ます!

 決闘の話はあっという間に広がった。  多くの目が使者を見つけ、決闘用の用紙を持参していたことから明白だった。問題の相手も、最近話題に華を咲かせているディミュクル家が関わっているとなれば噂はタカよりも早いだろう。  一通の手紙がとある人物の元へ無事に届くよう見送ったハルの元に、血相をかいて飛んできたダルドは、長衣が汚れるのもかまわず膝を折った。 「何を考えているのです」 「敵の排除よ」  無機質なまでの声音に一瞬怯むもののダルドは視線を合わせたまま、続きを促した。 「……心配することはないわ。相手は皆殺すし、あなたにとっては邪魔者が消えて清々する。でしょう?」 「馬鹿な! 尊い御身にそのような事を願った覚えはありませぬ。今からでも間に合いましょう。すぐに裁判の手続きを」 「皆同じ事言うのね」  半眼になったハルは、嘆息した。 「相手はたったの五十人よ?」 「常人ならば逃げ出す人数ですぞ。最古の狩人と言えど、怪我を負わぬわけがない」  おや、と眉尻を上げ納得する。 「ダグラスは順調に神語の解析を進めてるのね。あと、ここで声を張りあげるのは得策ではないと思うけど? だって、鳥小屋よ? 誰かが手紙を出しに来るとも限らないじゃない」  実家から持ってきた鳥を置く場所だ。様々なやりとりが手紙で送られるので、頻繁に従者の出入りがある。先ほども一人、手紙を出して出て行ったところだ。  そもそも、教皇ともあろう者が、鳥の糞が飛び散る汚い下層に来ること自体がおかしい。側仕えもお付きの者もいない。  今気づいたが、服装が地味になっている。布も麻でできている事から、変装してやって来たのだろう。まったく甲斐甲斐しいことだ。 「冷やかさないでいただきたい! これは由々しき問題です。事が知られれば、あの方も心配されるでしょう」 「それこそ必要ない事よ。耳に入ったとしても、送り出されるだけだわ」 「なぜです」 「答えはあなたが言ったじゃない。わたしは獣。最古の狩人。この体は神が悪魔に対抗出来るように創りあげたものなのよ」 「だが、生身な事には変わりない」  強固に言い放ち、ダルドは立ち上がった。ハルの腕を握り、フードを目深に被ると歩き出す。 「どこへつれて行くの」 「匿うと言って貰いたい。御身はこれから神木の洞から出ないよう、お願い申し上げる」 「無理ね」  ハルは首を振った。 「決闘以外でも約束があるのよ」 「では、延期していただこう。なに、破るわけではないのだから、問題にならないはずだ」  ハルは絶句した。  確かに約束を破ることにはならない。浅知恵であるが神の規律をかいくぐる方法を簡単に見つけ出すなんて、と戦慄した。 「さ、最近モリトが小賢しい知恵をつけてると思ったら、あなたの教育の賜物なのね」 「言いがかりはやめていただきたい。巫は自ら考えて行動なさっている。巫は純粋なままであらせられる」  そうなのだろうか。  疑問符を浮かべていたハルはダルドの手を振り払った。 「とにかく大丈夫よ。あなた達が心配してるようにはならないわ。端から殺していけばいいの、簡単でしょう?」 「――あなたには、慈悲がないのか」  人気のない、林の中に入っていた。  頂上へ続く階段は遠く、川と木漏れ日の下で葉を伸ばす草木たちの香りしかしない。  慈悲、とハルは皮肉に口を歪めた。 「その慈悲とやらで自己満足が膨れても、腹の足しにはならないわ。殺しに来る相手に慈悲をかけるなんて、馬鹿のすることよ。命を取られてからじゃ、後悔する間もないわ――天界の人神、あなたに下界の汚れは過ぎるようね」 「言葉遊びで揶揄し、話をそらすのは止めていただけないか。言の通ずる相手ならば私の領分に他ならない。任せて眠り、心穏やかに日々を過ごされるのが一番いい」 「いやよ」 「なぜそうまで頑なになるのです。あなたの手にかかれば殺さず生かす道もあるだろうに」  頑な――だろうか。  いいや、そんな事はない。なぜならこれは、経験に基づいた答えなのだから。 「そうして報復されるのを待つの? それこそ馬鹿のすることよ。相手は十分な時間と数をそろえてやってくるわ。何度でも、何度でも! それに、どうしてわたしばかりが慈悲を相手にかけなければならないの。短命種おまえたちだってわたしと同じじゃない。自分達が不利になるときばかり声高に叫ぶ事こそ止めてほしいわ」  ダルドは思った。  これは子供だ。悪知恵が働き、大人を閉口させる悪童だ。そしてこの悪童は何も信じていない。神も奇跡も他者から与えられる暖かい手の平も。 「人心が無い、鬼だ、悪魔だ。さんざんに言われてきたわ。助けても、助けなくてもそれは同じだったのよ。お前達の常識を、規律を、気持ちばかり押しつけて、わたしに身を削ることばかり求めてくる」  それはいつの話だろうか。少なくとも巫と呼ぶようになった少年がいなかった頃の話だろう。  怒りに発光する瞳を見ながら、初めて怯えなかった自分を、ダルドは不思議に思いながら両手を伸ばした。  悪童はまだ何かわめいていたが、ダルドが頬をなでるとぴたりと口を閉じた。もちあげれば驚くほど軽く、腕に乗せるように抱き上げれば、自然と手が首に回った。 「……あなた達だって慈悲はないじゃない」  責めるような口調は最もだった。 「悪かった。あなたの気持ちも測らず、勝手な物言いだった。ハル殿の言ったとおり、我々にも慈悲は無く都合の良いときだけ求めている。慈悲の心があれば、あなたは一人きりにならなかったでしょう」 「……………」 「これ以上何もいいませぬ。決闘のことも、受けると決めたならば静観しましょう。しかし、何かあったときには頼っていただきたい」 「打算や贖罪の気持ちならけっこうよ」 「それもありますが、あなたはお小さくていらっしゃる」  それが何だというのだろうか、と首を上げたハルを押しとどめるように、ダルドは後頭部を優しく押さえた。指先に当たる側頭部の耳はふかふかとして、初めて少女が亜人に近いのだと知った。 「子供は何も考えずに笑っているのが一番いい」  独り言に半眼になったハルは呟く。 「それ、最近も聞いたけど、流行なの?」  ファズと会えなくて半泣きになっていた教皇をねめ付けても、返事は帰ってこなかった。  十日後の正午。  指定された場所でタイラード・ディミュクルの代理人を待っていたハルは眼前で土下座する男を前に体育座りをしていた。表情はこれ以上ないと言うほどの無表情。  男はハズメンド兄弟の兄の方で、勝手にディミュクル家の親戚の子供が本家の威を借りて決闘を申し込んだ。本家の方ではこれを認めていない。また、自分も寝耳に水で正式に決闘が受理された後にかりだされた云々――つまり、タイラードの独り相撲だったのでこの決闘を取り消してください、お願いしますと言う話だ。  釈然としない。  同じように考えているのは、噂を聞きつけてやって来た野次馬、審判含め全員だろう。タイラードは意気揚々と、それこそ竜の首を取ったかのように現れたのだがハズメンド兄弟の弟の方に連行されていった。  聞くところによると、既に叔父のディミロの行動も知られ当家の敷居をまたぐことを禁じられ、地方の協会に左遷されていったらしい。そもそも協会に入ること自体、反対を振り切って出て行ったという過去を持つので、当家は知らぬ存ぜぬ、だそうだ。  タイラードについてはこれから分家と本家とのお話し合いの末、処遇が決定するが勘当される方向で話を持っていくらしい。  釈然としない。 「わたし、今日のために昨日は早く寝たの」  膝を抱えたハルは吐き捨てた。  ハズメント兄は伏せた顔を青くさせ脂汗を滲ませた。 「決闘で全員殺して、ディミュクル家の者を根絶やしにして、ディミロも殺せば黒幕も暗躍する者も全部いなくなって、快適に過ごせると思っていたの」 「も、申し訳ありません、申し訳ありませんっ! それだけはご勘弁を!!」  そもそも、これほどまでハズメント兄弟がハルを恐れているのは、教皇から私的な文書を送られ、ディラー含む神官達が密かに各方面へ情報を流し、どんな相手に誰がどうやって喧嘩を売ったか知らせたからだ。  すぐさまオンドロード領の領主に英雄の特徴を尋ね裏取りをした本家に、とどめとばかりに「決闘が終わった三日後に教団へ来てください。決闘の報酬を貰います。逃げても必ず見つけて殺すので、面倒をかけないでください」としたためた手紙が届いたのだ。無論、ハルが出した手紙である。  貴族でも国民でもないがヘリガバーム教団の教皇に身分を保障され、オンドロード領の悪魔を二夜で追い払った実力を持つ恐ろしい子供にただの貴族が武力でも身分でも逆らえるわけがない。  当家の領主は知らせを受けて失神し、奥方は悪夢にうなされ毎日教会に祈りに行っているらしい。  どうして余計な事を、とハルは思うが、ダルドが聞いたら「悪童に言って聞かせるより早い」と言うだろう。静観すると言った舌の根も乾かぬうちに手を回す。大人は皆汚い嘘つきだ。ハルは認識を改めた。  大量殺人を嬉嬉とやりたがったわけではないが、知らない間に手を回されていた不快感に頬が痙攣する。 「最近こんな事ばっかり。モリトの我が儘も前は「お餅食べたい」とかだったのに、最近はエスカレートしてるし、ファズは……なんか、すっごく恥ずかしいし、立てた計画は全然思い道理に行かないわ」  だが、こうなってしまった以上、ぐずってもどうにもならないだろう。  決闘当日に土下座して許しを請うという前代未聞の珍事を終着させるべく、今後、二人を近づけないことと、妨害工作などをしないこと。また、アーレイ、リンガル両名に対する嫌がらせや、それに付随する様々な行為の禁止を求めた。  イエスマンに転職したハズメンド兄は土下座体制のまま粛々と要望を受け取った。 「僕達の事まで盛り込んで……よかったんですか?」 「相手は逆恨み野郎だから、これでもぬるいくらいよ」  本当なら殺してしまうのが一番いい。  言外に言ったのがわかったのか、リンガルは青ざめながら小刻みに頷いた。  もしかしたら、それはただ震えていたのかもしれない。本人にも分からなかった。 「それに、発端はそこだったんだから。……これで、わたしがした事はチャラよ。あなたもいきなり決闘とか、そう言うの無しね?」 「……わかりました」  若気の至りを恥ずかしく思ったのか、リンガルは苦笑し、右手を差し出した。 「おんぶに抱っこみたいになったままなのは恥ずかしいので、いつかこの借りは返させて貰います。もちろんアーレイとセットで」 「俺か? まぁ、そうだよな」  うん、と頷いたアーレイは左手を差し出した。  両手で握手したハルは一つ頷いて半眼になっているディラーを見上げた。 「あまり無理な事を、この子達に頼まないでいただきたいのですが」 「まだ何も言ってないわ」  決めてもいない。  そう言えば、とハルは思い出した。 「オンドロード領にソルートって言うエクソシストがいるわ。五年の巡礼に出るなら、まず彼を訪ねればいいと思う」 「ほう」 「だから、約束はここまでで良いかしら?」  戦闘訓練も、殺気をあびて毎日叩きのめされたディラーはほどほどの戦士になってった。本当の戦闘になったとき、一番大切なのは体が固まらない事だ。殺気に怯まない事が一番いいが、怯んだら逃げだせるように体が動く事。生き残るためには、いかに逃げるのが上手になるかが重要だとハルは考える。  ディラーが頷いたのを見てハルは抜きっぱなしの鉄剣をしまった。  すでにハズメント兄は土下座体制をやめ、帰り支度をしている。野次馬も拍子抜けしたように散っている。 「なんだか、釈然としないわ」  振り返って呟いたハルも、神木の洞へ帰っていった。 ★★★  骨組みとなる概要がファズの及第点を得る頃には、一月が経っていた。  その間、訝しむハルを二人は巧みに誤魔化した。  新たな契約となるものは全て神語で書かれることとなり、曲解、拡大解釈、そもそもの意味をはき違え実行した場合は死をもたらすものとなった。  神語は神木の主要言語であり、最も古い言葉であり、当たり前だが神の作ったものだ。約束に神力を注ぎ、正式に完成させたあかつきには強力な制裁を伴う不文律となるだろう。  魔術文字に似た効果はしかし、それ以上に強力だ。ではなぜ短命種が使わないかというと、使えないからだ。彼らは神力を持っていない。  そして短命種達が契約を破ったとき、すぐに神木に知らせが来るようになっている。その瞬間、全ての神木は枯れるだろう。 「……なんだろうな。これを見ると自分が神様のように上から世界を見つめているような気になる」  それは偉ぶった短命種みたいに思える、と言う意味だろう。神木は本来、権力や上下関係は無い。誰が誰の子供で、と言って可愛がるくらいはあるだろうが。 「気に入らない?」  いいや、とファズは首を振った。そして不安そうな顔で二人を抱きしめる。  洞の中には三人しかいない。 「まさか、私の要求を全部飲むなんて思ってもみなかった。それだけ必死なのだね。……ここに根を張って気の遠くなるような時間が流れたが、もしかしたら短命種は変わったのかもしれない」 「ダルドの前に顔を出すの?」 「いいや」  落ち込むだろうか、と見たが意外にもモリトは落ち着いていた。「そう」と短い返答をして、荷物に本を詰め込んだ。  それは、神木と短命種が交わす契約の原本だ。これから別の神木を訪ね回り、要望を増やし、詰め込む。何十年もかかる気長な作業になるだろう。  しかし、モリトは神木の子だ。これから世界が終わるまで生き続けられるし、ハルの寿命も長い。数十年など瞬く間の出来事だろう。  その頃には、ハルは持ちかけた契約の本当の中身を知るだろう。どうなるかはわからないが、モリトがうまくやるのを祈るしかない。  頃合いをみて、ファズは枝を削って作った箱を差し出した。中には花粉が入っている。錠剤のように角は丸く削られ、蓋がかみ合わせタイプなのを確認したモリトはしっかり握る。  二人は洞の外で荷物の最終チェックをしていたハルに視線をやった。その手にはフリュイが握られている。 「内緒話は終わり?」 「ああ。これを」  モリトが差し出した二センチほどしかない箱をつまみ、おもむろに飲み込んだ。腹をさすると喉を通り過ぎて腹の脇に収まる。 「もうちょっと大きくても入るわ」  ハルには喉が三つある。呼吸する場所と胃に通じる物と、何も無い空洞へ繋がる喉だ。花粉を運ぶために出来た気管かと思っていたがファズの反応を見ると違うようだ。  喉が三つある獣も今までいなかったようで、神がいじって創ったのではないかとファズは言う。 「ハル、お願いするよ」 「わかった。じゃあ行くけど、モリトはいいの? フリュイとはまたしばらく会えなくなるわ」 「大丈夫だよ! ボク、またここに来て二人と遊ぶんだ」  へにゃりとだらしない顔をしたファズにぎゅっと抱きしめられたモリトは笑う。  差し出されたフリュイを持ち、ファズはその表面を撫でた。 「ファズ、呼んでくれてありがとう」  モリトが思った通り、呼ばれた先には素晴らしいものが待っていた。旅の道順が決まり、心の赴くまま歩くことはなくなったが、やるべき事を定めた今のほうがいい、と思う。  ファズは寂しそうに笑った。 「やっぱり私も行きたいなぁ」 「ここから動けないのに?」 「そうよ、待ってて」 「……。出発は明日にしよう。それがいい!」 「昨日も同じ事言ったでしょ? ボク達もう行くね」 「ああっ! ヤダヤダヤダヤダヤダー!!」  だめな大人を交わしたハルは、ふと体が軽くなってることに気づいた。 「やっぱりわたし、疲れてたんだ……」 「ボクもつやつやになったよ」  「じゃあね、フリュイ」とファズの手にある果実を撫で、ふてくされた神木の幹に抱きつき、二人はその場を後にした。 「素晴らしい光景ですね」  庭を出てすぐに、人影が二つある。  待っていたダグラスは物欲しそうに見上げている。洞の中はさんざん見たのにまだ足りないらしい。苦笑を隠せず、ダルドはその背中を押した。 「巫様方を責任を持ってお送りするように」 「かならずや。では、参りましょう」 「わたしは会いたくない人がいるから、王城では何も話さないわ」  ハルは持っていた狐の面をつけ、フードを被る。 「まだ許してあげないの?」 「それは禁句なの。……でも、ルフュラにはきちんと話す」 「本当に、合っているかどうかはわかりませんが……」  ダグラスは自信なさそうに苦笑した。 「でも、話を聞いたら納得できたわ。パイロン王国が建国された当時の王は三つの言語を習得していた。その中でルフュラとは紫色をさす。紫は王が臣下に与える第二位の貴色。現在それを持っているのは宰相オリンガル・ハウル」  遅くなったが遺言を伝え、彼女との約束を終わりにしよう。  教皇は見送りに、下まで顔を隠して共に行くという。  それでも目立つだろうな、と思いながら四人は歩き出した。 ★★★  何度も振り返る二人に手を振る。  姿が見えなくなるまで見送ったファズは寂しそうにしたが、手元のフリュイが慰めるように日の光を反射した。 「ずっと一人だったけど、しばらくは君がいるね」  いつ芽を出すかはフリュイが決める。自我が芽生えるときは明日かもしれないし、十年後、千年後かもしれない。  返事は無いが、果実は暖かい。ファズは微笑みながら、自分の洞にフリュイをそっといれ、落ち葉を優しくかけた。  芯から光を返すように淡く輝きながら、神木の葉が太陽の光を柔らかく吸収している。  庭一面に花が落ち始めた。しかし幹がしぼむように枯れる事はなく、葉は青々としている。  風が暖かい。  季節はいつの間にか、夏へ移り変わっていた。 -------- 二章(完)