変わらない

 のどかな村だと思った。  擬態を解いたハルは屋根の上で丸まりながら、ゼーローゼ達の営みを見つめていた。  神木の根や調子を確かめ、肥料を盛り、畑を耕し、落ち着けば森へ繰り出す。そこで森の手入れをし、動物を狩り、いらない枝の伐採を進める。  娯楽は少なく、子供達は追いかけっこか家の手伝いをする。少年達は武器の使い方を学び、家の手伝いをして過ごす。大人達は働き、子供達を養う。  そして男女では仕事の内容が明確に分けられ、村は穏やかに営みを続ける。  つまらないと言う者もいるだろう。しかし、村から離れようとは思わないらしい。  カリオンのように、どうしようもない衝動を抱えた者以外は。  昔から必ず何百年かに一人、旅の衝動を抑えきれない者が出るという。彼らは誰に言われたのでも無いのに王城の壁までたどり着き、出て行くのだそうだ。方法は様々だが。  カリオンは失敗しているとハルは思う。旅に出たかったが、彼は王城での功績としがらみに捕らわれてしまった。この先どうなるか知らないが、容易に抜け出すことは叶わないだろう。  ハルもそんな衝動を持って生きているから、そこは不憫だと思った。 「ここにいたのか」  見下ろせばファルバがいる。 「まったく、怠け者と罵倒できたら心が晴れるんだがな」  軒下に吊され、今まさに血抜きをされている獲物を見つけ舌打ちする。ハルは耳を伏せ、前足に鼻先を埋めた。 「寝るんじゃない。オリンガルがお前を呼んでる」 「わたしには用なんてないわ」 「夜までに訪ねろ、だそうだ」  言い捨ててファルバは行ってしまった。  遺言を伝えてから、彼の仕事は激増して大変な事になっている。宰相の執務室では不眠不休のデスマーチに何人かは脱落し、ソファーで屍のようになっているとの噂だ。  ファルバとオリンガルは仲がいいらしい。聞いた話しでは、前宰相と懇意にしていたとのこと。その延長線で、ファルバにとってのオリンガルは孫のようなものだそうだ。あの気むずかしい老人を思うと、意外な関係である。  ハルは仕方ないな、と屋根から降りた。  着地は左腕だけで、反動が大きければそのまま左側に転がることにしている。  と、 「みつけたー!」 「にゃーにゃーみつけたー」  てこてこと歩いていると子供達に見つかり、ハルは慌てて帰ろうとしたのだが、行く先々で子供達が出現し、尻尾を掴まれてしまった。狭い村の中であまり遠くへやれない子供が砂をまいたように散らばっているのは仕方ないことだ。しかし、親は子供を見張るべきである。  ハルはゆっくり動いていた後悔と一緒にもみくちゃにされ、毛を抜かれながらもがいた。誰かが右手の肉球を触っている。感触が腕に響いて痛かった。 「こらっ! にゃーにゃー痛がってるでしょ!」  尻尾で顔面を叩いたり、ふんばって対抗していたハルはひょい、と抱き上げられた。成人前の女の子であるが、助けたと見せかけて腹の毛をわしわし触っている。 「おねーちゃんずるーい!」 「ずるーい!」  にゃーにゃーじゃない、と言っても、彼らにとってハルの本性はそこらへんの動物と一緒だ。毛並みがいいぶん余計に撫でたくなるらしい。 「にゃーにゃー手を怪我してるの。触っちゃめーよ」 「はーい」 「ぶー」 「ね、にゃーにゃーっあう」  女の子の手を邪険に払い、お返しとばかりに尻尾で腰を叩いたハルは、つんとしながら家に向かった。背後で「つれないところもステキっ」と頬を染めていた女の子の言葉は聞かなかったことにする。  どうやらカリオンのように先祖返りする者はいるらしい。ハルを見ても動物だと思わずあいさつする人間は多かった。お返しに「こんにちは」と言って通り過ぎると、ぶしつけに頭を撫でられるが我慢してやっている。  子供の頭を挨拶のついでに撫でる、だっこする、お菓子をやってお使いにつれて行くのはよくあることらしい。今も視界の端で食い物につられた子供が大人に纏わり付いて藁を運んでいる。  思った以上にスキンシップが多い。  村に来客など滅多にないので開いている部屋は少ない。モリトはカリオンの部屋を、ハルはファルバの家に厄介になっている。カリオンのベッドは使いたくないとハルが嫌がり、モリトはモリトで強情を張ったのだ。ちなみにカリオンは長年帰ってこなかったくせに最近は頻繁に村に顔を出している。無論、自宅に泊まるのでその間は全力で隠れている。  夜も更けた頃、ハルはそっと部屋を抜け出して王城へ向かった。 「こんばんは」  淡い光が漏れている。そっと覗き混めば、蝋燭を立てて明かり代わりにしていたオリンガルは顔を上げた。 「目が悪くなるわよ」 「お気遣いなく。そちらへ座ってください」  長椅子で眠っている者を一瞥したハルは、その開いている場所に潜り込んだ。 「小さいと、填りやすくて良いですね」 「まだ忙しいの?」  そこら中にリビングデッド予備軍が眠っているのを見回しながら聞けば、オリンガルは肩をすくめる。 「そろそろ落ち着くでしょう。――本題に入りましょう。良いニュースと悪いニュース、どちらを先に聞きたいですか?」 「両方一緒にお願い」 「無理ですよ」  まったくこの子は、と理不尽に嘆息したオリンガルは言った。 「では良いニュースから。城中に埋まっていた死体及び悪魔の駆逐が完了しました。あなたは晴れて自由の身。無実は証明されました。完璧に」 「ちょっと前に疑惑は解けたと思ってたけど、まだ疑ってたの……」  半眼で睨む。  オリンガルは「しかたないでしょう」とまた肩をすくめてカップを取った。そしてお茶の残りがないとわかると、あからさまに耳を折る。 「では悪いニュースですが、あの庭師、死にました」  自ら冷めたお湯をポットに注ぎ足したオリンガルは雑談でもするかのように続ける。 「警備の目をかいくぐり、ずいぶんと拷問した末に殺したようです。血文字であなたへの言付けがありましたよ――いずれ相見えましょう、とね」 「……。さっき城から悪魔は消えたって言ってなかった?」 「ええ、庭師を殺して跡形もなく。認めたくありませんが、こちらの追跡は完全に撒かれました」  それは駆逐ではなく取り逃がしたのではないか。  半眼になったハルは嘆息した。 「どうしてわたしへの言伝だと?」 「庭師の血で壁に大きな木が描かれていました。その下に動物のような足の短さになった死体が転がっていたんですよ。死体はあなたを指している」 「それ、カリオンからの情報でしょう」  不思議な事にカリオンは獣の事情に詳しい。それは城の城壁に書かれた歴史書を読んだためと聞いたが、一度見た方がいいだろう。  ハルはそう決めて、ぬるい茶を飲んで顔を顰めたオリンガルを見上げる。 「話はそれだけ?」 「いいえ、もう一つ。――陛下に仕えるつもりはありませんか」 「いやよ」 「では、ゼーローゼと共に暮らすのでもかまいません」 「答えはいいえ。未来永劫変わることはないわ」  そう言って立ち上がると「残念です」あまり期待していなかったのだろう。オリンガルはカップを置いただけで、引き留める様子はない。 「ゼーローゼですが、彼らには神木を含めた森を下げ渡すと言う形で臣下とします。神木の世話をすることが仕事になり、特別扱いはしません。城下に行くのも自由。王家は他の者と同じように彼らを扱うことになりました」 「貴族として?」 「貴族として。まぁ、称号だけになるでしょう。税金も森でとれた毛皮などを売って出すそうです」 「……。国民になったのね」 「きわめて特殊ではありますが。……これで王の上に誰も立たず、国として成り立つでしょう」  ふと、ハルは口を開いて止めた。言っても仕方がないことだとわかったからだ。  しかしオリンガルは顔を顰めて催促する。仕方なく、彼女は言う。 「フロースを襲ったのは、結界の強い土地が欲しかったからよね」 「ええ、どこの国でも一度はやっていることです」 「でも相手はフロースだった。もしあなた達が結界の厚い、安全な場所で暮らしたくてフロースに相談してたら、沢山の約束事と引き替えに彼らはあなた達を向かい入れたでしょう。そして結界の薄い所で暮らしたと思う」  これは在りもしなかった仮定の未来だ。  話すことに意味などなく、もしあるとすれば宰相オリンガル・ハウルの情報が少し増えるという程度。 「カリオンを知ってるなら、もうわかってるでしょう? わたし達はあなた達と違って約束を守る種なの。ゼーローゼが牙を剥くなら、それはあなた達が悪い事をした時だけよ。約束を破ったその時だけ」  話は終わりだ、と言うように背を向けた少女に、 「帰り道はくれぐれもお気をつけて」  振り返ったハルはしばらく彼を見つめる。 「多少痛めつけてもかまいませんよ。頑丈な男です、少し熱血な所がありますから」 「それは……」 「行けば分かります」  出て行った少女を見送り、オリンガルは自嘲した。 「どだい無理な話だ。我々は大なり小なり嘘をつき……つかなければ生きていけない。欺かねばいられない種なのだから。だから相手が自分と同じで何かしら裏切るのではと考えずにはいられない」  オリンガルは約束を守ったことがある。それと同じくらい破ったことも。 「神の規律、か……」  学者の高位神官に又聞きした内容を思い出し、ぬるい茶を飲み干した。  今日は仕事にならない、寝てしまおう。  部下達が転がる執務室を出れば、小さな背中はもういない。  少女が行った方向と逆に歩き出せば、胸に湧いた嫉妬はあっけなく霧散した。 ★★★  山の頂上から豆粒のような大きさの城が見える。 「はー、怖かったッス。もう、獣の混血児とかマジだったんでスね。しかも純血種ちゃっかり合流してたッスよ」 「ランダさまー。帰りましょー」  荷車を引く男が不満そうに言えば、 「おーッス。今回は、危険を踏んだのにあんまり数が集まらなかったスね。まぁ、実験が成功したから、いいとしまスか。帰ったらディアボラさんに報告と、お礼がてらうまい酒でも飲みましょうか。今日はエディヴァルの美味しいお酒が手に入りましたからね」  立ち止まっていたランダはてへへ、と後ろ頭を掻いた。  三つ編みが撥ねる。 「血液もあるねー」 「数日粘って隠れてたかいがありましたね! あー、でも血の味ってアタシわかんないんッスよね。美食の吸血鬼には不味いかもしれないから、そこがちょっと気になるッス」 「死霊術士ですからねー。悪魔の血がちょっと入ってますねー」 「そうなんスよ。ちょっと失敗したらしくて術レベルが低いのなんの……まぁ、あんまり入れスぎると血液が黒くなっちまいまスからね、短命種にみつからないって点は合格でしたが……場数踏ませた方が良かったッスね」 「戦闘経験乏しーと、戦略的撤退も、計画も、全部ぱー」 「おや? けっこう怒ってるッスか?」 「ちょっとだけー。パイロン王国諦めたー」 「うう、それ言われると痛いッス……。でも、シティパティ様もこの国はいったん見逃す方向になられてたから……あぁ、でも惜しいなぁ。一度、神木が開けたあの大穴。まだ修復が終わらずに薄いんスよ。がばーっと大量に死霊投入できるんでスが……ああでも数がそろわない。ディアボラ様に媚び売って、食べカスでも回して貰えないかなぁ」 「そのための、沢山の血ー」 「そうッスね! あいつが今まで殺してきたお嬢さんその他の血液、腐らず冷凍保存されててよかったッス。役に立たないけど、気は利く男でスね!」 「んー」 「おや、何か気になることでも?」 「小さい女の子ー、いなかったよ-?」 「いたじゃないッスか。ほら、途中で銀色の猫ちゃん……あれ猫なんスかね? とにかくそんな感じの生き物。あれッスよ。耳とかそっくりだったでしょ?」 「二足歩行、違う。痛い、痛い、かわいそー。ごめんねー」 「アタシはそのまま殺してくれた方がよかったんでスけど、やっぱりレヴァナントは扱いが難しいなぁ。死者蘇生。永遠のテーマなんでスが、遠いッスね」 「渡すときはけっきょくー?」 「おお、そうでしたね! うーん、つまらない物でスがーって言うのはどうでしょう!」  足下に亀裂が現れれば、 「そーですねー」 「おー、じゃあそれでいきましょうか!」  そこに、誰もいなかった。