らを伺い、傷ついた彼を放すように声をかけたのだ。 「やぁお嬢さん、あのときとお変わりなく美しい」 「彼を放して」 「ええ、放しますとも。あなたが我々に協力してくれるならば」  醜い顔だと思った。  目は濁り、欲で目尻が下がり内側から汚い物が透けて見える。 「協力?」 「聞くな! 今すぐ隠れろ、ぐっ」  両腕を後ろに回すよう縛られていたアイゼルは背中を強く蹴られ転がった。そのまま踏みつけたシルトは蔑むような眼差しを注ぎ舌打ちする。 「黙れ! 今まで神木を隠し、よくも捜査の目を撹乱させたな。この数十年国を欺き続けていた逆賊め! 我が民がどれほど神木を切望し悪魔の恐怖に身をすくませてきたか――あなたもお人が悪い」  口調をかえ、猫なで声を出し始めたシルトにウルーラはぞっと身をすくませた。 「なぜ出てきてくださらなかったのです。あなた様は尊い御身、けして御身に危害を加えるつもりはありませぬ」 「嘘つきだわ。あなたは、嘘つきよ……」 「ふーむ、アイゼルがあなたに何か言ったようだ」  さらに力を込め、シルトはアイゼルを踏みつけた。けれどうめき声一つあげずに耐える姿を見るとつまらなさそうに鼻を鳴らす。 「では、神木の元へ参りましょう」 「彼を放して」 「これから王が自ら足を運ぶでしょうが、あなたは私の言うことだけを聞いてくださいね」 「彼を放して!!」  苛立ったように口の端を引きつらせると、つかつか寄ってきたシルトは彼女の口を覆うように頬を儂掴む。 「あの男が死ぬも生きるのも我が手の内よ、殺されたくなければ黙って従うがいい! それともこの森ごと焼き払い、見つけ出す方が手間が少ないか? なぁどう思うんだええ!? 焼き払われたいのか!!」  執拗にシルトはウルーラを脅しつけた。  そして自らの兄であった国王を神木が認めなかったとして王位に就き権力と贅沢の限りを尽くした。  戴冠式ではウルーラはその頭に王冠を置き、彼が命令すれば擬態を解いて支持を示し、普段は身を隠す。余計なことを言われては困るからだ。  ウルーラはそれでもあらがった。しかし逆らえばアイゼルは痛めつけられ、ウルーラが拒否すれば彼女の好きだった物は一つずつ奪われた。  森も、歌も、安寧も、あの湖ですら干拓され家が建てられた。  フリュイを隠し獣が助けに来てくれるのを待った。けれど、いつまで経っても現れない。  残っている神木、記録にある神木に訪ねては獣は来ていないと言われ続けた。そして答える仲間達も大変な目にあい、それどころでは無くウルーラは諦観を抱くようになる。