俺はたぶん

 回廊を歩きながら無駄なことを言ってしまったとハルは落ち込んだ。  あんな話をして、オリンガルの何を変えようとしたのだろう。国政を担う者は詭弁と謀略を兼ね備え、二枚舌どころか妖怪だと言うのに。  夜は更ける。 「いったい、誰からのメッセージかしら」 「さあな」  声がして、立ち止まる。  慌てはしない。前もって気配はわかっていた。 「あんたが噂の? へぇ~」  がたいのいい男だ。そして物騒でもある。  全身鎧に身を包み、膨れ上がって筋肉は丸太のようだ。ハルの頭など片手で掴んでつぶせそうな大きな手の平は腰についているが、側のベルト止めが子供のおもちゃのように見える。 「誰」 「おっと失礼。遊撃部隊長ハワードと言う」  回廊で声をかけられたハルは男をじっと観察した。  男は刈り上げた茶色の髪の上に犬の耳をさげている。人相の悪い顔つきで毛皮がふさふさとしていた。遊撃部隊長だと言う彼はじろじろハルを眺めた後「あいつはロリコンか? その割にはなぁ」首をかしげた。 「アンタ、今まで何人殺した?」 「捕まるような事はしてないわよ」 「正直に言えよ」 「あなたは、今まで自分が食べたパンの種類を全部言えるの? わたしは無理」  そう言えば一瞬きょとんとした後、大声で笑い出した。 「そうか、その通りだな! 悪いな。カリオンからはおおよそのことを聞いてるが、アンタと話がしたい」 「話?」 「個人的な話だ。個人的だが、この国にも大きく関わることでもある。カリオンが仕事を辞めたいと言っている。アンタらと一緒に旅がしたいと。辞表を破り捨てた回数は覚えてるが聞くか?」 「……なぜ、わたしに言うの」 「お前さんが元凶だからだ。知ってるだろう? カリオンはアンタに惚れてる。引導を渡してここに留まるよう言ってくれねぇか。妖精族の習性はな、伴侶に望んだら自分じゃどうしようもなく惹かれちまうんだとよ。惚れた相手の言動で馬鹿にも気狂いにもなる」 「……………」 「わかってんだろ、アンタ。その気が無いなら引導を渡してやってくれ。このままじゃアンタについて行っちまう」  ハルはじっと遊撃部隊長を見上げた。彼は厳しい顔でハルを威圧し、従わせようとしている。  しばらく考えて首を振った。 「なぜだ」 「引導とやらを渡しても、ここに留まるようには言わないわ」 「なぜだ」 「そっちが本題だったのね」  男は舌打ちした。 「この国は結界が薄いし、悪魔の量も他より多い。あいつらは一匹見たら三十匹いる。そんな中で手放す事なんぞできやしない。俺はどうしても、あいつを国に縛り付けたい。一秒でも長く。だからたのむ」  頭を下げる男は本気でハルがどうにかできると思っているようだった。その理由も知りたいような気がしたが、余計な事を知る気がしてやめた。  それよりも、ハルが留まるように言っても無駄だろう。  ふった女の言うことを誰が聞くのだろうか。それ以前に告白さえされていないし、祭りの時、ハルは逃げた。カリオンの気持ちはうすうす分かっているがはっきり言われたわけでもないのに断るなんて、自意識過剰すぎる。  なによりも、 「……カリオンは衝動を以て村を出たと聞いたわ」  ならば、ハルが取る行動は一つだ。 「昔、わたしはとても守られてた。わたしの家はわたしのために整えられてて、いつも良い匂いがしていたの」 「何の話だ?」 「でも、ある日、どうしても外に行きたくなったわ。ほんの少し見るだけって思って人里に降りた。満足に常識もわからない場所へ、満足に警戒もできないくせに。途中で逃げ出せるかもしれないのに馬車に乗って遠くへ運ばれるまま、身を任せた。家は悪いところじゃなくて、わたしを安らがせる場所だったのに。結果見たのは地獄よ。自業自得ね。でも――」  それでも、ハルはどうしても行きたかった。その衝動は病気のようにハルを捉えて放さず、希望と期待を打ちのめされながらも、押さえきれず止まらない。  社会に対する憧憬も、営みに対する期待も粉々に砕け散った。しかし、始めにわかっていたとしてもハルは洞を出ただろう。 「本能なのよ。村から出るゼーローゼもわたしと同じ衝動を持ってる」  きっと他の種にはわからない。渡り鳥が冬、暖かい場所に飛ぶように、植物が太陽の光を浴びて光合成をするように自然なことなのだ。  たとえハルがなんと言おうとカリオンが国の外へ出たいと言うならば、それは押さえることができない衝動だ。脱走兵の汚名を課せられても、たとえ一人きりになろうともカリオンは出て行くだろう。  ゼーローゼは短命種だ。先祖返りであろうとも、獣の血を引こうとも神木の根元に浮かぶ紋章を見ることはできない。モリトの背中に浮かぶ紋章に気付く事もない。  彼らは神の規律の中にいないのだから。  しかし、ファルバは言う。村人には衝動を抑えきれない者が出る。彼らは定められてもいないのに旅の本能を刻み込まれている。規律に従う間に、血に混じって本能となってしまったのか。  獣は一所に留まれない。  衝動を持った者も逆らえない。  渡りの血が濃く出てしまった。  これは誰にも覆すことはできない。 「先の事を知っていたとしても何度でも同じ事をすると思う、カリオンも。わたし達はそういうふうにできてるのよ。……国を守る、民を守る。けっこうなことだわ、騎士には重要な事ね。それに、こうも思うの。本当の騎士だったらきっとカリオンは我慢したと思う」 「どういうことだ。あいつは鋼鉄騎士とあだ名されるほどの腕前だぞ」 「そう言う話じゃ無いの。カリオンを騎士にした時、あなたは彼に誓って貰った? 国を守ると、彼は言ったの? 彼は、ゼーローゼの村から外を好きになれたかしら」  彼は苦い顔をする。  それが答えだ。 「カリオンを引き留める時間は十分にあったわ。その間にやってしまった事の結果が今よ。これ以上カリオンは我慢できないでしょう。例えわたしの事が無くても」 「そんな大仰な言葉で覆えるほど、現状は優しくない!」 「わたしには、どうにもできない」 「いいや、お前ならできる」 「できないわ」 「やれ!」  太い指がハルの首を絞めた。  避けず、喉を圧迫されながらも抵抗せず睨み上げる。  大きな男だ。だが、大きいのは地位と体だけだ。 「お前は卑怯者よ、遊撃部隊長。お前の部下のサリバンと同じ。あれもこれもと欲張って、わたし達をすりつぶそうとするのね」 「国には力が必要だ! オンドロード領の悪魔を退けたのは感謝しよう、英雄殿。しかし根無し草のお前がなぜカリオンを庇う。お前が言えばカリオンは従うはずだ!」 「上司としての威厳が無いのはしかたないかもしれないけど、その責任をわたしになすりつけるのは感心しないわ。それにね、お前みたいな奴が一番嫌いなのよ。わたしに近しい者達に首輪をつけようとする者は許さない。手を離せ! クソ犬が!!」 「ちっ!」  腕を掴みひねり上げようと手を伸ばせば、察して後退する。忌々しいが、素早さはそこそこある。 「やはりだめか」 「人に物を頼むときの態度を勉強してから来なさい。……サリバンとそっくりね」 「あれは俺の甥っ子だ」 「……狐でしょう?」 「俺の片親は犬人族だ。そっちの血が濃く出た」  用件は済んだとばかりに失礼な犬は踵を返す。と、唐突に尻のポケットをあさり、紙束を投げて寄越す。 「手紙?」  口止めの金ではなさそうだ。 「……あいつがこそこそ出してた奴を止めてたんだ。お前に返す」 「最悪ね」  二重の意味でハルは顔を顰めた。  ちゃんと読めよ、と嫌がらせの言葉を吐き捨てて犬は去って行った。 「…………」  ハルはそっと周囲を見回すと、誰もいない部屋にこそこそ入った。なぜだか読んでいる所を見られたら、不味いことになる気がする。  流石に犬も勝手に中は見なかったのだろう。日付の古い順に、ハルは封を切った。 ――ハルへ。 今日は窓の外に黄色い花が咲いていました。 昼飯は食堂で素面を食べましたが、晩ご飯はパンを焼きました。 カリオンより。 ――ハルへ。 今日は風が強いですね。 朝飯は昨日焼いたパンにハムと目玉焼きを乗せて食べました。 カリオンより。 ――ハルへ。 昼から忙しくなったので夜は屋台で食べました。 前にモリトが美味しいと言っていたスープの店です。 カリオンより。 「……。日記?」  ハルは困惑しながら、四通目に目を通した。手紙はまだたくさんある。  一つずつ開いていくと、事後処理が多くてなかなか食事ができないだとか、今日は道端で白い花が咲いてただとか、どこのお店の何というお菓子が美味しかったから、レシピを聞いてみた。だとか綴られていた。全部一行か二行で、封筒に入れるには短すぎる文章だ。  十通目の手紙をハルは開いた。 ――ハルへ。 あれから顔を見ていませんが、元気ですか? きちんと食べているようだと村長に聞いたけど、少し不安です。 村の食事は味が濃いものが多いので村長に伝えておきました。 カリオンより。 ――ハルへ。 よく食べるようになったと聞いてホッとしました。 良い小麦粉が市場で売られていました。 今度、クッキー焼いて持っていきます。 カリオンより。 ――ハルへ。 美味しかったと聞いたので、次はクルミを入れてみます。 危ないので、高い所に登ってほしくないと母が言っていました。 俺も同じです。 カリオンより。 ――ハルへ。 昨日は忙しくて手紙を出せませんでした。 サリバンの報告を聞きました。 殴っておいたので許してやってください。 カリオンより。  ハルへ、と短い文章を読みながら、これはなんだろうと首をかしげた。  確かに村の食事は保存が利く物を中心としているため、味は濃かった。それがいつからか塩抜きをされて出てくるようになったのを思い出す。  クッキーも食べた。クルミ入りのも貰った。カリオンの母親から貰ったのだ。てっきり彼女が作ったと思っていたが、どうやら違ったらしい。そして感想はそのまま、カリオンへ伝わった。  何とも言えず、次の手紙を開く。  サリバンの存在など、遊撃部隊長に会うまですっかり忘れていた。  手紙はさらに数日さかのぼっていた。 ――ハルへ。 城下も少しずつ片付いてきました。 襲撃があった日には道が崩れ倒壊している建物もありました。 使者もけっこう出て、暴動になりそうな気配もありましたが収まりました。 神木の根で水路が全部使えなくなったので大騒ぎに。 現在、新しい水路を引くため計画が進んでいます。 今までのように地下に掘るわけにはいかないでしょう。 他国のように道の端に細い水路を引くようになると思います。 一大事業に、商人達が鼻をきかせ始めました。 カリオンより。 ――ハルへ。 大衆浴場などは閉鎖されるようです。 村は大丈夫ですが、城下に降りるときは気をつけてください。 治安が悪化しています。 そういえば最初あった時、俺の胸くらいだったけど少し身長が伸びましたね。 もし髪を切りたいなら、調える道具は母に言えば出してくれると思います。 俺はこれが終わったら切りに行きます。 カリオンより。  ずいぶんと髪が伸びたことに気付いた。 ――ハルへ。 煮込み料理を作ったら多すぎたので村長に渡しました。 モリトが好きな具材なので一緒に食べてください。 それから、見晴らしの良い所に三人で行きませんか? 時間があったら明日の昼、丘の上で待っています。 カリオンより。  はっとして手紙の封を確かめた。  日付は今日。  少し悩んだものの、ハルは手紙をポケットに詰め込むと走り出した。