わからなくて

 ハルは、体の中の力が抜けるのを感じながら歩いていた。モリトが心配そうに何度も足下とハルを見上げそわそわしている。 「モリト、大きいね……」  長い階段を下がり迷路のような道を抜ける中でも、神木の姿は圧巻だった。天井が見えないほど高く伸び上がった木が白い花を散らしている。辺り一帯が花の香りで包まれ、ハルとモリトはレイディミラーの事を思い出した。  ゆっくりと箒を使いながら砂を落としていると、下から昇ってきた男性達が近づいてくる。神官達だ。 「もう下は終わったから、ここで砂をまとめて休憩にしましょう。ヘイシス様がお呼びでしたよ」 「ありがとうございます」  二人が今いるのは総本山でも裾の部分だ。少し降れば協会関係者が暮らす住居区があり、店や商店もそろっている。  持っていた木箱を階段に立てかけ、中に砂を入れると指定の場所に捨てた。  途中、気のいい庭師とすれ違い、もらった木の実をもって救護室へ行くと杯をすすっていたヘイシスが顔を上げた。 「奉仕活動もいいが、もっとゆっくりしなさい」  救護室は白い壁紙で統一された清潔感あるもので、布の仕切りの向こうには寝台がいくつか置かれていた。常備薬も森に囲まれているためか整っており、小さなクリニックのようだ。  診察用の椅子に座ると脈を測られ、日常の様子を聞かれる。最初はもっと沢山調べられていたのだが、立ち上がって歩けるまでになると少しずつ減った。 「ふむ、だいぶ良くなったようだ。しかし無理をしてはいけないぞ? 階段の掃除は今日はもう止めて、そこらを散歩してなさい」 「わかりました。……これはもらい物のお裾分けです」 「その年で賄賂を覚えるとは、将来がたのしみだ」  ヘイシスは嘯きながら、二人の頭をがしがし撫でて救護室を追い出した。  散歩も掃除も似たような物だが、ここでは掃除は修行の一つとされている。ヘリガバーム総本山は山脈を切り開いたため、階段は急で転落死する者も年に何人かでるらしい。そして、ものすごく距離がある階段掃除は大変な重労働だ。  それに比べたら散歩など、その辺でごろごろしているようなものだろう。  半眼になりながら手を繋いで歩いていると、庭からうめき声のような音が聞こえてきた。暇をもてあました二人はふらりと導かれ、開けた場所を見つける。 「試合?」  そう思ったのはモリトだけだろう。社会を見回って来たが、モリトは始めて見るパターンだ。  一人を三人がかりでリンチしている。持っているのは木刀だが、リンチされている少年は何も持っていない。これがロンドネルの裏道なら、既に死んでいただろう。 「何してるのかな?」  転がっている一人を指さしながら「ねぇねぇ」と聞いてくるモリトにハルは正直に答えるしかなかった。 「あれは試合じゃなくて、イジメっていうのをしてるんだよ」 「いじめ?」 「イジメって言うのは暴行や泥棒、器物破損、社会性を欠いた行動を優しくまとめた言葉で、悪い事なのよ」 「どっちが悪い奴なの?」 「大抵は多い方だよ。ほら「平民神官のくせに!」とか言ってるから、一人の方は妬まれてる。きっと「ボクちんより身分が下のくせに秀でてるなんておかしいゾ! 認められないから殴っちゃうもん! 怖いから手下をつれて三人で攻撃するもん!」ってやってるんだわ」 「もん……」 「そこの餓鬼共、何か言ったか!?」 「もん!」  違う! とお坊ちゃま風の男の子がモリトを指さし恫喝する。ぜんぜん怖くない。  転がっていた少年は腰をさすりながら立ち上がり、痛そうに首を撫でた。  近づいてくるお坊ちゃまとその取り巻きは十六歳くらいだろうか。この世界の成人は男女共に十四歳なので、もう立派な大人と言えるが言動が幼いように感じる。 「なにか用ですか」 「お前達、僕が誰か知って、そのような口を叩いてるのか!」  知らないよ、と二人で首を振れば、お坊ちゃまは米神を引きつらせた。 「僕の名前はタイラード・ディミュクルだ! エクソシスト見習いで、高位神官のエクソシストであるディミロ・ディミュクルが叔父にあたる!」  ふんぞり返る坊ちゃんに戸惑ったモリトはもう一度「知らない」と告げた。お坊ちゃまの米神に青筋が浮かぶ。目尻が痙攣した。 「ふ、ふん! 叔父の名もわからぬ貧民がなぜここにいる! 即刻立ち去れ!」 「ボク達はヘイシスおじさんに、散歩しておいでって言われたから歩いてるんだよ」 「ヘイシス……知らない奴だ。どうせ平民出の神官だろうが、僕の方が偉いんだ。わかったなら言う事を聞いて立ち去れ!」  木刀の先がハルの頬を突いた。うざったそうに腰に差した鉄剣で切り落とせば、あんぐりと口を開けるお坊ちゃまに切っ先を突きつけた。それだけで青ざめたお坊ちゃまに、おつきの二人は顔を見合わせる。どうしようか相談しだし、悠長な言動に辟易したくなる。 「貴族なのはわかったけど、わたしには関係無いの」 「この方に逆らったらどうなるかわかってるのか!」 「知らぬとは言え、首が飛ぶことになるぞ!」  手下二人がわめくが、ハルの眼光を見て引きつる。縦に割れ虹色に輝く虹彩が、生き物の本能を威圧する。  威嚇の眼は十分聞いているようだが、 「わたし達は休みに来たの。これ以上騒ぐなら二つに裂く」  裂くのは首と胴だろうか、それとも縦に二つだろうか。両方ととらえたのだろう。捨て台詞を吐いて尻餅をついたお坊ちゃまを引きずるように、彼らは逃げていった。 「あの、ありがとうございました!」 「いえ。――失礼」  言葉少なに言ったハルを呼び止めるように少年は追いすがった。 「待ってください、今のはどういった術でしょうか。不勉強で申し訳ないのですが、是非ご教授を願いたく」 「あなた変な人だ」  ハルは振り返って、膝をついた少年を見上げた。頭の上に狐の耳を生やした亜人。お坊ちゃま達とそう変わらない年齢だが、知的な雰囲気がある。 「あっ失礼を。僕はリンガルと言います。二人のお名前は?」 「モリトです!」 「……ハル」 「元気がよくていいですね。あちらで話ませんか?」  体に付いた土汚れを叩いて落とした彼は、二人を林の奥へ誘った。  林の中心に立てられた休憩所は、木で出来た丸太のような椅子とテーブルがあった。こまめに掃除をされ、落ち葉は綺麗に掃き清められている。  懐からメモ用の黒板を出したリンガルはマイペースに「それで?」聞く。 「ただの殺気です」 「殺気! あれがそうなんですか。ここには正規のエクソシストがいるんですが、あまり戦闘をしないので、そう言った技を持つ方はめずらしいんです。もう一度見せて貰っても?」 「いやよ」  ははは、とリンガルは残念そうに頭を掻き、気を取り直したように周囲を見回した。 「それじゃ、普通のお話をしましょう。ここへはどうして? 僕はエクソシストになるために村を出て入団しました。もうすぐ五年の修行が始まるんです」  ニコニコと微笑んだリンガルはうっすら頬を染めた。夢と希望に満ちあふれた顔だ。 「あなたすぐ騙されて、奴隷にされそう」  無感動に見つめながら、その夢に水を差す。案の定、リンガルの表情は曇った。 「奴隷、ですか? 面白いな、冗談ですか? 教会のエクソシストを奴隷にする者がいるわけないですよ」 「服を剥げば身分なんて証明できない。巡礼の旅は危険で、誰かとチームを組んでも全滅する事もある。わたしと話なんてないで一緒に旅立ってくれる友を探した方がいいわよ。背中を刺さない、背中を託せる信頼出来る友達をね」  それとも知らないのだろうか。巡礼の五年を終わらせ、帰ってくる者の少なさに。 「それは、途中脱落してしまうからでは? そのように聞きましたが……」 「本当にそう思ってるの? そもそも、人の言った言葉を鵜呑みにしてたらやっていけないわ。自分で調べたのかしら」 「……それは、していませんが先生方が僕に嘘をつくわけありません!」  相手が教師ならば、多少信頼出来るだろう。しかし、相手が嘘を言ったつもりじゃなかったのならば致命的だろう。教会にとっても、少年にとっても。  五年の巡礼。  最近聞いた言葉だが、教団関係者ではないハルの方がよく知っているようだ。 「あなた、死ぬわ」  そして不思議に思った。この少年は、五年の巡礼を旅行にでも行くかのように思っていることに。 「辻馬車に修行を終えて帰るエクソシストと同乗したことがある。何人も仲間がいたみたいだけど、最後は彼女は一人だった。皆、死んだのよ。その人も馬車が悪魔に襲われたときに死んだ。外はそういう所で、少しも心を休められない。それなのに仲間一人いないなんて……あなたは悪魔を一人で倒せるの?」  リンガルは言葉に詰まったように、口ごもった。 「タイラード・ディミュクルっていう馬鹿なお坊ちゃま一人倒せないのに、悪魔が倒せるわけないわ」 「でも、彼は貴族で、位が高くて……僕がタイラード・ディミュクルに目をつけられてから誰も話をしてくれない」 「自分は違うからって黙ってたら、死ぬしかないわ。友達のことは……でも、そうね。それくらいで離れてく仲間なら、最初からいない方がいいわね」 「っ……じゃあ僕にどうしろって言うんです!」 「どうもしないわ」  彼は信じられないというような表情で、ハルを見下ろした。その視線に対する答えは冷徹だ。 「勘違いしないで。あなたが勝手に話しかけてきて、勝手にふってきた会話に返答した。それだけの話よ。あなたがどう思うと、どうしようと勝手にすればいいわ。世界中の者達があなたのために頭を悩ませてくれるとは思わない事ね」  リンガルは悔しそうに唇を噛むと、飛び出すように走って行った。その背中を見つめながら、ハルは嘆息した。 「わたし、いつからこんなに口が悪くて意地悪になったのかしら」 「ハルは変わってないよ。優しいまま」  座り直したその背をモリトは優しくなでたが、首を振る。  リンガルの話しを聞いたとき、なんて脳天気なんだろうと苛立った。まるで過去の、短命種に勝手な希望を抱いていた自分と同じくらいのお花畑。  力なき者は賢く用心深くいなければ生き残れないし、強い者は力にあぐらを掻けば足下をすくわれる。他者に対しては常に警戒心を持たなければならないし、リンガルが今のままではすぐに売られるか、野垂れ死ぬかの二択だ。  飲みきれない何かが喉につかえているように気持ちが悪い。  関わって特があるわけでも無く、他者に対する献身や慈愛の心は向けるだけで無駄なのだと、ハルはよく分かっている。  なら、今のことは忘れるのが一番だ。  心配そうに背中を擦る手をとって、二人は踵を返した。  翌朝、借りている寝台から顔を上げると日が差すところだった。周囲にはハルと同じように部屋を借りている少年達が眠っている。神官になるために勉強している者達だ。旅人に貸される部屋もあるが、子供だけだからと特別に空いていた寝台を借りた。子供二人だが、一つで十分だし仕切り用の布もある。  ヘイシスの診察を受けた後、二人は朝食をとるために下町に降りた。  総本山に続く階段は長く、その階段を上るためには許可証がいる。また、何日もかかるため途中には休めるよう、山を開拓した施設がいくつも建っている。それは下から第一、第二、第三施設と呼ばれている。泊まっているのは第一施設だ。  麓から眺めても神木は大きい。あの場に行くには、教皇の身分が必要な事を最近知った。  二人は眺めながら食事処へ向かう。  行き交う人々に、日々の生活から生まれる辛さはあまり見えなかった。盛んに商人が行き来し、神官達がそこかしこで建ち並び、籠を持っている。お布施を要求しているのだ。それは勧誘や強制ではなく、市民の善意を貰う形になっている。  以前関わった宗教関係者は、肥え太った腹を振りながら豪奢な机に座り、神のためにと言いながらハルに高額なお布施を要求した。ヘリガバーム教団のお膝元は、どうやら少し違うらしい。  座り込む貧民は何処にも見えず、裏通りにやくざ者はいなかった。教皇の目元で盗みを働くのは外から来た人間ばかりで、その誰もが神官に捕まっていた。  むきむきの二の腕でスリを捕まえている神官とすれ違えば、にやっと笑われた。  治安のいい場所みたいだと思ったとき、前方から歩いてきた少年達の噂話が耳に入ってきた。 「決闘だってよ」 「今日の正午かぁ。俺は見られないな」 「掃除さぼってけばいいじゃん」 「だめだって。リリカ様が監視当番なんだ、殺されちまう」  そりゃ災難だな! と不真面目な声が聞こえる。あまり身分の高くない神官見習いだろうか。 「しっかし、リンガルは急にどうしたんだろうな。大人しい奴だと思ってたのに」 「いい加減頭にきたんじゃねぇの? でも、これで出世は無くなったな……。タイラード様はお貴族だからエクソシストの称号を金で買えるだろう? 五年後は上司になってるからなぁ」 「目をつけられたのは運がなかったよな」  足を止め、すれ違った少年達の背中を見送る。 「賭が自分の命ってのもなぁ。せめて一対一ならいいんだろうが……」 「それって何処ですか」  突然かけられた声に、彼らは振り返った。 「なんだ? リンガルの知り合いか?」 「こないだから神官見習いの部屋に泊まってる子だな」 「場所なら競技広場だぞ。階段を上がった第二施設の」  人混みに消えた三人を見送って、ハルはうつむいた。緑色の瞳がまっすぐハルを見上げている。 「モリト、あっちへ行きたいの……」 「ボクもだよ、行こう!」  ぽつりと呟けば、小さな手が力強くハルを引っ張った。