知らなかった

 ダグラスもモリトも眠ってしまった。  毛布を首元まできっちり布をかぶせながら、ハルは外に出た。監視が背後からついてくるのを感じながら庭を散策し始める。  視線がきつくて眠れない。なら、寝ないで歩いていた方がマシだった。  気分が紛れる。 「外は冷えますので、お入りを」 「護衛に護衛はいらないわ」 「お入りを」  振り返る。  面倒だと思っての進言だろう。しばらく護衛を見つめた後、ハルはそのまま林の中へ踏み入れた。背後で溜息をつく気配がし、ハルの後を追ってくる。  酔っ払いのようにふらふらとステップを踏みながら、木々の間に埋もれていく。  と、前方からカンテラの光が差し込んだ。 「なんだ、お前か」  ファルバだ。背中に背負子を背負っている。 「あなたこそ、どうしてここに?」 「見てわからんか、客人の目に止まらぬ時間に作業をしている。枯れ枝は落としとかんと大変な事になる」  ああ、と納得した。 「あっちにあったわ。案内してあげる」 「護衛がうろついてて良いのか」 「交代の時間。それに見張られてちゃ眠れないの」  顎をしゃくれば納得した眼差しが注がれる。  作業を始めたファルバの背中を見つめながら、ハルはぎざぎざになった耳に視線をやる。 「なんだ、暇なら手伝え」 「いやよ」 「気が紛れるぞ」 「……。たまには敬老の精神を出してみるわ」  鉈を預かったハルは背負子を落ろす前にするすると木を昇る。上から順番に枯れて腐り落ちるのを待つばかりの枝を落とし、ついでとばかりにいらない部分も削ぐ。 「ほぅ、慣れてるな」 「頼まれて枝を落とすのは間々あったわ」  それはレイディミラーの依頼だがファルバは「庭師なのか」問いかける。 「あなた、目の敵にしたのにけっこう話すのね」 「ヘリガバーム教団の者は信用ならん。だが、お前さんは違うだろう」  視線で問いかけると、ファルバは落ちた枝を拾いながら「落ちるぞ」注意する。 「あの教団はろくな事をせん。少なくとも儂らにとってはそうだった。神木に手を出そうとした、何度もだ!」  神木の事になると熱くなる。  なるほど、あの庭師の言ったことは本当らしい。  最後の枝を落とすと次はこっちだとつれて行かれる。背負子には落とした枝が積み上がっていた。  連れ回されるうち、片手じゃ足りない数の木を剪定していった。 「……。ねぇ、敬老の精神は無限じゃないのよ」 「老骨にむち打たせるようなマネをするな。それに、儂では体が重い。軽い奴でないと上に登れんだろう。儂は自分に出来ることは何でもする。だが、出来んことはしない」 「……予定にない事させてるでしょう」  沈黙は雄弁だ。ハルは嘆息しながら、それでもついて行った。 「ゼーローゼってどう言う意味なの?」 「なんだ藪から棒に」 「なんとなく」 「……儂らの先祖と混じった者の名を合わせただけだ。元々は薔薇の一族ローゼという」  思い出すような遠い視線をしたファルバは「登れ」と催促した。枯れ枝をつけたままの木を発見したらしい。 「じゃあゼーは? 薔薇の一族って言われる種なんてあったかしら」 「忘れたわい」 「……………」 「年寄りの記憶なんてそんなもんじゃ。お前だって三日もすればそうなる」 「ならないわよ」 「ローゼは妖精族の中の一種だったそうだ」 「覚えてるじゃない」  さりげなく原種である。ハルは灰色の毛皮を見下ろした。 「妖精族に毛皮ってあったのね」 「ちがわい。背中に虫のような羽が生え人のような肌をしとったらしい。耳は尖っておった。儂のように」 「……ただの獣の耳にしか見えないわ」  耳が尖ってるのはハルだって同じだし、ファルバには羽が生えてない。空は飛べないのか聞くと、彼はうざったそうにハルを見て早く仕事しろと睨む。まるで、足下に纏わり付く幼児を追い払うかのように。 「釈然としないわ。世の中ってこんな事ばっかりよ」 「子供が知った風なことを」 「じゃあ、建国前の事を教えて。五百年前、フロースって呼ばれてたのは本当?」  「ああ」ファルバは懐かしそうに言い、 「だが、呼ばれなくなった。今日はこの辺にしろ」  唐突に。  本当に、唐突に表情を無くした。 「儂はこのまま帰る」 「あなたがやれって言ったのに!」  最近の老人は唯我独尊すぎるのではないだろうか。  大人の理不尽に憤る子供のように地団駄を踏むが、鼻を鳴らした老人には通じない。 「しかたないから途中まで一緒にいてあげる。転んで死んだら埋めてあげるわ。優しさよ」 「森に入る魂胆か。爺になっても耄碌はしておらんぞ、いらん。馬鹿者。まだ足腰は健在じゃ、老人のように言うな。なんだその目は」  さっきまで老骨がどうのと歳を盾に迫っていたくせに、最近の老人は物忘れをしていることを忘れるらしい。  来るなとは言われなかったので、ハルは横にぴたりとついた。一瞬見下ろしたファルバは、面倒そうな顔をする。 「一人じゃ危ないわ。これは本当よ」 「今日まで何も無かったわい」 「今からなにかあるかもしれないわ」 「お前も森に悪魔を匿ったとでも言うのか」 「言わないけど、襲ってくるのは悪魔だけじゃ無いわよ」  それこそ余計なお節介だ、と言うように老人は足を止めない。  城の中で一番疑われているのはゼーローゼだ。疑心と不安も。あの侍女のように先走った誰かが襲いかかってこないとも限らないのだ。 「次は、誰かと一緒に仕事をしたほうがいいわ」 「小娘に悟されるとは、儂も歳か。……お前、さっきからなぜ顔を隠す」  しわくちゃの指が後頭部をぴんと撥ねた。結び目が現れ、後ろの護衛達も顔を見合わせている。 「会いたくない人がいるの」 「王城の知り合いに苛められてるのか?」 「それはないけど……」 「じゃあなんだ」 「リビングデッドに会いたくないの」  つ、と視線をそらせば、それでわかったのだろう。足下の小石を払いながらファルバは頷いた。 「アレの探し人はお前だったか……。名前は何だ」  訳知り顔の老人は無言を貫き通す少女のつむじを眺めた。木に登ったせいか、あちこち撥ねて葉っぱが乗っている。取ってやりながらもう一度言えば、観念したように答えが返ってきた。 「ハル」  再び見下ろされる。 「家名も言え」 「ないわ」  テールテールだ。  気分を害したように鼻を鳴らされても無いものは無い。 「カリオンの知り合いなの?」 「あれは村の出身だ、そう身構えんでも告げ口などせんよ。何年も前にふらっと出て行ってから一度も帰ってこない、親不孝の馬鹿息子だ。噂ばかりはよく聞くがの」  ゼーローゼが一番交流を重ねているのは庭師の者達だ。林と森の境目は曖昧で、その境目付近を手入れすればたまに出くわすし、村長のファルバは林もそうだが、王宮の庭の手入れにも顔を出している。村の交流の顔役であったし何人か人手が足りない時は村の人間を連れて手伝いにも行っている。  それは完全に森と外を切り離してしまうと情報が一切入らなくなるからだ。しかし、あまり交流を進め、王家の人間に何か言われてもかまわないため最小限に留めているが、カリオンの事はよく話題にあがった。ゼーローゼの者だったし、活躍はめざましかった。 「お前、元は旅人だったんじゃないか。そういうふうに聞いとった。それがなぜ神殿の使いっ走りなどしている」 「神殿を使いっ走りにしてるの。神木に会うためには相応の身分保障が必要だったから」 「合ってどうする」  ファルバは立ち止まり、その一歩先でハルは振り向く。 「話すのよ。モリトは歴史を、わたしはわたしがどう言う種なのか教えて貰うの」 「……お前が?」  まっすぐ伸びてくる手が面を押し上げてもハルは抵抗しなかった。肌の色を確かめ、目の色を観察し、側面にある耳の形と毛並みを確かめる。ファルバの手は汗ばみ、指先は冷たくなっていった。 「ねぇ、あなた達はわたしと同じ種なの?」 「知らん」  動揺した老人は話をそらし、早足で歩き出す。しかし小さな抵抗だ。  後ろの護衛に聞こえないよう、声を潜め足音を消しながら早口にまくし立てる。 「耳……ぎざぎざしてるけど、わたしのとそっくりよ。初めて見たとき、似てるなって思ったの!」 「狼族もそっくりだろうよ」 「それに、フロースって呼ばれてたって言ってたわ。ずっとずっと昔、パイロン王国ができる前、神木の根元に集まっていたあなた達をまとめて神木はそう呼んでいたんでしょう? だってフロースって"花のようにあなた達を大切に思ってる"って意味だから。わたしが住んでいた神木も、たまにそう言ってわたしを可愛がった」 「――この国から出ていけ」  ファルバは全てを払うように頭を振る。それは何かを恐れているようにも見えた。 「どうして? 同じだったら隠す必要ないじゃない」 「これ以上、神木に近づくな。お前達には、お前は会わせない、絶対に!!」 「どうして……」 「理由を知る必要はない、二度と来るな!」 「それは。……わ、わたしが獣らしくないからダメって事なの?」  立ち止まった先には森の境目がある。木は伸び上がり三つ叉に別れ、濃厚な土の香りが鼻腔をくすぐる。 「あなた達から見たら、やっぱりわたしはどこかおかしいの?」 「何を言っている」 「ねぇ、お願いだから教えて。神木と獣はどうやって生きてきたの、どう振る舞えばいいの」 「お前……」 「わからない、わからないのよ! 親が子に自然と教えることも何も知らないし、何を食べちゃいけないかも、目のことも使いすぎればどうなるかなんて最近まで知らなかった! でもそれじゃダメなのよ、ちゃんと獣にならないと、ずっと中途半端なまま何も決められないんだわ!」  行き先も未来も自分がどうあるべきかも。 「生まれるとき、こんなふうに悩むことになるなんて思ってなかった。いいえ、わかってたけど、見ないふりしたの。飛びついたのが悪かったの? でも、だって! だって生まれてすぐに死ぬなんて嫌だった!! 生きていたかったの! わたしは、わたしは、どうすれば良かったの……モリトはどうして違うって言うの。どうして、わたし達以外の共和が必要だって言うの!」  喉が痛み嗚咽が漏れた。目頭が引きつるように痛く涙が盛り上がる。頭も顔面もぐちゃぐちゃだ。  零れた涙を恥じるように乱暴に袖口でぬぐった。泣いたことなど今世では数えるほどしかなく、その経験も皆、苦いものだ。 「どうして誰も答えてくれないの」  振り切るようにハルは走った。立ちすくんでいた老人も、護衛達も一歩踏み出し止まる。少女の姿は既に消え、音さえ追うことは叶わなかったのだ。  隠れ込み、木の根元で膝を抱えた。膝頭に目元をすりつけながら自身を恥じる。が、醜態をさらしたことは無かったことにできない。 「帰ろう」  これ以上泣いたら目が腫れる。そうしたらモリトにごまかしが効かなくなるだろう。ああ見えて鋭い所があるから、なんでどうしたの攻撃が炸裂するだろう。間違いなく。  尻を叩いて立ち上がったハルは、ふと、足下の地面が盛り上がっていくのを見た。金具の音を立て、ゆっくりとスライドする土から後退し、中から漂ってくる臭気に見知った匂いをかぎつけ駆け出した。  素早く気配を消し、足音を殺し――泣きっ面に蜂、になる前に逃げ出せて良かった。