何も変わらないから

「では、……では我々はどうやって生まれたというのですか!」 「……まずは神木も獣も、水を飲んで生きていた所から順番に行こうか」  ダルドは顔を歪めたが大人しく寝転がった。 「世界が生まれた当初、穏やかだった。私達は毎日歌って過ごし、水を飲んで生きていた。獣もね。そのうち悪魔がやって来て、大地をよこせと言ってきた。彼らは本当に乱暴者で、地面を掘り返したり勝手に住み着いては辺りを荒らし回った。神木に被害が出て、怒った獣達が戦い始めた。私達はどうにか戦わないですむよう頭をひねったよ。その後すぐに神が獣を創り直した」 「神は地上にある物を創り変えられるのですか?」 「できるさ。神は獣に<神眼>を授け、殺すばかりじゃいけないと言って、肉を食べるように獣を変えた。獣達は皆、悪魔が美味しいから狩るようになった。だが、数が多い。徒党を組まれれば、獣達は命を落とす」 「……。神はなぜ、悪魔を排除されなかったのでしょう」  すっと伸びた指先が天上の一角を指さした。下界を覗く目が半分閉じている絵がある。それは安寧と退屈を現すのだとファズは言った。 「神は世界に変革を求めていた。神木と獣が仲良く暮らすのも、和かでいいって思ってたが、刺激がない」  身勝手で酷い話だが、それが神なのだろう。 「だから、悪魔が進入してきたときも小さな余興程度にしか思ってなかった。獣達を作り変えたのもそうさ。……悪魔が進入して百年くらいかな、ディラーラと言う神木が今の結界を思いついた。彼は獣の子やフリュイが大好きで、獣の子が悪魔に殺されてしまったのを酷く悲しみ遠ざけたがった。悪魔はそれは多く、世界が乗っ取られてもおかしくなかったしね。悪魔達は世界からはじき出されて、完全にいなくなったんだ。だが悪魔は力を合わせ、結界に穴を開けることにした」  指が滑る。  角の生えた悪魔がが爪を立てて神木の上に張ってある蜘蛛の巣のような網に穴を開けている。 「結界は網のような物で、力を込めれば薄い部分は剥がれてしまう。そうやって悪魔と神木が争う間に、いつの間にか短命種が誕生していた」  ここで初めて出てきた短命種という言葉。  経典の中身が改竄されたのか、ダルドは考える。 「お前達のような神の規律に無い、別の規律にいる生き物――人間、亜人、獣人。私達は全てをまとめて短命種と呼んでいる。動物もそれに入る。――話を続けよう。短命種は最初、小さな泡だったと言われている」 「ボク知ってるよ! その後、凄い勢いで形を変えて増えたんだ」 「そして私達を切り倒し始めた」  冷ややかな声音に、ハルはファズを上目遣いに見た。彼の視線はただ一点に注がれている。短命種達の群れと、獣の背後にかくまわれた実。 「神木も獣も強かったが、奴らは数が多いから徒党を組み人質をとる。森を焼く。神木は短命種が産みだした火に弱かった。どんな強い神木も燃えてしまえばどうにも出来ない。……子を人質に取られ、切り倒され燃やされた仲間の、何と多かったことか。子を助けるために命を落とす親の、憎悪の末路が忘れられない」 「あなた様は我々を怨んでいらっしゃるのですね」  ファズは冷めた表情で端を指さした。燃えさかる炎に飲まれる何本もの神木が描かれている。 「子を殺された親が怒るのは当然だ」  手が腹を撫でるのを見ながらふと、ハルはその指先を舐めた。ハルは元々人間の記憶があったために滅多にそういったことをしないが、他に慰め方を知らなかった。  舌にはほんのりと樹液の甘い味がした。他の生き物のように塩気はない。 「短命種を追い出そうと言う動きもあった。けれど神の規律が邪魔をする。この世界で生まれた命は悪魔のように結界で排除できなかった。理由は、お前達がこの世界で誕生したからだ。悪魔のように異界の異物を遮断する方法じゃ、ダメだったのさ」  辛辣に言葉は続けられる。 「そのうちお前達のことはどうでも良くなった。私達は数えるほどに数を減らし、自らの意志で仲間達は朽ちていった」 「ファズは、どうして枯れなかったの?」 「それはな、モリト。私は獣の姿をもうずっと見ていなかったのに、いつかまたやってくるのではと思っていた。奇跡とも呼べる願望が、私をこの時まで生きながらえさせた。――神木は獣と共に暮らす。獣達は旅をしながら神木を行き交い、私達の子供の「元」となるものを運ぶ。これは短命種には絶対にできない。神の定めた規律に無いからだ」 「では、神木が芽を出さなかったのは……」 「お前達が「元」に触れればたちまちそれは腐るだろう。できるのは獣のみ。私達は近いうちに滅びるだろう」 「なぜです、ここに獣はいるではありませぬか!」 「この子は最後の一匹だ」  しばし絶句したダルドは、 「では、では世界は……」 「私達神木や短命種が滅んでも世界は滅びない。住人が悪魔に変わるだけだ。世界をかき回しても、神は手を出し救済をすることは無いだろう」  退屈を紛らわすために世界を創ったならば、元々いた住人が変わろうと神は気にしないだろう。それは酷く残酷な響きを以て胸に突き刺さる。 「お前達は神を奇跡をもたらす全能な何かだと思っているだろう? だが違う。神は遊戯をしている。この盤上がどう動くか気長に見つめるだけさ」 「ではっ! ……では、この子が生きているうちに神木を巡り、新たな芽をっ」 「もしお前がこの子に強要するなら、私は芽を産むことは無いだろう。そしてそれは、地上に残る神木達も同じだ。枯れる木も出るだろう。――ダルド、獣達は私達を守ろうと戦って死んでいった。これ以上お前達を嫌いにさせないでくれ」  ハルを脇にどけてファズは愕然とするダルドを洞から追い出した。 「さぁ、約束に対する報いは払った。私はこの子達が次の神木へ行くまで、いない親の代わりに守ってやるんだ。私は獣の住処なのだから。……くれぐれも変な気は起こすなよ」  去って行く教皇を見送ったあと、ハルはファズを見上げた。 「あんな風に言って、よかったの?」 「ああ。短命種と神木は近づきすぎてはいけないんだ」 「ダルド坊やと呼んでたわ。親しく思っていたんでしょう?」 「……子供の頃のあの子は、ずいぶんと深い緑の目をしていた」 「ボクみたいに?」  モリトは首をかしげて聞いた。ファズは苦笑して座り込んだ。その膝に二人を抱き寄せ、話し始める。 「その通りだ。あの子が暗殺者に追われて逃げてきたとき、モリトが来たのかと思った。だから枝を落として助けてやったんだが、すぐに違うとわかった……。私はね、やはり寂しかったんだろう」  切なそうに嘆息し、切り替えるようにファズは声を出す。 「モリト、ハル。二人の話をあいつから聞いたときは嬉しかったが、何て危険なことをしてるんだろうと肝が冷えた」 「内臓があるの?」 「比喩表現さ! それで、危険だと思ったからモリトに声をかけた。短命種のできない事をすると、とても目立つ。わかるかい?」 「わかるわ。わたし達はかなり目立った。ここへ来る途中でも知らない短命種がわたしと関わろうとしてきた」 「なぜ避けようとしなかった?」 「……。ボクは短命種の中から絆を結べる物を探さなきゃいけないって思ったんだ」  ファズは困惑した表情でモリトを見つめた。 「どう言う事だ? 私達は大地があれば、短命種がいなくたって生きていける」 「ファズもハルと同じ事を言うの? でも、そうしたって何も変わらない」 「それでオンドロード領の悪魔を追い払ったのか! 何て危険なことを!!」 「悪い事だなんて、ボクは思わない!」 「モリト!!」  怒声は空気を振るわせた。木、全体が葉を揺らし不穏な空気をまき散らす。 「それでもボクは止めない。手を取り合わなくちゃ、いつまでも芽を伸ばせない」  頑なな心を見てファズは怒りを重ねることを止めた。 「……。――かつて私も、言葉を尽くせばわかり合えると思っていた。他の神木もさ。短命種も言葉を解す。ならば両者の納得いく契約をすればいいのではないかと。でもダメだった……短命種は代を重ねるごとに昔あったことを正しく伝えられなくなる」 「何を約束したの?」  興味を引かれたモリトは続きを促した。気乗りしない風にファズは答える。 「共存だ。私達の営みを伝え、獣と私達、お前達とを棲み分けしよう。私達を切り倒すな。そのかわり森を切り開き住処を造るがいい。それならばお前達を追い出しはしない、と。契約はたった三代で破られた」  近くまで住居を造っていた彼らは物資を集め、兵を集い、一夜で神木も獣も焼き払った。洞で眠っていた子供達は炎にまかれ、親達は助けようと奮闘し、煙を吸い込んで死んでいった。 「なら、今度は文字を使おう! 忘れても読み返せるように! ねぇ、本当にだめなの? 絆を結ぶに足る人はいるんだよ、なのに諦めるなんてできない!」 「短命種全体が従わなければ約束は無効にされる。短命種の一番偉い者が絆を結ぶに足る者かわからないぞ。どれくらい続くのかも」 「報復はしたの?」 「ハル?」  仄暗い深い沼から這い出る化け物のように、ハルはうっそり呟いた。 「約束を破られたのは、怖くなかったからよ。神木を切り倒しても、獣を殺しても、それに足るメリットの方が大きいって相手は分かっていたのよ。破ったときに与えられる痛みこそ短命種は重要視するの。約束を頑ななまでに厳守するわたし達とはまるで違うの」 「……確かに、何も無かった。私達と短命種は始めからわかり合えない」 「――罰を与えればいい」  骨を引き寄せ囓り出したハルはファズを見上げる。 「どんな短命種も絶対に従えさせるには、約束を破れば二度とチャンスは無いって思わせればいい」 「ハル? 何を言ってるんだ」 「短命種は痛みに弱い。恐怖に弱い。特に死の恐怖には絶対逆らえない者が多い。試しに結界を解いてみればいいわ。楽しいくらい慌て出すから」  皮肉につった頬をモリトは摘まんで伸ばした。 「そんなのダメだよ!」 「どうして? 神の規律に反するの? そんな規律は無いでしょう! 短命種を守らなきゃいけないなんて規律は無いの! 報復をしてはいけないと、定められてなんかいない!」  今から吐くのは外道の言葉だ。それをわかっていながら、ハルは止めない。 「わたしはモリトより短命種のことがわかるよ。そう、わかるのよ! だからこそ、そう言う手しか効果が無い。だって平和になったら神木のありがたみを忘れて切り倒そうとするかもしれない。十年、二十年はよくても千年経ったら、誰も今のことは覚えてないわ」  それに、と続ける。 「わたしが神木だったら絶対にそうする。だって酷いじゃない! 結界を張って一番恩恵を受けるのが短命種で、わたし達は貧乏くじばかり。あいつらのためになる事なんて、何一つしたくない! どうせ枯れるなら報復して死ぬの」  吠えるように顔を突き上げ叫ぶ姿に、二人は目を丸くした。 「優しいだけじゃ相手をつけあがらせるだけ! 本当はやつらが跪いて懇願して下げた頭を踏みつけて、蹴って吊してから考えたって遅くないのよ!! どうしてわたし達から歩み寄らなきゃならないの! あいつらは敵なのよ!」  でなければ死んでいった者達がかわいそうだ。 「それに、しくじったら今度はモリトだけじゃない、フリュイも巻き込まれる。モリトは生まれてくるフリュイ達にもそんな思いをさせるの。わたしはそんな事するくらいなら、死ぬ方がいい」 「でも、短命種の中には約束を結ぶにたる命もいるよ。そう言う――」 「綺麗な者だって、殺される。何度も言ったはずよ、モリトが思ってるほど簡単な世界じゃないの」  苛烈な言葉に、モリトは顔をくしゃくしゃにして泣くのを堪えた。 「……懐かしいなぁ」  仕方ないな、と言う顔をしたファズは、かつてモリトと獣の子が口喧嘩していた光景を思い出した。モリトは大抵、獣に口喧嘩をしても勝てずに泣かされた。 「モリト、ハルの言う通りだ。私達も今までそうやって失敗を重ねてきた。モリトの考えはわかるが、あいつらのために何一つしたくないとすら考えている。他の神木にも同じ事を聞きなさい。それでもモリトがやりたいと言うなら、手を貸そう」 「甘やかさないで。とても危険な事よ。わたし達の事が広く知られたら……短命種はきっとわたしを「保護する」とか言って家畜みたいに扱いたがるだろうし、モリトは政治に巻き込まれるかもしれない。根を下ろす所だって、あいつらが口を出してくるに決まってる」 「まいった、まいった! ハルは頭のいい女の子だ。……さぁ、この話はここまでにしよう。二人はお勉強の時間だ。終わったら水を吸い上げてあげよう。神木の実フリュイと一緒に入っておいで。……おや、女の子と一緒だと恥ずかしいのか?」  モリトは泣いただけでは無い頬の赤みを押さえ、ファズも気持ちはわかる、と破顔した。