そしてこれからも

 ファルバは神木の幹の前に浮かぶ右腕を見た。  メロゥーラの精神体だ。力が弱まり、出せるのはそこまでになってしまったと聞いて、痛ましさに目を伏せた。 「すまなかった。……儂らの献身であなたを潰してしまうなどと、考えたことも無かった……。時があなたの心を癒やし、再び口を開いてくれることを待っていたが、それではだめだったのだな。逆に追い詰めてしまった」 「違うわ、ファルバ。わたくしは短命種が許せないの。短命種が生きているこの大地に根を下ろしてる自分が疎ましい……わたくしは、わたくしの事しか考えられなくなった。こんな醜い物を、見せたくなかった」 「儂はあなたとの約束を破った。……獣に見られたくないと言ったあなたの言葉を」  視線がゆっくりと向けば座り込む獣の姿がある。弓のようにつり上がった目は金色で瞳孔は縦に裂けていた。尖った耳がぴくりと動いた。ハルは神木の根元に来るとメロゥーラの手を握る。 「はぅっ」 「わたしに会いたくなかったなら、どうして言わなかったの? そうしたら、ここに来なかったわ」  それに、と続ける。 「わたし、洞が無くてもあっても、あなたのこと嫌いになんてならなかった」  もっと話し合う必要があったのだと思う。当時は当時で大変な時代だったこともあるが言葉を惜しんで、心を通じ合わせることを怠ったから、神木とゼーローゼはすれ違ってしまった。 「でも、あなたが見られたくないって言うなら、わたしは二度とここへは来ないわ――モリト、わたしは城に戻るけど、どうするの」 「ボクはここで神木と……」 「メロゥーラ」  右手はハルを引き留めるように頭を撫で、指先で優しく耳を摘まんだ。 「名前、メロゥーラと言うの」 「メロゥーラ?」 「そう。お父さんとお母さんはどこにいるの?」 「皆死んだわ。名前はハルって言うの。メロゥーラ、よろしくね」  しばらく沈黙が続き、右手が囲うようにハルを包んだ。見えなほどうっすらとした体が風を遮るようにハルを抱きしめる。  「そう」と短い言葉だけだったが、そこに詰め込まれた慈しみと慰めを感じた。 「こんな姿になってでも、お前達に会えた喜びを神に捧げることにするわ。碌でなしの神だけど。……ファルバ」 「なんです」 「わたくしは神木としての力はほとんど失った。モリトに水を汲んでやる事すらできない。お前達にも何もしてやれないわ」 「利益があったからあなたとここまで共に暮らしてきたわけではないのです。それどころか満足にあなたを守って差し上げることさえできない」 「わたくし達、同じ事を考えてたのね……馬鹿みたいだわ。でも偽りなき本音なのよ。そして、やっぱりあなた達と一緒にいたかった」  右腕がすっと、消えていく。 「向かい合う準備を、心構えをしたいと思うの。だからお願い、もう少し待って……」  それは震えていたがきちんと芯を持っていた。 ★★★  王城での騒動は一応の収束を見せた。  城は浸水し、城下も水害が酷いようだったがメロゥーラがふさいだ後はそれ以上、酷くならなかったらしく、泥の清掃で数日てんやわんやになった程度。もともと砂漠だったせいか、水はけは良いようだ。  水路から伸びる穴はかなり深く掘られているようで、モグラの悪魔は長期的に掘っていたことがうかがえた。一年や二年で完成できるような物では無いらしい、と言ったのはメロゥーラ。彼女は声をかければ気まぐれに言葉を返すようになった。ぎこちなくはあるが。  毎日神木の所に顔を出すように、と言われて数週間が経とうとしている。メロゥーラが望むから、ハルはよく擬態を解いて獣の姿になった。  短命種と絆を結んだ神木をハルは複雑な思いで見上げる。メロゥーラは完全に精神体を作る事ができなくなり、片腕を使ってハルを触ることが多かった。 「短命種との争いが酷くなると心配した他の神木がよく話しかけてきたわ。でも彼らを見て。獣と同じように彼らとわたくしの間には確かな絆があるの。わたくし達が一から作ったこの大地が、その証」 「うん、わかるよ」 「モリト、短命種は悪い奴らばかりよ。大勢が寄り集まると、それがもっと酷いことになるの。頭がいい者も、それを優しいことに使うとは限らない。よく相手を見て判断するの。それは目を奪うような美しい輝きではなく、その者が為し得たことで見極めなさい。さぁ、今日はもう遊んでいらっしゃい」  今日の顔合わせ終わり戻ろうとすると、よいしょ、と抱き上げられたハルはモリトの首に顔面を埋めた。体積的には同じくらいなのだが、体を丸めれば何とかなる。  それを羨ましそうに背後で見つめていたカリオンは、探しに来た王国騎士達に捕まり、事後処理へかり出されて行った。  抱え直したモリトは服を拾い集めた。降りようとすれば木の陰までつれて行かれ、そこで擬態をとったハルは服を被っていく。折れた腕は包帯を分厚く巻かれ、無理をしなければ数ヶ月でくっつくらしい。  と、モリトがぼやく。王宮ではやってくる貴族達の相手を引き受けて大変そうだ。 「交渉って難しいね。相手に自分の力を認めさせないといけないし、不用意なことも言えない。何より駆け引きって言うのになれないや」 「辛い?」 「うーん、初級一冊目ってところかなぁ。宰相さんが講師をしてくれるって。もう少し城にいて手順を勉強したいな、ボク」 「……モリトがそう言うなら。でも、旅をするのに必要かしら?」 「今の神木の回りは、権力者が固めてるでしょう?」  なるほどそうだった。  確かに必要だ。 「じゃあ、わたしも受けないと駄目?」 「ボクがやるから大丈夫だよ!」  まかせて! と目を輝かせたモリトは胸を反らした。ならば任せねばなるまいと大仰に頷いたハルはそろそろと近づいてきた女性に呼びかけられた。 「初めまして。少し、お話させてもらっていいかしら?」 「誰?」 「さっきの……カリオンの母です」  警戒したようなハルは後ずさったが、モリトは頷いた。  二人はカリオンの実家に招かれた。  綺麗に整えられた部屋を見回すと、木造の暖かい空間が広がっている。リビングらしき空間に男性がどっかりと座っていた。  どこか緊張したような面持ちで二人を見ると「いらっしゃい」と椅子を勧めた。 「何の用なの?」 「俺はオクトー。妻のカイデカだ」  二人はカリオンの両親を見つめた。母親はつるりとした耳に羽を生やし、父親の方はがっしりとして大きい。そして獣耳で毛皮を持っていた。そして二人とも、カリオンとは似ても似つかない素朴な感じだった。  そんな感想を抱かれてるとは知らずオクトーは口を開く。 「カリオンとは友達なのか」 「そうだよ!」 「他人よ!」 「う、うむ」  勢いにオクトーは戸惑ったが、丸太のように太い腕で後頭部を書くと、言った。 「カリオンなんだが、王城ではどんな感じなのか教えてほしいんだ。あいつは成人してすぐ村をでてっちまってな。仕方ないことだが、心配してたんだ」 「カリオンに直接聞かないの?」 「聞ききたいさ。だが、人から見た息子の様子も知っておきたい。あいつはうまくやってるのか?」  同僚でも親しく日常で挨拶をかわす中でもない。  正直に言うと、彼らは落胆した様子だった。 「でも、カリオンはお城で女の子に好かれてたって話だよ。ストイックなところがステキで、クールなところに痺れるんだって。メイドさんが言ってた。カリオンは見た人を麻痺させる特殊能力者なんだって」  そして、鋼鉄騎士と二つ名がつくほど表情筋が動かず、けれど凄まじく強い。世界一強い騎士と噂されるほどの腕前で、一時はカリオンと腕試しするために王城に強者達が集ったこともある。  全てを返り討ちにし、国内中の悪魔を狩る様は、まるで物語の英雄――と言われていた。 「ほう」 「あなた、感心しないの! モリト君、それって過去の話よね?」 「今は出汁の出きった鶏ガラみたいだって。新兵にも負ける弱小リビングデッドみたいで怖いんだって。接し方が分からなくて何人も同僚が止めて失意の底に落ちて、コンカッツー? をした人がいっぱいいるって」  夫婦は項垂れた。 「……あいつは何をやってるんだ、大丈夫なのか」 「さっきちらって見たけど、うまくやってるのかしら。お友達は出来たのかしらね」  子供にするような心配だが、彼らの中のカリオンは成人したてくらいで止まっている。ぱっと見、大きくても心配らしい。それが親心という物かもしれないが。 「だが、リビングデッド? 誰かにふられたのか?」  いつの間にそんな話を仕入れて……と驚愕していたハルは視線をそらした。 「知らないよ」 「そうか、それもそうだな……。だがゼーローゼはだいたい好きな子にふられるとそんな感じになる。メイドさんは何か言ってなかったか?」 「あの子、どんな子を好きになったのかしら?」  村の女の子もぜんぜんタイプじゃなかったし、とカイデカは期待を込めて言う。 「うーん、リビングデッドになったのは半年くらい前だって。でも、その前からちょっと変だったよね」 「変」 「変?」  モリトはハルを見上げた。  ハルは「やめて!」内心叫んだ。 「ボク達一緒に暮らしてたんだけど、突然泣いちゃったりしてたよね。それで、寝るときになるとまだ行かないでって言うんだ」 「そ、それは……」 「まさか」  ぎぎぎ、と夫婦そろってモリトの旋毛を見た夫婦は「同性愛?」と不穏な言葉を口走った。  が、 「その後、ハルの事をたくさん聞いてたっけ? 好きな食べ物とか、色とか、香りとか。食べ物は次の日に出てきたりしたんだよ! だから、ハルとボクが好きな食べ物をたくさん教えたんだ!」  彼らは硬直を解き、息子の性癖を疑った自分を恥じると共にハルを凝視。上から下までじっくり観察した。 「なるほど、餌付けから入ろうとしてたのか」 「甲斐性を見せようとはしたみたいね。で、でもあなた。私の目がおかしくなければ成人前のお嬢さんよ」 「お、おう。……だが、獣だそうじゃないか。純血種なら寿命も違うんじゃないか? 失礼だが、いくつなんだ」 「成人前よ」  夫婦は頭を抱えた。 「……あなた達はファルバみたいに思わないの? あの人は、頑なにわたし達のことを避けてたわ」 「あー、お前さんが純血種って言うのは聞いた。俺達も、思うところがないってのは嘘だ。羨ましいと思う」 「そうね、嫉みも沸くわ。……私達が純血種だったら戦争にも負けなかったんじゃなかいかって。正直、今だって複雑よ」 「だが、無い物ねだりはできない。神の規律を失って久しい俺達が今更その枠に入ったとして何ができる」  ハルは、顔を顰めた。 「規律を失った?」  もともと短命種だった彼ら。それに混じった獣の血。受け継がれたのはその能力で、規律までもを彼らは継がなかったらしい。  モリトの背中にある紋章も、神木の根元に浮き出る紋章も、彼らには見えないのだという。それはカリオンも同じだった。  混血になれば、規律は失われる。  それは花粉を運ぶ事ができない、と言う意味も含んでいる。 「だが、もうそれは必要ない。俺達はそれを知った。これからはそれを伝えていくだけだ」  ハルは真顔でオクトーを見つめた。彼は嘘を言っていないだろう。 「……。なぁお嬢ちゃん、この村で誰かと一緒になる気はないか?」 「同情なら止めて。今まで一人でもやっていけてたわ」 「だが、親に教えられる事も自力で見つけにゃならん。そんな苦労はしない方がいい」 「気遣いはいらないの。本当よ。それに、これから世界中の神木に会いに行って、洞に書いてある事をモリトと見に行くの。神木は獣がどう言う営みをしていたか教えてくれるわ」  完全な強がりだったがハルは言い切った。 「ダメだ、やめた方がいい」  なぜ、と視線で問いかければ、 「獣と神木が共にいた頃の話だろう、それは。過去を知るのはいい。だが、過去に習うのはよくない。少なくとも、ここ数千年は神木と獣は共にいられなかった。彼らは共に暮らす事が出来ず、本来の営みをしてこなかった。その間、獣は短命種の中でひっそりと暮らしていたはずだ。知るべきなのは、その方法じゃないのか」  オクトーはハルに座るよう言った。  立ち上がっていたハルは尻を椅子に乗せ、膝を立てた。 「けれど、それは失われた物語よ。誰も知らない話なのよ」  慰めるように伸ばされた手をハルはよけなかった。頭がぐらつくほどの力で撫でられる。 「お前――いや、ハル。ご両親の名前は知らないのか? 彼らも短命種の中で暮らしていたなら、きっと誰かと繋がりがあるはずだ」 「お父さんの名前は知らない。お母さんの名前はロデ。レイディミラーはそう言ってたわ」 「ロデ……。彼女がどう言う状況で暮らしてたかわかるか? お父さんのことも知ってる限り教えてくれ。外の奴らに繋ぎを取って、情報がないか聞いてみよう」 「獣って渡り鳥みたいに神木を回っていたでしょう? その習性を持って生まれる子が一族の中に出るの。そう言う子は村にずっといられず出て行くのよ。たまに実家に手紙が来るんだけど、彼らには彼らの繋がりができるから、それに頼ってみましょう」 「返事が来る間、ハルは村長の家でも、うちでもいいから村に留まりなさい」  村長とはファルバのことだ。 「どうして? お城の部屋を貸して貰ったわ」 「共に暮らす事で学ぶこともある。群れでの生活を一度見ておくんだ」  モリトを見上げれば、前髪を擦るように指先で触れ、頷く。 「ハル、そうしなよ。ボクもメロゥーラに聞きたいことがあるし」 「……。モリトがそう言うなら」  夫婦が顔を顰めたのに気付かず、ハルは頷いた。  ハルがファルバの家に言伝をしに言った後、モリトは出されたお茶をすすった。 「ハルはいつもああなのか?」 「ああって?」 「笑わない。主人に従う臣下のように振る舞う」  モリトは茶器を置くと、嘆息した。 「獣はそう言う物だと思ってるんだよ。最近は耳を貸してくれるようになったんだけど、まだダメだと思う。ハルにとって神木は守るべき主で、自分はその戦士なんだ」 「馬鹿な」 「それがハルの中の考えで、ボクはそれを変えたいと思ってるよ。でも、時間がかかるんだ。頑ななところもあるから、無理強いしないで。ハルを納得させられるのは獣だけなんだ」 「……難しいな。だからメロゥーラにあんな事を言ったのか」 「ハルには、ハルを迎えてくれる仲間が必要だと思ったんだ」 「それはここじゃダメなのか? 世界平和だなんてばかげている。必ず争いが起きる。あの子が知ったら、傷つくことになるんじゃないか。話し合った方がいい」 「決めたんだよ」  モリトはゆっくり首を振った。  この数週間の間、ハルの目を盗んでほんの少しだけ話したこと。  メロゥーラに短命種と新たな約束を交わす事を提案し、彼女はそれを了承した。これから数日の間は話しを詰め、権力欲を持ったヘイリング・ディス・パイロン王に提示する。  メロゥーラは念願だった己のフロースを守る事ができ、完全なる報復を武器に対抗することができる。  そしてヘイリング・ディス・パイロン王は真実パイロン王国の王として立てるのだ。ゼーローゼと神木の心配をすることが無くなり、国政にも身が入るというもの。  細かい部分を詰めるのに、最低でも一月はかかるだろう。その間にハルをかわし、そうと気付かれないように推し進める必要がある。  ゼーローゼ達は了承した。  今回は順調に進むだろう。 「ハルは傷つくかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。全てが成ったとき、答えが出ると思う……というか、ボクはね、オクトー。途中でハルに気付かれて反対されたいって思ってもいる。そんなの必要ないって」 「じゃあ」 「でもきっと止めないんだろうな。だって決めたんだから。もう歩き出してしまったし、チャンスは今しかないんだ。後悔は後からしかできないんだ、だったら今やるしかないんだよ。これはボクの運命をかけてもいるんだから」  二十五本目の神木は淡く微笑んだ。  オクトーは内心思う。  この子も度し難い、と。 「心配しないで。この世界は問題を抱え、それを解決しなければならない事は皆わかってる。長く続かないかもしれない、失敗するかもしれない。その危険はいつも頭に入ってるよ。でも、ボクは折れない。大丈夫だよ」 「……わかった。もう何も言わん」  ただ、と続けた言葉にモリトは頷いた。 「ボクも、そのつもりだよ」  どこまで考え、どこまで知っているのだろうか。  オクトーは安心しながらも、不安を抱えるという矛盾した心に問いかけて止めた。  先の事はわからない。