そんな気がするんだ

 ちょっと落ち込んだように村へ帰っていったハルを見送ってモリトは静かに目を閉じた。 「メロゥーラ様のご様子はどうです」 「新しい約束については結んでも良いって。納得のいく条件を出したけど……パイロン王が譲歩できないかって煩いね」 「"王の上に立たせる者などない"ですね」 「こういうのを馬鹿馬鹿しいって言うんだろうね。ゼーローゼは臣民に降った。条件を飲んだのに、さらに譲歩しろ……強欲だね」 「違いますよ、巫様」  ダグラスは茶器を持ち上げ口につけた。 「これは駆け引きです。パイロン王は少しでもこちらの譲歩を引き出したいのです。次に言ってきたら、こう言ってごらんなさい――ならば、交渉へ参加せずとも良い。他の二十三の国と話をつけよう。パイロン王国だけが相手ではないのだから。その時はゼーローゼの事を覆そう、そちらは要求をのまないのだから、と」  対外的にはゼーローゼが貴族位を与えられたとなっているが、本当は貰ってやったのである。メロゥーラとしても城に閉じ込められるような待遇は気に入らず、好きに出入りさせてやることや身元の保証、税率に関しては知識欲の権家たるダグラスが口をつっこみつつ成された契約だ。  契約を覆すことはとても簡単だ。ただし、破ればメロゥーラは再び結界に穴を開け悪魔を呼び寄せるだろう。  目を細めたモリトは空を見上げる。うっすらとした結界の膜は常人には見えないが確かにあった。しかし、ファズの所とは大違いに薄い。  悪魔が外側からこじ開けた穴と違い、切り取るようにメロゥーラは結界を壊した。パイロン王国の結界が薄いのも、メロゥーラが一度結界を壊し、修復に力が回っているためだった。修復は少しずつしているが、まだまだ薄い。 「……五百年」  三代と言わず、短命種が約束を守った最長記録とも言える。 ――痛みがどれくらいの効果があるのか、一度見ておいで。  数え切れない失敗のうち、成功に振り分けられるであろう事件をファズは告げた。そしてモリトは彼らの現在を見た。  彼女の激情が勝ち取った五百年を。  ゼーローゼは城に閉じ込められたが命を脅かされることは無く、神木に献身を捧げ森を整え暮らしていた。  ファルバの背中に刻まれた痛々しい文書を思い出す。  それはパイロン王国の建国誓詞に書かれた言葉と同じ言語で記されていた。 ――神木に関わる事柄はフロースに従い彼らを害さない。代わりに、土地を貰う。  訳せばそのような文章だ。それを見たときメロゥーラはどれほど怒り狂っただろうか。一から築いた土地を横取りされる。悲しみ恨みも深かっただろう。しかし生き残った小さな者達のために全部を飲み込み、穴を塞いだ。  悔しかっただろうな、とモリトは思う。  パイロン王家が約束を守り続けたのは確固たる報復があると確認したからだろう。子孫に正確に伝えたことは素晴らしい。血なまぐさい最悪な歴史を彼らは忘れず、恐怖が大きい文だけ続いたのだ。  犠牲があり、メロゥーラの悲哀と憎しみを糧に成された約束は模倣するのに十分だ。だが一度結界を破り、短命種達に恐怖を植え付けるわけにはいかない。結界は弱くなってしまうし、修復に時間もかかる。   約束がきちんと交わされれば、メロゥーラは本格的に結界の穴を塞ぎ始めるだろう。完全にふさがるのは百年後かもしれないが。  自身の背中に刻まれた紋章を閉じた瞼の裏に想像し、モリトは膝を抱える。  これから沢山のことを考え、悩んで世界を歩き回り、今回かそれ以上の痛みを見るだろう。考え方も気持ちもファズに会ったときと、最後の神木と言葉を交わしたときには全然別の物になってる。そんな予感がする。  短命種の本質を理解し、下し約束を結ばなければならい。とても長く続く、誰もが忘れ去っても続くような約束を。  ダグラスは組んでいた手を解いた。 「僕達の枠組みにあなたはこれから浸かる。息が苦しくなるほど窮屈で、心が絞め殺されるような辛いことがないと、断言できません。僕ができるのは共に歩き、同じ物をみて、あなたの力になることです。誰かの知恵をお借りなさい。僕ですら沢山の者達の話を聞き、考え、調べ、驚くようなことを経験し、今も待たその驚きは波のようにやってきます。あなたの生は僕よりもずっと長く、それだけ多くの者と出会いがあるでしょう。多くの敵と味方の中であなたが信頼できる友を、お探しなさい」  一番大切なことは、諦めず、投げず、自分を見失わないことだ、とダグラスは言った。 「……ここまでありがとう。ボクに沢山の事を教えてくれて」 「これからもお供します。神木の記録を取り本当の神話を教団に持ち帰り、贖いをするために。今回の事は大きな一歩です」  恐怖のような緊張を覚えながらモリトはしゃんと背筋を伸ばした。  黒猫が横に立っているうちに、王を下さなければならない。 ★★★ 『メロゥーラ』  久方ぶりに呼ばれ、彼女は呼びかけの主に返答した。 『久しいですね、ファズザラーラ』 『君が私の声に返事を返さなくなってからだから、五百年ぶりだね』 『……ええ。何の用です』  内心不愉快になりながらも同族の存在に心が温かくなった。 『つれない所は相変わらずだね? ……ああ、悪かったって! 大事な用があるんだ。モリトは元気?』  寝ようとしたのがわかったのか、ファズは慌てたように本題に入った。  メロゥーラはモリトと聞いて、誰が示唆して寄越したのか感づいた。悪趣味な、と吐き捨てると彼は苦笑する。 『モリトに何を吹き込んだのです。まるで、子供の頃のあなたみたいにモリトらしからぬ思考をしていました』 『君に卑怯な事をした? はは! でも、そのおかげでこうして話せる。メロゥーラ、モリトから話を聞いているかい? ……ああ、その様子なら聞いたみたいだ』 『新しい約束。わたくし達が生きやすい世界を創る……あの子は神にでもなるつもりなのかしら?』 『本気だ。そして、君もそれに乗った』  それはそれは楽しそうに、ファズは笑う。 『……。なんでもお見通しなのね。忌々しい……いったい何があの子を駆り立てるのです』 『根源にあるのはハルへの思いだ。あの子を寂しがらせたくないらしい』 『……わからないわ。関係があるのよね?』  獣がたった一人になってしまったのはわかった。寂しく、親もない生活は厳しかっただろう。そう思えば自分の胸も張り裂けそうに傷んだが、それがモリトの言う世界平和と神木の滅びを賭けた約束を結ぶ事に繋がる訳がわからない。  この捻くれ屋で有名なファズは何を考えモリトの背中を押したのか。 『そのハルだが、神が干渉したようだ。エディヴァルでは無い場所で魂を調達し、そこで生きていた頃の記憶が色濃く残ってるせいで世界に馴染んでいない』 『私にはそう見えませんでしたが、神は何の干渉を? 記憶保持だけでは無いのでしょう?』 『ハルの体の中を少し見た。口に繋がる穴は呼吸器官と胃、そして何も無い袋状の場所へと続く三カ所。おそらく生まれて二十年も経っていないが<神眼>が開花している。体の不調を起こしていたが、モリトに聞けば生まれて一年も経たずに使用していたようだ』 『ありえないわ、早くても成人直前に開眼するはずです!』 『あまり考えたくないが、神が再び盤上を動かそうとしているのかもしれない』  それは悪夢のような言葉だった。 『獣は一匹、神木は二十四本。滅んだと言ってもいい。アレが何を望んでいるのか、再生か、更なる混沌かわからない。それに、悪魔の動きも活発化するだろう。そうしたら幼体のうちにハルを始末しようと悪魔が動き出すかもしれない』 『だから、モリトの甘言に乗ったとおっしゃる? 無理があるわ。ファズザラーラ、何を隠しているの? ……いいえ、何をわたくしに言わないつもりで話を進めようとするのです』 『まいったな……。黙ってるつもりだったんだけどな』  全く困った感じは無く、おかしそうにファズは笑う。  いつもこうだ。  嘘をついていないからと、聞かれなかったから答えなかったと屁理屈をこねて、この男は沢山の神木に心情を知られまいとしている。理由は未だにわからないが、難のある性格なのは間違いない。それも、神木で一番だ。 『言いなさい、ファズザラーラ。わたくし達はもう二十四本しかいないのですから』 『悪魔が訪れ、短命種が生まれ、世界は改変されたと言っても過言では無い。神は盤上を傍観し、退屈を嫌う。獣は滅び、短命種は悪魔には勝てない。いずれ負ければ大地は悪魔の物となり、私達は切り倒されるだろう。そして悪魔は大地を手に入れる』 『全ては異界の者達の所有物となり、彼らは土地を良いように使うでしょう。しかし、短命種がしてきたことと変わりありません。それが何だというのです』 『いいや、違う。完全なる滅びさ。緩慢な死だ』  エディヴァルで生まれた知的生命体は一人の生存も許されず死ぬだろう。そして異界の者達が侵入すればどうなるか。世界は黒い空で覆われ、太陽の無くなった大地に植物は生きられない。  荒廃がわかる。命の一欠片さえ残らないだろう。 『終わりがわかっている運命は退屈だと思わないかい?』 『退屈な未来を覆すために、神は盤上を動かそうとしている? それは、新たな火種を呼び込むと言う事よ。どうやって?』 『ハルとモリト。滅びの獣と、この世界の未来を担う子――感情を操られているわけでは無いだろう。けれど二人はとても不安定で絶妙な位置関係だと思わないか。私はこの考えが間違っていてほしいと思うが、レイディミラーがこんなに早く二人を手放したことを考えると、あながち間違いでも無い気がするんだ』  彼女はとても繊細で心配性な才女だからね、と嘯くものの声に力が無い。 『神は、この状態に手を入れることにした。それが再びの戦乱かはわからないが、救済ではないと思うな。……いずれにせよモリトは世界の未来を担うだろう。それに次の子供達も続いていく』 『あなたは何をするつもりなの』 『二人を見守るよ。それしかない。後は、危険なことに巻き込まれないようにすること。モリトが今目指していることは一番穏やかで破壊は少ないと考えた』 『わたくし達の滅びを決める旅が? でも……そうね。短命種と争うよりもずっと。けれどわたくし達は彼らに対する恨みを忘れたわけじゃない。理不尽に消え去った者達を忘れることなどできないわ。あなただってそうでしょう』 『メロゥーラ、思うんだ。残される者と残して死んでしまう者。いったいどっちが悲しいのか。甲乙付けがたいと私は考える。考えたんだ、たくさんの死を見て悲哀を飲み込み、慟哭を聞き、怨嗟に葉を揺らしながら』  そうして最後に考えた。  自分とそれ以外。大切なのは何?  答えは始めから一つだけ。 『私が願うのは、ただ穏やかに過ごすこと』  消え去りそうなほどの大昔、歌を歌って暮らしていた。もう一度あの頃に戻れるならファズは何だってしただろう。  神に創造された命であっても、時を戻すことは叶わないことだ。どれほど願っても、叶えられないこともある。 『穏やかに、ただ世界が優しくあってほしい。明日の運命に絶望せず、瞼を閉じた裏側で優しい夢を見る。冬の風に凍えず寄り添い、寂しさに心削られないでほしい。昔はとても簡単だったことが、今はとてつもなく難しい』  だが、それだけが願いなのだ。 『それをもう一度取り戻したい。メロゥーラ、君は私を愚かだと嘆くかい?』 『いいえ、ファズザラーラ。わたくしも穏やかに大切な者達に生きてほしいわ』 『ありがとう。君にも二人を見守ってほしいんだ』 『穏やかに生きられるように?』 『穏やかに眠れるように』  二人は笑った。 『ゼーローゼの誰かに獣がどうやって生きてきたのか教えて貰えるよう頼むわ。わたくしの所ならどこかに知ってる者と繋がりがあるかもしれないわ』 『よろしく頼むよ』 『話はそれだけ?』  ああ、とファズは答えた。 『あと一つ。もう一度君と話せて嬉しい。歓迎するよ、メロゥーラ。もう二度と目を閉じて耳を塞がなくていいように願ってる』 『そうなったとき、わたくしとあなたは滅びてるわよ?』  そりゃそうだね、と笑ったファズの声を聞きながらメロゥーラは眠った。 ★★★  カリオンは膝を抱えた。横では好奇心旺盛な黒猫が木に登ったり降りたりして熱心に記録を取っていた。パイロン王城城壁の記録の写しである。 「……………」  ぶっすりとした彼の足下には大きなバスケットが置いてある。数日間はかかるだろうからと張り切って保存用の食事や用意をしてきたのだが、ここにはモリトもハルもいない。ハルもいないのだ。 「騙された」 「カリオンさん! あっちの! あっちの記録なんですが、これはいつぐらいに書かれた物でしょうか! いえ! 鑑定にまわしたいですね! 一つ抜き出しても大丈夫でしょうか!?」  活力剤につけ込まれたかのように興奮しているダグラスを一瞥し、口をへの字に曲げたカリオンはおざなりに答える。  一つでも抜き出せるものなら出せばいい。ただし、その瞬間城壁は崩れるだろうし王宮騎士が総出でダグラスを捕まえにくるだろう。よしんばうまくいったとして、何百キロもある石を持ち運べまい。  残念そうな顔をしたダグラスは諦めた。  記録をとるのはカリオンも賛成だ。フロースの歴史はフロースで取っておくのがいい。先祖達が何を賭けて戦ったのか、それは一族の誇りに通じるのだから。  だが、ダグラスがカリオンを探す際に旅のことやモリトの交渉のことを話されたり、ハルが気になっているようだと聞けば一緒に行くのかな、などちょっとだけ思ったりするじゃないか。  張り切った自分が馬鹿みたいだ。  底なし沼に浸かった男が諦観をだいたかのような濁った目で、テントウムシが足下を横切るのを見つめる。数日もここに縛られることになるのはごめんだった。  なにより、出先で遊撃部隊長に捕まったのがいただけない。  カリオンを地獄に落として北へ南へ出動させ、こき使ったあげくに脅してきたりもした男がなだめすかして引き留めようとしたりするのは気味が悪い。  帰ってきたサリバンも一緒にぐちぐち言ってくるものだから溜息がとまらない。行くと言ったら行くのだ。脱走兵になったとしても、ハルが頷いたからにはカリオンはチャンスを逃さない。 「前のめりに!」  何だか前途多難な気がしたが、考えるのは止めた。  げっそりと疲れた様子のダグラスは、かわいそうなほど毛がパサパサしている。だが何かやりきった様子で目だけはキラキラしていた。もう少し休んでいくか聞けば緩慢に首を振る。 「それよりも、次の国へ行きましょう。資料は教団にすっかり送りましたから、向こうの方で情報を整理してくれるはずです」 「それならいいんだけど……」 「ええ。何も心配しないでください。それよりも、お別れの挨拶はお済みですか?」  目の前には神木が佇んでいる。  ふわりと現れた腕がモリトの頭を撫で、ハルの頬を柔らかく包んだ。指先が耳を弄ぶように弾く。 『旅の無事を願っています。カリオン、この子達を守っておやり』 「はい、メロゥーラ。この命にかえても守ります」 『命は大切に。危なくなったら全員でお逃げなさい』  ちょっと困ったような顔をしながらも、カリオンは頷いた。その後カリオンは両親に呼ばれ話し込み始める。その回りには村人達が好奇心に負けて集まっていった。 「ハル」  ファルバに呼ばれ顔をあげる。彼はじっとハルを見つめながら呟くように話し始めた。 「獣であることはそれほど大切なことではない。お前が何を成し、何を考えているか。これが重要だ。種族で相手を決めつけてはいけない。ただ、警戒はしなさい。悪い噂が立つと言うことは、其相応の事をしているのだからな。  お前を守る大人はいないし、お前は最後の一匹だ。だが勘違いするな。それは真実一人と言う意味ではないし、手を繋ぐ者がいるだろう。これは一人ではない証拠だ。  お前の規律。これは尊く誰も真似できない。だが重荷ではないぞ。神が与えた祝福だ。この先誰が何を言おうとお前は望まれて生まれてきた。それはわかるな?」 「ええ」  魂が体に入り込んだときハルは歓喜の声を確かに聞いた。  それが誰だったのかわからないが、母ではないかとハルは思う。眼差しを交わしたことも言葉を交わしたこともないのに。 「ならば悩むことなどない」  ファルバはそれ以上言わず、ハルの目元を親指で擦った。固くて皮が分厚い。節くれ立った手はそれだけ年月を重ねていた。  それが、もう泣くなと言っているような気がした。  泣いてしまった夜の返事を受け取ってハルは小さく頷く。  帰ってきたカリオンは両手に荷物を増やされてげんなりした顔だが、彼の両親は凄く心配そうに見つめている。 「手紙は出せよ」 「体に気をつけてね」 「……もう成人してるんだけどなぁ」 「カリオン何歳なの?」  十七歳、とモリトに答えたカリオンは軽装に身を包んでいる。固い靴底のブーツにズボン、大剣は重いためただの剣を腰に下げている。シャツは灰色っぽく、上着は黒い。裾は膝まであった。荷物は背負っている物が一つと受け取った餞別が二つ。 「外に出て行ったゼーローゼから返事が来たら必ずあなた達の事を教えるわ」 「ありがとう」  大勢に見送られ、四人は王城へ向かった。  城門を出る際に背中を預けるように立っていた遊撃部隊長はカリオンを睨んだ。 「本当に行くのか」 「ええ。王国騎士に戻ることはありません」  家は売りに出し、給金の殆どは宝石に変えて所持するか実家に置いてきた。  パイロン王国に来ることがあってもカリオンが働いて得た物は全て整理し、何も無い。残っているのは少しの繋がりと思い出だけだ。 「ちっ! 好きにしろ」  やさぐれたように去った背中を見送ったカリオンは向き直って微笑んだ。 「行こうか」 「ところで、次はどこへ行くのかしら? わたし、まだ聞いてないんだけど……」 「リノン国だよ! ここからまっすぐ行って入国許可を貰ったらすぐに入れると思う」 「牧歌的でのどかな国だと聞いています。神木は王宮にあるそうですよ」  楽しみですね、と言うダグラスは連日森と部屋を行き来したせいか体力がついてきた。これならいつもより長く歩けるだろう。  さりげなく距離を詰めてきたカリオンから逃げるようにモリトを盾にし、ハルは歯ぎしりしながら次の国へ向かう。  夏は半分ほど終わり木々の葉は色を増していた。  暖かい風に混じり、人々の喧噪が後ろへと流れていく。  次の国に向かい、旅人達は賑やかに進んでいった。 ★★★  街道から外れ木々の間を縫っていくと、ぽつりと岩が置いてある。添えられた枯れた花を変え、ロンドネル領主は膝を突く。丁寧にアイロンがけされたスーツに泥がこびり付く。普段口うるさい家令は、この時ばかりは静かに口を閉ざしていた。  花の赤が森の中で美しく栄えた。 「任務、ご苦労」  無事に遺言は依頼主に報告された。  懐から取り出したペンダントを石にかける。その仕草は親しい男性が女性の首に贈り物をつけてやるように丁寧で慈愛に満ちていた。  ペンダントには紋章が彫り込まれている。ヘリガバーム教団のエクソシストの紋章だ。  立派に任務を果たしたことが評価され、特別に支給された紋章の裏にはこう記されている。 ――ローザ・メラウドここに眠る。  死者はようやく名を取り戻した。 -------- 三章(完)