足は止まらなかった

「モリト!」 「カリオンを呼んできたよ! もう大丈夫だからあっちに行こう」 「でもっ」 「二人とも下がってろ」  カリオンは言って、大剣を構える。腹には複雑に文様が刻み込まれ、絵の具を注ぎ込まれたかのように光っていた。ハルが見た紫色の光はそこから漏れ出していた。カリオンの瞳もまた、深い紫色に塗りつぶされている。  彼の姿がぶれた。残像を残しながら男を翻弄するかのようにステップを踏み背後を獲る。首筋に大剣の先が触れた刹那、両者の間に火花が散った。  虚ろだった男の目にほんの少し赤い光が灯る。 「後ろ!」  ハルは叫んだ。はっとしたように大剣の腹を掲げれば男の太刀が触れ、硬質な悲鳴が響く。顔を顰めたカリオンは舌打ちと牽制に大剣を振った。 「てーると似てるねー?」 「なんだこいつは……」 「わからないわ。リビングデッドと違って自分で考えて行動してるみたいなの」 「レヴァナントか? いや、まさか」  呟きながら一線。首をかしげる男はのんきに独り言を呟いている。不気味だな、とカリオンは思った。生者にはあるものが、死者にはない。それは痛みだったり正常な思考だったり、気配だったりする。  どれも欠けた存在は次の動作が掴みにくい。呼吸もないため予測ができない。  ちらり、と横目でハルを伺う。獣姿で腹を押さえている。口内は赤く染まり右腕は変形していた。目だけがぎらぎらと赤く輝く姿に、カリオンは知らず顔を顰めた。  こんな近くで彼女を傷付けられた。  城が襲撃を受け、王族を保護するために向かった先でモリトが呼びに来なければどうなっていたのだろう。考えるだけで目の奥がじんと痺れた。それは怒りだ。押さえようにも無意識に柄を持つ指に力が入り、カリオンの目は元々の色を塗りつぶしますます紫色に変色していく。 「青い服、大きな剣、目、目の色が違う。違う? ううん、ちがくないー」  男は体をひねるようにカリオンの追撃を避け続ける。軽やかに、舞うように。まるで遊んでいるかのようだ。その証拠にまったく手応えを感じない。 「逃げる、帰ろー。時間、時間」  唐突に。  男は身を翻した。驚愕の視線に首をこてん、とかしげて敵は大きく跳躍した。まるでバネがはじけるように。  地面がえぐれ小さなクレーターができる。  気付けば米粒のように小さくなった敵は木々の隙間に混じり、消えていた。 「逃がしたっ」 「追っちゃダメよ!」  声を出した反動で、酷く傷む内臓に歯を食いしばる。 「ハルっ!」  大剣を投げ出したカリオンは彼女の足下に跪いた。 「大丈夫か? 怪我は……あぁ、酷い。モリト、まっすぐな枝を二本持ってきてくれ」 「わかった!」  走って行ったモリトは、その辺のリビングデッドの足を掴むと振り回して林の中に入っていった。 「驚かないの?」  優しく横たえられたハルはカリオンが袖を引きちぎるのを見ながら問いかけた。 「何に? それより人の姿になれるか? そっちの方が手当になれてるんだ」 「……服を取って」  ハルはもそもそと服をかぶるが、折れた腕を袖に通せない。いきなり目の前で裸になられたカリオンは目元をぱっと染めて顔をそらした。  右袖を千切って服を着込んだハルはカリオンを呼ぶ。まだ顔の赤いままの彼はほっとしたように状態を確かめた。 「……このままじゃ骨が変なふうにくっつくからまっすぐに直すぞ。歯を食いしばって」 「――っ!!」  動かされたのは二回。  モリトが持ってきた枝を添え木に、千切った裾を使って固定する。残りで首に腕をつらせると、脂汗の染みた前髪を腹って様子を見たカリオンはハルを担ぎ上げた。 「立てるから大丈夫よ。左手だって動くんだから下ろして」 「いいから大人しくしてなさい」 「片手であんな重そうな剣、使えるの?」  子供のようにハルを腕に乗せたカリオンは軽々と大剣を振った。一線はついでとばかりにリビングデッドの首を撥ね飛ばす。 「あいつら、どうやら騒がしくすると近づいてくるみたいなんだ。普通に歩くぶんには問題ない」 「カリオン、戻らなくて大丈夫? ボク、ハルならだっこできるよ」 「あそこには他の人もいたから大丈夫だ。それより他の皆と合流しよう」  走り出したカリオンは重さをものともせず、水を避けて走り出した。行き先は遊撃部隊の詰め所。 「アルベ! ダリダ!」  カリオンは大剣を背中の金具にはめ込んだ。  中の二人はちょうど装備を終えたところのようだ。  羽の根元から骨を覆うようにつけられた専用の防具は固そうで、嘴から額を覆う面を被っていた。両手には無骨な槍を握っている。 「おお? 今日は死んでないです、よかった!」 「ちょうど良かったぜ。これから殲滅戦に行くところだったんですよ」 「外にはそこら中リビングデッドが出てる。それから、城の真下にある水路が決壊した。おそらくこの辺は水没する」 「水没とは……羽が濡れたら飛べねぇな、気をつけねぇと。じゃあ、俺達はリビングデッドを退治しながら城内の者達を外に逃がしましょうか」 「いや、それこそ危険だ。おそらくだがリビングデッドは城下にも出現してると思う。風呂屋の女達がけっこうな数、姿をくらましている。何人かの仲介人の死体も出ていた。あれらが扱っていたのは奴隷だ。おそらく五十じゃきかない」 「……そりゃ、王宮騎士が総出で出てったわけだ」 「どう言う事だ?」 「突然城下で事件が多発したってんで、常駐の奴らも皆出てったんですよ。その後すぐにこっちもこの有様だ。どうするんです?」 「お前達はまず、ダリダに連絡をして水の届かないところへ陛下を案内するように伝えてくれ。後は隊長の指示に従えばいい。地下には絶対逃げるな。溺れて死ぬぞ」 「カリオン様はどうするんです? 腕に乗ってるお子さん達も、一緒に連れてったほうがいいんじゃ?」 「口の利き方に気をつけろ」  ギロリと睨みつけたカリオンは降参したように両手を挙げる二人に鼻を鳴らす。 「奴らの狙いがまだわかってないが、薄い色の髪をした女性が重点的に狙われる可能性がある。消えた風呂屋の女性は皆そうだったらしい」 「暗殺ですかい……またどうし」  ふと、言葉を止めたアルベはハルを見た。 「薄い髪の色……。お嬢ちゃん、心当たりは」 「オリンガル・ハウルに聞いてちょうだい。でも確かに、悪魔は知ってほしくないことだったでしょうね」 「マジかよ……」  カリオンも部下達もそろって顔を顰めた。 「単独行動は危険じゃありませんか?」 「二人は俺が守るから大丈夫だ」 「へいへい、そりゃ失礼しました」 「じゃあ、俺達行きますけど、途中でリビングデッドに戻らないでくださいよ?」  あ、こらと白い羽根を膨らませたアルベがダリダの嘴を指で挟むが、カリオンは揺れなかった。 「大丈夫だ」  二人は少し感動したような顔をして出て行った。 「それよりも、どこへ避難するか……さっきの黒服に心当たりは?」 「……。いいえ。ただ、また追ってくるかもしれないから誰も巻き込まないところが良いわ」 「わかった。……村に行こう」 「わたしの言ってること聞いてる?」 「あいつが来たら俺がなんとかする。その間、ハルを匿ってくれそうなのはあそこだけだから」 「でも、ボク達は神木に会いに行くことを断られた。ゼーローゼのことも約束のこともきちんと分かってないんだよ」  ねえ、と不安そうに首元を撫でられたカリオンは「大丈夫だ」と繰り返す。 「ゼーローゼが招けば誰だって森に入っていいんだ。招く者がいないから不可侵のような印象をうけてるけどな。俺が二人を招く。俺だって……まぁ、勘当されてなければゼーローゼの一員だから。父さんと母さんの様子も気になるし」 「神木の約束は?」 「そんなの、あって無いようなものだ。村で聞いたことはない……ただ、もしそんな約束があるとすれば、村長と神木との間で交わした約束なんだろうとは思う。村長はパイロン王国の建国時から生きてるから」 「長寿……それも、かなり長いの? 千年以上生きるような」 「いや、そこまででもない。村長はもう歳だし、五百年前は俺くらいの子供だったそうだ」  大きな石を避けるために、カリオンは跳躍した。着地しても殆ど振動が来ない。 「二人は神木にあって話がしたいんだよな? この際ついでに済ませてしまえ。もう一人いた神官、置いてくが大丈夫か?」 「……ちょっと心配だけど、王様と一緒なら大丈夫だよ。本当に良いの?」 「ゼーローゼの女達もハルみたいに髪の色が薄いんだ。知られてる可能性は高いと思うし、襲撃も受けると思う。守るなら纏まってくれてた方がいい」 「悪魔はハルを探してたんじゃないの? 遺言を聞いてから悪魔に目をつけられたことはあったよ」 「詳しいことは分からないけど、死霊術士に心当たりがあるんだ。仲介の男達は皆首を半分くらい削られて死んでたんだがノコギリで引いた時の傷に似てるし、嗅いだことある匂いもあった」 「誰のだったの?」 「庭師が使ってる肥料だよ。あの肥料の香りはゼーローゼが作ってるのとそっくりだった」 「……ゼーローゼは斧を使って枝を落としてたわ」  カリオンもどこか緊張したように応じる。 「わかってる。王宮側の庭師の誰かだろう。――見えた。二人は下がってて」 「いやよ」 「困ったな」 「わたし、カリオンより弱くないもの」  カリオンは笑った。  懐かしい家路への道。  出るときは通らなかったし、来ることすら何年もなかった。けれどまだ、覚えていたらしい。  人知れず帰郷したカリオンは、漂ってくる血と腐臭に顔を顰めながら大きく息を吸い、吼えた。 「グルゥォオオオオ!!」  素早く背中から二人を下ろすと、手近の一体をカリオンは大剣で切り裂く。そのまま後ろ足で蹴り飛ばせば、真っ二つに裂けたリビングデッドが吹き飛んだ。 「状況は!?」  はっとした数人が斧や剣を構えなおす。 「その声、カリオンか!?」 「地下水路から大量に死体が襲ってきてる! 女と子供達は避難させた!」 「神木の回りが一番酷いんだ、そっちにいってくれ!」 「ダメだ、ここを片付けたら一緒に行こう」  彼らは苦笑したようだった。そしてカリオンが飛び出せばハルもまた鉄剣を構え、躍りかかっていく。後ろでモリトが一人、撲殺に使えるような得物を探していた。  全てを切り倒すのに、そう時間はかからなかった。  カリオンは転がっていたズボンやシャツを被って元に戻ると、村人から剣を受け取った。彼らは懐かしそうに目を細めたが、すぐに表情を変えると「中央花壇へ急ごう」そう言った。  周囲は暗くなり出し、かろうじて月光が地面を映す。草木は背丈を伸ばし、足下はどんどん踏み固められ、整えられていく。  獣達と小鳥の鳴き声がせわしない中、カリオン達は疾走した。  視界が開ける。  明かりが、カリオンを照らし出した。 「止まれ!! 敵がいるぞ!」  静止の声。死体が前方に立ちふさがる。  剣を振り薙げば、一瞬骨の感触があったもののすとん、と首が飛んだ。  リビングデッドを倒すには胴と頭を切り離すか頭を潰すしかないが、腐った血が飛び散るのを見るのは気分が悪い。 「おい! カリオンが帰ってきた!」  村人は他の者と合流し、カリオンの帰郷を知って顔を明るくした。しかしハルとモリトを見て顔を顰める。 「誰だ?」 「今はそんなこと言ってる場合じゃない。王城は水攻めやここみたいに襲われてる。ここほど多くないが、おそらく城下も。こちらに助太刀に来られる状況じゃない。死霊術士の場所はわかってないか?」 「わからん、だが、リビングデッドがわき出してる場所ならある」 「水路だな?」  想像が付いていたかと村人達は言い、後方を指さした。  松明が不規則に揺れている。 「そこで何をしている!!」  騒ぎに気付いたのか、ファルバの怒声が響く。そしてハルを見つめると顔を歪めた。 「なぜここにいる!」  手がハルを掴むより先に、腰に回った手が素早く下がらせた。 「村長! ハルに乱暴なことをしないでください」 「カリオン、貴様が連れてきたのか。何をしている! はやくこの者を森から出せ!」 「なぜです、二人は俺が招いたんだ。掟に反するわけじゃない。それに、今はそんなことを言ってる場合じゃないでしょう?」 「ならんっ! 近づけてはならんっ!」 「村長?」  正気を失ったかのようなファルバにゼーローゼ達は怯えを見せる。  そのとき、家の影に隠れるようにしていた一人が飛び出し、たまらず声を上げる。 「村長! もう止めてよ!」  黒い服の女性だ。村人達は目をつり上げどうして逃げなかったと叱咤した。その怒声に怯まないよう進み出た彼女は、涙に潤んだ眼差しでファルバを見つめ、言う。 「その子が、村長と話てた子なんでしょう? だったら神木に会いに来て当然じゃない! 神木のことを最もよく知っていらっしゃるなら神木の病に心当たりがあるはずよ。ゼーローゼを名乗る者として、神木が治るならば何にだってすがるわ!」 「ミーファ、神木が病ってどういうことだ?」  ミーファは言った。 「……カリオンは成人してすぐにいなくなったから聞いてないだろうけど、神木は病なのよ。もうずっと治らない。モリトに見てもらえば、原因がわかるかもしれないのよ」  モリト、と聞いたときざわめきが広がった。一人がモリトの前に膝をつき、確かめるように顔をのぞき込んだ。 「背中に紋章があるのか?」 「あるよ。それがどうしたの? ……あと、神木は病気になんてならないよ」 「――その話は後にして」  ハルは忍び寄ってきたリビングデッドを切り倒す。利き手じゃないせいか、かなり扱いずらい。 「今は死霊術士を見つけ出すのが先決よ。死にたいならそこでずっと話してればいいと思うけど」  彼らは我に返って得物を手に取った。 「リビングデッドが湧きだしてる所に案内して。死霊術士を殺さないと、死体はいつまでも動き続けるわ」