どれだけの人を

 パイロン王国の王城――城壁の中の半分は、広大な森でできている。  門を正面に、中心からやや外れた場所に王城が在り、右側に使用人の住まう塔や騎士の常駐所、遠くには出仕している貴族に与えた別邸などがあり、左側には広大な庭。そして整えられた林野。  浅い部分は王城で雇った庭師達が整え、深い森の部分はゼーローゼ一族が住んでいる。庭師とゼーローゼ達の仕事は殆ど同じだが、ゼーローゼは王家に保護されている。その姿を見ることは滅多になく、彼らと関わりがあるのは共同で庭を整備する庭師達くらいなものだ。  その庭師にしても、ゼーローゼと親しく言葉を交わすことはあまりない。なぜなら彼らは、めったに森を出ないからだ。  月に数回ある森と林の境目、庭師とゼーローゼ達が世話を任された境界線を共同で手入れする時以外、殆ど会わない。  それが今、悪い方向へ向かっている。  悪魔を匿っているのでは無いかと嫌疑を濃厚にかけられたものの、王はゼーローゼへ調査をしない。不満は蓄積し、それはおぼろげにゼーローゼにも伝わっている。  しかし、それでも彼の一族は強固だった。森から消して出てこない。  ファルバは外から持ち込まれる全ての情報を村の男達に伝え、母親達に伝え、子供達には隠蔽した。幼子が無駄に心をすくませないように、そして変な冒険心を煽らぬように。 「村の近くに悪魔がいる様子はなかった」  男衆の中の一人が言った。  村の中で最も大きく広い建物は会議のために使われる。普段は年寄りが常駐し子供の面倒を纏めて見るような所だが、子供達は皆、家に籠もっているよう命じている。  集まった面々は人に似た容姿の者が多かった。ファルバのように頭の上に獣耳が乗っている者もいれば、側面に人の尖った耳のような者を持った者もいる。そういった村人は指の先まですらりとして毛皮が無い。  それどころか、背中に笹の葉のような羽が生えている。向う側が透けて見えるほど薄い羽を潰さないよう、服も特別なものをつくってある。シャツは背中を広く開け、上着はその部分を隠すように逆三角形になっている。  妖精族の基本的な服装と容姿である。ゼーローゼは混血が進んでから、容姿が混ざって羽があったり無かったり、尻尾があったり無かったりする。 「壁まで行った連中が戻るには、もう少しかかります。本当に悪魔が森に潜んでいるかはあと数日経たないとわからないかと」 「カリオンなら、すぐ戻ってこられるんだがなぁ」 「何年も前にいなくなったやつの事は放っておけよ。今じゃ、王国の騎士だ」  男達は不満を持って出ていった幼なじみを詰ったが、その言葉の裏には確かな嫉妬や心配が滲んでいる。 「それよりも悪魔の事が重要だろう? もし森に居ないとなると、奴はどこへ行った?」 「儂は、水場が怪しいと睨んどる」  カリオンがたどり着いた答えと、ファルバの予想はほぼ同じ。  それもそうだろう。ゼーローゼが唯一、戦火を逃れて守り切った古い資料に書かれた水路ならぬ―― 「神木の根が張ってあった場所だな」  古びた地図は獣の皮をなめし、特殊な加工を施してあるもののぼろぼろだ。そろそろ別の紙に写した方がいいだろう。  幼いながらそれを目にしたカリオンは記憶を掘り起こして可能性の一つに入れたのだ。それは王国騎士――いや、王ですら知らないような貴重な記録。 「王国騎士もわからないほど擬態に特化した悪魔が侵入したとは考えにくい。エディヴァルに侵略を始めた頃ならばいざ知らず。現代では滅多に見ぬ。死霊でもない限り」 「術の気配はしなかったぞ、長老」  ファルバは若者の言葉に頷いた。 「わかっとる。儂らの毛皮は特に敏感だ。発動すればすぐに分かる」 「でも、この五百年間、水路が見つかった事はなかったわ」  女集の一人が言えば回りの者達も頷いた。それは否定ではなく、新たな争いの気配に鼻を効かせ、戦闘の用意をする獣の姿によく似ている。 「いや、奴らは気付いているじゃろう。王城で人を殺し森へ逃げたと思わせ水路に入る。城の奴らは水路が元々なにがあった穴かなんぞ忘れとるからな。ここに入り口があることも知らんし、短命種共の反応を見ろ」  恐怖し、声高にゼーローゼを弾弓している。証拠など何一つないと言うのに。  調べたいのなら調べればいい。森に入りたければ入れば良い。  彼らが約束を守るのならばゼーローゼは拒まないのだから。 「悪魔の目的も神木じゃろうて。水路を辿っていけば儂らのいるここへたどり着く」  指先で突いた場所は村の中心。尊き神木が或る、中央花壇。  枯れた神木を思い出す。  五百年の間に張り巡らされた根の殆どが腐り、空洞となり、短命種達が鉄で覆って使用している穴。  そこから悪魔がやってくる。それは間違いなく害虫だ。 「村長、それでどうする。俺達は戦えるが、子供達はどこかに避難させなきゃならねぇ。もし悪魔が気付いてたらこの距離だ、もう何日もしないうちに戦う事になるかもしれねぇ」 「今、台車を作らせている。それで当面の食い物を載せて、壁まで行け。最悪壊して外に出ろ。王城は逆に危険だ、儂らを悪魔の手先と思うておるからな」 「残る者をどうやって選別するんだ?」 「幼い子供がいる奴らは家族ごと壁に行け」 「俺ぁ残るぞ」 「男手がなけりゃ、妻子が外で生きていけんぞ」  森に籠もったゼーローゼ。金貨を持たないゼーローゼ。足下を見られ売り飛ばされるのが関の山。 「なぁに、無事に悪魔を殺せば帰ってこれる。班分けは伝えたとおり、滞りなく頼むぞ」  それぞれが室内から出て行く。  最後まで残っていたファルバは、一人、若い女が残っているのに気がついた。 「お前も支度に行きいなさい」 「村長、聞きたいことがあるよ」 「忙しいんだがな」 「悪魔退治、カリオンに頼まないのはなぜよ? 私、カリオンが森の近くで水路に潜って悪魔を探してるの知ってるわ」 「ミーファ」  咎める声に彼女は少しだけ怯み、後ずさりかけた足を押さえるように息を吸った。 「カリオンは先祖返りだったよ。誰よりも狩りが上手で、力も強い。村長だって覚えてるはずだし、カリオンはずっと悪魔を退治しながら国中を回ってた。そろそろ呼び戻してよ。村の皆だってそう思ってるよ」 「ミーファ。お前がカリオンと幼なじみだから、奴に情をかけるのは分かる。だが、それはできん。あいつはな、ミーファ。衝動に勝てなかった。村の中では満足できないから出て行ったんだ、もう二度と帰らん。儂はそう言う奴を何人も見てきた」 「そんなのわからないよ!」  わからない、とミーファは繰り返す。 「カリオンだって帰る切っ掛けがないかだけもしれない! それに、庭仕事や野良仕事ばかりの私達が、本当に悪魔と戦えるの? 私達は純血種じゃないのに」  不安がるように視線が揺れている。戦う事に怯えた彼女は悪魔に引き裂かれる自分の姿を想像しているのだろうか。  いいや、違うだろう。そんな臆病者はいないのだ。 「私達が負けたら神木はどうなるのよ? こんなに少なくなってしまったし神木も元気にならないし、それに、私聞いたよ、庭師達の噂。ヘリガバーム教団から神木の声を聞く巫が来てる。神木に面会を求めてるって」 「ミーファ、そのことは誰にも言うな」 「どうしてよ!? ヘリガバーム教団には神木がいる、ファズザラーラ様だ! 最も古き神木の一つ。気むずかしく誰よりも短命種を怨んでいるって村長は言ってた! ファズザラーラ様がお認めになったなら、言葉を交わしたならその人達は私達の仲間じゃないの?」 「いいや、奴らは教団に魂を売った!」 「嘘よ!」  ミーファは叫んだ。ファルバは鬼のような形相で否定しているが全く違う、と。 「じゃあどうして黙ってるのよ、この間の夜、村長は外の女の子と話してた……。あんまり聞こえなかったけど、モリトって聞こえた!」 「ミーファ!!」  空気を振るわせるほどの怒声に、今度こそ彼女は怖じ気づいた。ファルバは咄嗟に取り繕おうとして、失敗した。 「ミーファ、それ以上は許さん」 「……村長は今まで沢山の隠し事をしてきたよ。村長が私達の事や神木のためを思ってるのは分かってるわ、でもモリトが関わってるなら話は別よ。新たな芽。神木の蔭子。神木が私達に答えない原因が分かるかも知れないのにっ」 「ならん! 絶対にこのことは誰も言うな。これは命令だ!」  どうして、と力なく肩を落とした彼女はファルバを見つめると、消沈した様子で出て行った。  扉が閉まるのと同時にファルバは嘆息する。肺の中の空気を全て出し切るかのように、長く。  ミーファが近くで作業をしているのは知っていたが、失態だった。  いつもなら気付くはずだが、気を取られて気が散満になっていたらしい。会話の全てを聞かれていたら、あれぐらいの反応では収まらなかったはずだ。  ゼーローゼにとって、神木は何にも代えがたい存在だ。そして、それを守っているという自負がある。誇りと言ってもいい。その誇りは体に流れる血脈にも由来する。  ハルには言わなかったが、ゼーローゼのゼーは名前だ。神木との関係に感心した一匹が、常駐してくれたのだ。獣にとって一所に留まるのは辛いことだが、それを我慢した。日々を重ねるごとに、一人の妖精族が惚れ、しつこい求婚に折れて婚姻を結んでくれたテールの名がゼーなのだ。一族の名前に付け足すほど、その存在は大きかった。  だが、五百年前に死んでしまった。  老人の胸に言いようのない気持ちが沸き上がる。 「ああくそ……」  足は自然と中央花壇へ向かう。  整えられた芝生の向う側。青い花を咲かせる花壇があった。毎日思い描いているそのままに、庭は存在している。  中心の朽ちかけた老木の根元でファルバは立ち止まった。乾き、パサパサになった幹の皮をなぞり、指先に感じるかすかな凹凸に目を細める。  ファルバの中で、様々な思い出や考えがさっと通り過ぎた。額を幹にあて、呼吸を二回。森の香りを嗅ぎながら、声を絞り出す。 「モリトと名乗る少年が現れた。隣にはハルと名乗った少女がいた。確認したが、純血種で間違いない。あなたに会いたがっていた……」  木は何も変わらない。 「泣いておった。純血の、本物の獣は何よりも強い。たった一匹で殺した悪魔は数知れず。その武勇はどんな英雄よりも凄まじい。しかし、その獣が童のように泣く。まるで迷子の子猫のようだ。その子は親に教えられるようなこともわからんと言った。儂はあなたに合わせるわけにはいかないと思った。その子は洞を求めているとわかったし、見せるわけにはいかないと。儂はそう約束したし、あなたの願いもそうだった」  苦痛を滲ませた声が言う。 「あと数日沈黙すれば王城から獣はいなくなるだろう。別の神木を目指し、求めた答えを得るかも知れぬ。しかし、それでいいのか、迷う。このままでいいのかと。幼い子供に鞭打ち、乱暴に投げ捨てる行為そのものではないか。獣の隣にはモリトもいた。あなたはもう、儂に答える言葉さえ億劫と思うておるかもしれんが、答えてほしい。本当に、いいのか。おそらく、最後になるぞ」  じ、とファルバは答えを待った。  所々千切れたまま治癒した耳は、それでも音を拾うのに支障無い。けれど、風がいたずらに葉の間を通り抜けるざわめき以外、聞こえてこない。落胆にも似た心情を隠すように額を上げたファルバは沈黙し続ける神木から、手を離した。 「……村の弱い者は城壁へ向かわせた。もうすぐここに悪魔が来るだろう。だが、かならずあなたは守る」  だから、安心してここにいてほしい、と続け踵を返す。  ついに答えは返ってこなかった。